第160話 ごく普通の少女のように

「――そうだ。囮を使ってみましょう」

 9月20日木曜日、夜。自宅でイスに座りながらシェルディアは唐突にそう呟いた。

「な、何ですかいきなり・・・・・・?」

 シェルディアとテーブルを挟んで対面のイスに座っていたキベリアは、驚きと疑問が入り混じったような顔を浮かべそう言葉を放った。

「スプリガンと会う方法よ。ここ数日ずっと何かいい方法がないか考えてたんだけど、やっと思いついたの」

 キベリアの言葉にシェルディアはそう答えた。その顔はイタズラを思いついた子供のように輝いている。

「スプリガンに会う方法・・・・・? つまり何かを囮にしてスプリガンを誘き出すって事ですか? でも、あいつが食いつくような囮って何かありますかね? 私には思い浮かばないんですけど・・・・・・・・」

「そう? 私にはその囮の姿がよーく見えているけど」

 首を傾げるキベリア。そんなキベリアに、シェルディアは意味深な視線を向けた。

「え? ・・・・・・・・・・・・・・ま、まさか私ですか?」

 シェルディアに見つめられたキベリアは、数瞬ほど固まると、自分を指差しながら呆然とそう聞き返した。

「ふふっ、当たりよ。私は最上位闇人であるあなたなら、スプリガンを誘き寄せる事の出来る餌になり得ると考えているわ」

 そして、純粋なる人外たる少女の姿をしたモノは、その答えが正解だと頷き笑った。

「ちょ、ちょっと待ってくださいよシェルディア様!? 私にスプリガンを誘き出すための囮になれって言うんですか!? い、嫌ですよ私は! 私あいつが本当に無理なんです! スプリガンとまた戦うなんて本当に嫌ですからッ! というか、私が囮になるわけないじゃないですか!」

 キベリアは全力で首を左右に振り、シェルディアに拒絶の言葉を叫んだ。その顔はどこか青ざめているようにも見える。まあ無理もない。キベリアはスプリガンとの戦いで全身を殴打され、ボロボロにされたのだ。キベリアにとって、スプリガンは軽いトラウマだった。

「まあそう叫ばない。後、何か勘違いしているようだけど、あなたはスプリガンと戦わないわ。どちらかと言うと、戦うとしたら光導姫と守護者ね」

「へ・・・・・・・? ど、どういう事ですか・・・・・・?」

 落ち着き払った声でシェルディアからそう言われたキベリアは、疑問からその眉をひそめた。

「スプリガンが現れる場所は決まっているわ。それは即ち、光と闇が激突する戦場よ。更に条件を付け足せば、スプリガンはこの日本の東京によく出没する。なら、この地でその戦場を用意すれば、スプリガンが現れる可能性は高いわ」

 光と闇が激突する――その言葉が示すのは、光導姫と守護者といった光サイドと、闇奴や闇人といった闇サイドが戦うという事だ。キベリアも、シェルディアのその言葉の意味については理解していた。

「闇奴を生み出す事は流石の私にも出来ない。でも、闇人ならここにいるわ。しかもその闇人は、いつでも自由に力を解放したり封印したりする事が出来ると来ている。更に言うなら、闇奴よりも最上位闇人の方が囮としても大きい。ね、あなたがピッタリでしょうキベリア?」

「うっ・・・・・・・・・」

 シェルディアの説明を聞いたキベリアは言葉を詰まらせた。それはつい自分が納得しかけたからだ。東京にはキベリアと同じ最上位闇人の響斬がいるが、響斬はまだ力を封印されている。ゆえに、響斬を囮とする事は出来ない。なら残るはキベリアだけという事になる。

「で、でも、それなら冥とか殺花とかクラウンとかもいるじゃないですか! それならちゃんと囮になるはずです。わざわざ私じゃなくたって・・・・・・」

 それでもなお、キベリアは食い下がろうとした。

「バカね。何で私がわざわざそんな事をしなくちゃならないのよ。あの子たちを囮にしようと思うと手間が多いのよ。私がそういうの嫌いなのをあなたも知ってるでしょ」

 だが無情にも、シェルディアはバッサリとキベリアの言葉を拒否した。

「ええ・・・・・・そんな一蹴しなくてもいいじゃないですか・・・・・・」

 シェルディアからそう言われたキベリアは、一瞬引いたような顔を浮かべたが、すぐに軽く泣きそうな顔になっていた。

「そんな情けない顔しないの。というか、言ったでしょ。あなたはスプリガンと戦わなくてもいいのよ。スプリガンが現れたら、私が彼と相対するから。そうなったら、あなたは戦っているであろう光導姫たちから撤退すればいいわ。たったそれだけの事よ。何をそんなにまだ渋る必要があるの?」

「ええと、その・・・・・ぶっちゃけ面倒くさ――」

「言っておくけど、あなたに拒否権はないからね」

 キベリアは本音を述べようとしたが、キベリアの言葉を最後まで聞かずにシェルディアはニコリと笑みを浮かべた。

「じゃあ今までの会話意味ないじゃないですか・・・・・・・・・・」

 死刑宣告をなされたキベリアは、ガクリと首を落とし力なくそう呟いた。キベリアにシェルディアに逆らう勇気はない。逆らえばどんな目に合うか分かったものではないからだ。つまりこの瞬間、キベリアが囮になる事が決定した。

「・・・・・・・分かりました。やりますよ。やればいいんでしょう。でも、シェルディア様。スプリガンが現れなかったらどうするつもりなんですか? 普通にスプリガンが出現しない可能性もありますよね?」

 全てを諦めたキベリアが、どこかムスッとした声でそんな質問をした。それは意趣返しではないが、キベリアのせめてもの反抗のようなものだった。

「しばらくは待つつもりだけど、彼が現れなかったら素直に帰るわ。でも、その時は多分あまり面白い気分じゃないから、何かに当たらないか心配だわ」

 キベリアの細やかな反抗の意思が込められた質問に、シェルディアは淡い笑みを浮かべそう言った。シェルディアのその笑みを見たキベリアは、自分の中に疑問が生まれたのを感じた。

「何か珍しいですね、シェルディア様がそんなこと言うなんて。というか今考えれば、こちらから罠を仕掛けてまでスプリガンを誘き出すって事も、何かシェルディア様らしくないような気がするんですけど・・・・・・・・何かありました?」

 シェルディアは、面白そうなものや興味の惹かれるものなどには敏感だ。キベリアもその事だけは嫌と言うほど知っている。シェルディアのその敏感さは、およそ無限の生を生きる不老不死者が感じている退屈さから来ているのだろう。キベリアは直接シェルディアにその事を聞いたわけではないが、その推察はほとんど間違っていないと思っている。

 シェルディアがスプリガンに興味を抱き、ちょっかいを掛けてみたいと感じているのもそれが理由だろう。光と闇の戦いに突如として出現した、正体不明・目的不明の男。スプリガンについては様々な謎がある。それは例えば、その凄まじい戦闘力であったり、力の性質であったり、その立ち振る舞いなどといったものだ。シェルディアはスプリガンに自分の退屈を紛らわせてくれる事を期待しているのだと、キベリアは思っていた。

 退屈に痺れを切らしたシェルディアが、スプリガンを誘き寄せる行動を取る。普通に考えれば、そこにおかしな事は何もない。

 だが何というのだろうか。いつものシェルディアならば、例え退屈に痺れを切らしても、自分から何かをするというような事はない気がする。事実、今までもそんな事はシェルディアはして来なかった。

そこにはシェルディアの流儀や気位、そういう思想的なものや感じ方があったからではないだろうか。

 キベリアには今のシェルディアは何かを焦っているように思えた。

「・・・・・・・・・・生意気ね、キベリア。たかだか数百年ほどの付き合いのあなたに、私という存在が理解できるの?」

 キベリアにそんな事を言われたシェルディアは、どこか冷たい口調でキベリアを見つめた。

「い、いや別にそこまで驕ってはいませんよ! 気に障られたのなら謝ります。すみません。ちょっと、帰城影人がらみで何かあったのかなと思っちゃっただけです・・・・・・・」

「・・・・・・・・・待ちなさい。何でそこで影人が出てくるのよ?」

 キベリアの謝罪の言葉を受けたシェルディアは、訳が分からないといった表情を浮かべた。

「何でって・・・・・シェルディア様この場所だと、というかあの人間と話している時が1番機嫌がいいじゃないですか。私がここに住み始めてから、シェルディア様だいたいずっと機嫌がいいですし・・・・・・・・そんなシェルディア様がいま少し変というか、機嫌が悪いのは帰城影人と何かあったからかなって・・・・・」

 キベリアは少しビクついたような顔で、自分がそう思った理由を述べる。キベリアの理由を聞いたシェルディアは、少し驚いたようにその目を大きくした。

「・・・・・・そう。あなたの目には、私はそう映っていたのね。・・・・・・・・・別に影人とは何もないわよ。確かに、私はあの子の事を気に入っているけれど、それだけよ。気に入っている、それ以上の感情は何もないわ」

 静かに、独白するように、シェルディアはそう答えた。その言葉はどこか自分に言い聞かせているようにも聞こえた。

「元々、私は人間が好きよ。影人を気に入っているのはその感情の延線上。ただそれだけよ」

 シェルディアはそう言葉を付け足すと、イスから立ち上がった。

「シェ、シェルディア様・・・・・?」

「少し夜風に当たってくるわ。とりあえず、話としてはそういう事だから。あなたを囮にする日は、また後で言うわ」

 シェルディアはキベリアにそう告げると、玄関へと向かいドアを開けて外に出た。

「・・・・・・・・・私、何かまずいこと言った?」

 シェルディアが出て行ったドアを見つめながら、キベリアは不安げにそう呟いた。













「・・・・・・・キベリア言う通り、私少し変かもしれないわね」

 マンションを出たシェルディアは、温い夜風を肌で感じながら道を歩いていた。行き先は決めていない。適当だ。

(・・・・・・変な気分だわ。思考がまとまらない。こんな事は初めてね)

 似たような気分は6日前に影人と穂乃影といた時にも感じた。今思えば、自分はあの時から変なのかもしれない。

(・・・・・・・いや、きっともっと前ね。私は陽華や明夜が光導姫として戦場に現れた時にも変だった。人間を心配したりして。・・・・・いったい、いつから私はこんな事を思うようになってしまったのかしら)

 シェルディアがこちらの世界に来てから数千年、シェルディアはずっとこの世界を観察していた。元々自分がいた世界、一部の人間たちが言う『あちら側』からこの世界にやって来たシェルディアにとって、この世界は未知だった。中でもこちらの世界にしかいない種族――人間には大いに興味を惹かれた。

 シェルディアはこの世界の歴史の陰から人間たちを見てきた。人間たちが見せる光や闇、それら全ての面を。そしていつからか、シェルディアは人間という種族が好きになっていた。

 更に言うならば、人間たちの体液である血液はシェルディアのエネルギー源として最も適していた。元いた世界でも、シェルディアは他種族の血液をエネルギー源としていたが、エネルギー吸収の効率は断然人間の方がいい。後は俗な言い方になるが、腹持ちもいい。

 シェルディアは人間が好きだ。この世界に来てから、人間たちとは少なからず関わって来た。それは今でもだ。人間たちと関わる事は、正直に言えば楽しい。

 だが、心の奥底では一歩冷静に引いている自分が、脆弱な人間を見下している自分がいた。人間で言うところの愛玩動物と戯れる感覚に近いかもしれない。シェルディアは人間が好きでも、愛してはいなかった。

 しかし、今の自分はどうだ。人間たちに感情を動かされ、今の時間に愛しさに近い感情さえ抱いている。シェルディアはここ最近、ずっとその自分の心の変化に戸惑っていた。

「あら・・・・・・・ふふっ、適当に歩いていたつもりだけど、ここに辿り着くなんてね」

 シェルディアがそんな事を考えながらしばらく歩いていると、目の前に見覚えのある公園が見えてきた。その公園は、シェルディアが影人と出会った時に訪れ、たまに影人と来る公園だった。

「今思えば・・・・・・・・私がこんな場所で暮らしているのは、影人との出会いがきっかけね。何だか懐かしいわ」

 シェルディアは無人の公園に入り、ベンチに腰掛けた。ここは、影人と出会った時に座ったベンチだ。

(最初は単なる興味だった。たまたま私を陰から見ていた人間と話してみたら思っていた以上に面白かったから、もう少し話してみたいと思った)

 影人と出会った時の事を自然と思い出しながら、シェルディアはベンチを撫でた。影人は嫌がっていたが、結局は折れてここでシェルディアと話をしてくれたのだ。

(それから野宿をしようとしていた私を、影人が見かねて家に泊めてくれた。それから影人や影人の家族と触れ合って・・・・・・・・気がつけばその隣で暮らしていた。まあ、スプリガンを捜すための拠点はどこかに作ろうと思っていたけど、自然とあそこを選んでいた)

 まるでそれが当然かのように、まるで何かを求めているかのように。

「・・・・・・・・ああ、そうか。私がいまこんな気分になっているその大本は、あなたが原因なのね」

 シェルディアは唐突に理解した。自分の心がなぜ変化したのかを。その最も最初で深い原因を。自分はその答えを無意識に知っていたのだ。だから自分はここに来た。

 シェルディアの頭に浮かぶのは、1人の少年の姿。前髪に顔の上半分が支配され、どこかミステリアスな雰囲気を纏う少年だ。見た目こそ少々暗いが、シェルディアは知っている。その少年が面白くて少しぶっきらぼうで、そして優しい少年であるという事を。

「ねえ・・・・・・影人。私が人間を愛しいと思えてきたのは、あなたのせいなのね。いま自覚したわ。私はあなたを大切に、あなたといる日常を・・・・・・・・・・愛しいと、そう思っているんだわ」

 ごく普通の少女のように――シェルディアは笑みを浮かべてそう呟いた。

 月光に照らされたシェルディアの笑みは暖かく、どこまでも美しかった。

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