第159話 怪物の心

「――ピュルセさん! ここの看板の色は赤にしようと思ってるんですけど、どうですかね?」

「うん、いいと思うよ。ただ、色味は少し暗めの方がいいかもしれないね。君たちのクラスは確かお化け屋敷だろう? 鮮血を思わせる明るい赤ももちろん良いとは思うが、暗い赤にする事で不気味な雰囲気をより演出できる。だから私としてはそちらを勧めるかな」

「なるほど! ありがとうございます。アドバイスの通り、色は少し暗めにしてみます!」

「ピュルセさん、これは――」

「特別アドバイザー、ここをこうしようと思ってるんですけど――」

「ピュルセさん!」

「ピュルセアドバイザー!」

(・・・・・・・・・相変わらず凄え人気だな、有名芸術家サマは)

 風洛高校2階。その廊下で生徒たちに囲まれ、ひっきりなしに相談を受けているロゼの姿を廊下の端から見ながら、影人はそう思った。

 今日は9月14日の金曜日、午後2時過ぎ。影人がロゼに学校案内をした日からちょうど1週間経った。

 あの日ロゼの学校案内を終えた影人は、これでやっと面倒ごとが終わり、しばらくロゼと関わる事はないだろうと思っていたのだが、月曜日に学校に登校し、午後からいつも通り文化祭の準備をしようとすると、急遽アナウンスが流れ緊急全校集会が開かれた。影人を含めた殆どの全生徒は疑問を抱いたまま体育館に向かったが、そこで生徒会長である真夏から驚きの発表がなされた。 

 真夏は壇上の袖からロゼを出現させ、これから文化祭が終わるまでの期間、ロゼを特別アドバイザーとして風洛高校に招くと宣言した。ロゼを案内した影人だったが、当然そのような事は知っていた筈もなく、影人もかなり衝撃を受けた。

 真夏によれば、「芸術や文化に深い造詣を持ち、自身もプロの芸術家として既に有名な当氏を特別アドバイザーとして招く事により、文化祭の更なる成功を願う」との事だった。それに加え、元々ロゼと真夏が顔見知りであったという事もあり、今回のロゼの特別アドバイザー就任が決定したと、真夏は述べていた。

 それからロゼを特別アドバイザーとして迎え入れた風洛高校は、今まで以上に活気を帯び始めた。ロゼは生徒たちの出し物に関する相談に、的確なアドバイスをし、生徒たちはそのアドバイスを参考にしつつ活動に取り組んだ。ロゼが風洛高校の特別アドバイザーになって数日が経過したが、ロゼの人気はいま影人の目に映っている通り凄まじいものだった。

(ったく、何でお前の所の光導姫はこう自由というか面倒というか・・・・・・何とか言えよ、ソレイユ)

『いや、何とか言えと言われてもですね・・・・・・・』

 警戒すべき人物が自分の近くにしばらく存在するというストレスを、影人は軽い愚痴としてソレイユに呟いた。影人から念話を受けたソレイユは、いま影人が見ている光景を視覚共有しながら困ったようにそう言葉を返す。

『というか影人。ロゼがあなたを追って東京に来たというのは本当なんですか?』

(おうよ確定だ。この前学校案内した時にうっかり口滑らせてたからな。だがまあ、いざスプリガンを捜すって言っても方法が分からないし、その間暇だから『芸術家』は会長の頼み聞いたんじゃねえかと思ってる。まあ何にせよ、結果としては日常でまた気を張る相手が増えたって事だ。本当に終わってやがる)

 影人はガリガリと頭を掻きながらため息を吐いた。真夏は良かれと思って、ロゼを特別アドバイザーにしたのだろうが、影人からすればこの状況は面倒以外の何者でもない。

(・・・・・ま、こうなっちまったもんは仕方ねえ。今まで以上に警戒を厳にだ。それよかって言うと変だけどよ、レイゼロールの気配はどうだ? あいつがどこかに出現しないと、。レイゼロールがカケラを5個取り戻した今、俺はレイゼロールに接触しなくちゃならない。じゃなきゃ、全てが手遅れになっちまうからな)

 話題転換という意図があったわけではないが、影人はソレイユにそう念話した。ソレイユからレイゼロールの事とカケラの事、それにこれからの事を話された日から既に1週間が過ぎている。スプリガンとしてこれからすべき事を既に知り、理解している影人は少しだけ焦りの気持ちを抱いていた。

『それは分かっています。今までの2回のように、残りのカケラがレイゼロールの気配を遮断しない場所にあるとは限りませんからね。・・・・・・ですが、現状レイゼロールの気配は感じられません。焦る気持ちは私も同じですが、こればかりはまだ待つしかありません』

 影人の焦りを理解しているソレイユは、しかし申し訳なさそうにそう返答した。

(・・・・・・・・だよな。よしんば接触できたとしても、問題はまだあるし・・・・・やっぱりお前が言う通り、今はまだ待つしかねえな。じゃ、悪いソレイユ。そろそろ念話切るぜ。俺も一応教室に戻るからよ)

『分かりました。ではまた』

 ソレイユとの念話を切り上げた影人は、廊下の端から自分の教室へと戻った。そして、教室のドアを開けようとしたが、

「おお、帰城くん。ちょうどいいところに。申し訳ないのだけど、少し付き合ってもらえるかな? これから家庭科部の部室に行くのだが、何でも人手が足りないらしい。君の手をぜひ借りたいのだが・・・・・」 

 その直前で廊下にいたロゼに呼び止められた。ロゼに呼び止められた影人は、ロゼに見えないところで一瞬顔を歪ませたが、すぐに顔を戻し振り向くと、苦笑しながらこう言葉を述べた。

「すみません、ピュルセさん。一応、俺には俺の仕事がありまして・・・・・・・・お手伝いしたいのは山々なんですが、クラスの皆さんにご迷惑はお掛けしたくはないので、今回ばかりは断らせていただきたいです。本当に申し訳ない」

 嘘である。口からでまかせ100パーセントである。この前髪はそんな殊勝な事は一切思っていない。面倒ごとが嫌いだから、それらしい事を言って断わろうとしているだけだ。平然と嘘をつく。人間のクズである。

「む、そうなのかい? おかしいな。真夏くんから、君の事は好きに使ってくれて構わないと言われているのだが。彼女は私の手伝いを最優先にさせるという許可も与えておいたと言っていたよ?」 

 だが、ロゼは不思議そうな表情で影人にそう言ってきた。

「え・・・・・・・・・? い、いや俺はそんな事なにも聞いてませんよ? やっぱり何かの間違いじゃ――」

 影人は一瞬呆然とした。何だその面倒事押し付けましたみたいな言葉は。影人はそんな事は真夏から何一つ聞いていない。影人が首を横に振ってロゼの言葉を否定しようとすると、

「あ、悪い帰城。会長からお前にそんなこと言っといてくれって言われてたの忘れてたわ。いやー、最近疲れてたからなー」

 ガラガラと2年7組のドアが開けられ、そのクラスの担任教師である榊原紫織が顔を出してきた。ちょうど教室を出ようとした所で、教室の前で話していたロゼと影人の話が耳に入ったのだろう。紫織はへらりとした笑みを浮かべながら影人にそう言った。

「は? 先生、それマジっすか・・・・・・?」

「おう、マジマジ。そこのアドバイザーさんが言うように、お前の文化祭準備期間の仕事の優先度はアドバイザーさんの手伝いが最優先になって、それもこっちで認められてるから、普通に行ってこい。説明は後ですりゃ問題ないから。じゃ、手伝ってやれよー」

 紫織はそう言って廊下を歩いて行った。影人は紫織の後ろ姿を機械的に目で追うしかなかった。

(・・・・・ふ・・・・ふざけんなッ! 俺の人権はどうなってやがんだよ!? 意味がわからん! あの横暴会長・・・・・! 今回ばかりは流石に恨むぜ・・・・・!)

 正気を取り戻した影人は、片手で顔を覆いながら内心でそう叫んでいた。影人の脳内では高らかに笑う真夏の姿が容易に想像できる。流石に1発殴りたいと影人は思った。

「うん、なら問題はなさそうだね。帰城くん、そういう事だから手伝ってもらえるかな?」

「・・・・・・・・・・分かりましたよ、どうとでも使ってください」

 再度ロゼからそう頼まれた影人は、どこかヤケクソな感じでそう言った。













「つ、疲れた・・・・・・・」

 午後5時半過ぎ。風洛高校を出て帰路についた影人はそんな言葉を漏らした。結局ロゼの手伝いに同行させられた影人が解放されたのは、つい10分ほど前だ。最初は家庭科部の手伝いだけだと思っていたが、家庭科部を出た所でロゼは運動部の生徒たちに捕まり、更に影人の仕事は増えてしまった。重い荷物を運ばされたりと、モヤシの影人からすれば重労働であった。その後もロゼは色々な部活や生徒たちに引っ張りだこで、その手伝い係たる影人も多くの労働をさせられた。

「本当、ふざけた日だぜ・・・・・・こんなふざけた日がまだ続くとなると、イカレちまいそうになる。この世に救いはねえ・・・・」

 取り敢えず疲れた影人は、コンビニに寄って何か甘い物でも買って帰ろうと決めた。デザートかアイスか食わなければやってられない。オヤジのような思考回路をした前髪は、コンビニに寄り結局アイスとオレンジのゼリーを購入した。

「冷たいし甘いし美味え・・・・・・やっぱ夏のアイスは最高だな」

 シャクリと梨味の某アイスを齧った影人は、ほうと息を吐いた。この時期のアイスは帰り道に食べてしまわないと溶けてしまう。ゆえに影人はゼリーはまた夜に食べて、今はアイスを食べようと考えた。

「鳴ら◯い言葉をもう1度描いてー、赤◯に染まる時間を・・・・・・ん? あれは――」

 影人がアイスを食べ、歌を口ずさみながら歩いていると、前方に見覚えのある後ろ姿が映った。豪奢なゴシック服に黒い日傘。日傘から覗く緩いツインテールの髪はブロンド。間違いなく、自分のマンションの隣人だ。

「よう嬢ちゃん。どっかの帰りかい?」

「あら影人。私は散歩の帰りよ。そういうあなたも学校の帰りかしら?」

 影人は前方を歩く隣人に向かってそう呼びかけた。するとその隣人――シェルディアは振り返り、ニコリと笑った。

「ご名答だ。今日はちょっくら疲れちまったから、帰りにコンビニ寄ってたんだ。やっぱ、夏はアイスだぜ」

 影人はシェルディアの隣まで行くと軽く頷いた。そして、影人とシェルディアは隣り合って再び歩き始めた。

「確かに夏は氷菓がおいしいわね。でも、私は氷菓は少しだけ苦手ね。どちらかというと、果物とかの方が甘味としては好みかしら」

 影人が振った話題というわけではないが、シェルディアは影人が口にしているアイスを見ると、そんな言葉を述べた。その言葉を聞いた影人は軽く苦笑する。

「ははっ。何かおばあちゃんみたいな事いうな。普通、嬢ちゃんくらいの年の子は果物よりアイスの方が好きって子の方が多いだろ。かくいう俺も、果物よりアイスの方が好きだしな」

「あら失礼ね影人。誰がおばあちゃんかしら?」

 影人にそう言われたシェルディアがムッとした顔を浮かべた。どうやら影人の言葉が気に入らず、むくれてしまったようだ。

「悪い悪い、許してくれよ。それだけ嬢ちゃんが大人っぽいって事さ」

「物は言いようね。・・・・・ふふっ、仕方ないから許してあげるわ。私、大人だから」

 シェルディアは楽しげに笑いながらそう言った。

「それよりあなた、帰りこんなに遅かったかしら。私の記憶ではもう少し早かったと思うのだけれど」

「ああ、本当だったらもう少し早い。だけど、夏休み明けくらいから文化祭の準備期間に入っちまってな。文化祭の準備の仕事の関係で、帰りはだいたい遅めなんだ。まあ、今日はいつも以上に疲れちまったがな・・・・・・・・」

 シェルディアの疑問に影人はそう返答した。最近文化祭の準備の事で忙しかった事もあり、シェルディアと会う事はあまりなかった。ゆえに、シェルディアはその事を知らないのだ。

「文化祭? 何かのお祭りをあなたの学校でやるの?」

「まあ、そんなとこだよ。学生たちが屋台だしたり、演劇やったり、その日だけはある程度のバカ騒ぎが許されたりするんだよ。俺は別に面倒だとしか思わねえけど、一般的には学生たちが大いに楽しむ祭りだ」

 シェルディアは文化祭が何か知らない様子だったので、影人はかなり噛み砕いたがそんな説明を行った。文化祭は日本の学校特有のものだと聞いたことがあるので、外国人であるシェルディアは知らなかったのだろう。影人は適当にそう納得した。

「へえ、それは楽しそうね。あなたも何かするの?」

「俺個人は何もやらないけど、俺のクラスがな。コスプレ喫茶ってしょうもないやつだよ。クラス全員何かの仮装して喫茶店やるんだ。もちろん俺も仮装させられる」

「あなたが仮装? ふふふっ、ぜひ見てみたいわね。いったいどんな仮装をするつもりなの?」

「秘密。ま、今の所はこれやろうかなって考えてるのあるから、他にアイディア湧いてこなかったら多分それになるだろうけどな」

「もったいぶるわね。ねえ、影人。その文化祭って、私も行く事は出来るのかしら?」

 唐突、という程でもないがシェルディアがそんな事を聞いてきた。影人は一瞬驚いたよう顔を浮かべたが、少しだけ嫌そうな顔でこう言葉を述べた。

「確かにウチの学校の文化祭は基本誰でも来れるけど・・・・・・・嬢ちゃんマジで来る気なのか?」

「あら私が来ちゃまずいの?」

「いや、まずいとかじゃないんだけど・・・・・」

 正直、色々と面倒になりそうだから来てほしくない、とは言えない。影人のその言葉を聞いたシェルディアは「そう? よかった」と楽しそうに笑った。

「ならその文化祭というものに私も行くわ。久しぶりに陽華や明夜にも会いたいし。影人、その文化祭の日はいつなの?」

「・・・・・・・9月の末。24、25、26日の3日間だよ」

 影人は諦めたようにため息を吐きながら、シェルディアに文化祭の日にちを教えた。影人はまたシェルディアが自分に会いに来たら逃げるかなと、どこか現実逃避気味にそんな事を考えた。

「あ、影人。今度は逃げないで頂戴ね? 流石に今度逃げたら私も怒るから」

「も、もちろんだ。ははっ、まさかそんなこと考えてないって」

 シェルディアのタイミングがドンピシャ過ぎる言葉を受けた影人は、ギクリとその顔を引き攣らせた。全く、この少女はニュー◯イプか。

「ふーん、本当かしら?」

「本当だって。俺嘘つかないし!」

 影人の反応を怪しく思ったのか、ジト目を向けてくるシェルディア。そんなシェルディアに影人は誤魔化すように笑ってみせた。

「ふふっ、必死ね。何だか余計に――あら? 影人、あれ穂乃影じゃないかしら」

「え?」

 シェルディアが左斜め前方を指差した。するとそこには、こちらの道へと横断歩道を渡って来る1人の少女がいた。長い黒髪に影人が通う風洛高校とは違う夏の制服を着たその少女は、確かに影人の妹である帰城穂乃影であった。

「本当だ。よー、穂乃影。お前もいま帰りみたいだな」

「っ・・・・・? 影に・・・・あなたとシェルディアちゃんか・・・・・・・・・」

 横断歩道を渡り終えた穂乃影が影人の声掛けでこちらに気づく。穂乃影は影人とシェルディアの姿を確認すると、シェルディアに挨拶をしてきた。

「こんばんわ、シェルディアちゃん。ダメだよ、シェルディアちゃんみたいな可愛い子が、こんな人と一緒にいたら。心配した人がきっと警察に通報するだろうから」

「おいこら妹よ。それはどういう意味だ。その言い方だと俺が不審者みたいじゃねえか」

 いつもと変わらないあまり抑揚のない声で、そんな事を言う穂乃影に影人は神速のツッコミを入れた。穂乃影の口調でそんな事を言われると、本気のように聞こえてしまう。

「そう言ってるんだけど。あなたの見た目でシェルディアちゃんと一緒にいたら普通に事案」

「何が事案だよ!? 俺は普通の高校生だ! 断じて不審者で事案なんかじゃねえ!」

 真顔でそう言葉を続けた穂乃影に、影人は怒りの叫びをあげた。

「ふふっ・・・・・・ふふふふふふっ! あなたたち、やっぱり面白い兄妹ね」

 影人と穂乃影のやり取りを聞いていたシェルディアは、本当に可笑しそうに笑っていた。

「でも大丈夫よ、穂乃影。影人はとても優しいし、私も信頼してるから。もちろん、あなたも本当は分かっていると思うけど」

「・・・・・・・・シェルディアちゃんに信頼されるほど、この人の人間は出来てないと思うけど」

 ひとしきり笑ったシェルディアが、穏やかに笑いながら穂乃影にそう言った。シェルディアにそう言われた穂乃影は、どう言葉を返していいか分からなかったのだろう。ポツリとそう呟いただけだった。

「ふっ、聞いたか穂乃影。そういう事だぜ。これで俺が不審者でない事が証明されたわけだ」

「そういう理論にだけは絶対にならないと思うけど・・・・・・・このロリコン」

「誰がロリコンだ!? その言葉だけはマジでやめろよお前!?」

 穂乃影がボソリと最後にそう呟いた単語を聞き漏らさなかった影人は、悲鳴に近い声でそう叫んだ。

(ああ、いいわ。何だか心が暖かくなってくる)

 影人と穂乃影を見つめながら、シェルディアは内心そう呟いた。影人と出会いこの地で暮らし始めてから、シェルディアはよく暖かさを感じるようになった。それに楽しさも。気がつけば、シェルディアはよく退屈を忘れるようになった。

 こんな時間がずっと続けばいいのに。柄にも無く、シェルディアはそう思ってしまった。

(っ・・・・・私は何を思ってるのかしら。らしくないわ)

 シェルディアは自分がそう思ってしまった事に驚いた。こんな時間がずっと続けばいいのに。つい少し前までの自分なら絶対にそんな事は思わなかった。自分は永遠の時を生きる不老不死者。同じ時間が続くなどという退屈な事は、1番嫌っていたはずなのに。

(私がこの東京に来たのは、スプリガンに会うためよ。だというのに・・・・・・・・・陽華や明夜が光導姫として現れた時にも感じたけど、最近の私少し変ね。腑抜けちゃったのかしら)

 自分の心境の変化に、シェルディアは珍しく戸惑っていた。

(だとしたら・・・・・何だか嫌ね。1度、をつけてみましょう。私がこの地を訪れた目的を達成する。受け身ではなく自分から。その方法は考えないとね)

 無意識にギュッと胸の辺りを左手で掴みながら、シェルディアはそんな事を思った。客観的に見ればシェルディアのその思考は、変化した自分の心境に戸惑い恐れ、逃げているように思えなくもない。だが、今のシェルディアは当然そんな事には気が付いていなかった。

「ん? どした嬢ちゃん。どっか具合でも悪いのか? 難しい顔してるけど」

「大丈夫?」

 シェルディアの様子を心配した影人と穂乃影がそう言葉を掛ける。2人からそう聞かれたシェルディアは、淡い笑みを浮かべながらこう言った。

「大丈夫。別に何でもないわ。さあ、帰りましょう2人とも」

「ならよかった。うん、帰ろう」

 穂乃影がホッとしたように口角を少し上げた。シェルディアはその言葉通り、再び歩き始めた。穂乃影も、そして影人もその後に続くように歩み始める。

(なんだ? なんかさっきの嬢ちゃんの笑みが軽く頭に引っかかるような・・・・・いや、考えすぎか。たぶん疲れてるから、感覚が変になってんだ。今日は早く寝よう)

 影人はシェルディアの笑みに軽い違和感を覚えたが、気のせいだと割り切った。


 ――シェルディアの心境の変化の自覚。それがもたらすものは一体何なのか。それを知る者は今は誰もいない。

 ただ予想できるとすれば、


 それはきっと、だ。

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