第158話 特別アドバイザー ロゼ・ピュルセ
「活動中すまない。少し見学させてもらえるだろうか」
ロゼが美術室の引き戸を開け、そう断り入室した。影人もロゼに続き美術室に入る。影人は授業で美術を選択していないので、1年の時のクラスの掃除係くらいでしか美術室を訪れた事はなかったが、久しぶりに入った美術室は何も変わっていなかった。少し汚れた机や、美術の授業の課題であろう絵や粘土の創作物。それに干された雑巾。いかにも美術室といった感じである。
影人たちが美術室に入室すると、やはり数人の生徒たちがいた。生徒たちはキャンバスに鉛筆や筆で何かを書いていたので、ほぼ間違いなく美術部だろう。そして、その中の眼鏡を掛けた男子生徒が影人たちの方に振り向いた。
「はい? どちらさんで――ッ!? ピュ、ピュ、ピュルセ女史!? ままままさか、我が美術部に見学に来て頂けるなんて! ああ、あなたのお姿を生で見れただけでなくこんな役得があるなんて・・・・・・・・! 今日は人生最良の日です!」
その男子生徒はロゼの姿を見ると、感激したような表情を浮かべそう言葉を漏らした。その男子生徒に引かれるように、他の生徒たちもロゼの姿を確認して驚いたような顔になった。
「おいおい嘘だろ!? あの現世界最高の芸術家の1人がこんな場所に来るなんて・・・・・!」
「『薔薇』、『紫の貴婦人』、『天命の獣』、数々の芸術史に残る作品を描いたあの天才が・・・・・!」
「やっぱり凄い美人だ・・・・・」
「あ、さっき見に行った人だ。やっぱり有名人なんすね」
「バカ、当たり前だろ! 芸術や美術を少しでも齧っていれば、彼女の事は知ってるのが普通だ!」
美術部の生徒たちの顔や反応を見た影人は、ある事に気がついた。
(美術部・・・・・・・・ああ、そうか。こいつらさっき『芸術家』を見に行った奴らだ。たぶん、俺と同じであの野次馬の中にいたんだろうな)
この美術部の面々は、影人が校舎の影で休んでいた時に見かけた生徒たちだ。1番最初にロゼに反応した眼鏡を掛けた男子生徒が、「急げ急げ美術部」と言っていたのを影人は思い出した。
「どうやら私の説明は不要のようだね。光栄だよ」
「こ、光栄だなんてそんな! むしろ絶対に僕たちの方が光栄ですから! そ、それにしても先ほど校門前でお姿を拝見した時も思いましたが、本当に日本語がお上手ですね・・・・・以前ピュルセ女史のインタビューの記事を拝見した通り、本当に語学が堪能なんですね。凄いです!」
眼鏡を掛けた男子生徒は心の底から尊敬の眼差しをロゼに向けそう言った。男子生徒の言う通り、ロゼの日本語は本当に上手い。先ほどの日本の諺を知っていた事からも、日本語への知識と理解が窺える。
「ははっ、ありがとう。と言っても、私は別に語学が堪能というわけではないよ。確かに大体の国の言語は話せるが、それは私が言語を美しいと思っているからだ。言語にはその国のおよそ全てが反映されている。そこに反映されているものは、須く美しい。私はそう思っていてね。美しいものは理解したくなる性分なんだ。だから、私が日本語を話せるのもその理解の延線上に過ぎないのさ」
(いや、人はそれを語学堪能って言うんだよ・・・・・・)
ロゼの言葉を聞いていた影人は内心そうツッコんだ。大体の国の言語を話せるというのが、語学堪能以外の何者なのか。こいつ、やっぱり天才タイプだなと影人は思った。
「・・・・・すいません。そういうわけで見学させていただくわけですが、美術部の皆さんは文化祭ではどのような出し物をなさるんですか? 今この場にいらっしゃるという事は、美術部として何か出し物をなさると思うんですが・・・・・・・」
案内人という立場上、影人は部長っぽい(完全に偏見)眼鏡を掛けた男子生徒にそう質問した。男子生徒は影人の意図を汲み取ってくれたようで、影人の方に視線を向けると笑みを浮かべて頷いてくれた。
「うん。君の指摘通り、僕たちは美術部として文化祭で活動する予定だよ。といっても、そんなに大した活動は出来ないから、自分たちが描いた絵をこの美術室に展示するくらいだけど。今はその展示する絵を描いているところなんだ」
「ほう、それは素晴らしい。テーマは決めているのかい?」
男子生徒の説明を聞いたロゼが興味津々といった感じでそんな質問を飛ばす。ロゼに質問を受けた男子生徒は、再び緊張したようにこう答えた。
「は、はい。テーマは決まっていて、『文化祭』です。まあ、文化祭だから『文化祭』がテーマっていう安直なものですが・・・・・」
「いいじゃないか。安直、大いに結構。その分、メッセージが伝わりやすいという事だからね。では、少し君たちの絵を見てもいいかな?」
「ど、どうぞどうぞ! まだ描きかけで、ピュルセ女史から見れば落書きのようなものでしょうが、それでもよければ・・・・・・・・!」
男子生徒は畏まった様子でそう言った。ロゼは男子生徒に「
「失礼、絵を拝見しても?」
「は、はい。どうぞっ!」
ロゼが女子生徒のキャンバスを覗き込んだ。ロゼの隣についていた影人も、その視線をキャンバスに落とす。キャンバスには鉛筆か何かで絵が描かれていた。少女が2人並んでいて笑顔を浮かべている絵だ。
「なるほど、まだ
「え、ええと・・・・・文化祭といえば、笑顔かなって。文化祭になると、学校がいつも以上に明るくなって笑顔が溢れる、と私は思ってるんです。だから友達と文化祭を楽しむ、楽しめるようにとこの絵を描きました」
女子生徒は少し恥ずかしそうにそう説明した。女子生徒の説明を聞き、再び女子生徒の絵に視線を戻したロゼは「なるほど」と呟き口角を上げた。
「素晴らしいメッセージだ。この絵に色がつくのが楽しみだよ。ぜひその願いを筆に乗せて書き上げてほしい」
ロゼは暖かな笑みを浮かべると、賞賛の言葉を口にした。それが影人には少し意外に感じられた。ロゼはプロの芸術家だ。ゆえに美術部には厳しめの言葉を投げかけると勝手に思っていたからだ。
「え・・・・・・・? あ・・・・・ありがとうございます!」
ロゼからそう言われた女子生徒も、まさかロゼから褒められると思っていなかったのか、一瞬キョトンとした顔を浮かべた。だが、すぐに本当に嬉しそうにロゼに感謝の言葉を述べた。
「ふふっ、絵と同じくいい顔だ。では、次は君の絵を見てもいいかな?」
「は、はい!」
それからロゼは3人の美術部の生徒たちの絵を立て続けに観察した。1人目の男子生徒の絵は、先ほどの女子生徒同様まだ下書きの段階だった。その男子生徒は校舎の窓からの視点を、文化祭の風景を想像し描いていた。2人目の女子生徒は既に着色に入っていた。その女子生徒の絵は、男子生徒と女子生徒のカップルが文化祭を楽しんでいる絵だった。3人目の男子生徒はもう半分ほど絵の具で色を塗っており、鮮やかであった。絵は体育館のステージの上で男たちが喜劇をしているものであった。ロゼは3人に先ほどの女子生徒同様、素直な賞賛の言葉を送った。ロゼの感想を受けた3人は、これも先ほどの女子生徒同様、心の底から嬉しそうな顔を浮かべていた。
「さて次は――」
「あ、順番的に俺っすね。でも俺の絵はあんま期待しないでください、超下手なんで。元々、絵は下手だったんすけど、美術部に入ったのマジ最近なんすよ。だから、ほとんどまだ上手くなってなくて」
ロゼが5人目の生徒――美術部は全部で6人――に視線を向けようとすると、その5人目の男子生徒がそう言って手を挙げた。
(あいつは確か『芸術家』の事を知らなくて、4番目の男子生徒から指摘されてた奴だな。てか、見た目通り、言動もちょっとチャラ目だな)
5人目の男子生徒は、他の美術部の生徒たちより明るい見た目をしていた。校則ギリギリの茶色めの髪は長めで、髪型はヘアバンドでオールバック。耳にはピアスの穴が空いていて、制服もオシャレに着崩している。パッと見、陽キャ。もしくはヤンキーといった感じだ。こう言っては失礼だろうが、明らかに美術部という見た目ではない。
「私は絵の上手い下手で絵を語らないから安心してくれ。では、君の絵を見せてもらおうか」
ロゼがチャラ目の男子生徒のキャンバスに視線を向けた。影人も同じように前髪の下の目をキャンバスに向けた。
(っ、こいつは・・・・・・・)
チャラ目の生徒のキャンバスに描かれていた絵は、影人が思っていた以上に下手くそなものであった。まだ下書きの段階で、絵には小学生の落書きのような人間たちが数多く描かれている。その人間たちの表情はどうにか笑顔だと分かるレベルのものだった。今まで見てきた美術部の生徒たちの絵がかなり上手かった(あくまで影人視点)のもあり、その絵はより下手さが際立っていた。
「ね、マジで下手でしょ? お姉さん有名な芸術家の人みたいだし、俺みたいな奴の絵なんて見る必要ないっすよ」
チャラ目の男子生徒は笑いながらそう言った。その男子生徒は無理して笑っている風ではなく、心の底からそう思っている感じの様子だった。
「ふむ、そうかな。私には君のこの絵が輝いて見えるけどね」
だが、ロゼは真摯な表情を浮かべながらチャラ目の男子生徒の絵にそうコメントした。
「え? お、お姉さん、マジで言ってんの・・・・?」
その意外すぎるロゼの感想に、チャラ目の男子生徒は驚いたような顔でロゼにそう聞き返した。驚いているのはチャラ目の男子生徒だけではない。チャラ目の男子生徒以外の美術部の全員、それに影人も驚いていた。この絵は、明らかにリップサービス出来るレベルにも達していない。
「私はあまり嘘はつかない主義だよ。君に聞きたい。君は最近美術部に入ったと言ったね。なぜ美術部に入ったんだい? それと、君がこの絵を描いた理由も出来ればお聞かせ願いたい」
「お姉さん、マジ変わってんね・・・・・・・俺が美術部に入った理由は、単純に絵を描いてみたいって思ったからだよ。昔から絵とか描くのは好きだったんだけど、俺絵が昔から絶望的に下手でさ。そのせいで周りの奴らからはよくバカにされたんだ。それが悔しくて、小学校の高学年くらいから絵は描いてなかったんだけど・・・・・気づけば俺も高校生になっちまったしさ。そろそろ、自分のマジで好きな事やっとかないと後々後悔するかなって思ったわけ。それが俺が美術部に入った理由だよ」
チャラ目の男子生徒は明るい笑みを浮かべ、自身が美術部に入部した理由を語った。そして美術部の部員たちを見渡しながら、チャラ目の男子生徒はこう言葉を続けた。
「ちょっと話は逸れちゃうけど、俺いまマジで楽しいんすよ。美術部のみんなは俺の絵が下手でもバカにせずに、こうすれば上手くなるよってアドバイスしてくれる。今のところはまだ俺がバカすぎて、アドバイス生かしきれてないっすけど、いつかは絶対絵上手くなりたいんすよ」
(こいつ・・・・・・・めちゃくちゃいい奴じゃねえか)
その言葉を聞いた影人は内心そう呟いた。ごめん。人は見かけによらなかった。影人はチャラ目の男子生徒に心の内で謝罪した。あと、美術部の部員たちはどこか感動したような顔を浮かべていた。まあ、気持ちはわかる。
「んですんません。俺がこの絵描いた理由っすよね。ま、俺も
チャラ目の男子生徒は自分がこの絵を描いた理由についてそう語った。八代さんとは、最初に絵を見たあの女子生徒の事だろう。
「
ロゼはチャラ目の男子生徒の絵にそっと触れると、こう言葉を続けた。
「これは私の持論だが、絵に1番大切なのは絵の上手さでも技術でもない。1番大切なのは、絵に込められた想いだ。描き手がどんな気持ちで絵を描いたのか、それが重要だと私は思う。だからはっきり言おう。君の絵は素晴らしい。自信を持って、この絵を完成させてくれ。君より多少長く芸術というものに関わっている私にとっては、君のように芸術を学び始めた者というのは、それだけで輝いている者。芸術が君の人生に喜びをもたらす事を、私は願うよ」
「俺の絵が素晴らしい・・・・・・・・・・へ、へへっ。そんな事、初めて言われましたよ。あざっす。俺、もっと絵を描くのが好きになりました。絶対、この絵完成させてみせます!」
チャラ目の男子生徒は、照れるような嬉しさが込み上げてくるような顔を浮かべた。
(よかったな、チャラ男。お前の絵、下手くそとか思ってごめんな。言い訳なるかもだが、俺もお前の絵は好きだぜ)
影人も少し口角を上げてそんな気持ちを抱いた。いきなり何様だこの前髪、と思わなくもないが、まあ都合がいいのが人間というものである。
「うん、その意気だ。それでは最後になってしまったが、君の絵を見てもいいかな?」
「っ、ど、どうぞ!」
ロゼが美術部最後の1人、眼鏡を掛けた男子生徒にそう確認を取る。眼鏡を掛けた男子生徒は、緊張した様子でロゼにキャンバスを見せた。
(へえ、上手いな・・・・・・・)
ロゼの後ろからキャンバスを見た影人は、素直にそう思った。他の美術部の部員たちの絵より更に上手い気がする。
眼鏡を掛けた男子生徒の絵は少し独特だった。教室の前の「メイド喫茶」と書かれた看板の前に、古代ギリシャ風の服を纏った男たちが3人ほど立っており、男たちが看板を指差しながら何やら議論している、という感じの絵だ。まだ下書きの段階だったが、その下書きは全て完成しているように影人には思えた。
「ふむ、これは面白い絵だね。見たところ、古代ギリシャの哲学者が『メイド喫茶』とは何なのかを真剣に議論し合っている様子だ。古代の賢人たちがね。何ともユーモアのある絵じゃないか。しかもメッセージ性もある。この絵に込められた意味は、理解かな? 古代の人物たちが現代の異文化について理解しようとしている。その姿勢が大事だという事、その果てにあるのは相互理解。人は誰とでも分かり合えるというメッセージ・・・・・・・・と、間違っていたら申し訳ない」
ロゼが芸術家らしくその絵について考察した。その考察を聞いていた影人は、なるほどと思うと同時に穿ち過ぎではと思ったが、どうやらロゼのその考察は的を得ていたようで、
「お、お分かりになりますか!? さすがピュルセ女史です! その観察眼の鋭さ、感服します!」
眼鏡を掛けた男子生徒は興奮したようにそう言った。
「文化祭というものは、好きな人もいれば嫌いな人もいると僕は思うんです。そういう人たちからすれば、文化祭はつまらないものでしょう。文化祭を好きな人からすれば、文化祭を嫌いな人は理解できない。文化祭を嫌いな人からすれば、文化祭を好きな人は理解できない。でも、それはお互いの事を理解し合えば解消する事だと思うんです。お互いがお互いを理解しあえる事が出来れば、文化祭は全員が楽しめるものになる。だから、理解しようとする事が大切だという自分の考えを、僕はこの絵に込めました」
眼鏡を掛けた男子生徒は熱く自分の絵について語った。込めた理由は立派だが、この絵からその事が分かるか? と影人は思ったが、それをいま言うのは野暮というものだろう。
「ピュルセ女史、ご迷惑を承知で述べさせていただきますが、出来れば何か絵についてアドバイスを頂けないでしょうか? そうすれば、僕の拙い絵も多少はマシになると思いますので・・・・・・!」
眼鏡を掛けた男子生徒が懇願するようにロゼにそう言葉を述べた。アドバイスを求められたロゼは、しかし男子生徒にこう告げた。
「ふむ。悪いが、創作活動において私はアドバイスは出来るだけしないようにしているんだ。アドバイスをすれば、その制作者の感性の表現たる作品に私の感性が混じってしまう。それは、あまり美しくない。君の絵は、君の考えと感性における君だけの絵だ。私はそこに私を混ぜたくはない。だからアドバイスは出来ない。すまないね」
ロゼは珍しく申し訳なさそうな顔を浮かべていた。
「そ、そうですか。確かに、ピュルセ女史の言う事は最もですね・・・・・・・わかりました。僕も、僕の全力で僕の全てをこの絵に表現してみせます!」
眼鏡を掛けた男子生徒は一瞬残念そうな顔になったが、すぐに気力の満ちた表情を浮かべた。
「それでこそ表現者だ。美術部の諸君、ありがとう。とても有意義な見学だった。文化祭当日は、私も必ず訪れるから、君たちの完成した絵を楽しみにしているよ。それでは失礼」
「美術部の皆さん、ご協力ありがとうございました。私からもお礼申し上げます」
ロゼが優雅に一礼をして美術部の部員たちに感謝の言葉を述べる。影人も案内人という立場上、頭を下げて丁寧な言葉遣いでお礼の言葉を口にした。
「いえ、こちらこそ! とてもいい刺激になりました! 当日、いらっしゃる事を心から楽しみにしています! 美術部一同、立って礼!」
「「「「「「ありがとうございました!」」」」」」
眼鏡を掛けた男子生徒が部員にそう告げると、眼鏡を掛けた男子生徒含めた全員が、立ち上がり頭を下げてそう言った。やはり、影人が思っていた通り、あの眼鏡の男子生徒が美術部の部長だったようだ。
ロゼと影人は美術部の部員たちに再度感謝の言葉を述べると、美術室を後にした。
「――ふふん、どうだった『芸術家』。ウチの高校と生徒たちは」
「ああ、素晴らしかったよ。ありがとう真夏くん。君のおかげで、大変有意義な体験が出来た」
午後6時過ぎ。美術室を後にして3年の教室と複数の特殊教室を見学し、一応風洛西高校の全てを見学し終えたロゼと影人は、生徒会室に行き真夏にその事を報告した。生徒会室には真夏しかいなかったため、いま生徒会室にいるのは真夏、ロゼ、影人の3人だけだ。
「そうでしょうね、私に感謝しなさいよ。それと、帰城くんも本当にありがとうね。おかげで助かったわ。ほら、『芸術家』。あんたも帰城くんにちゃんとお礼言いなさいよ」
「もちろん感謝しているとも。ありがとう、帰城くん。君の案内がなければ、私はこれほど充足感を覚えていなかっただろう。改めて、君に感謝を」
「いえ、別に・・・・・・・俺は普通に学校を案内しただけですから。じゃあ、会長。俺はもう教室に戻っても大丈夫でしょうか?」
真夏とロゼから感謝の言葉を述べられた影人は、軽く首を振り真夏にそう聞いた。内心はやっと解放されると疲れに疲れていたが、その事は表情には出さない。
「ええ、大丈夫よ。じゃ、バイバイ帰城くん」
「では失礼します」
影人は真夏とロゼに頭を下げると、生徒会室を後にした。
「礼儀の正しい良い人物だね彼は。自分が主張し過ぎない範囲で私に説明し、私の好きなように見学させてくれた。気配り上手だ」
影人が去った方向を見ながら、ロゼが影人についてそんな評価を下した。ロゼの影人に対する評価を聞いた真夏は、軽く頷きこう言った。
「知ってるわ。じゃなきゃ、いくら私とあんたの知り合いだからって案内人にはしない。それより、『芸術家』。迷惑を承知であんたにお願いがあるんだけど、いいかしら?」
「君が私にお願い? もちろん、私の出来る範囲内であれば聞くよ。君には今日この学校を見学させてもらった借りがあるしね」
真夏からお願いがあると言われたロゼは、少し不思議そうな顔を浮かべながらもそう言葉を返した。
「あんたが何で日本にいるのか、その理由を私は知らないわ。でも、あんたはあんたの目的のためにいま日本にいる。だから、それが理由なら断ってくれても構わないわ。『芸術家』、いやロゼ・ピュルセ氏。明日から文化祭が終わるまで、あなたに我が校の特別アドバイザーになっていただけないでしょうか。芸術の分野で活躍しておられる、あなたを見込んでお願い申し上げます。なお、この事は既に当校の校長に許可は取っており、後はあなたの返事次第です」
真夏は途中から口調を畏まったものに変え、ロゼにそう言った。
「ふむ、その特別アドバイザーというのは?」
真夏からそのようにお願いされたロゼは、特段驚きもせずに冷静にそう質問した。
「特別アドバイザーというのは、文化祭の出し物を準備している我が校の生徒たちに、芸術や文化というものに深い知見を持つあなたに、様々なアドバイスをしていただきたいといったような意味の役職です。我が校の文化祭をより輝かしく成功させるため、あなたのアドバイスを頂きたい。もちろん、プロとしてあなたにお願いするわけだから、お金は払います。と言っても、生徒会の文化祭の予算から捻出するので、あなたに見合った金額は払えませんが・・・・・・」
ロゼの質問に真夏はそう答えた。真夏から特別アドバイザーがどのようなものなのか説明を受けたロゼは、申し訳なさそうな顔になった。
「すまない真夏くん。そのお願いは聞けそうにない。いや、これはお金の問題ではなく私の信条の問題なんだ。私は創作活動において、アドバイスは出来るだけしない。アドバイスをすれば、そこに私が混ざってしまうから。だから・・・・・すまない」
「・・・・・・・・・・・そう。あんたの信条は理解したわ。きっとそれは、あんたが芸術家として大切にしてきたものなのね。・・・・・・でも、その信条を踏みつける事をまた承知で言うわ。お願いよ『芸術家』。どうか、アドバイザーになって!」
真夏はイスから立ち上がると、真剣な表情でそう言って頭を下げた。
「っ、まさか君に頭を下げられるとはね・・・・・・」
ロゼは驚いたような顔で真夏を見た。ロゼと真夏はそこまで仲がいいというわけではない。お互い、年に1度の光導会議で顔を合わせる事があるかないか、それくらいの仲だ。
だが、それでもロゼは真夏が容易に人に頭を下げるような人物でないという事は知っている。傲岸不遜、とまではいかないが、真夏はそれに近い性格だ。
その真夏がいま自分に頭を下げてまでそう頼んでいる。ロゼは真夏が自分にそこまでして頼む理由が気になった。
「なぜ、君は私にそれを願うんだい? 見学してよく分かった。この学校の生徒たちは、誰のアドバイスを受けずともよくやっている。君がその事を知らないはずがないだろう。だと言うのに、なぜ・・・・・」
「・・・・・ええ、もちろんよく知ってるわ。私はこの学校の生徒会長ですもの。文化祭は今まで通り、今年も成功するでしょう。でも、私はそれをもっと、限界まで成功させたい」
真夏は顔を上げ、真剣な目をロゼに向けた。そして真夏はロゼに願いの理由を告げた。
「文化祭っていうのはね、特別なのよ。全ての生徒たちが絶対に何らかの活動をしてるわ。楽しんでいる生徒も、中には嫌々やっている生徒もいるでしょう。でも、みんな例外なく頑張っている事は変わらない。私は、そんなみんなの頑張りの集大成である文化祭を成功させる義務がある。なにせ、私は生徒会長だから」
真夏はグッと右手を握り視線をその拳に落とすと、更に言葉を続けた。
「あんたは有名人で芸術や文化に関するのプロよ『芸術家』。そんなあんたが文化祭のアドバイザーになれば、文化祭はより盛り上がる。私とあんたは顔見知りで、あんたはこの時期にここにいる。私はこれを運命だと思ってるわ。だから、私はあんたにお願いしてるの。もう1度だけ、これを最後に言うわ。お願い、『芸術家』。文化祭をより成功させるために、あんたの力が必要なの!」
真夏がまたロゼに向かって頭を下げる。真夏の情熱と責任を感じ取ったロゼは、しばらく黙っていたがその口を開いた。
「顔を上げてくれ真夏くん。君の思いはよく分かったよ。・・・・・・いいだろう。今回ばかりは自分の信条よりも、君の思いが優先だ。私でよければ、その役職受けようじゃないか。これからしばらく、お世話になるよ、真夏くん」
ロゼはフッとした笑みを浮かべると、真夏に手を差し伸べた。
「ッ、本当にいいの・・・・・? ありがとう、『芸術家』・・・・・・・・この恩は忘れないわ!」
顔を上げた真夏は一瞬驚いた表情を浮かべるが、すぐに満面の笑みになりロゼの手を掴んだ。
「じゃ改めて・・・・・・・明日から文化祭が終わるまで、我が校の特別アドバイザーになってくれますか? ロゼ・ピュルセ氏」
「謹んでお受けしよう」
真夏が形式上ロゼに再びそう問うた。1度目は自分の信条を理由に断ったロゼであったが、今度は笑みを浮かべながら真夏の願いを了承した。
こうして、ロゼ・ピュルセはこれからしばらくの間、風洛高校の特別アドバイザーに就任する事が決定した。
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