第140話 芸術家ボンジュール(2)

「そーらお前ら、今日も文化祭の出し物の準備すんぞー。テキパキ働けー」

 キーンコーンカーンコーンと午後の授業の開始を告げるチャイムが鳴る中、2年7組担任教師である榊原紫織は、やる気のなさそうな声で生徒たちに向かってそう言った。紫織の言葉を受けた2年7組の生徒たちは、自分の座っていた机と椅子を押し、教室の前方へと集めていった。

 9月6日木曜日。数日ほど前から風洛高校は文化祭準備期間へと突入した。それに伴い、午後の授業は全て各クラスの出し物の製作に差し替えられる事になった。

「だるい・・・・・・これならまだ普通の授業の方がましだぜ・・・・・・・・・」

 そんな生徒たちの中に、前髪が異様に長い少年がいた。我らが前髪野郎、帰城影人である。影人は他のクラスメイトたちと同じように、机と椅子を教室の前方に押しながら面倒くさそうにボソリとそう呟いた。

「今日は確か・・・・・造花と他の飾りの作成の続きだったな。ったく、文化祭の準備ってやつはやっぱり嫌いだ・・・・・」

 ぶつぶつと文句を呟きながら、影人は教室の後方に乱雑に置かれていた造花や他の飾り付けを作成するための紙やテープを取る。チラリと周囲を見てみると、他のクラスメイトたちも看板の作成や衣装の作成に取り掛かっていた。

 1週間ほど前に行われたホームルームで様々な議論の末、多数決で決まったのはいわゆるクラス喫茶というものであった。軽食と飲み物を提供し、教室の内装をカフェ風にするという、文化祭などではありきたりな出し物だ。

 ただ、それでは何の面白みもない。最初は文化祭の出し物を決めるときに、これまたベタであるが男子側からメイド喫茶という意見が出された。しかし、それでは接客をするのが基本的に女子に限定される。まあ別に、男子がメイド服を着てはいけないという事はないのだが、そうなってしまえば高確率で地獄のような光景が広がる可能性がある。そこで男子と女子による議論の末、2年7組の出し物は「コスプレ喫茶」という事に決定した。

 これは、クラス全員が必ず何らかの仮装やそれらしい服装をしてクラス喫茶をやるというもので、各個人は文化祭当日までにその衣装を用意しなければいけない。それは当日家庭科室にこもって料理番をする者などもだ。例外はない。つまり、影人も文化祭当日は何らかの仮装や衣装を着なければならない。

(なーにがコスプレ喫茶だ。何の捻りもありゃしねえ。おまけにクソ面倒くさい事に衣装も用意しなきゃならねえし・・・・・・・はあ、文化祭当日に学校にカッパが現れてブレイクダンスでもしねえかな。頭の皿割れて死にそうになりながら)

 影人はしょうもない事を考えながら造花を作成していく。文化祭準備期間の影人の係は小道具製作で、文化祭当日は教室のオーダーを家庭科室に届ける係だ。まだ1番楽そうな係を影人は選択した。

 ちなみに影人はいま教室の隅で1人で小道具の製作をしている。他の小道具係の面々は固まって製作しているのに、影人は1人だ。別にこれは影人がハブられているとかではない。むしろ、どちらかと言えば問題は影人にある。

 基本的に影人は最低限にしかクラスメイトとは関わらない。ただ単に、クラスメイトと関わるのは面倒だし、影人は1人が好きだからだ。そこに光司や陽華のような特別な拒否の理由はない。

 この社会不適合な前髪はそういったスタンスであるので、初めに誰が何の小道具を作るかを決める時にしか他のメンバーたちと話をしなかった。文化祭の準備が始まったのは2日前の9月4日からだが、影人はそれ以降基本は1人で小道具を製作している。小道具の他のメンバーはそんな影人にどう声を掛けていいか分からないため、このような状況になっているといった感じだ。つまり、非は全てこの前髪にある。くたばりやがれ。

「あ、あの帰城くん、ちょっといいかな・・・・・・?」

「・・・・・なんでしょうか?」

 影人が1人で黙々と作業をしていると、小道具のメンバーの1人である男子生徒が影人に話しかけて来た。影人はそんな男子生徒にそう言葉を返した。

「その、ちょっとテープとか紙とかの材料が切れちゃってさ。俺たちはいま手を離せない作業をしてるんだけど・・・・・・・買い出し頼まれてくれない? いや、無理だったら断ってもらっても構わないんだけど・・・・!」

 男子生徒は緊張したような顔持ちでぎこちない笑みを浮かべている。その奥では他の小道具のメンバーも緊張したように影人たちの方を見守っている。いや、というか実はクラス中(紫織を除く。紫織は椅子に座りながら爆睡していた)が他の作業をしながらも影人とその男子生徒に注目していた。

(っ、やめとけやめとけ! そいつだけは関わったらマジでヤバい! クラスの不文律知ってんだろ!?)

(明らかにヤバい奴だから最低限しか関わらない。それが暗黙の了解だろ!? よく考えろそれは本当に最低限なのか!?)

 と、2年7組のクラスメイトたちの心の声はだいたいこのようなものであった。顔の上半分を支配している異様に長い前髪による容姿、独り言をよく話す癖、以上のような要因から影人はこのクラスではヤバい奴認定をされている。だが、その事を影人は知らない。きっと本人が知れば、その方が楽だと断言するだろう。そして、「フッ、俺は1人が運命なんだよ」と気色の悪い笑みを浮かべるに違いない。悲しいが想像する事が容易すぎる。

(ああ、最悪だ・・・・・・何で俺はあそこでグーを出したんだ・・・・・・・・・・)

 以上のような理由で教室中が注目する中、影人に話しかけた男子生徒は自身の不幸を呪っていた。男子生徒たち小道具係がいま手を離せないのは本当で、仕方なく誰かが同じ小道具係の影人にそうお願いしてみようという事になったのだが、当然誰も影人にお願いしに行きたくはなかったので、ジャンケンをする事になり、この男子生徒が影人にお願いをしに来たというのが事の顛末である。

「買い出しですか・・・・・・分かりました。何を買ってくれば?」

「え? いいの・・・・・?」

 だが、男子生徒が思っていたよりも影人はあっさりとそのお願いに頷いた。男子生徒は思わず目をパチパチとさせた。

「構いませんよ。作業も順調ですし。それで、買う物は結局なんですか?」

 影人はいつも通りの少し暗めの声で男子生徒に再び催促した。影人から催促された男子生徒は、「あ、ああごめん! えっと買う物はこのメモに書いてあるから、後は◯◯さんからお金を受け取ってほしい」と慌てたようにメモを渡して来た。男子生徒から買う物が書かれたメモを受け取った影人は、「了解です」と言って地べたから立ち上がった。そして、影人はそのまま文化祭用のお金を管理している女子生徒の元に向かい、必要な千円札を3枚ほど受け取った。その女子生徒も何だかあたふたしていたような気がするが、正直どうでもよかった。

「・・・・・・・・じゃあ」

「う、うん。お願い!」

 影人がそう言って教室を出ようとすると、影人に買い出しを頼んだ男子生徒は軽く頭を下げた。

「・・・・・・・・・・もしかして、案外いい奴だったりするのか・・・・・・・?」

 影人が教室を出て姿を消したのを確認した男子生徒は、ポツリとそんな事を呟いた。











「買い出しね・・・・・・正直、教室で単純作業してるよりはよっぽどいいな。合法的なサボりにもなるし。あのクラスメイト・・・・・・・名前は知らねえが、感謝だな」

 教室を出た影人は廊下を進みながら昇降口へと向かっていた。廊下には各クラスの生徒たちが文化祭の出し物の準備を行なっておりかなり賑やかだ。窓の外から見える中庭でも生徒たちが何かの作業をしている。ザ・学校、ザ・青春といった感じだ。まあ捻くれ者の前髪野朗はその光景には、どいつもこいつも面倒事が好きだなくらいの感想しか出てこないのだが。

「さて近くの商業施設は・・・・・げっ」

 影人が自分の下駄箱から靴を出しそれに履き替え外に出ると、自分の視界内にある3人組が映った。その3人の姿を見た影人は露骨にそんな声を漏らす。そこにいたのは影人がこの学校で1番関わりたくない者たちであったからだ。

「! やあ、帰城くん。靴を履いているということは・・・・・・・君も買い出しかな?」

 そんな影人の声に気がついたのか分からないが、その中の1人――香乃宮光司が爽やかな笑顔を浮かべながら後方にいた影人にそう話しかけて来た。光司が影人に話しかけた事によって、残りの2人の女子生徒も後ろを振り返り影人に気がついた。そしてその2人も影人に声を掛けてくる。

「あ、こんにちは帰城くん!」

「こんにちは、その長すぎるイカした前髪・・・・・・あなたが帰城くんかしら?」

 残りの2人の女子生徒――風洛高校名物コンビである朝宮陽華と月下明夜は影人に向かってそう挨拶してきた。

「・・・・・・・・・・・俺に関わるなって何回も言ったはずだぜ。お前に学習能力はねえのか、香乃宮」

 影人はため息を吐きながら、自分に1番初めに声を掛けてきた光司にそう言葉を返した。そして陽華と明夜の方にも仕方なくこう言葉を返す。

「お前も前にそう言ったはずだ朝宮。あと月下、俺の事を香乃宮か朝宮から聞いたなら知ってるだろ。俺はお前らみたいな奴とは関わらない。初対面だが、それは先に言っておく」

 明夜の反応から既に自分の事を多少は知っているであろうと予想した影人は、明夜に対しては予め自身の態度を伝えた。

「あ・・・・ご、ごめんね帰城くん。つい・・・・・・」

「あら、初対面なのに随分と嫌われたものだわ。今どき珍しいくらいにツンツンしてるのね」

 影人から冷たい拒絶の言葉を受けた陽華は申し訳なさそうな顔を浮かべ、明夜は少し呆れたような表情になった。

「・・・・・そういう事だ。今度こそ肝に銘じとけ」

 影人はそう言い残すと、3人を横切り校門を目指した。これだけ言えば、流石に今日のところは大丈夫だろう。

「・・・・・・・・・・おい、何で俺の後をついてくるんだ」

 しかし、なぜか光司と陽華と明夜の3人は影人の後ろを歩いていた。

「さっき聞いたはずだよ、君も買い出しかってね。僕も、朝宮さんと月下さんも買い出しなんだ。なら、行く場所は同じだろ?」

 光司はニコニコとした顔で、機嫌の悪そうな顔の影人にそう言った。どうやら、光司は影人が買い出しの用事があると確信しているようだ。まあ、この時期この時間帯に外に出るならば、基本は買い出しの用事しかないので予想は用意だろう。

「ちっ・・・・・・最悪の買い出しだぜ」

 影人は自分の不幸を呪った。光司は2年1組で、陽華と明夜は2年5組に所属している。そして、影人は2年7組。クラスが違うはずの自分たちの買い出しのタイミングが、なぜかここでモロ被り。最悪のタイミングとしか言いようがない。

「まあ、そう言わないで。これも何かの縁だよ。一緒に行こうよ」

「ふざけやがれ。馴れ合うつもりはねえって言っただろ」

 ニコニコ顔で後方からそんな事を言ってくる光司に、影人はもはや疲れたようにそう言葉を述べる。香乃宮光司、全く面倒極まる男である。

「・・・・・正直言って、かなり感じが悪い人ね。今のところはだけど」

 光司が影人に話しかけている間、明夜はヒソヒソと陽華にそう話しかけた。話題はもちろん影人の事だ。明夜は陽華から帰城影人なる少年の事を事前に聞いていた。そして先ほどから影人の事を見る限り、どうもあまりいい人間とは言えない。

「あはは、まあ否定はしにくいかな・・・・・・・でも、あの人はたぶん優しい人だよ。そこは間違いないと思うな」

 陽華は明夜の言葉に軽く苦笑いを浮かべるも、影人についてそう評した。陽華の言葉を聞いた明夜は、「ふーん・・・・・・」と思案したように呟いただけだった。

 こうして、偶々一緒になった4人は買い出しのため近くの商業施設を目指したのだった。














「・・・・・・・・で、何で帰るタイミングまで同じなんだよ」

「さあ、そればっかりは本当に偶然・・・・としか言いようがないよ」

「・・・・・1億歩譲ってそれは仕方ないとして、頼むからお前はその嬉しそうなニコニコ顔をどうにかしてくれ・・・・・・・・・」

 商業施設からの帰り道、買った物を袋に入れて持ちながら影人は軽く顔を片手で覆った。その理由はどこぞの爽やかイケメンたちと帰りがまた同じだったからである。

「そう言えば、帰城くんたちのクラスは何の出し物をするんだい? 僕のクラスは演劇で、朝宮さんと月下さんのクラスはええと・・・・・・・・」

「私たちのクラスは、ミニお化け屋敷だよ! クラスみんなで頑張り中!」

「定番といえば定番だけど、それがいいのよね」

 光司の言葉を補足するように、陽華と明夜がそう言った。2人の言葉を聞いた光司は、「ああそうだった。ありがとう2人とも」と感謝の言葉を述べる。

「それで帰城くんのクラスは?」

「・・・・・・コスプレ喫茶だ。別に面白くもなんともねえ。・・・・・というか、お前演劇って演者じゃないのかよ?」

 気になったので、つい影人はそんな事を聞いてしまった。普通、演劇をするなら光司ほどのルックスを持つ人物は主役級の演者をする、というか周りに推薦されるはずだ。だというのに、買い出しに出ているという事は、光司は演者ではなく道具係なのだろうか。

「いや、ありがたい事に主役をやらせてもらう事になっているよ。買い出しに出たのは、まだ台本が完全に出来ていなくて僕たち演者は暇だったからというのが理由だよ。僕は買い出しを買ってでたけど、他の演者のみんなは、他の係の人たちを手伝ってる。それにしても、コスプレ喫茶か。うん、いいね。僕も当日はお邪魔させてもらうよ」

「てめえは出禁だ、って言いたい所だが、残念ながら俺にそんな権限はねえ。・・・・・好きにしろ」

 そればかりはどうしようも無いので、影人は光司にそう言うしかなかった。そして、その言葉を聞いた光司は嬉しそうな表情で、「じゃあ、必ず」と言って笑みを浮かべた。

「明夜、コスプレ喫茶だって。私たちも当日行ってみる?」

「行きましょう。ど定番はいいものよ。文化祭といえば喫茶。これが鉄板だもの」

 影人のクラスの出し物を聞いた陽華と明夜も、光司に乗るようにそんな相談をしていた。2人のやり取りを耳にした影人は、内心で思わずこう呟いた。

(何が鉄板だ月下てめえ。相変わらず意味不明な言動しやがって・・・・・・・・ったく、何でこんな事になってんだよ。今更ながら最悪もいいところだぜ・・・・・)

 自分が関わらないようにしていた奴らと、なぜか一緒にいるこの状況。今のところ、影人がスプリガンであるという事が3人にバレるようなヘマはしていないし、これからもするつもりはないが、とにかくこの状況は神経を使う。

(とにかく今は仕方ないとして、この空気はまずい。1回どっかでマジギレでもするか? それやればはっきり言って俺がヤバい奴になっちまうが、背に腹は――)

「あれ? あの人はいったい何をしてるんだろう?」

 影人が真剣にそんな事を考えていると、影人の隣を歩いている光司が(やめろと言ったのに「まあまあ」とかゴリ押しで隣に来た)、そんな声を漏らした。

「あ・・・・・・? なんだよ?」

「いや、あそこに空を見上げながら何か言っている人がいてね。しかもけっこう興奮した感じで。いったいどうしたのかなって思って」

 影人が光司にそう聞くと、光司は控えめに指をさしながらそう答えた。影人が光司の指のさす方向に視線を向けると、そこには1人の少女がいた。

「うむ、空に浮かぶ電線というのは中々いいものだね! ヨーロッパではあまり見受けられない光景だ! いいね、自然の中で最も美しい青空に映える人工物の線! 一見すると空に制限がもたらされているが、だがしかしその制限がより青空という自由の象徴を美しくしている! 素晴らしいトレビアン!」

 光司の言う通り、その少女は興奮したような声でそんな言葉を叫びながら空を見上げていた。片手には古いタイプのカメラを持っている。どうやら、あれで写真を撮った直後のようだ。近くには大きなキャリーケースが置かれている。旅行中といった感じだろうか。

(嘘だろ・・・・・・・・・・?)

 その少女の姿を見た影人は呆然とした表情を浮かべた。何故ならばその少女に見覚えが、いやつい昨日、影人はその少女と遠い異国の地で出会っているからだ。水色の髪の一部分が白色に染められている特徴的な髪の色をした少女は、白色のシャツとジーパンというシンプルな服装をしている。世界的に有名な天才芸術家。その少女の名は――

「む? 現地の学生たちか。ボンジュール、諸君。今日はいい天気だね」

 ロゼ・ピュルセ。光導姫ランキング7位『芸術家』でもある少女がそこにはいた。

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