第138話 光と影は、交わらない

「クソが・・・・・・眠いし暑いし最悪だ・・・・」

 影人は朝だというのにだるような暑さを誇る太陽を、前髪の下から睨みつけながらそんな言葉を呟いた。

 8月27日月曜日、午前8時10分。夏休みが明け今日からまた学校が始まるという日、影人は風洛高校の夏服を着ながら約1ヶ月ぶりとなる通学路を歩いていた。

 周囲には影人と同じく風洛の夏服を着た学生たちが、久しぶりに会った友人らと楽しげに話している。長期休暇明けならではの光景である。

「・・・・・ん? ありゃ暁理か」

 何気なしに前方を見た影人は、自分から少し離れた位置に女子生徒と楽しげに話す数少ない友人の姿を見た。シャツにズボンという格好に、ボブほどの髪の長さは一見すると男子のようだが、影人は彼女が女子であるという事を知っている。

「・・・・・・・ふんっ! べー!」

 暁理は後方にいた影人の視線に気がついたのか、ふと後ろを振り返った。影人の姿を確認した暁理は、不機嫌そうな顔を浮かべ、影人に向かって舌を出して来た。そしてすぐさま前を向き、何事もなかったように女子生徒とまた話し始めた。

「ガキかよ・・・・・・・」

 暁理の反応を見た影人は呆れたような表情を浮かべた。どうやらファミレスでの事をまだ根に持っているらしい。あの様子だと、まだしばらくはあの調子だろう。

「――やあ、帰城くん。夏休み明け初日に君の顔を見ることが出来て、僕は幸運だよ」

 影人がそんな表情を浮かべていると、スッと影人の横に1人の男が現れた。爽やかな笑顔の影人とは対照的なイケメンである。

「・・・・・・・・・・俺は最悪だぜ、香乃宮」

 影人は軽く頭を押さえながら、自分に話しかけて来たイケメンの男――香乃宮光司にそう言葉を返した。

「・・・・・気安く話しかけんなよ。迷惑な事この上ねえ」

 影人は光司に拒絶の言葉を投げかけた。それは影人の心から言葉ではないが、光司に対する影人のスタンスを表している。つまり、影人は光司と関わる気はないというスタンスを。

「それはごめんよ。でも、君の姿を見たらどうしようもなくって。どうか許して欲しい」

「そういうのは女子に言ってやれ・・・・・・ったく、吹っ切れた奴ほど厄介な奴はいねえな・・・・・・・・」

 光司の言葉を受けた影人は、ガリガリと頭を掻きながらそう言葉を述べる。光司は夏休み中に真夏の家の倉掃除を一緒に行って以来、影人にまた話しかけるようになってきたのだ。何か勝手に吹っ切れて。

「ああ、そうだ。少し縁があって、夏休み中に君の妹さんと会ったよ。穂乃影さん、可愛らしい妹さんだね」

「ッ・・・・・そうか。言っとくが、妹に色目は使うなよ。手を出したら許さねえからな」

 光司の口から穂乃影の名前を出された影人は、少し驚いたような顔になった。穂乃影は真夏、アイティレ、風音たちとも面識があり、真夏たちと同じ光導姫だ。ならば、光司と面識があっても不思議ではない。

(いや、それを言うならあいつは朝宮とも面識があるのか。穂乃影はたまたま学校近くで朝宮と会ったって言ってたが、今思えばあれは嘘で穂乃影は光導姫としてあいつと関わってたのか)

 影人はふとそんな事を思った。どうやら自分と違い、穂乃影は自分が関わるまいと思っている者たちと関わりを持ったようだ。

「もちろん。君の妹さんにご迷惑を掛けるつもりはないよ。――そうそう、そういえば帰城くんは今年の文化祭はどうするつもりだい? 僕たちの学校は、公立高校では珍しい事に屋台とかの出し物をしてもいいだろう。しかも個人やクラスや学年の垣根を超えて自由にさ」

「その調子で俺にも迷惑をかけるな。――別に何もやるつもりはない。クラスの強制出し物以外はな」

 そんな話題を振ってきた光司に、影人は仕方なしといった感じでそう答えた。どうせこの吹っ切れた光司に、冷たい拒絶の言葉を放っても無駄だと半ば諦めているからだ。ならば、普段以上にボロを出さないように気をつける事しか影人には出来ない。

 ちなみに光司の言っている文化祭とは、風洛高校で9月下旬くらいに行われるものだ。文化祭は3日間に渡って行われその期間の間、風洛高校は大いに盛り上がる。その形式もいま光司が言ったように、公立高校にしてはかなり自由なものだ。

「そうか。なら・・・・・僕と一緒に文化祭で何か出し物をやらないかい? 君と一緒なら、きっとすごく楽しいよ」

「何をどう聞けばその結論になるんだ・・・・・・・却下だ却下。俺は文化祭中はぐーすか寝ると決めている」

「それは残念だ。なら、また気が向いたら僕に声を掛けてほしい。君からの言葉、待ってるよ。じゃあ、僕はこれで」

 光司は爽やかな笑みを浮かべそう言うと、スタスタと先に行ってしまった。

「・・・・・・誰が声かけるかよ。はあー・・・・・・・」

 影人はボソリとそう呟くと、大きなため息を吐いた。香乃宮光司は本当にいい人間ではあるが、影人にとっては今のところ面倒極まる人間でしかない。

 こうして、影人の学校生活はまた始まったのだった。











「おー、お前ら。帰りのホームルーム始めるぞ。立ってる奴らは席につけー」

 午後3時過ぎ。早いもので、今日の授業はもう全て終了した。ガラガラと影人の所属する2年7組の教室の扉を開けて入室してきたのは、このクラスの担任である榊原紫織で、紫織は入ってくるなりやる気のなさそうな声でそう言葉を放った。

「えー、朝にも軽く言ったが9月に入ったら文化祭の準備で激忙しくなる。文化祭のクラスの出し物は、明後日辺りに決めるからそこんとこはよろしくなー。以上、終わりだ」

 紫織はそう言って帰りのホームルームを20秒ほどで終わらせた。相変わらずクソやる気のない教師だなと影人は思ったが、まあ生徒側からすればその方がありがたいのは事実だ。その証拠に、影人のクラスの生徒たちは皆嬉しそうな顔で席を立っていく。

「・・・・・・・俺も帰るか」

 影人は学校用の鞄を持って、自分の席を立った。今日は影人はクラスの掃除当番に当たっていない。ゆえに帰宅部の影人はこのまま自由な放課後を迎えるだけだ。

「さてどうすっかな。帰りどっか寄るか? それとも真っ直ぐ家に帰ってだらけるか・・・・・・」

 ブツブツと独り言を呟きながら、影人は教室を出た。教室を出る際、影人の独り言を聞いた一部のクラスの者たちは、表情にこそ出さなかったが「また何かブツブツ言ってるよ・・・・・」と内心ドン引きしていた。このクラスの者たちは、基本的に影人をヤバイ奴だと思っているため影人に話しかけたり関わろうとはしないが、内心ではツッコミを入れたり感想を漏らしたりはするのだ。さすがにあの前髪を完全に無視することは、好奇心旺盛な高校生には不可能だった。

「帰城くん!」

 そんなクラスメイトの心の声などつゆ知らず、影人が廊下を歩いていると、自分を呼ぶ声が後方から聞こえてきた。暁理ではない。男の声だ。そして、その男の声を影人は知っていた。今朝も聞いた声だ。

「・・・・・・・・何だ、香乃宮。てめえいい加減にしつこい――」

 影人がその声の主である少年の名を呟きながら振り返る。するとそこには、案の定光司の姿と、そして――1人の女子生徒の姿があった。

「っ・・・・・・!?」

 その女子生徒の姿を見た影人は、前髪の下の両目を思わず見開く。影人にとって、その女子生徒の姿はそれほどまでに衝撃的だったからだ。

「いや、ごめんごめん。どうしても君に会ってみたいって言う人がいてね。といっても、この学校にいる君なら知っているとは思うけど」

 光司はそう言って、自分の横にいた女子生徒に右手を向けた。光司に紹介されたその女子生徒は、活発という言葉がピッタリそうなショートカットの髪の女子生徒だった。

 光司の言葉通り、影人はその女子生徒を知っていた。いや、本当によく知っている。なぜならその女子生徒は――

「こんにちは! 私、朝宮陽華って言います! あなたが帰城さんのお兄さんですよね? って、あれ? あなたは前に一回路地でぶつかった・・・・・・」

 光司同様に影人が絶対に関わるまいとしていた少女、朝宮陽華だったからだ。










「あ、香乃宮くん。ちょっといいかな?」

 ――時は少し遡り、影人と陽華が出会う前。ちょうどお昼休みの時間、陽華は光司の所属する2年1組の教室を訪ねていた。

「何かな、朝宮さん?」

 陽華に呼ばれた光司は廊下に出て陽華にそう聞いてきた。

「あ、ごめんねお昼休み中に。その、香乃宮くんて実戦研修の時にいた帰城穂乃影さんって知ってるかな? 研修の時は、私達の補助に回っててくれた人なんだけど」

「ああ、もちろん知っているよ。彼女とは研修の前日に顔合わせをしていたからね。その帰城さんがどうかしたのかい?」

 陽華から突然そう聞かれた光司はコクリと首を縦に振った。光司の反応を見た陽華は「あ、本当。よかった!」とホッとしたような笑みを浮かべた。

「じゃあ、この学校にいる帰城さんのお兄さんのこと知らないかな? 帰城さんが言うには、お兄さんはこの学校にいて私達と同学年らしいんだけど・・・・・・あ、帰城さんとはちょっと話す機会があって、その時に聞いたの。で、出来れば会ってみますって言ったんだけど、そのお兄さんがどこのクラスにいるのかわからなくて・・・・・」

 お兄さんの容姿も分からないし、友達に聞いてみても知らないって言う人ばっかりで、と陽華は付け加えた。だから研修の講師係として穂乃影と一緒であった光司ならば、もしかしてその兄の事を知っているのではないか、と陽華は思ったとのことだった。

「・・・・・・なるほど。話は分かったよ、朝宮さん。そしてその事ならば安心してほしい。僕は帰城さんのお兄さん――帰城影人くんの事を知っているからね」

 そして、陽華の言葉に光司はそんな言葉を返した。

「え、本当に!?」

「ああ、これでも夏休みの間に一緒に回転寿司にも行った仲だよ。まあ、僕は彼には嫌われているんだけどね・・・・・」

「そ、それは仲が良いのか悪いのかどっちなの・・・・・・?」

 一瞬誇らしげな顔を浮かべるも、すぐさま落ち込んだような顔になった光司の言葉に、陽華は思わずそんな言葉を述べた。一緒に回転寿司に行った仲だというのに嫌われているというのは、なんだか矛盾しているように感じたからだ。

「ははっ、難しいところだね。でも朝宮さんの話は分かった。放課後、僕が帰城くんのところまで君を案内するよ。彼のクラスはもう調べてあるし、僕の言葉でも多少は反応してくれるはずだし」

「うーん、なんだか色々と気になるところはあるけど・・・・・・ありがとう、香乃宮くん!」

 こうして、2人は放課後に影人の元を訪ねる事を決めたのだった。











「朝宮さんを君のクラスまで案内しようとしたら、ちょうど君の姿が見えてね。声を掛けさせてもらったんだけど・・・・・・朝宮さんと帰城くんは知り合いなのかい?」

 そして時は現在に戻る。陽華の隣にいた光司は、陽華の反応を見て、不思議そうに首を傾げていた。

「いや知り合いって程じゃないよ! 前に一回道でぶつかっちゃったってだけで。そっか、あなたが帰城さんのお兄さんだったんだ」

 光司にそう言いつつ、陽華は意外そうな顔でそう呟く。どうやら、陽華は穂乃影の兄という事柄から影人に接触してきたようだ。

「・・・・・・・・・・あんたは妹と知り合いなのか、朝宮」

 取り敢えず、影人は陽華に対する第一声をそんな言葉にした。内心は未だに驚いているし、この突然の状況にどう対応するか考えている所だ。そして、そのためには多少の時間がいる。ちなみに影人は陽華と穂乃影が知り合いという事は知っているが、敢えて知らない程でそう言った。

「はい! 妹の穂乃影さんと前に話した時に、お兄さんが風洛にいるって聞いて、しかも同学年みたいだから1度会ってみたいって思ったんです!」

「そうか・・・・・」

 影人の言葉に陽華は明るくそう答えた。影人からしてみれば、全く最悪でふざけた理由である。

(まさか、向こうの方から関わってくる日がくるとはな・・・・・・・さて、どう対応したもんか。普通なら香乃宮みたく不自然で理不尽だが、完全に拒絶の態度を取るところだが・・・・・穂乃影関連となると、そんな態度は取りづらいな)

 内心、影人はそう呟いた。もちろん陽華と関わるつもりはないが、妹の穂乃影と知り合いとなると光司と同じような態度は取りづらい。穂乃影の兄は嫌な奴だとなってしまえば、穂乃影の事も悪く思われてしまうかもだからだ。

(まあ、朝宮に限ってそんな事はないだろうが・・・・・・いや、でもこれがきっかけで恒常的に関わる事になったら最悪だ。やっぱり、ここはビシッと言うしかないな。それも・・・・・・・・正体不明の怪人、スプリガンを演じる俺の仕事の1つだ)

 影人は数瞬の間少し迷ったが、陽華にどう対応するかを決めた。光司と陽華は少しの間黙っていた影人に「どうしたのかな?」的な目を向けて来ていたた。

「・・・・・・妹とお前が知り合いなのは分かった。だが・・・・・・・・・・・俺はお前と関わるつもりはない。知り合いになるつもりも、馴れ合うつもりもな」

 考えの末、影人は拒絶の言葉を陽華に放った。

「あ・・・・・・な、何か気に障っちゃいました・・・・?」

 影人から拒絶された陽華は、少しギクシャクとしたような笑顔を浮かべながらもそんな事を聞いて来た。陽華の隣にいる光司も、まさか陽華までもこんなにキツく拒絶されるとは思っていなかったのだろう。驚いたような顔になっている。

「・・・・・・・・・平たく言えばそうだ。風洛の名物コンビの1人。俺はお前の存在が気に入らねえ。あと、敬語はやめろ。同じ学校の同級生から敬語を使われるのは、どうにも気持ち悪い」

 影人は陽華に向かってかなりキツイ言葉を浴びせた。さすがの陽華も、その言葉にはショックを受けたような表情を浮かべた。無理もない。誰だってそんな言葉を聞かされれば、ショックは受ける。

 影人はそのままショックを受けている陽華の隣を横切った。そして数歩進んだところで、背を向けた状態で立ち止まる。

「・・・・・・・・・・・今お前を拒絶しといてなんだが、どうか妹とはこれまでも変わらずに接してくれ。妹は俺みたいな気難しい奴とは違う。まあ、俺みたいな奴の事はさっさと忘れることだ」

「え・・・・・・?」

 陽華がそんな声を漏らす。だが、影人はそれ以上は陽華とは何も言葉を交わさずに、賑やかな声で満たされている廊下を歩いていくのだった。

「だ、大丈夫かい朝宮さん? ごめんよ、きっと僕がついてたから帰城くんの機嫌が悪かったんだと思う。誤解してほしくはないんだけど、彼は本当は優しい人で――」

 光司がなぜか弁明するように、陽華にそんな事を言ってくる。

 だが、陽華はもう既にそんな事は分かっていた。

(あの人・・・・・・・あんな態度だったけど、本当は優しい人だ。じゃなきゃ、最後にあんな事は言わない)

 優しくない人なら、自分の妹の心配などはしない。つまり、あの前髪の異様に長かった少年はただぶっきらぼうな態度をとっているだけだ。

「・・・・・・・・・不思議な人」

 気がつけば、陽華はそんな言葉を呟いていた。

 この日、陽華は帰城影人という少年の事を知った。











「・・・・・ったく、どれだけ関わるまいと気をつけてても、向こうの方から関わって来られちゃどうしようもねえだろ・・・・・・・・・」

 風洛高校を出て1人で帰路についていた影人は、そんな愚痴をこぼした。周囲には自分と同じように帰路についている風洛の生徒の姿も見えるが、誰も影人に注目などはしない。まあ、それが普通だ。

「・・・・・・それでも、俺のスタンスは変わらねえ。もしもの事態にならないために、俺はあいつらとは関わらない。・・・・・・・・・・光と影は、決して交わらない」

 関わらないために、影人は一方的に光司を、陽華を拒絶する。それが影人が決めた事。

「・・・・・・・・だが、邂逅はしちまった」

 そう。それでも光と影は邂逅してしまった。あの路地裏で偶々ぶつかった時とはわけが違う。真正面から言葉を交わした正しい邂逅だ。

 それが果たしてどのような意味合いを持つのか。そればかりは影人にも分からない。影人が望むと望むまいとに関わらず運命は巡り、動くのだ。全く以て、理不尽な事この上ない。

 未だに燦然と輝く太陽をチラリと見上げながら、影人は面倒くさそうにそう呟くのだった。

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