第136話 その闇人、最悪につき

「――そう言えば、残りの3人はいつくらいに戻ってくるんですかね?」

 8月25日土曜日、午後7時過ぎ。シェルディア宅で夕食後にのんびりとテレビを見ていたキベリアは、ふとそんな言葉を呟いた。

「唐突ね。いきなりどうしたのよ?」

 リビングのアンティーク調のイスに腰掛けながら、クッキーを摘んでいたシェルディアは、サクリとそのクッキーを一口齧り咀嚼し終えてから、キベリアの呟きにそう聞き返した。

「いや、ふと思っただけですよ。この前、響斬に会ったじゃないですか? その時に聞いたんですよね。まだ帰って来てない『十闇』はいるのかって。ほら、響斬は最近帰って来た奴ですし、そこら辺の事は知ってそうだったので」

 キベリアは首を傾げるシェルディアに、自分の言葉はあまり意味のない疑問である事を伝えた。夕食後ののんびりとした時間の暇つぶし。そのための話題提供。それくらいの認識だ。

「響斬が言うには、たぶん自分より後には帰ってきてないらしいです。って言う事は、今のところ『十闇』で帰って来てるのって、私、シェルディア様、冥、響斬、殺花、クラウン、後ゼノさんを捜しに行ってるフェリートの7人じゃないですか。そのゼノさんを含めた3人は、どれくらいで戻るのかなって。レイゼロール様が招集してから、もうけっこう時間経ってますし」

 キベリアは左手で指折りをしながら、帰って来ている「十闇」のメンバーの名を挙げていく。ここでキベリアが言っている、帰って来ているの定義は、レイゼロールの招集以来、レイゼロールの本拠地を訪れたというようなものだ。正確な意味合いではない。

 まあ、フェリートに関しては帰って来ているというのは、少々怪しいところかもしれないが、フェリートはあくまで本拠地からゼノを捜しに行ったというていなので、帰って来ている範囲に含めてもいいだろう。というか、それを言うならばフェリート(あとシェルディアも)は最初から本拠地にいたのだし。

「さあ? 残りの3人も色々と独特な子たちだし。でも1番気まぐれなゼノは、まだ戻って来るまで時間がかかりそう気がするけど。あの子に関しては、完全にフェリートの努力次第ね」

「ああ、それはそうですね。というか、ゼノさん招集されてるって事すら知らないんですよね。なんかレイゼロール様との精神的な経路パスが途切れてるから、招集の合図を送りようにも送れないとか。だからフェリートがゼノさんを捜しに行ったって感じですよね」

 シェルディアとキベリアはとある闇人の顔を思い浮かべながら、そんな会話をする。シェルディアもキベリアも、彼の顔を見たのは100年ほど前が最後だ。まあ、それに関しては残りの2人も同じだが。

「うーん、でもゼノさんやっぱり特異な人ですよね。普通、闇人の私たちはレイゼロール様とのパスは切ろうとしても切れないはずなんですけど・・・・・・」

 フェリートがゼノを捜しに行った事情を改めて聞いてみると、ありえないという言葉が頭に浮かんでくる。それは、ゼノという闇人がそれほどまでに規格外であるという事を暗に示している。

「ふふっ、あの子は特別だもの。それくらいじゃ、あんまり驚かなくなってきちゃったわ」

 シェルディアはキベリアのその言葉に笑みを浮かべた。闇人の中では、ゼノが1番シェルディアと古い仲だ。ゆえに、シェルディアもゼノのどこか特異なところは知っている。

「まあゼノさんだから、で納得するしかないですよね・・・・・・・・後は、150年くらい前に入って来たあの子。あれも色々と特異ですけど、私あの子苦手なんですよね。ずっとツンツンしてて、生意気だし」

 キベリアが面白くなさそうな顔で、次の戻って来ていない闇人について触れる。「十闇」の中では、クラウンと同じくらいの新人だが、クラウンとは違いその闇人は礼儀というものを何も知らない。

「第3のあの子ね。私からすれば、あれはあれで可愛らしいけれど。あの子の場合は事情が事情だから、仕方ないところもあるわ。あなたはもっと広い器量を持ちなさいな、キベリア」

「ええ〜、嫌ですよ。私の器量に別に大きさはいりません。嫌なものは嫌なんです。――ほら、おいでクマ」

 キベリアはシェルディアのお小言にそう返答すると、リビングの床に座っていた青と白のシマシマパンツを履いている白いぬいぐるみを呼んだ。そのぬいぐるみはキベリアの方を向くと、その小さな足で立ち上がりテクテクとキベリアの方にやって来た。

「うふふ、えい!」

 キベリアはそのぬいぐるみを抱きしめると、自分の膝の上に乗せた。キベリアに突然抱きつかれたぬいぐるみは、驚いた様子もなくそのままの表情だった。まあ、例えシェルディアから命を与えられたぬいぐるみといえども、ぬいぐるみが表情を変えればおかしいと言う他ないが。

「お前は可愛いわねー。可愛くないあの子とは大違い」

 キベリアは膝の上に乗せたぬいぐるみをギュッと両手で抱きしめながら、ニコニコとした顔になった。キベリアはご機嫌だが、グラマラスな体型のキベリアに抱き抱えられたぬいぐるみは、頭の部分がキベリアの胸部に圧迫されているのが原因か、少しだけ不機嫌そうにも見えた。

「キベリア、何度も言うけれどその子はクマじゃなくてネコよ。いい加減に覚えなさいな」

「分かってますって。でもいいんです。クマっぽいのは事実だし、クマの方がなんかしっくり来るんで」

 呆れたような顔を浮かぶるシェルディア。しかし、キベリアは気にはしなかった。もうそちらの方で呼び方が定着してしまっているからだ。

「全く、その子が可哀想だわ・・・・・それで話の続きだけど戻って来てない最後の1人は、第5の子よね。あの欲望に忠実な子」

「ああ、ゾルダートですか・・・・・・私、あいつだけは無理です。クズ過ぎて・・・・・最低っていうのは、ああいうのを言うんですよ」

 シェルディアの言葉を聞いたキベリアの顔が、不快そうに歪む。シェルディアが言った「十闇」第5の闇、ゾルダートはキベリアが「十闇」の中で1番嫌いな人物だった。

「まあ、あの子に関してはあなたの意見も分かるわ。あの子は人間の闇の部分を凝縮したような子だものね。正直、私もあまり好きとは言い難いわ。・・・・・・・ただ、あの子の残虐な強さは本物よ」

 シェルディアはキベリアの意見を肯定しつつも、ゾルダートの強さを認めた。

「それがなおタチが悪いんですよね・・・・・あいつ自身もずっと傭兵をしてたって事もあって戦闘はプロですし、あいつの闇の性質もかなりえげつないものですし・・・・・・・おまけに頭もいいのも腹立ちます」

 キベリアはぬいぐるみを抱きしめながら、軽く息を吐いた。そう、ゾルダートは最低なだけではない。その強さはレイゼロールも、「十闇」の全員も認めている。認めざるを得ないほどに、ゾルダートは強いのだ。

「本当、あいつだけは一生帰って来てほしくないですよ・・・・・・・・・」

 無駄だと思いながらも、キベリアはそんな事を心の底から願った。













 ――ヨーロッパのとある国。時刻はちょうど正午を過ぎたあたり。シェルディアやキベリアのいる日本は現在夜だが、日本と時差のあるヨーロッパはまだお昼だった。

「あー、つまんねえな。なんか面白い事ねえか?」

 そんなある国のとある街の路地で、1人の男がタバコをふかしながらそんな言葉を呟いていた。

 見たところ20歳を少し過ぎた辺りの若者だ。茶髪のツーブロックの髪型で、がっしりとした体格。身長も190はあるだろう。タンクトップから覗く腕は丸太のように太く、右腕にはビッシリとタトゥーが入れられている。

「ドラッグパーティーしましょうよ、ゾルさん。金はそこら辺の奴から奪って、きっと最高に楽しいですよ」

 その男の事をゾルと呼びながら、取り巻きの内の1人がそんな提案をしてきた。歳は大体男と同じか、それより少し歳下くらいか。残りの4人の取り巻きも、「いいっすね、やりましょうよ!」と乗り気だった。その4人も歳は提案をした男と同じくらいであった。

「ドラッグパーティーね・・・・・やり過ぎて飽きちまったが、他に面白そうな事もねえしな。しゃーねえ、んじゃそうするか。お前ら、金持ってそうな獲物カモ見つけてこい。ソイツを路地裏に引きずり込んで身ぐるみ剥がすぞ」

 ゾルと呼ばれた男はタバコを右手に持つと、取り巻きたちにそう指示をした。ゾルの指示を受けた取り巻きたちはそれぞれ頷くと、街に散らばっていった。

「ゾルさん、良さげな獲物見つけましたよ」

「おっ、マジか」

 それから15分ほどすると、取り巻きの内の1人が戻って来た。ゾルはその取り巻きの男の案内を受け、獲物の元へと向かった。

「ほら、あそこのカフェにいるスーツの男。かなりいい身なりしてません?」

 男が道路を挟んだ対面のカフェを指差す。いや、正確にはカフェテラスか。路面に面した席に1人の男が座っていた。

「ご契約の程、ありがとうございます」

 その男は20代中盤くらいの見た目の男だった。黒いスーツに青色のネクタイ、革靴を履いたいかにもビジネスマンといった感じで、スマホで誰かと電話をしている。残念ながら、会話の内容まではゾルたちの方へは聞こえてこない。

 顔はいかにも爽やかといった感じの顔で、メガネを掛けており、赤みがかかった黒色の髪は綺麗にセットされている。その男は全身から清潔感を放っていた。

「・・・・・・・・確かにいい身なりしてんな。一見すると普通のビジネスマンだが、スーツが高級だぜ。左手に見える時計も高そうだ。よし、あいつにするぞ。戻って来てない奴らに電話しろ」

 ゾルは取り巻きの男にそう言うと、吸っていたタバコを地面に落としそれを踏んづけた。ゾルの言葉を受けた取り巻きは頷くと、散らばっている仲間たちに電話を掛ける。

「さあ、狩りの時間だ」

 ゾルはズボンの内に入れている、に触れながら酷薄な笑みを浮かべた。










「さて・・・・・・商談も終わった事だし、そろそろ目的地を目指すかな」

 まさか、街のギャング崩れのような連中からターゲットにされているとは思ってもいないスーツ姿の男は、電話を切ると少し冷めてしまっていたコーヒーに口をつけた。

 スーツ姿の男はコーヒーを全て飲み干し、スマホをスーツの内ポケットに入れると、右手に手提げのカバンを持ってカフェテラスを後にした。コーヒーの料金はもう事前に払っていた。

「おう、そこの道行くにいちゃん。ちょっと面貸してくれよ」

 スーツ姿の男が歩道を歩いて近くの駅に向かおうとすると、前方に男が立ち塞がりそんな言葉を掛けてきた。タンクトップを着た粗野な感じの若者だ。

「私・・・・ですかね? すみませんが、今は少し急いでいまして・・・・・・・」

 スーツ姿の男は困惑したような顔になりながら、その若者にそう言葉を返した。スーツ姿の男の身長は180ほどだが、タンクトップの男はそれよりも高いので見上げる形だ。しかし、その男は退きそうになかったので、仕方なくスーツ姿の男が踵を返そうとするが、それは叶わなかった。

「へへっ」

 なぜならば、後ろにもタンクトップの男の仲間と思われるような者たちがいたからだ。そして、スーツ姿の男はその男たちに囲まれた。

「そう言うなって。すぐにすむからよ」

「・・・・・・・・・・」

 こうして、スーツ姿の男はゾルとその仲間たちによって、路地裏へと連れて行かれてしまった。

「さて、にいちゃんはすぐに戻りたい。俺たちも面倒な用事はすぐに済ませたい。だから手早くいこう。――おい、金目の物全部寄こせ」

 人の目の届かぬ路地裏にスーツ姿の男を連行したゾルは、すぐに自分の本性を現した。

「あ、あの勘弁してくれませんかね・・・・・? ここで身ぐるみを剥がされしまっては、私は次の目的地に行けないんです」

 スーツ姿の男は情けない顔で、ゾルにそう訴えてきた。ゾルはその訴えを聞いて、「あー」と頭をガリガリと掻いて苛立った。

「そういうのいいんだわ。ムカつくだけだし、ほら早くしろよ。次はねえぞ?」

 ゾルはズボンの内に入れていた黒い筒状のもの――拳銃を取り出すと、それをスーツ姿の男の額へとあてがった。

「俺はてめえみたいな奴を何人も殺してきた。お前もそういう奴らみたいになりたくなかったら、さっさと俺の言う事に従えよ」

「ひっ・・・・・!」

 ゾルに脅されたスーツ姿の男は、顔を青ざめさせながら震えた声を漏らした。そんなゾルとスーツ姿の男を近くから見ていた取り巻きたちは、「ぎゃははっ! 情けな!」「ゾルさん、やっちゃってくださいよー!」といったようなヤジを飛ばしながら、嗤っていた。

「わ、分かりました! ちょっと待ってください! 今すぐに――」

 ゾルに銃口を突きつけられたスーツ姿の男は焦ったように鞄をまさぐると、


「――てめえのくせえ口から、悲鳴を出させてやるからよ」


 ナイフを取り出し、それを拳銃を握っているゾルの前腕部に下から突き立てた。その一連の流れは洗練されており、流れるような仕草であった。

「へ? ぎゃ、ぎゃあああああああああああああああああああッ!?」

 一瞬何が起きたのか分からなかったゾルは、自分腕から刃が突き出ている光景を目にすると、銃を落としながら悲鳴を上げた。

「「「「「え・・・・・・・・?」」」」」

 その光景を見ていた5人の取り巻きたちは、思わずそんな声を漏らした。

「うるせえな。たかが腕にナイフが刺さったくらいで、女みたいな悲鳴を上げんなよ」

 スーツ姿の男はメガネを外し、髪をかき上げながらそんな言葉を呟いた。先ほどまでの様子とはまるで違い、スーツ姿の男からは冷酷で暴力的な印象を受けた。言葉遣いも豹変している。

「ったく、ついてないぜ。せっかくビジネスの話がまとまって気分が良かったってのに、チンピラのゴミ屑どもに絡まれるとはよ」

 髪を崩し、メガネをスーツのポケットしまったスーツ姿の男。今日は麻薬の売買が決まって、午後からは優雅に列車で旅気分に浸ろうと思っていたのに。

「お、お前なにしてんだよ!?」

 ようやく混乱から立ち直った取り巻きの内の1人が、恐怖の入り混じった声でそう叫んだ。

「あ? 何って普通にナイフぶっ刺しただけだ。ああ後、お前らも邪魔だな。ちょっと動いてくれるなよ?」

 スーツ姿の男はそう言って、スーツの内ポケット――先ほどスマホを入れた方とは別の――から拳銃を取り出すと、それを何の躊躇もなく5発撃った。

 その5発の銃弾は、綺麗に5人それぞれの片足へと命中した。

「ひぎゃ!?」

「い、痛えよぉぉぉぉ!」

「血が、血が止まらねえ!」

「あ、ああああッ!」

「痛い痛い痛い痛い!」

 スーツ姿の男に足を撃ち抜かれた取り巻きたちは、全員その場に崩れ落ちた。スーツ姿の男は拳銃を持ちながら、足を痛めている男たちへと近づいていく。

「ほい、ちょっと失礼するぜ。って、あーてめえら薬物中毒者ジャンキーかよ。せっかく臓器売っ払おうと思ってたのに、中身がボロボロじゃ話にならねえじゃねえか。使えねえ奴らだな」

 スーツ姿の男は倒れている男たちの腕を見て、複数の注射痕の後を見つけると、軽く舌打ちをした。弾代が無駄になってしまった。

「しゃーねえ、処分するか。おい、お前。確かゾルとか言ったか? お前にチャンスをやる」

 スーツ姿の男は、腕からなんとかナイフを抜いていたゾルに拳銃を向けると、酷薄な笑みを浮かべた。

「ひっ!? な、何だよ!?」

 スーツ姿の男に拳銃を向けられたゾルは、痛む右腕を押さえながら情けない声を上げた。先ほどと立場がちょうど逆転した感じだ。

「本来なら、てめえらみたいな使い物にもならない奴ら全員殺すとこだが、今日の俺はまだ気分がいい方だ。そこの拳銃を拾って、あいつら全員殺したらお前だけは見逃してやる。どうだ、のるか?」

 スーツ姿の男は倒れている取り巻きたちを指差しながら、悪魔の囁きのようにゾルにそう提案した。当然、スーツ姿の男の言葉はその取り巻きたちにも聞こえていた。

「は!? ゾルさんそんな奴の言葉聞きませんよね!? 俺たち仲間ですよね!?」

 その内の1人が必死にゾルにそう呼びかけた。他の4人も似たような言葉をゾルに投げかけていた。

「お、俺は・・・・・」

「どうする? 全員死ぬか、お前だけでも生き残るか。言っとくが、お前が拒否れば普通に俺はお前を殺すぜ? わかるだろ?」

 苦悩するゾルにスーツ姿の男は畳み掛けるように言葉を放つ。ゾルはスーツ姿の男が本気だと言うことに気がついていた。スーツ姿の男の目は、人の命を何とも思っていないもののそれだったからだ。

「俺はお前だからチャンスをやったんだぜ? さっきお前は人を何人も殺してきたって言ってたが、あの言葉は本当だろ? 俺にはわかるぜ。なんせ、俺も数え切れないくらい殺してるからな。同じ人殺しの匂いは分かるんだよ」

 スーツ姿の男は甘く甘くゾルにそう囁いた。

「お前は男だ。やるとなったらやれる男さ。なら、どうすればいいかは分かるよな?」

 スーツ姿の男は鞄から手袋を取り出しそれを装着すると、ゾルの拳銃を拾いゾルの後ろに回りながら、それをゾルの左手に持たせた。もちろん、ゾルの背中にはスーツ姿の男の拳銃が突き付けられている。

「さあ、どうする?」

「俺は・・・・・・・・」

 ゾルは右腕の激痛に耐えながらなんとか立ち上がると、ゆっくりと仲間たちの元へと歩いて行った。左手に拳銃を握り締めながら。

「いいぞゾル。やっぱりお前はチャンスを生かせる男だ」

 ゾルの後ろには悪魔がついていた。甘い言葉を吐く、残忍な悪魔が。

「お前らとは・・・・違うんだよ!」

 そして、ゾルはかつての仲間たちに拳銃を向けた。

「狙うなら頭を狙えよ」

「待ってゾルさん俺たちは――!」

 スーツ姿の男の楽しげな声のアドバイス、仲間の最後の言葉、それらの後に、

 乾いた銃声が5発、路地裏に響いた。












「はあ、はあ、はあ・・・・・!」

「よくやったなゾル! お前は出来る奴だぜ。約束通り、お前は見逃そう」

 5体の頭を撃ち抜かれた死体の前で荒く息を吐くゾルに、スーツ姿の男は満面の笑みを浮かべそう言った。

「さてと、こいつももう用はないし仕舞わないとな」

 スーツ姿の男は、ゾルの背中に当てていた拳銃を離すと、それをスーツの内ポケットに戻した。

「・・・・・・・・悪かった、いやすいませんでした。俺は手を出しちゃいけない方に、手を出してしまいました・・・・・」

 ゾルは未だに震えながらも、スーツ姿の男に頭を下げた。ゾルから謝罪されたスーツ姿の男は、気分が良さそうな顔でこう言葉を返した。

「いや、もういいぜ。しっかりと謝る事も出来るのは、出来る奴さ。それより、早いところズラかるか。路地裏って言っても、銃声が聞こえて通報されてるかもだからな」

「そうですね」

 ゾルは気がつけば、スーツ姿の男に従順になっていた。死体をそのままに路地裏から離れようとすると、スーツ姿の男が思い出したようにこんな言葉を掛けてきた。

「ああ、そうだ。ゾル、お前の拳銃俺が処分しといてやるよ。俺はこのあと違う国に行く予定だからな。お前はそんな証拠を持ってる必要はねえ。ほら、俺に渡しな」

「本当ですか? すいません、ご迷惑おかけします」

 優しげな表情で手袋をした右手を差し出してきた男に、ゾルは再び頭を下げた。そして、ゾルは自分の拳銃をスーツ姿の男へと手渡した。

 それが、悪魔の罠だとも気付かずに。

「よしよし、確かに受け取ったぜ。ん? ちょっと頭にゴミがついてるな。取ってやるよ」

「いや、悪いですよ。自分で取ります」

「いいからいいから」

 そんな会話をして、スーツ姿の男はゾルの頭に右手を近づけ――

「え・・・・・・?」

 ゾルの左のこめかみに、ゾルの拳銃を突きつけた。

「あばよ」

 そして、スーツ姿の男はニコニコとした顔で引き金を引いた。

 ゾルは何が何だかわからない内に絶命した。

「バカが。嘘に決まってんだろ。くくっ、これだからバカはやりやすい」

 スーツ姿の男は増えた死体を見下ろしながら、笑い声を上げた。全く、おかしくて仕方がない。どこのどいつが、攻撃してきた相手に素直に拳銃を渡すのか。

「さて、後はこの銃をこいつの左手に握らせて・・・・・・・・・よし、こんなもんだろ。これで仲間割れの末に、絶望して自殺した感じに見える」

 スーツ姿の男はゾルに拳銃を握らせると、満足げな顔を浮かべた。男は自分が巻き込まれないように、そういった構図を初めから頭に思い浮かべていたのだ。

「うし、オッケーオッケー。やっとこさこの場所を去れるぜ」

 スーツ姿の男はゾルが抜いた血塗れのナイフを綺麗にタオルで拭い、それを鞄に戻し手袋を外すと現場を見渡し頷いた。

「血は・・・・・飛んでねえな。だが発砲しちまったから、売店で消臭スプレー買うか。列車の時間もまだ大丈夫そうだしな」

 スーツ姿の男は即座にその現場を去った。表通りに出ると、パトカーのサイレン音がどこからか聞こえてきた。どうやら誰かが通報していたようだ。間一髪といったところか。

「っと、一応メガネは掛けとくか。紳士っぽく見られた方が、色々と融通が効くからな」

 男は思い出したようにスーツのポケットからメガネを取り出し、それをつけた。スーツ姿の男の目は悪くはない。これは伊達用のメガネだ。

「そういや、さっきのガキの名前ゾルだっけか? 奇しくも俺の今使ってる名前と似てるな。まあ、どうでもいいが。さっさと女主人サマミストレス・・・・・・レイゼロール様の所に戻らないとな。明日か明後日には着くだろ」

 そう言ってスーツ姿の男――「十闇」第5の闇、『強欲ごうよく』のゾルダートは、その本性を隠しながら、道行く人々に紛れるのであった。

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