第134話 怪人としての問い

『くくっ、女神のやつ鳩が豆鉄砲を食らったような顔してやがってたな。面白え顔だったぜ』

「そこについてはまあ同意だが・・・・・あんまり笑ってやるなよ。普通はあんな事を言ったら多少は驚くもんだからな」

 自分の内に響くイヴの声に、影人は肉声でそんな言葉を返した。

 神界から地上に戻った影人は、コンビニに寄って飲み物を買い夜道を歩いていた。穂乃影に関する話はもう終わっていた。

『そんなもんかね。俺は別に人間と人間が本当の兄妹じゃないどうこうで戸惑ったりはしねえがな。どうでもいいし』

 イヴがケッと吐き捨てるような声音でそう言った。まあ、イヴからしてみればそうなのだろう。

「ま、それは人によりけり。いや、あいつは一応神だから神によりけりか? とにかく、反応にはそりゃ個人差はあるさ」

『随分と余裕だなぁ? つい昨日まで心に余裕がなかった奴がよ。女神の話を聞いて、とりあえずの安心でもしたか?』

 影人の声を聞いたイヴが、白けたような声でそう聞いてきた。この捻くれた力の意志からしてみれば、きっと影人の心が乱されている方が面白いのだ。

「とりあえず、ソレイユが俺と穂乃影の関係を知らなかった事の確認が取れたからな。ある程度は安心した」

 影人は普段通りの言葉で、イヴの言葉を肯定した。穂乃影が光導姫だと知って、影人が1番気になっていたのはそこだった。ソレイユの話を聞き終えた今、影人の心は穂乃影が光導姫だと知った時に比べれば、かなり普段に近いレベルで安定していると言えるだろう。

(まあそれでも、家族としての、兄としての不安はあるがな・・・・・・)

 光導姫は命の危険が伴う仕事だ。その事を知っている影人は、出来れば今すぐにでも穂乃影に光導姫の仕事を辞めてもらいたかった。それが穂乃影の兄としての影人の偽らざる気持ちだ。

 しかし、正面切ってそんな事を穂乃影に言えるはずもない。言えば、なぜ影人がその事を知っているのかという事になる。そうなれば、影人がスプリガンだという事もバレかねないからだ。当然の事ながら、スプリガンの事は穂乃影にもバレるわけにはいかない。

 それに、影人には穂乃影が光導姫になった理由も気になった。ソレイユの話からすると、穂乃影は金銭を得るために光導姫になったようだが、金を得たいのならば、命の危険がある光導姫よりも、他のバイトを探せばよかったはずだ。当時の穂乃影は中学生だったはずだが、探せば中学生でも働けるバイトはあっただろう。

 しかも、穂乃影が金を欲しがる理由も影人には分からない。穂乃影はバイトを始める前までは、普通に母親からお小遣いをもらっていたが(ちなみに影人はバイトをしていないので、今でももらっている)、それほど乱暴にお金を使っている様子はなかった。

 それは高校生になった現在でも同じで、穂乃影はそれほど金を必要としているようには見えない。母親が言うには、穂乃影はバイト代のほとんどを家に入れてくれているみたい、との事だった。嬉しいが、もっと自分の事のために使ってほしいと、母親が言っていたのを覚えている。

「・・・・・・・・とりあえずは、適当に探ってみるしかねえか。ソレイユには、そのための協力もしてもらえる事になったし」

 影人は穂乃影の兄として、穂乃影がどうして光導姫になったのか、その真意がどうしても知りたかった。そのための方法は考えてある。、影人にしか取れない方法だ。

『お節介な野朗だ。そんなに妹の事が気になるかよ?』

 イヴのその言葉に、

「・・・・・当たり前だ。俺はあいつの兄貴だぞ。妹が光導姫なんていう危険な仕事してて、気にならないはずがねえ」

 影人は真剣にそう答えるのであった。












「・・・・ちょっとバイトに行ってくる」

 8月22日水曜日、午後7時半。穂乃影が光導姫だと影人が知った日から2日経った日。

 リビングでテレビを見ていた穂乃影は、頭の中に音が響いたのを感じると母親にそう言った。そして部屋から紺色の宝石のついた指輪を持ち出すと、それをズボンのポケットに入れる。穂乃影は玄関に向かい靴を履くと、外へと繰り出した。

「・・・・・・・行ったか」

 自分の部屋のベッドに寝転んでいた影人は、玄関のドアが閉まる音を聞くと、むくりと体を起こす。影人の部屋は玄関のすぐ横にあるので、部屋にいても玄関のドアを開閉する音は聞こえるのだ。

『――影人、いま闇奴の出現に際して光導姫『影法師』、穂乃影に合図を送りました。あなたのやりたい事をするのなら、どうぞ』

「分かってる。サンキューだ、ソレイユ」

 影人の内側から響いたソレイユの声に、影人は肉声でそう感謝の言葉を述べた。

『今回は場所が少し遠かった事もあり、穂乃影を転移させました。そういう事なので、あなたも穂乃影の場所に転移させますね。準備ができれば教えてください』

「オーライ」

 影人は続くソレイユの念話に了解を示す言葉を述べると、机の中にしまっていたペンデュラムを手に取り、靴を履いて玄関を出た。

「ソレイユ、頼む」

『はい、では』

 準備が整った影人は、ソレイユに念話で合図を送った。影人の合図を受けたソレイユは、影人に転移の力を施した。

 数秒後、影人の体が光に包まれる。やがて影人の体が完全に光に包まれると、影人は光の粒子となってマンションの構内から姿を消した。









「さて、穂乃影は・・・・」

 転移した影人が出現した場所は、どこかの神社かお寺の境内けいだいのようだった。ぱっと見、鳥居が見えないのでお寺だと思われるが、今はそんな事はどうでもいい。影人は辺りに視線を向けながら、穂乃影の姿を探した。

「っと、あそこか」

 周囲を探りながら慎重に歩いていると、前方の少し開けた場所に穂乃影の姿が見えた。当然ながら、穂乃影は光導姫に変身している。影人は境内内の建物に身を隠しながら、状況を観察した。

「ゲコッ!」

 おそらく2メートルはあるだろうと思われる、巨大な蛙の姿が目に入る。間違いなく、あれが闇奴だろう。自然界にあれほど巨大な蛙は、現在のところ存在しないはずだ。

「・・・・・・蛙はあんまり好きじゃないんだけど」

 穂乃影は真っ黒な剣を右手に握っていた。この前見た時は真っ黒な杖を持っていたが、今回は違うようだ。武器の切り替えが、穂乃影の光導姫としての能力かと、影人は適当に推測した。

「ゲコッゲコッ!」

 蛙型の闇奴は口を開けると、ヌメついた巨大な舌を穂乃影に向かって伸ばした。穂乃影は嫌そうな顔をしながら、その舌を避ける。

(あのクソ蛙・・・・ウチの妹になに気持ち悪いもん伸ばしてんだ。舌を穂乃影に触れさせた瞬間、その舌ぶった斬ってやろうか・・・・・・・)

 影人は前髪の下から蛙型の闇奴を睨みつけた。ふざけやがって、なんだあの闇奴は。もしも成年向けコンテンツのように、あの舌で穂乃影を舐め回すような事があれば、影人は間違いなくキレる自信がある。というか、もう既にキレそうだ。

『お前、けっこう過保護だよな』 

『影人、けっこう過保護なんですね』

 影人の内心の呟きを聞いたイヴとソレイユが、ほとんど同時に影人にそう念話をしてきた。ソレイユとイヴの念話のリンク(わかりやすく言えば、チャンネルのようなもの)は違うので、イヴとソレイユは互いの声が聞こえていないはずなので、この息のピッタリさは偶然ということになる。

「気持ち悪いけど・・・・・・雑魚クラス」

 蛙型闇奴の舌による攻撃を避け続けていた穂乃影は、舌の動きを完全に見極めると右手に握っていた黒剣をスッと振るった。

「ゲコォ!?」

 穂乃影の剣が蛙型闇奴の長い舌を切断した。舌の先はドチャッとした音を立て地面に落ち、残った舌の断面からは黒い血が噴き出していた。

「・・・・終わり」

 穂乃影は急激に黒い血を流し弱体化している闇奴に向かって距離を詰めると、その黒剣を逆の右袈裟に振るった。

「ゲ・・・・コォ・・・・」

 弱体化しているところに、浄化の力を宿した斬撃をまともに食らった闇奴は、ドサリと仰向けに倒れた。そして闇奴は光に包まれ、やがて40代ほどの男性へと姿を変えた。

(ふぅ・・・・・とりあえずはよかったぜ。で、問題はこっからだな)

 影人はポケットからペンデュラムを取り出し、ボソリとこう言葉を呟いた。

変身チェンジ

 その言葉が世界に放たれた瞬間、夜の闇よりもなお濃い漆黒の輝きが影人を照らした。









「・・・・・・・終わり。今回は、別の意味で多少疲れた」

 闇奴の浄化を終えた穂乃影がため息を吐く。闇奴自体は動物型の雑魚クラスであったが、いかんせん今回は闇奴が巨大な蛙であったという事が、穂乃影の精神を大いに削った。穂乃影は虫や蛙といった生物がかなり苦手なのである。

(さっさと帰ろう。もう少しで、転移が始まるはずだから)

 穂乃影は地面に倒れている男性を近くの木に寄り掛からせると、変身を解除しようとした。

「変身解――」

 穂乃影が光導姫の形態を解く言葉を言おうとする。だが、そこで穂乃影は気が付いた。ザッザッと、何者かの足音が響いている事に。

「ッ・・・・!?」

 穂乃影は警戒感を最大にして、右手の黒剣を構えた。いったい何者だろうか。通常の人間は、光導姫に変身した時と同時に形成される人避けの結界の影響を受け、この辺りには穂乃影が変身している限り近づかないはずだ。

(光導姫、もしくは守護者? いや、もしかしたら闇人の可能性も・・・・・・・・)

 足音の聞こえる方向に構えを取った穂乃影は、未だに姿の見えない謎の人物について予想した。足音はどんどん近づいている。そして、遂に暗闇の中から1人の人物が現れた。

「・・・・・・・」

 闇夜に紛れるような黒の外套を羽織り、同じく黒い編み上げブーツから足音を響かせたその男は、鍔の長い帽子の下から金色の両の瞳を穂乃影へと向けてきた。

「ッ!? あなたは・・・・・」

 その男の姿を目にした穂乃影は驚愕の表情を浮かべた。穂乃影はこの男とは今日初めて会った。だが、穂乃影はおそらくこの人物を知っている。

 目の前の人物に関する噂が流れ始めたのは、つい2、3ヶ月ほど前だった気がする。本当かどうか分からないある噂。戦場に敵とも味方とも分からない謎の怪人が出没するといった、そんな噂だ。

 光導姫を助けたり時には攻撃もしてくるという、その噂の怪人に関する取り決めが通達されたのは、つい10日ほど前の事。

 鍔の長い帽子に黒の外套、胸元を飾るは深紅のネクタイ。紺色のズボンに黒の編み上げブーツ。整った顔に少し長めの前髪の下から覗く瞳の色は、月のような金色。目の前の男は、全ての特徴がその怪人に関する特徴と一致している。

 その男の名は――

「・・・・・・・・スプリガン。噂の怪人が、私にいったい何の用・・・・?」

「・・・・・・俺を知っているか、光導姫」

 穂乃影の警戒を滲ませた言葉に、黒衣の怪人は帽子を片手で押さえながらそう言葉を吐いた。

「・・・・・あなたは、私たちの界隈ではもう有名人みたいなものだから」

 穂乃影は男の言葉を聞いて慎重に言葉を選んだ。

「有名人か・・・・・・・迷惑な話だ」

 穂乃影の言葉を受けた黒衣の男は、軽く鼻を鳴らす。そして、男は穂乃影に向かってこんな言葉を掛けた。

「・・・・・・・・1つ聞く、光導姫。お前はなぜ戦う? なぜ、光導姫として命を賭ける?」

「私が戦う理由・・・・・・?」

 それは問いかけだった。穂乃影がなぜこの場にいるのかに関する、根源の問いかけ。目の前の怪人から、突然そんな質問を受けた穂乃影は困惑したような顔を浮かべた。

「なぜそんな事を聞くの・・・・・? 私の、個人のその理由を知って、あなたはどうするの・・・・・・・?」

 穂乃影には、スプリガンがなぜそんな事を聞いてくるのか分からなかった。自分の戦う理由が、この怪人になんの関係があるというのか。

「・・・・・・・・ちょっとした興味本位だ。お前らがなぜ命を賭けてまで戦うのか、それが俺には理解できない。命を賭けてまで戦うに足る理由、お前の場合それは何だ?」

 困惑した顔でそう言って来た穂乃影に、スプリガンはそんな言葉を返す。ただの興味本位という言葉も、正体不明・目的不明の怪人が言えばそれらしい理由と化す。

(・・・・・ただの興味本位? たったそれだけの事で、スプリガンが戦場に現れる? 分からない、この人の真意が・・・・・・・・・)

 警戒と戸惑いがない交ぜになったような表情を浮かべ、穂乃影はそんな事を考える。あり大抵に言えば、穂乃影は少し混乱していた。それはおそらく、スプリガンという人物が放つプレッシャーのようなものも多少は関係している。

「・・・・・・・・・あなたに対して、それを答える意味も理由もないと私は思うけど」

 混乱した末、という程でもないが、穂乃影はそんな答えをスプリガンに示した。スプリガンに問われたからといって、穂乃影がその問いかけにバカ正直に答える義理は何1つない。穂乃影は拒絶の意思を露わにした。

「そうか。俺を前に大した胆力だ・・・・・・・その胆力は褒めてやる。だが――」

 突如として、穂乃影の前からスプリガンの姿が消える。いや、穂乃影の目には映った。

「俺が答えろと言ったんだ。なら、答えてみせろ」

「ッ!?」

 次の瞬間、スプリガンは穂乃影から数センチ程の距離、穂乃影の眼前に移動していた。気がつけば、スプリガンの体には闇色のオーラのようなものが纏われていた。

 穂乃影が知る由もないが、スプリガンが行ったのは、身体の闇による強化と闇による『加速』だった。スプリガンが一瞬穂乃影の前から消えたように見えたのは、文字通り目にも止まらぬスピードで移動したからだ。

「う、あ・・・・・・・」

 穂乃影の口から圧倒されたような声が漏れる。間近から見るスプリガンは、立ち上がっている闇のオーラも相まって、かなりの圧力が感じられる。そして極め付けは、穂乃影を見下ろす金色の瞳だ。

 美しいまでのその金色の瞳。その瞳には、有無を言わさぬようなそんな迫力がある。まるで地上を見下ろす月のように、この瞳の前では全てが曝け出されるような。

「わ、私が光導姫になったのは・・・・・」

 だからだろうか。穂乃影は半ば無意識に、そう言葉を発していた。

「お、お金を得るため。それに・・・・・力が欲しかったから」

 穂乃影は少しだけ声を震わせながらも、スプリガンの問いかけにそう答えた。

「・・・・・・・なぜ金銭を欲した? なぜ力を欲した? その根源の理由は何だ?」

 穂乃影の答えを聞いたスプリガンは、瞳を穂乃影から逸さずにそう言葉を紡いだ。穂乃影の言った答えはあくまで副次的な答えにスプリガンには感じられたからだ。

「ッ、それは・・・・・」

 しかし、スプリガンのその言葉に、穂乃影は明確に戸惑ったような表情を浮かべた。どうやら本当に話したくないようだ。

「理由は、何だ?」

 言い淀むような穂乃影に、スプリガンは再度同じ言葉を投げかける。そんなスプリガンにどこか観念したように、穂乃影は顔を俯かせた。

「・・・・・・・・私は、。私には資格がない。大切な人たちと・・・・・家族になる資格が」

「っ・・・・・・・」

 俯きながら言葉を述べる穂乃影。そんな穂乃影の言葉を聞いたスプリガンは、穂乃影には気づかれずに息を呑んだ。表情は出来るだけ平静を保っている努力はしているが、本当ならもっと驚いたような表情をスプリガンは浮かべたはずだ。

 それ程までに、その言葉はスプリガンに衝撃を与えた。

「だから・・・・・・・私は大切な人たちのせめてもの役に立てるようになりたかった。大切な人たちが困らないようにお金を、いざという時に自分が大切な人たちを守れるように、力が欲しかった。光導姫は・・・・・その2つを得られる仕事だった」

 穂乃影は今まで誰にも話した事のなかったその理由を、全て吐露した。まさかこの事を話す日が来るとは思わなかったし、初めて話した相手が噂の怪人になるとは夢にも思わなかった。

「・・・・・・・・・・そうか。光導姫どもが戦う理由に多少興味を抱いたから、お前にそう聞いてみただけだが・・・・・・・・存外に

 穂乃影の理由を全て聞いたスプリガンは、静かな言葉でそう吐き捨てた。そうだ、くだらない。本当にくだらない理由だ。

「・・・・・・笑いたいなら、笑えばいい」

 穂乃影は強がるようにそんな言葉を呟く。確かに自分の戦う理由はくだらないかもしれない。穂乃影が戦っている理由は、誰かのためというよりかは、自分のためと言えるからだ。

 穂乃影は、自分の存在価値を保持したいがために戦っているのだから。

「・・・・・・笑う価値すらないな。だが、お前は俺の問いに答えた。もう、お前に用はない」

 スプリガンは帽子を押さえながら、クルリと穂乃影から体を背けた。穂乃影が顔を上げると、スプリガンの背中が見えた。

「・・・・・・・・じゃあな」

 スプリガンがそう呟くと、スプリガンの前方に闇色の渦が現れ、スプリガンはその渦の中へと消えていった。スプリガンが渦の中に消えると、その渦も溶けるように虚空へと消滅した。

 まるで最初からその存在などなかったように、黒衣の怪人は綺麗さっぱりに消え去った。

「・・・・あれが、スプリガン・・・・・・・」

 後に残された穂乃影は、今しがた自分の前に存在していた怪人の名を呟いた。噂通り正体も目的も分からない得体の知れない人物だった。穂乃影の戦う理由を突然聞いて来た事も意味がわからない。

 正直に言えば、穂乃影は少しスプリガンが怖かった。その奥に秘めているであろう、その凄まじい力も穂乃影は無意識に恐れていたのだろう。

 だが、

「あの人の顔と声・・・・・誰かに似てる気がしたのは、気のせい・・・・・・?」

 穂乃影はなぜかそんな事を思ってしまった。もちろん、のに。

 月光が照らす夜の中、穂乃影は数瞬の間立ち尽くしているのだった。













「・・・・・・・・・」

 夜の闇の中、電柱の上に立つ1人の男がいた。黒衣纏うその男は、先ほど穂乃影と問答をしていたスプリガンである。スプリガンは転移の力を使って、視界内にあった電柱の上へと転移していた。眼下には、先ほど自分が立っていた寺が見える。

『くくっ、よう気分はどうだ影人? 満足かい?』

「・・・・・満足なわけあるか。仕方なかったとはいえ、俺はあいつを怖がらせちまったんだぞ。兄貴失格だ」

 心の中に響くスプリガンの力の意志たるイヴの声に、スプリガンで穂乃影の兄でもある影人はそう言葉を返した。

『まあまあ、あんまり気にすんなよ。お前は俺の力で、自分が放つ重圧を多少上げただけじゃねえか。実害も何もありゃしねえよ』

「それは分かってんだよ・・・・・・・だが、問題はそういう事じゃねえ」

 軽くため息を吐き、影人は帽子を押さえた。ここら辺は影人の心の問題だ。

 今イヴが言ったように、影人は先ほど自身の威圧力を多少上げるような闇の力を使った。それは穂乃影を威圧して答えを引き出すためだったが、影人としては正直自分が嫌いになるような力の使い方だった。それが仕方のない事だとはいえ。

『ははっ、そうかい。なら、せいぜい落ち込んでろよ』

「・・・・性格の悪い奴だ」

 どこかいつも通りのやり取りをする2人。しかし、今回は非常に珍しい事に気を遣ってくれたのか、イヴがそれ以上語り掛けてくる事はなかった。

「・・・・・・・・まさか、お前が自分の事を知ってたなんてな。母さんは、お前が20歳になったら教えるって言ってたが・・・・・お前はもういつからか知っちまってたんだな、穂乃影」

 影人は夜空を見上げながら言葉をこぼす。先ほどの穂乃影の言葉の意味を、影人は全て理解していた。穂乃影がいつからか自分の事を、「あなた」と他人行儀に呼ぶ理由もわかった。

「・・・・・・怪人としての役目は終わりだ。今度は兄としてお前に問いかける。お前が抱えてる不安や寂しさをどこまで軽減してやれるかは分からないが・・・・・・・・俺に出来る事はそれくらいしかないからな」

 影人は決意した表情で、夜の闇に穂乃影の兄としてそう宣言したのだった。

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