第131話 歌姫グッバイ

「・・・・・・そろそろ、行かなきゃな」

 自分の部屋でずっと考え事をしていた影人は、部屋の時計に視線を向けると、そう言葉を漏らした。

 8月19日日曜日、午後3時。今日は「世界の歌姫」と名高い少女、ソニア・テレフレアがアメリカに帰国する日である。昨日の夜のメールで、ソニアが日本を立つのは午後5時30分の飛行機という情報と空港の場所を送って来たので、その時間にその空港にいるためにはそろそろ家を出なくてはならない。

 金曜日にソニアに見送りに行くと約束した手前、影人は空港に行かなくてはならない。影人は外出するための荷物を手早く纏めた。

「・・・・・情けねえな。こんな気分であいつを見送らなきゃならないなんて。香乃宮に偉そうに言った奴がよ」

 外出の準備が整った影人は、家を出て真夏の太陽に目を細めながら、自分を嘲った。夏休み前、学食スペースで光司に言葉を垂れた奴が、その通りに出来ていないのだから。どの口で自分は光司にあんな事を言ったのだろうか。

 金曜日にソニアの楽屋で真夏たちと出会ってから今日に至るまで、影人の内心にはずっと焦りや不安が入り混じった気持ちが燻り続けていた。それは今も影人の心の内にある。

「・・・・・・・・・」

 影人はマンションの構内を歩く。前回はありえないと思いすぐさま頭の中から消し去った、馬鹿げた可能性は今回は頭の中から消えようとはしない。

 確かめようとすればすぐに確かめられる事。普段の影人ならばさっさと確かめるのが普通だ。しかし、今の影人にその普通はどうしても出来そうになかった。

「・・・・・・・なあ、穂乃影。お前は本当に・・・・」

 自分の妹の名前を呟きながら、影人はマンションの玄関から灼熱の世界へと足を踏み出した。














「や、影くん! 2日ぶりだね、今日はお見送りありがと♪」

「気にすんな。約束だったからな」

 午後5時10分。ソニアのメールに書かれていた空港に辿り着いた影人は、目の前の眼鏡と帽子で変装したソニアにそう言葉を返した。

「そういや、あのマネージャーさんはどこにいるんだ? 近くに姿は見えないが・・・・」

 空港のロビーを軽く見渡すが、レイニアの姿は見えない。影人が疑問に思いソニアにそう聞くと、ソニアは少し照れたようにこう言ってきた。

「ああ、レイニーならもう先に飛行機に乗ってるの。『せっかくなら、私がいない方が色々と気兼ねないでしょ』って、気を遣ってくれたみたいなんだ」

「そうか・・・・・いいマネージャーさんだな」

「うん。レイニーが私のマネージャーなのが、この業界に入って1番のラッキーだと私は思ってるよ!」

 影人のその感想に、ソニアは煌めくような笑顔を浮かべた。その笑顔を見て、影人はソニアとレイニアがお互いを思い合っているという事が分かった。

「ふっ・・・・・マネージャーさん、大切にしろよ。じゃあ、さようならだ金髪。お前の事、今度は忘れないぜ。歌、頑張れよ」

 影人は金曜日には告げられなかった、別れの言葉を口にすると精一杯の笑みを浮かべた。未だに内心ではあの気持ちが燻り続けているが、それをソニアに悟らせるわけにはいかない。

「うん、ありがとう♪ 君からそう言ってもらえて、本当に嬉しい。・・・・・・・・・・でも影くん、ちょっと無理してない? 何かあったの?」

「ッ・・・・・!?」

 だが影人の思い虚しく、ソニアには悟られたようだった。

「べ、別に無理してないぜ? 俺はそんなヤワな人間じゃねえよ」

 影人は精一杯の笑みを変わらず顔に張り付けながら、ソニアの言葉を否定する。もちろん、この言葉は嘘で、ソニアの推察は当たっている。

「ふーん・・・・・・話したくないなら別にいいけど、無理はしちゃダメだよ? 君はたぶん、あんまり人に頼るような性格じゃないと思うけど、困ったり悩んでいたりするなら、全然人に頼っていいんだから。忘れないでね、影くん。どんな人にも、もちろん君にも心配してくれる人はいるんだからね? 私は君のこと心配する人間なんだから」

「ッ・・・・・・・落ちたもんだぜ、俺も。金髪如きに心配される事になるとはな」

 影人の言葉を嘘と見破ったのだろう。ソニアは影人に向かってそんな事を言って来た。真っ直ぐなソニアの言葉を受けた影人は、張り付けていた笑顔をやめ、そう言葉を漏らした。

「・・・・・別に悩みとかそんなんじゃないんだ。ただ、もしもそうだったらって不安事が1つだけあってな。それを確認する気力が、どうしても持てねえ。それだけの事だ」

 影人は前髪の下の両目を下に向けながら、ソニアに自分の本心を吐露した。悩み事の種が何なのかまでは言っていない。この言葉なら、ソニアが影人に対して何か疑問を持つことはないだろうと思い、影人はその言葉を口に出したのだった。

「へえ、影くんでもそんな気持ちになるんだね。なんか意外だなー」

「お前は俺をなんだと思ってるんだ・・・・・・・・俺も普通の人間だ。時たまに、そんな気持ちになる事くらいだってあらぁ」

 心底驚いたような表情を浮かべるソニアに、影人は呆れたような顔を浮かべた。

「ふふっ、そうだよね。影くんも人間だ。じゃ、昔馴染みからのありがーい言葉だよ」

 ソニアは少しだけ意地悪そうに笑うと、こう言葉を続けた。

「勇気と元気はいつだって湧いてくるもの。無理に答えを確認する必要はないんだよ? その2つが湧いて来たら、その時に答えを確認すればいいんだよ。以上、私からの励ましの言葉でした♪ どう勇気と元気、湧いて来た?」

「んなすぐに湧くかよ・・・・・・だが、一応礼は言っとくぜ。サンキューな、金髪」

 ソニアにそう聞かれた影人は、若干呆れてしまったが、普段通りの笑みを浮かべると感謝の言葉を述べた。柄にもなく励まされてしまったのが効いたのか、影人の気持ちは軽く、いやかなり軽くなった。

(はっ、らしくねえよなやっぱり。俺がウジウジと行動しないのも、誰かに励まされるのも・・・・・・・なんか、自分に対して苛ついて来たぜ)

 心の中で、影人は自分を笑った。らしくない、それはイヴに2日前に言われた言葉だ。

 影人は改めて自分でもそう思った。いくら穂乃影の、家族の事とはいえ自分がこれ程までに気持ちが乱されのは、帰城影人らしくはない。

(決めたぜ。穂乃影が光導姫かどうか、俺が直接確かめてやる)

 影人は心の内でそう誓った。穂乃影はをしている。影人は昨日、実は穂乃影のそのバイトは光導姫としての仕事なのではないかと考えていた。以前、ソレイユは光導姫の仕事で金銭を得る者もいると言っていた。穂乃影は光導姫の仕事をして、金銭を稼いでいるのではないかと思ったのだ。

 光導姫の仕事は言わずもがな不定期だ。それは影人もよく知っている。そして、穂乃影のバイトも不定期。そこは一致している。だから、確かめる手段があるとすれば、今度穂乃影がバイトに行く時にこっそりと後をつける事くらいだ。

 ソレイユに確かめる前に、まずは自分の目で直接確かめる。不効率もいいところだが、影人はその方法で確かめる事を誓ったのだった。

「あ、もう行かなきゃ。じゃあ、バイバイ影くん。見送りに来てくれて今日はありがとう♪ 君とまた会えて、日本でライブが出来て、私はすっごく楽しかったよ♪」

 スマホで時間を確認したソニアが、特上の笑顔で影人に感謝の言葉を述べた。ソニアからそう言われた影人は、「なら、よかったな」と言葉を返す。

「・・・・・金髪、お前にまた会えて俺も多少は面白かったぜ。――だから、昔馴染みのお前に感謝を込めて、出血大サービスだ」

「え、なに?」

 影人の言葉にキョトンとした顔を浮かべるソニア。そんなソニアの顔を見ながら、影人は右手を自分の顔の方へと持っていった。そして、右手で自分の顔を覆うようにしながら、影人は人差し指と中指で自身の顔の上半分を支配する前髪を少しだけ、ほんの少しだけ、掻き分けた。

「ッ・・・・・!?」

 途端、露わになるのは影人の左目。ソニアは7年振りに見る影人の左目を見て、息を呑む。普段は前髪の下にある、影人の顔の一部分。影人は左目の部分だけを露出させると、そのでソニアを見つめながら、こう言った。

「悪いが、これが今の俺の精一杯だ。お前は俺の顔を見たがってたからな。普段だったら、絶対見せねえんだが、お前は昔馴染みだし、ライブにも招待してもらった。そういうわけで感謝を込めて、だ。まあ、左目だけだが許してくれよ」

 影人は軽く笑った。普段ならば、前髪の下の素顔が見たいと言われても、影人は絶対に素顔を見せない。それは影人のだからだ。

 だが、ソニアには色々と感謝するべき事が影人にはあった。それは今言ったように、ライブに招待してもらった事に対する感謝であり、励まされた事への感謝でもあった。

 だから、影人はソニアに対して何かお礼が出来ないかと考えた。月曜日に公園で会った時、ソニアは影人の素顔が見たいと言っていた。

 前髪を全て上げて、自分の素顔を完全に晒す事は影人には出来ない。それだけは、どうしても。

 そこで考えたのが、左目だけをソニアに見せるというものだ。これが今の、影人のソニアに対する精一杯の感謝の伝え方だった。

 ちなみに、例え誰かが影人の素顔を見たとして、その者がスプリガンの顔を見ても、影人がスプリガンだと気がつく事はない。いや、正確に言うとその可能性はあるにはあるが、かなり低いと言える。

 1度スプリガンの姿を見た者は、基本的には認識の阻害に縛られる。その効果は、その人物に影人の正体がバレない限り半永久的に持続し、影人がスプリガン時でない時も発動している。ゆえに、例え誰かが影人の素顔を見て、スプリガンの顔を見ても、「誰かに似ているな」といった事くらいしか思えない。影人の正体がバレない限り、スプリガン=影人という解答に辿り着く事はないのだ。

 ただ、変身時よりも変身していない時の方が、認識阻害の効果は弱まっているので、影人の認識阻害の力より、巨大な力を持っているものは、そのルールに縛られない可能性もある。それが、可能性はあるにはあるが、かなり低いという理由である。そして、ソニアの場合は影人の認識阻害の力より巨大な力は持っていないので、ソニアはそのルールに縛られる。

「う、うん・・・・・・ゆ、許すも何もないよ! というか久しぶりに影くんの目ちゃんと見れたし! わ、私嬉しいよ!」

 影人の左目と軽い笑顔を見たソニアの心臓がドキリと跳ねた。ソニアは何故かカァと顔が赤くなるのを自覚しながら、慌てたようにそう言葉を述べた。

(シャ、影くんの目昔と全然変わってない。一見冷たそうだけど、その奥に優しさがある目・・・・・・・ず、するいよ、去り際にそんな目を向けて来るなんて・・・・・・・)

 ドキドキと高鳴る心臓。しかし、その心臓の高鳴りはどこか心地がいい。心の中も、どこかそわそわと浮き足立つ。

 ああ、ソニアはこの心臓の鼓動を、この気持ちを知っている。これは――

「おい、金髪。お前、時間は大丈夫なのかよ? 離陸まで、もう時間ないんじゃないのか?」

 ソニアが少しだけ呆けていると、影人がそう声を掛けてくれた。もう前髪は元通りで、左目も見えない。そこにいるのは、いつも通り前髪に顔の上半分を支配された少年だった。

「え・・・・・? あっ!? まずい、まずいよ! もう飛行機出ちゃう!」

 影人からそう指摘を受けたソニアは、スマホの時間を見て大いに慌てた。影人が指摘したように、ソニアが搭乗する飛行機はもうあと少しで離陸する時間だ。後はもう搭乗するだけとはいえ、時間は本当にない。

「私、行くね! 、影くん!」

「おう、達者でな」

 ソニアは最後にそう言い残すと、急いで搭乗口に向かって走っていった。

「またねか・・・・・・・まあ、確かにまた会う事もあるだろうが・・・・」

 ソニアの後ろ姿を見つめながら、影人はそう呟いた。またね、というのは別におかしな言葉でも何でもないが、影人はその言葉に軽い疑問のようなものを覚えた。なぜだか、ニュアンス的にまたすぐに会えるという意味的なものを感じたからだ。

「・・・・・・ま、気のせいだろ。さてと、金髪のおかげで覚悟は決まったし、ちょっと空港内をふらついて帰るか」

 影人は頭を軽く横に振って、自分の考えを否定すると、随分と晴れた気持ちで空港内を歩くのであった。













「ちょっとソニア、ギリギリじゃないのよ! 後もうちょっとで離陸に間に合わなかったわよ!」

「ごめんごめん! ちょっと影くんと話し込んじゃって」

 ファーストクラスのシートに腰掛けたレイニアが、コソコソとした声でソニアにそう声を飛ばす。ソニアはレイニアの隣のシートに腰掛けると、苦笑いを浮かべながらレイニアに謝罪した。

「全く・・・・・・で、ちゃんと別れの挨拶は出来たの?」

「うん、それはバッチリ♪」

 呆れながらもそう確認を取ってくれたレイニアに、ソニアはピースサインを送る。

 それから少しして、飛行機は離陸した。ソニアの席は窓側ではないので、眼下の光景を直接見る事は出来ないが、日本が徐々に遠のいている事をソニアは感じた。

「・・・・・ねえ、レイニー。ちょっと相談があるんだけどさ」

 飛行機が陸を完全に離れてから5分ほど。ソニアはある決意を固め、レイニアに向かってそう言葉を切り出した。

「何よ? 改まっちゃって」

 レイニアは訝しげな表情を浮かべながら、ソニアにそう聞き返した。レイニアのその言葉に、ソニアは正面を見つめながら、こう言葉を述べる。

「ステイツに戻ったらさ、とりあえず今入ってる仕事を全部片付ける。そして、今後の活動拠点をステイツから変えたいの。・・・・・・・・もちろん、パパとママにも話すつもり」

「・・・・・・・・・・・言いたい事は死ぬほどあるけど、今はとりあえず聞いてあげる。どこに活動拠点を移すつもりなの?」

 ソニアの話を聞いたレイニアは、頭を軽く抱えながらもそう聞いてくれた。「だから、レイニーが大好きなんだよ」とソニアは笑うと、その瞳をレイニアの顔へと向ける。そして、どこか晴れやかな顔でこう言った。


「日本の東京。――私、好きな人が出来ちゃった。今度はこの気持ち、止められそうにないや♪」

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