第129話 歌姫オンステージ(16)

「とりあえず来たには来たが・・・・・・凄え人の数だな。やっぱり、えぐいくらい人気だな金髪は・・・・」

 東京ドームの前に辿り着いた影人は、周囲にいる人の数を見るとそう言葉を漏らした。開場は確か1時からの筈だが、それでも人の数は凄まじい。

 8月17日金曜日、午後2時40分。影人はソニアから言われた通り、ソニアのライブを見るために東京ドームへとやって来ていた。

「ええっと、ライブは3時から開始だったよな。とりあえずよく分からんが、これを係の人に渡すか見せればいいんだろ」

 影人はサイフに入れていたチケットを取り出しながら、東京ドームの入り口へと向かった。あと20分でライブが始まるというのに、人はまだ結構並んでいる。とりあえず、影人もその最後尾につく。

「はーい、チケット確認します! 整理番号を見させてもらいますねー!」

 女性スタッフが元気な声で影人の前の客にそう呼びかける。今日も東京は灼熱の暑さだというのに、女性スタッフは暑さを感じさせない声で、表情も明るい笑顔だ。この暑さでよくやるなと、影人は感心した。自分には、こんなクソ暑い中あんな元気に働くなんて絶対に無理だ。

「はい、次の方どうぞー!」

「あ、お願いします」

 そんな事を思っていたら影人の番がやって来た。影人はソニアから渡されたチケットを、女性スタッフに見せた。

「じゃ、確認させてもら――え・・・・」

 影人のチケットを見た女性スタッフは、驚いたような表情を浮かべた。そしてチケットと影人を交互に見つめ返す。おそらく、こんな見た目の奴が関係者席用のチケットを持っている事に疑問を抱いているのだろう。当然である。顔の上半分が前髪に支配され、半袖に短パンにゴム草履という夏の小学生みたいな格好をしている奴が、関係者席用のチケットを持っていれば不審にしか思わないだろう。女性スタッフの反応は至極正しい。

「あの・・・・・そろそろ誘導をしてもらっても?」

「あ、すみません! では、お客様はこちらの方からお進みください! 別のスタッフがご案内しますので!」

 影人が女性スタッフにそう言うと、女性スタッフは謝って影人を一般の出入り口とは違う方へと誘導した。その後、スタッフは無線で何かを話していたが、いま言った案内係のスタッフを呼んだのだろうと影人は推測した。

 しかし2分後、影人の前に姿を現したのは見覚えのあるスーツ姿の外国人の女性だった。

「ハロー、前髪くん。ソニアからあなたの話は聞いてるから、私があなたを関係者用の席まで案内してあげるわ」

「え? ええっと、あなたは確か・・・・・・マネージャーさんでしたよね? あの、すみません。前も言ったように、俺英語は大の苦手でして・・・・ノー、スピークイングリッシュ」

 影人の前に現れたのは、4日前にソニアと会った時に車を運転していたソニアのマネージャーだった。ソニアは確かこの女性の事をレイニーと呼んでいたはずだ。そして、この女性は前と変わらずに英語で影人に話しかけて来たので、影人は自分が英語を話せない事を伝えた。影人に聞き取れたのは、ハローの部分だけである。

「あ、そうだったわね。なら、翻訳アプリを使ってと・・・・・」

 どうやら影人の拙い英単語は伝わったらしく、ソニアのマネージャーである女性はスマホを取り出した。そして翻訳アプリを起動させると、影人に今言った事をもう1度伝えた。すると、マイクで認識された英語が日本語の文字として、スマホの画面に表示される。

「あ、そうなんですか。ありがとうございます。って、日本語分からないよな・・・・俺も翻訳アプリ使った方がいいか」

 スマホの画面に出てきた日本語を見た影人は、レイニアに感謝の言葉を伝える。だが、レイニアも日本語が分からないであろうという事に気がつくと、影人もスマホに入っていた翻訳アプリを立ち上げ、日本語を英語の文字へと変化させた。

「礼はいいわ。さ、ライブ開始まで時間がないから急いで向かうわよ。ついてきて」

「はい」

 レイニアの翻訳アプリの文字を見た影人は、コクリと頷いてそう返事した。













「ここが関係者席よ。と言っても、ここからソニアのライブを見るのは、私と君だけだけどね」

 5分後、影人はレイニアに案内されて関係者用の席へと来ていた。正面にはガラスが張られており、そこからライブ会場が見えるようになっている。機材やマイクなどを置いている事、それに位置的に考えると、ここは放送席と呼ばれるところのようだ。

「わざわざ案内してくださって、ありがとうございます。まさか、マネージャーさんが直接来てくださるとは思ってませんでした」

「いいのよ、ソニアから直接頼まれてたしね。それより、もう始まるわよ。あの子のライブ」

 影人とレイニアは翻訳アプリを使って会話を成立させていた。レイニアは影人の言葉にそう返すと、用意されていたパイプ椅子に座った。影人も、その隣に置いてあったもう1つのパイプ椅子に腰を下ろした。

「はーい! みんな今日は私の最終日ライブに来てくれて、ありがとー! 今日は思いっきり楽しんでいってね♪ じゃ、さっそく1曲目いくよー!」

 東京ドームの中心に設置されていたステージから、煌びやかな衣装を纏ったソニアが現れる。ソニアの登場と共に、客席は一瞬で最高潮にまで盛り上がる。ソニアは日本語で、ライブに参加してくれたファンにそう感謝の言葉を述べると、歌を歌い始めた。ちなみに、影人の席から見える範囲でも、全ての席は超満員である。

「〜〜♪」

 最初の曲はどこか優しさと切なさを感じさせる曲調だった。ソニアは派手な踊りなどは踊らずに祈るように歌っている。確かに、この曲調ならばそちらの方が自然に思えた。

「・・・・・・・・・上手いな。それに、いい曲だ」

 スピーカーから聞こえてくるソニアの歌声に耳を傾けながら、影人は思わずそう呟いた。気分が高揚するような曲ではないが、人の心に沁み入ってくるような、優しく語りかけてくるような、そんな曲だ。

「当然。あの子の歌う曲でいい曲じゃないなんてものはないわ。この曲はソニアのお気に入りの曲の1つでね。あの子といえば人を元気にさせる明るくて激しい曲が代名詞だけど、こういう静かな曲もあの子の歌の良さを引き出すのよ」

「へえ・・・・・確かに、そうですね」

 レイニアのスマホに出た日本語を見ながら、影人はその言葉に同意した。レイニアの表情はどこか誇らしげだ。

(にしても・・・・・・・・お前、本当に歌が上手くなったんだな金髪。あの下手くそだったお前が、今や世界の歌姫だ。きっと、死ぬほど努力したんだろうな・・・・・全く、大した奴だよお前は)

 ソニアの歌を聞きながら、影人はそんな事を思った。月曜日にソニアと会った時も思ったが、人生というやつは本当に分からない。何せ、影人の記憶の中にいるあの歌の下手くそだった少女が、今は満員の客が見守るステージの上にいるのだから。

「1曲目ありがとうみんな♪ じゃ次は2曲目、行くよー! ここからは気分上げてこう!」

 ソニアが2曲目を歌い始める。先ほどとは打って変わって激しめの曲だ。声も先ほどとは違い、元気いっぱいの明るい声だ。これぞソニア・テレフレアといった感じである。

 それからも、ソニアは色々な自分の曲を歌い続けた。影人はそのいずれの曲もしっかりと耳を傾けて、ソニアの歌を堪能した。

「よーし、じゃ7曲目! 次は私のデビュー曲、行っくよー!!」

「「「「「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!」」」」」

 ソニアがそう告げると、会場の観客たちが最高潮に沸いた。今までもボルテージは最高潮ではあったが、今回はそれを上回る形だ。

「〜〜♪ 〜〜♪」

 そして、ソニアはその観客の声に応えるように、自身のデビュー曲を歌い始めた。それはソニア・テレフレアの名を一躍有名にした曲。世界の歌姫の原初の曲だ。どこまでも明るく元気な曲で、聞いているこちらも思わず気分が上を向いてくる、そんな曲である。

「・・・・・・ソニアはあなたと会って話した後、すごく嬉しそうだったわ。そして今までにない集中力で、リハーサルをしてライブを絶対に成功させるって息巻いてた。今日の最終日のこのライブも、前日2日間のライブも、間違いなくソニアの過去最高のライブに入るわ」

 影人がソニアの歌に聞き入っていると、レイニアが正面を向いたままそう言った。そしてスマホの画面だけを影人に見せる。そこには今レイニアが言った言葉が日本語の文字として書かれている。

「・・・・・そうですか」

 スマホの画面を見た影人はただ一言そうスマホに呟くと、その画面をレイニアに見せた。英語が書かれたその画面をチラリと見て確認したレイニアは、言葉を続ける。

「それは多分あなたに最高のライブを見せたかったからよ。もちろん、観客やファンの為でもあるわ。でも、今回のライブに関しては、あなたという要因が1番強いと私は思う。昔馴染みのあなたに、あの子は今の自分の輝いてる姿を見てほしいのよ。それが、最高のパフォーマンスになった」

「・・・・・それはないですよ。あいつが最高のライブをしてるのは、あいつがその努力をしたからです。俺なんて要因にすらなりませんよ」

 続けられたレイニアの言葉に、影人は首を横に振ってそう答えた。たかだか自分如きが、世界の歌姫のパフォーマンスに影響を与えるなんていう事はないはずだ。

「・・・・捻くれてるのね、あなた。まあ、あなたがそう思ってるのなら、それでいいわ。最後まで、あの子のライブをしっかり見てやってね」

「それはもちろん」

 ため息を吐くレイニア。そんなレイニアのスマホの画面を見ながら、影人は今度は首を縦に振った。

 それからソニアのライブが終わるまで、影人はしっかりとソニアの歌と姿を目と耳に焼き付けた。













「ふー、最高の気分♪ どうだったシャドウくん、私のライブは?」

「ああ、よかったぜ。もう2度と、歌が下手なんて言えねえくらいにな」

 ライブを終えたソニアが、晴れやかな顔でそんな事を聞いて来た。そんなソニアの問いかけに、影人は笑みを浮かべてそう返答した。

 ソニアと影人がいるのは、ソニアの楽屋だ。ソニアのライブが終了したタイミングで、影人はレイニアに案内されてこの楽屋に来たのだった。

「本当!? えへへ、嬉しいな♪ やっと君にそう言わせられたよ♪」

 影人の言葉を聞いたソニアは、満面の笑みを浮かべた。弾けるような、心の底からの笑みだ。

「レイニーもありがとね♪ 影くんを案内してくれて」

「気にしないで。それより、最高のライブだったわよソニア。さすがは私が見込んだ世界の歌姫ね」

「あはは、ちょっぴり照れるけど、そう言ってくれて嬉しいな♪ この最高のライブが出来たのは、レイニーやスタッフのみんなのおかげだよ」

 ソニアとレイニアは英語でそんな言葉を交わした。影人には2人が何を言っているかは変わらずに分からなかったが、表情からいい話をしているという事は分かった。

「そういや、お疲れさんだ金髪。今日で日本でのライブは最終日だったよな? お前いつアメリカの方に戻るんだ?」

 影人はソニアにそう労いの言葉を掛けた。ライブの感想は言ったが、そちらの言葉を掛けていない事に気がついたからだ。後は、ソニアがいつ帰国するのか単純な疑問も聞いてみた。

「ありがと♪ 帰国するのは明後日の日曜かな。明日は1日こっちでゆっくりするつもりだから。レイニーと一緒に東京観光するんだー♪ あ、影くんも一緒に来る? きっと楽しいよ!」

「そうか。・・・・同行に関しては遠慮しとく。2人でゆっくり観光するといいさ」

 ソニアから誘いを受けた影人は、その誘いを断った。せっかく観光をするのならば、邪魔者はいない方がいい。同行すれば、ソニアとレイニアに気を遣わせるかもしれない。気を遣わせて観光なんてさせたくはない。

(それに、出来るだけ金髪と関わる事は避けた方がいいしな・・・・・・・・今日は仕方ないとはいえ、これ以上深く関わるべきじゃない)

 影人はスプリガン。そしてソニアは光導姫だ。影人は基本的に光導姫や守護者とは、出来るだけ関わらないようにしている。自分と同じ学校で同学年の、陽華、明夜、光司などとは特にだ。この3人に関しては、恒常的に関わる可能性があるからである。恒常的に関わってしまえば、どれだけ気をつけていても、何かスプリガンに関する情報をポロっと漏らしてしまう可能性があるからだ。

 ファレルナ、真夏、そしていま目の前にいるソニアなど仕方なく関わってしまった場合は、細心の注意を払いながら、普通に接する。このような者たちに関しては、恒常的に関わる可能性が極めて低いからだ。まあ、真夏に関しては影人と同じ学校で陽華や明夜、光司たちと同様に恒常的に関わる可能性もあるにはあるが、真夏は3年生。学年が違う。光司のように生徒会などに入っていない限り、1学年上の真夏と影人が関わる可能性はそれほどない。あったとしても、顔を合わせれば挨拶をするくらいだろう。

「そっかー、ちょっぴり残念だな」

 まさか影人がそんな事を考えているとも知らずに、ソニアは苦笑してそう言った。ソニアは言葉通り少し残念そうだったが、影人はあえて無視をした。

 それから少しすると、コンコンと楽屋のドアをノックする音が響いた。ソニアが「はーい!」と返事をすると、楽屋のドアを開けて男性のスタッフが顔を覗かせた。

「あ、すみませんテレフレア様。テレフレア様に会いたいと、3人の女性が来ているのですが・・・・・・その、拒否したのですが、テレフレア様に言ってもらえれば分かると・・・・・・」

「あ、あの3人ちゃんと来てくれたんだ。すみません、通してあげてくれませんか? 日本人2人とロシア人の女の子ですよね? ちゃんと知り合いなので」

 30代くらいの男性スタッフから用件を聞いたソニアは、男性スタッフにそう答えを返した。ソニアの確認に頷いたスタッフは「わかりました、失礼いたします」と言って、ドアを閉めた。

「ああ、その子以外にもライブに招いていた友達の事ね。確か私があなたに渡したチケットも3枚分だったし」

「そうそう♪ レイニアが用意してくれた一般席のチケットをあげた子たちだよ」

 レイニアとソニアが何かを話しているが、影人は先ほどソニアが言った、「日本人2人とロシア人の女の子」という言葉に、嫌な予感を覚えていた。

(・・・・・・・・日本人2人とロシア人、なんでか釜臥山の時の事を思い出すのは、気のせいだよな・・・・・?)

 影人が釜臥山の事を思い出すのは、そこが1番直近で影人の脳内に浮かぶ少女たちと出会った記憶だからだ。出来る事ならば、この嫌な予感は外れてほしい。

 しかし、結果として影人のその予感は当たっていた。

「すみません、お客様をお連れしました」

 先ほどの男性スタッフがノックをして再びドアを開ける。すると、そこから現れたのは――

「アロハー! この私がわざわざ来てやったわよ!」

「『歌姫』、いい歌だったぞ」

「今日はありがとう、ソニア。本当にいいライブだったわ」

 真夏、アイティレ、風音の3人であった。

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