第126話 歌姫オンステージ(13)

「ったく、何で俺が・・・・・・」

 釜臥山での戦いから一夜明けた、8月13日の月曜日の昼過ぎ。影人はガリガリと頭を掻きながら、真夏の青空の下を歩いていた。服装は半袖に半パン。日除けの薄いパーカーを羽織り、足元は普段履いている運動靴といったような感じだ。

 影人がなぜ、ぶつくさと独り言を言いながら歩いているかというと、それは今日の朝『歌姫』ことソニア・テレフレアから来たメールに端を発する。

 影人は昨日戦いが終わり自宅に戻ってから、一応ソニアのアドレスにメールを送った。正直メールを送るのも気が進まなかったが、暁理からなぜか「メールを送るか電話してあげろ」と何度も言われていたので、影人は後に何を言われるか分かったものでもないので、送らざるを得なかった。

 それに影人も多少は気になっていたのだ。ソニアがなぜ自分の事を知っていたのか。いやまあ、昨日の夏祭りでの反応からするに、自分がソニアと会った事を忘れているようなのだが。

(結局、会った記憶は思い出せなかったんだよなー・・・・・)

 そういうわけで、とりあえずソニアから渡されたメールアドレスに「帰城影人です。連絡をしてほしいと言われたので、一応」と書いて送信した影人だったのだが、今日の朝にスマホを見てみるとソニアから返信が来ていた。

 そこには、何やら昨日の事についての謝罪の言葉や、また会って話をしたいといった感じの内容が記されていた。そしてその会う日が今日で、昼過ぎから30分程の時間でお願いできないか、というものだった。まあ、ソニアは世界に名を冠する『歌姫』。それに明後日には日本でのライブも始まるので、日時の都合がその時間しか合わないのだろう。

 なので、影人も急ではあったが、ソニアのその都合に合わせる事にした。幸い、影人は夏休みの学生だ。それに加えて、孤独好きのボッチ野郎である。予定などはつけようと思えば、いくらでもつける事が出来る。

 まあ、それでも面倒なものは面倒なので、影人は愚痴をこぼしたのだが。

『くくっ、つくづく光導姫と縁がある野郎だよなお前は。いいじゃねえか、こういうのをモテモテって言うんだろ?』 

「アホ言うな、どこをどう見たら俺がモテモテに見えんだよ・・・・・・・・俺の場合は、単純に面倒ごとに呪われてるだけだ」

 ポケットに入れている黒い宝石のついたペンデュラム。そのペンデュラムに意志を宿しているイヴが、影人にそう言葉を掛けてくる。イヴには昨日のソニアとの出会いの事については、もう既に話してある。

「それに、億が一にでもモテモテなんて状況は、俺は御免被るぜ。俺は孤独と自由を愛してんだ。色恋は、それとは相容れないもんだろ?」

 ハッと格好をつけた笑みを浮かべ、影人はイヴにそう言った。いつもの厨二全開な前髪野朗である。硬派を気取って、いったいいつの時代の価値観だ。周回遅れが過ぎる。

『けっ、相変わらず捻くれてイタい野郎だ。まあ、じゃなきゃ昨日女神の奴に言った言葉なんて言えねえわな。「忘れるな、俺はお前の剣だ」だったっけか?』

「ッ・・・・・!? そ、その言葉は忘れろイヴ。ソレイユの奴にあんな事言っちまうなんて、あの時の俺はどうかしてたんだよ・・・・・・・・・・・」

 その言葉に、影人は羞恥の表情を浮かべる。流石にいま思い返せば、あの言葉は中々に恥ずかしい。そして、その言葉を言った相手がソレイユというのも、恥ずかしいと影人が感じる要因だった。どうやら、前髪にも恥ずかしいという感情はあったらしい。目から鱗である。

『ははっ、絶対忘れねえ。ようやく俺もイジれる言葉をゲットしたんだ。せいぜい、忘れた頃に言って羞恥に悶えさせてやるぜ』

「鬼かてめえは・・・・・・・ったく、こういう時、過去の自分をぶん殴りたくなってくるぜ・・・・・・・・」

 そんな会話をしながら、影人はソニアに指示された場所――昨日訪れた、小学校前にたどり着いた。

「ええと、目印は黒い車だったよな」

 影人は近くに黒い車が止まっていないか探す。ソニアはメールで、この小学校前を待ち合わせの場所に指定して来た。ソニアがこの場所を指定して来たのは、単純にここが昨日影人とソニアが出会った場所であり、この場所以外に自分たちが共通して知っている場所がなかったからだろう。

 そして、ソニアのメールによると、ソニアは黒い車に乗っているとの事だった。その車を見つけて、反応を示して欲しいとの事だ。

「ああ、あれか」

 影人は、小学校の校門から少し離れた所に路駐されている黒色の中型自動車を発見した。影人は車の車種をよく知らないので、車の名前は分からない。

 近くにあの車以外に黒い車はない。ならばあれで決まりだろう。影人はその車に近づくと、コンコンと窓を叩いた。

「・・・・・・乗って」

「え?」

 影人が叩いた前方の左窓が開き、姿を現したのはスーツ姿の白人の女性だった。眼鏡を掛けた20代半ばと思われるその女性は、英語でそんな言葉を放った。よく見てみると、女性の席は運転席だ。左ハンドルか、珍しいなと影人は今は少しどうでもいい事に気がついた。

「早く乗って。ただでさえ時間をムリヤリ作って、スケジュールが更にカツカツになったんだから、1秒たりとも無駄に出来ないのよ。だから、早く乗って!」

「ええと、すんません。俺英語分からなくて・・・・」

 スーツ姿の女性は何やらイライラとしているようだが、いかんせん何を言っているのか影人には分からなかった。影人は、英語が大の苦手なのである。

シャドウくん、後ろの席に乗って!」

 影人が戸惑っていると、後ろの席の窓が開いた。そこから日本語でそう言ったのは、オレンジ色に近い金髪が特徴の少女、ソニアだった。メガネとキャップをしている事から、昨日と同じ変装をしている事が分かる。

「ああ、そう言ってたのか・・・・・とりあえず、分かりました。失礼します」

 ソニアの言葉で、スーツ姿の女性が何を言ったのか理解出来た影人は、言葉遣いを丁寧なものにして、ソニアがいる方と反対のドアを開けた。

「ごめんね、急なお願いで。あと、今日はありがとう♪ 君とまた会えて嬉しいよ」

「・・・・・・・・構いませんよ。俺も色々と気になる事はありましたから」

 車内に入ると、ソニアが笑顔でそんな事を言ってきた。影人はソニアから出来るだけ距離を取るように座ると、そう言葉を述べた。

「ソニア、分かってると思うけど30分だけよ。これ以上は、もう本当にスケジュールを動かせないわ」

「分かってる、レイニー。あなたには心の底から感謝してる。じゃあ、近くの公園までお願い。場所は私が指示するから」

 ソニアは自分のマネージャーであるレイニアに、英語でそう言った。ソニアの言葉にレイニアは、「全く、都合がいい子ね」とため息を吐くと、車を発進させた。

「・・・・・・いったい、どこに向かってるんですか?」

「そこを左。後は直進すれば、いいだけだから。――大丈夫、すぐに着くから」

「? はあ・・・・・・・・」

 レイニアに指示を出すソニアに、影人は目的地を尋ねたが(ソニアの英語を聞き取れなかったので)、ソニアは笑みを浮かべるだけだった。答えになっていない気がするが、影人もそれ以上突っ込んで聞こうとは思わなかった。

 車は3分ほど走行し、ある場所で停車した。窓から外を見てみると、そこは公園だった。夏休みと言う事もあって、小学生くらいの子たちが遊んでいるのが目に入って来る。

(公園か。この公園の事を知ってるって事は、やっぱり歌姫サマは、あの小学校にいたのか?)

 この公園は、小学校から近いという事もあり、よく小学生たちに遊ばれている公園だ。影人も小学生時代に何回かこの公園を訪れた事があるので、この公園の事は知っていた。そして、影人がそのように考えたのは、アメリカに住んでいるソニアが、こんな東京郊外のローカルな公園の事を知っていたからだ。

「ありがと、レイニー! じゃ、30分だけ待っててね♪」

「公園だからって油断してバレないでよ。あなたは、世界に名を冠する歌姫なんだから」

 レイニアはソニアにそう釘を指す。釘を刺されたソニアは、調子が良さそうにレイニアに言葉を返すと、影人の方に顔を向けて来た。

「分かってるって♪ お待たせ、影くん。降りよっか♪」

「・・・・・分かりました」

 影人はソニアの言葉に頷くと、車を出た。途端、夏の暑さが再びチリチリと肌を焼く。車内はクーラーが効いていたので、外は先ほど歩いていた時よりも、より暑く感じられる。

「あそこの日陰のベンチに行こっか♪ というか、さっきから随分他人行儀な話し方してるけど、普通に話してくれた方が助かるかな。私の事が思い出せないから、そう話してくれてるのかもだけど、どっちにしても同い年だから、なんかしっくりこないし」

「そう言うのなら・・・・・・分かった、言葉を普通にさせてもらう」

「うんうん、そっちの方がやっぱりいいや♪」

 言葉遣いを普段のものに変えた影人。そして2人は公園の中に足を踏み入れ、日陰になっているベンチに腰を下ろした。

「それで・・・・・・・・あんたは俺の事を知ってるみたいだが、俺とあんたはいつ出会ったんだ? すまないが、あんたが今言ったように、あんたと会った記憶は思い出せなかった。あと、何であんたは俺の事を影くんって呼ぶんだ?」

「そっか、やっぱり・・・・・仕方ない、かな。もう7年くらい前の事だし」

 ソニアは少しだけ悲しそうに笑みを浮かべると、こんな話をしてくれた。

「私さ、お父さんの仕事の都合で、3年間だけ日本にいた事があるんだ。小学1年の夏から、小学4年の夏までね。日本語もその時に覚えたんだ」

「そうだったのか・・・・どうりで、流暢な日本語を話すわけだな」

「ありがと、そう言ってもらえると嬉しいよ♪」

 影人の感心したような言葉に、ソニアは言葉通り嬉しそうな顔を浮かべた。

「で、日本にいた時に通ってたのが、あの小学校なんだ。最初は私が外国人って事で壁があったような気もしたんだけど、当時の先生やクラスメイトたちは私と暖かく接してくれた。だから、日本にいた3年間は本当に楽しかった」

 ソニアは懐かしそうに、公園で遊んでいる小学生たちに目を向ける。その表情から、ソニアの言葉が真実であるという事がよく分かった。

「あれは小学校4年の春くらいの事だったかな。私、音楽の授業で歌を歌ったんだけど、すっごい下手くそだったの。みんなも思わず笑っちゃうくらいのね。当時の私はそれが悔しくて、何とかみんなを見返してやろうと、こっそり練習してたんだ」

「そいつは・・・・・・意外だな。歌姫サマにも、歌が下手な時期があったんだな」

 その話を聞いた影人は少し驚いた表情を浮かべた。ソニアは歌姫と呼ばれている少女だ。当然ながら、そんなソニアの歌が下手な訳がない。影人もソニアの歌はテレビなどで聞いた事があるが、素人耳にも上手いと感じられた。

「あはは、君がそれ言う? だって君、当時の私に真正面から歌が下手って言ったんだよ?」

「・・・・・マジかよ。悪い、記憶はまだ思い出せないけど、昔の俺は生意気な事を言ってたみたいだ」

 ソニアが言った衝撃の事実に、影人は思わず頭を抱えた。今や世界の歌姫であるソニアに、過去の自分は何とアホな事を言ったのだろうか。影人は過去の自分に代わり、謝罪した。

「全然♪ 実際、当時の私は本当に歌が下手だったし、君に歌が下手って言われたから、歌が上手くなりたいって思ったの。だから私がこの道に進んだ原初の思いは、その負けん気。そう言う意味じゃ、君には感謝してるから♪」

 ソニアは全く気にしていないといった感じの笑みを浮かべると、話を続けた。

「と、ごめん。ちょっと話が先行しちゃった。話を少し戻すけど、私がこっそりと歌を練習してたのは、あの小学校のプールとか動物小屋の近くにあった、表からは若干見えない秘密のスペースだったの。君も知ってるでしょ?」

「ああ、知ってる。今もあるかはわからないが、あそこ出身の奴なら、大概は知ってるからな」

 ソニアの確認に影人は頷いた。ソニアが言っている秘密のスペースとは、プールの更衣室や動物小屋といった小さな建物が寄り集まっている場所、その裏手にあったスペースの事だ。人が4人くらい入れるところで、影人も「秘密基地みたいでカッコいい」という理由から、何度も訪れた事のある場所だ。

(ん・・・・・・・・? 待てよ、あの場所と歌・・・・? そう言えば、何かそれにまつわる記憶があったような・・・・・・)

 秘密のスペースと歌。そのキーワードに、影人の記憶が刺激される。ぼんやりと脳裏に浮かぶのは、その場所で誰かと話している光景だ。ただ、その誰かの顔までは霧がかかったように分からない。

「それである日の放課後。いつもみたいにそこで歌の練習をしてたら、ある男の子が現れたの。その男の子と面識はなかったんだけど、その男の子は歌ってる私を見るなり、『下手くそな歌。春のさざめきが泣いてるぜ』ってそんな事を言ってきたの」

「ッ・・・・・・!」

 ソニアの言う男の子。その人物が誰であるかは、明白だった。

「私は下手くそって正直に言われたのは初めてだったから、恥ずかしくて怒ったちゃったの。でも、その男の子は、私の言葉をどうでも良さそうに無視すると、置いてあった古いイスに座って、『寝るから違う場所に行ってくれ』的な事も言ってきて。その日は怒りすぎて帰っちゃったんだ」

 ソニアはあははと笑うと、言葉を続けた。

「で、次の日の放課後私がそこに行くと、昨日の男の子が先客でいたんだよね。昨日の事もあって、私その男の子に文句言ったら、その男の子も文句を返して来て。それで言い合いになったんだけど・・・・・・・・・何やかんや、その男の子とは仲良くなっていった」

 ソニアの視線が影人の顔に向けられる。そして、ソニアはこう言って話を終えた。

「期間は1ヶ月くらい。最初の印象は最悪。でも、その男の子と話した時間は今でも大切な私の思い出。――その男の子が君だよ、影くん。帰城影人、君が私に教えてくれた名前から、私が君につけたあだ名」

「・・・・・・・・・・・・ああ、そうだな。あんたの話を聞いて、ようやく思い出した。あんたは、あの時の金髪くんか」

 霧がかかっていた顔が晴れた。その顔は金髪の短い髪の子供だった。その子供こそが、目の前の少女。ソニア・テレフレアなのだ。

 途端、過去のソニアとの記憶が次々と思い出される。それらはソニアの言ったように、言い合いをした記憶だったり、ソニアの歌を聞いた記憶であったり、話をした記憶だった。

「そう! 君は私の事ずっとそう呼んでた! 『金髪』って髪の色で。私の名前を教えようとしても、君名前はどうでもいいって言って聞かなかったし」

 影人の言葉を聞いたソニアは、嬉しそうな表情でそんな反応をした。ソニアは、影人が自分の事を思い出してくれたのが、本当に嬉しかった。

「・・・・・・あの時の俺は今よりもだいぶクソガキだった。だから、あんたに絡んじまったんだろうな。・・・・・・・・・・・それより、あんたの事を思い出せなかった理由が分かった。俺、昔のあんたの事、ずっと男だと思ってたんだ」

「え・・・・・・・・・!?」

 影人から衝撃の事実を伝えられたソニアは、心底驚いたようにその口を開けた。

「本当なら、あんたの俺に対する呼び名で思い出さなきゃならなかったんだろうが・・・・・・そもそも、性別が記憶の中との性別と違ってたから、無意識にその記憶を排除してたんだろうな・・・・・・」

 そう。それが影人がソニアの事を思い出せなかった理由だった。昔のソニアは、髪の色は変わらなかったが、今よりも短髪で、顔立ちも中性的だった。それに加えて、服装も基本的にはズボンを履いていたし、声の方も当時は影人を含め、全員声変わりしていなかったので、男子でも高いものだと思っていたのだ。

「さ、さすがにそれはひどくないかな!? わ、私の事ずっと男だと思ってたって・・・・・・」

「すまん。それについては本当に申し開きもねえ・・・・・・・・」

 ショックを受けた顔のソニアに、影人は頭を下げて謝罪した。これについては、ソニアがショックを受けるのも当然だし、自分が謝罪するのも当然だ。

 それから少しの間、ソニアは放心したような感じになっていたが、やがては「ぷっ・・・・・あははははははははっ!」と声を上げて笑い始めた。

「なんか君らしいや! うん、そうだった。君はちょっとだけ、どこか抜けてる子だったな♪」

 ソニアはひとしきり笑うと、影人に向かってそう言った。

「でも、そっかー。私、ずっと男の子だと思われてたんだ。なるほど、だから君に色々とアピールしても気がついてもらえなかったのかー・・・・・・」

「? アピール・・・・・?」

 空を見上げそう独白するソニア。だが、影人にはソニアの言っている言葉の意味がよく分からなかった。

「うんうん、こっちの話。それより、私の事も思い出した事だし、質問を1ついいかな?」

「質問? 俺に答えられる範囲なら構わないが・・・・・・」

「ありがと♪ じゃあ質問なんだけど、君なんでそんなに前髪を伸ばしてるの? 私君の顔見た時驚いちゃったよ。君の上半分の顔が見えないから。昔も前髪は多少長かったけど、顔は普通に見えてたでしょ? だから何でかなって。何か理由があるの?」

 ソニアの質問は影人の前髪の事だった。確かに昔の、前髪に顔の上半分を支配されていない頃の影人を知っている者ならば、当然抱く疑問だろう。影人はなぜ前髪を伸ばしているのか。

「・・・・・・・・・悪い、それについては誰の質問だろうと答えないようにしてるんだ。別に深い理由があるとかじゃないぜ? だから、そこは気にしないでくれ」

 ソニアのその質問に、影人は首を横に振った。この疑問だけは、例え誰であろうと答えるつもりはない。だから、影人は笑ってそう言葉を付け加えた。自分が前髪を伸ばしているは、墓場まで持っていくと影人は心に決めている。

「・・・・・・わかった、ならもうこれ以上は詮索しないよ。でも、残念だな。久しぶりに君の顔見たかったのに。その感じだと、見せてくれないんでしょ?」

「まあ、そうなんだが・・・・・・・別に、俺の顔なんか見る価値はないぜ。ただの、つまらない普通の顔だし」

 それにあんたはもう俺の顔を見てるしな、と影人は心の中で付け加えた。ソニアは昨日、スプリガン時の自分と会っている。スプリガン時の自分は、目の色は違うが顔は影人そのままの顔だ。だから、ソニアはもう今の影人の素顔を見ているのだ。まあ、それを影人の顔だとは認識はできないが。

「ふふっ、そんな事ないよ。少なくとも、私にとって君の素顔は無価値なんかじゃない。だって・・・・・・」

 初恋の人だから、ソニアは内心でそう言葉を呟いた。

「だって・・・・・・何だ?」

「内緒だよ♪ と、何だかんだもう30分経っちゃたか。レイニーが窓から睨んできてる。と、そうだそうだ。これ渡さなきゃ」

 ソニアは公園の前に駐車している車を見てそう呟くと、ポケットからある物を取り出した。長方形の小さな紙だ。そして、ソニアはそれを影人へと渡して来た。

「はい、これ。私の最終日のライブのチケット。関係者席用のチケットなんだけど、受け取ってくれる? 君に今の私の歌を生で聞いてほしいの。もう、下手くそなんて言わせないから♪」

「流石に今のあんたに下手くそなんて言えねえよ・・・・・・・・分かった、今のあんたの歌を聞きに行くよ。チケット、貴重なものなのにありがとな。金髪」

 影人はソニアからのチケットを素直に受け取った。本当はスプリガンと光導姫という関係上、あまり関わるべきではないのだが、流石にこれは受け取らないと薄情に過ぎると影人は考えたからだ。

「シャ、影くん? さすがに金髪はもうやめてほしいんだけど・・・・・私の事は、普通にソニアって呼んでほしいかな」

「悪いが却下させてもらう。あんたも俺の事そう呼んでんだ。俺だけ昔の呼び方を変えるってのは、不公平だろ?」

 困り顔を浮かべるソニアに、影人はフッとした笑みを浮かべそう言葉を返した。

「ええ・・・・・・・・・はあー、全く変に捻くれてる所は変わらないみたいだね。私の事、そう呼ぶのは君くらいだよ」

「・・・・・別に俺は捻くれてねえよ」

「ふふっ、ならそういう事にしといてあげる♪」

 ソニアは楽しそうに笑うと、ベンチから立ち上がった。

「まだまだ話したい事はあるんだけど、今日はここまで。ありがとう、影くん。君と話せて本当に楽しかった♪ じゃ、車に戻ろっか。レイニーに言って家まで送ってもらおうか?」

「いや、送ってもらわなくて大丈夫だ。せっかくだから、この辺ぶらぶらしたいしな」

 ソニアの提案に影人は首を横に振る。せっかく家を出たのなら、昨日は見て回れなかったこの辺りをふらつきたい。それに、自分を送る時間にソニアの時間を割くのは気が引けた。

「分かった。なら、ここでお別れだね。またライブの時に会お♪ 絶対来てよ、影くん! バイバイ!」

「ああ、行ってやるよ金髪。じゃあな」

 笑顔で手を振りながら、ソニアは車へと戻っていった。影人も軽く手を振りながら、小さな笑みを浮かべた。

 やがて、ソニアを乗せた黒の車は発進し、影人の視界から消えた。1人残った影人は、小学生たちが元気に遊ぶ様子を見ながら、独り言を呟いた。

「ったく、人生ってやつは本当に分からねえな・・・・・・あの歌が下手くそだった金髪が、今は世界の歌姫だっつうんだから。しかも光導姫で、また会うなんてな・・・・・・・・本当、分からないぜ」

 やれやれといった感じでそう呟いた影人だが、その顔はどこか嬉しいそうな、懐かしそうな、そんな顔をしていた。口元も、普段よりも随分と緩んでいる。

 しばらくの間、影人は昔のソニアの事を思い出しながら、ベンチに腰掛けていた。

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