第106話 妹と隣人と
「・・・・・・・・・・・・」
明日からの研修についての話し合いが終わった穂乃影は、真っ直ぐに帰路へと着いていた。スムーズに話が進んだ事もあり、話し合いは40分ほどで終了した。
(・・・・・・・何であの人は榊原さんや香乃宮さんと関わったんだろう)
穂乃影は真夏と光司から兄の事を聞いてから、ずっとそんな事を考えていた。いつからか孤独を好むようになった兄。人と関わる事を嫌うようになった兄が、なぜあのように明るい人たちと関わるようになったのか。
それとも、また自分の知らない内に兄の性格は変わったのだろうか。穂乃影は先ほどから同じ事を考えては、同じ推察に至っていた。
しかし、実際には穂乃影の推察は間違いであると言わざるを得ない。影人が真夏や光司と関わったのは、それが成り行きや偶然であったからだ。でなければ、影人は自分からは決してその2人には関わらなかっただろう。そういった点から言って、影人の性格は全く変わっていない。むしろ、あの客観的に見ても中々にヤバイ性格はさっさと変わってくれと思うが、残念ながらあの前髪野朗の性格が今のところ変わるとは到底思えない。悲しい世界である。
では、なぜ穂乃影が影人の性格が変わったのかと推察したのかと言うと、それには過去の出来事が関わっている。穂乃影の兄である影人は、ある時期を境にその性格が変わったのだ。そして穂乃影はその理由を知らない。
そういった背景もあり、穂乃影はまた影人の性格が変わったのでないかと推察していた。実際は先ほども述べたように前髪の性格は全く変わっていないが、過去の背景、更には兄妹間のコミニュケーション不足も手伝い、穂乃影はその推察が正解であると半ば無意識に思っていた。
(・・・・・・別にあの人の性格がまた変わったとしていても、それは私には関係ないじゃない。むしろ、ああいう人たちと関わってるなら、性格もマシになってるんだろうし。・・・・・・・・・・だって言うのに、何で私はこんなに苛立ったり嫌な気持ちになってるんだろう・・・・・)
苛立ち、不安、そういった嫌な気持ちが穂乃影の内に渦巻く。影人に対して最近はそういった気持ちを抱くことすらなかったのに。
「・・・・・・・・・・・・私にそんな気持ち、抱く資格すらないのにな」
ポツリと肉声に出してそう呟く。そう、自分には影人に対してそんな気持ちを抱く資格はない。なぜなら――
「あら? 穂乃影じゃない。こんにちは、学校の帰り?」
穂乃影が俯きながら道を歩いていると、前方から自分の名を呼ぶ声が聞こえた。
「・・・・・・シェルディアちゃん?」
聞き覚えのある少女の声に穂乃影は顔を上げた。すると、自分の前方に1人の外国人の少女が見えた。美しいブロンドの髪を緩くツインテールに結い、夏だというのに豪奢なゴシック服を着こなしたその人形のように可愛らしい少女は、自分の家の隣の部屋に住むシェルディアという少女であった。
「こんにちは。うん、学校の帰り。ちょっと用事があったから。そういうシェルディアちゃんは・・・・・?」
穂乃影がシェルディアにそう言葉を返す。気がつけば、随分と家の近くまで来ていたようだ。シェルディアと出会ったのは、穂乃影やシェルディアが住むマンションから5分ほどした所の路地であった。
「私は散歩の帰りよ。今日はちょっと遠めの場所まで散歩してたの。キルベリアもついてこさそうとしたんだけど、こんな暑い中外に出たら死ぬって言って聞かなくってね。だから1人で散歩してたの。全く、メイド失格ね」
「そうなんだ・・・・・・・でも、キルベリアさんの気持ちも分かるかも。今日本当に暑いし。シェルディアちゃんは暑くないの? そのゴシック服けっこう暑そうに見えるけど・・・・・・・・」
シェルディアが帰城家の隣に部屋を借りて、少しした後にシェルディアのところにやって来た、緑髪のグラマラスなメイドの姿を穂乃影は思い出す。穂乃影がキルベリアと会った事があるのは1、2回。こう言っては失礼かもしれないが、確かにあまり炎天下が似合う人物ではなかった。
「私? 私は別に暑くないわよ。体温が人よりちょっぴり低いから」
「そうなんだ・・・・・・」
穂乃影の質問に、シェルディアはクスリと笑みを浮かべた。確かにその理由も嘘ではないが、実際のところはシェルディアは体温を自己調節できるというのが本当の理由だ。だが、バカ正直にシェルディアはそうは言わなかった。シェルディアも人間社会に溶け込んでからもう随分と長いからだ。
「で、あなた何か悩みでもあるの? なんだか随分と難しい顔をしていたけど」
家が同じマンションという事もあり、穂乃影とシェルは並んで歩き始めた。そして日傘を差しながら、シェルディアが唐突にそんな言葉を穂乃影に投げかけてきた。
「え・・・・・・・・? いや、別に・・・・・・」
見透かしたようにそう言ってきたシェルディアに、穂乃影は内心ドキリとしながらもそう答えた。自分のあの気持ちや、その気持ちを抱いた背景を穂乃影は年下の少女に知られたくなかった。
「ふーん・・・・・・・そう。なら深くは問わないわ。あなたのあんな顔は初めて見たから、多少は興味があっただけだしね」
「っ・・・・・そんなに難しい顔してた・・・・・・?」
続くシェルディアの言葉に、穂乃影は思わずそう聞き返していた。穂乃影からそう聞き返されたシェルディアは「ええ」と答え、大人っぽい笑みを浮かべる。そのシェルディアの年不相応の笑みに、穂乃影はなぜか、どこか安心のようなものを感じた。
「・・・・・・・・シェルディアちゃんは、あの人の事を・・・・・・帰城影人の事をどう思ってる? その、別に恋愛的なそういうのじゃなくて、性格とか人柄とかそういう感じの意味で」
その安心感のようなものゆえか、穂乃影はついそんな事をシェルディアに聞いていた。言って、しまったと内心穂乃影は思ったが、もう既に遅い。言葉はシェルディアへと伝わってしまった。
「影人の事? そうね・・・・・・・・とても愉快な人間だと思うわ。見た目は暗めだけどね。一見ぶっきらぼうな感じだけど、とても優しい子だし。後は・・・・・ちょっとミステリアスな雰囲気も私は気に入ってるわ」
シェルディアは日傘の下で軽く悩みながらも、そのような答えを穂乃影に述べた。ミステリアスな雰囲気というのは、シェルディアが影人と初めて会った時に感じた雰囲気のことだ。
「・・・・・・・・・シェルディアちゃんの目からは、あの人はそんな風に見えてるんだね。・・・・・・確かにシェルディアちゃんの言う通り、あの人は見た目の割には愉快な性格をしてると思う。厨二病な所と独り言が癖な所を愉快と言えばだけど」
シェルディアの影人に対するイメージを聞いた穂乃影は一部そのイメージを肯定する。
「・・・・・・・・・・私の目から見えるあの人は、孤独好き。あんな見た目で愉快な性格をしている割には、あの人は人と関わるような事は自分からは絶対にしないの。昔は違った。ぶっきらぼうな所は昔からあんまり変わってないけど、昔は人と関わろうとはしてた。そういう意味では、あの人は普通の人だった」
穂乃影の言葉が世界に
「へぇ、そうなの。確かに影人と私が出会った時も、私から関わっていったわね。・・・・・それで? 結局あなたは影人の事で何を考えていたの?」
核心を突く問いを、シェルディアは穂乃影に投げかける。シェルディアからしてみれば、影人の過去の少年象もかなり興味深いが、今はそれよりも穂乃影の悩みの方に興味があった。
「っ・・・・・・・・」
結局、影人の事で悩んでいる事をシェルディアに看破された穂乃影。そして仕方なく、穂乃影は自分が考えていた事をシェルディアに吐露した。
「・・・・・・なるほどね。影人が自分が知らない間に変わったんじゃないか。あなたは・・・・・・・・・それが寂しかったのかしら?」
シェルディアが穏やかな顔で、優しい声音でそう言った。シェルディアの言葉を受けた穂乃影は思わず立ち止まり、その目を大きく見開かせた。
「寂しい・・・・・・・・・・・・?」
「違った? 私にはそう思えたのだけど。自分の知らない内に、兄が変わってしまったのではないかという事が、妹のあなたを不安にさせ苛つかせた。それは、寂しいという気持ちととてもよく似ているのではなくて?」
驚いている穂乃影の前方に立ったシェルディアは日傘の下から穂乃影を見上げる。どこか諭すような口調をあえて意識しながら、シェルディアは穂乃影に語りかける。
「・・・・・・・そう、かもしれない。でも・・・・・・・・でもね、シェルディアちゃん。私にはあの人に対して寂しいって思う資格すらないの。だから・・・・・・・そう意味では、私は寂しくはない」
「・・・・・・・・・・そう。あなたの資格云々の話は私には分からないけど・・・・・穂乃影、あなたけっこう面倒な性格をしているのね」
寂しいかもしれない、でも寂しくない。シェルディアの指摘に耳を傾けた穂乃影は、矛盾している言葉を口に出した。穂乃影のその矛盾した言葉の意味を言葉の流れから理解したシェルディアは、正直な感想を言葉に出した。
「・・・・・・うん。自分でもそう思ってる」
シェルディアの自分に対する正直な感想に、穂乃影は控えめに笑みを浮かべた。自分の性格が面倒な事は自分が1番自覚している。
「でも可愛い性格でもあるわ。その面倒くささこそが、人間のいい所でもある。ねえ、穂乃影。そんなに影人の事が気になるなら、その疑問を影人に直接ぶつけてみなさいな。きっと、影人はあなたの疑問に答えてくれるわ。あの子はそういう子よ」
暖かみのある口調で、シェルディアは穂乃影にそう促した。影人の妹という事もあって、シェルディアは穂乃影の事も気に入っている。そんな気に入っている人間が、暗い表情をしているのはあまり面白いものではない。
「・・・・・・・アドバイスありがとうね、シェルディアちゃん。私より年下なのに、何だかシェルディアの方が年上みたいだね・・・・・」
シェルディアのアドバイスに軽い苦笑を浮かべる穂乃影。だが、その表情はアドバイスを受けても晴れやかなものにはなっていない。苦笑を浮かべてはいるが、根本の暗さは変わらないままだ。
(まだ、踏ん切りはついていないようね。多分、帰っても影人にすぐに疑問はぶつけない。もう少し、時間は掛かりそうね)
穂乃影の表情からその事を悟ったシェルディアは、もうこれ以上は何も言わない事を決めた。おそらく、これ以上は言っても無駄だ。結局のところ、気持ちの持ち用は本人しだいなのだから。
「・・・・・・・・・ふふっ、そうかしら。じゃあ、帰りましょうか穂乃影」
内心の心情とは裏腹に、シェルディアは笑みを浮かべ穂乃影にそう言った。
「うん・・・・・」
シェルディアにそう促された穂乃影は、再び帰路を歩み始めた。
「――さ、流石に三徹はキツいなあ・・・・・・」
デスクトップ型のパソコンのディスプレイをその糸目で見つめながら、響斬はそうぼやいた。
響斬が座布団に座りながら、パソコンを見つめているこの場所は響斬の住居である。扇陣高校の近くにある木造の少しボロめの平屋だ。扇陣高校も風洛高校と同様、東京の郊外にあるため響斬の住居も都心と比べればかなり静かな場所にある。
響斬のいる部屋は畳が敷かれた和室であった。広さは8畳ほどであろうか。パソコンが置かれているテーブルの他には、周囲には本棚がズラリと並んでいた。
その他にも日本家屋の平屋という事、響斬が1人でここに住んでいるという事もあり、部屋数はこの部屋以外にもあと4つほどあるのだが、1つは寝室、1つは居間として利用している。残り2室は全くと言っていいほど使っていない。
「うーん、でも帰って来てから真面目に情報収集してたのと、三徹してたおかげで何個かそれらしい情報は集まったし・・・・・ああ、でも全部嘘の情報の可能性もあるしなー」
響斬はゴロンと畳に寝転がり、ため息を吐いた。響斬が日本に戻って来たのは8月2日。そして今日の日付は8月7日。響斬が日本に戻って来てから5日が経過していた。チラリと部屋に飾ってある時計を見てみると、時刻は午後4時を少し過ぎた辺りだった。もう夕方かと思いながら、響斬はここ数日の事を思い出した。
初日は帰ってすぐにインターネットを利用して、黒いカケラに関する情報収集をして、夜に近くの山に不法侵入をして剣の基礎稽古。素振りは1000回を超えた辺りから数えるのをやめたので、正確な数字は覚えていない。その後に帰って就寝した。
2日目は朝から昼過ぎまで情報収集をして、残りはまた山に入って基礎稽古をした。素振り、我流の型稽古、山を駆け回ったりと言った事を9時間ほど行った。帰ってきたのは夜の12時を過ぎた辺りだったと思うが、疲れていたので風呂に入りすぐに就寝した。
3日目は2日目と似たようなスケジュールを行い、それから4日目から今に至るまでは寝ずに情報収集と基礎稽古を響斬は行っていた。
「闇人は別に寝なくても死なないけど、疲れはするんだよなー・・・・・・・・」
ふうと息を吐き、響斬は寝転びながら軽く自分の肩を揉んだ。光の浄化以外では死なない闇人に疲労死はないが、疲れは感じるのだ。それが3日ほど休む間も無く行動し続けていれば、疲れたという体感はかなりのものになっている。
「よっと・・・・・とりあえず後少ししたら一旦寝よう」
響斬は体を起こすと再びパソコンのディスプレイに目を向けた。そこには響斬がここ数日間で調べた、黒いカケラに対する様々な情報が記されていた。まあ、ネットで片っ端からそれらしい情報を集めただけなので、先ほども呟いた通りほとんどは関係ない情報か虚偽の情報だろうが。
「1個くらいは当たりを引きたい所だなー。日本国内の噂や情報に限れば・・・・・5件くらいか」
響斬が集めた情報の中から、日本国内の物をピックアップして響斬はその情報を詳しく見ていく。残念ながら場所に東京は含まれていないし、不正確な位置情報も3つある。ゆえに場所が分かっているのは、実質2つだけだ。
「・・・・・・1つは千葉県だから行けなくもないけど、もう1つの場所は流石に無理だなー。とりあえず、明日千葉県に行ってみるかな。で、外れだったら残り1個の場所をレイゼロール様に教えるか。・・・・・・・あ」
明日の予定を纏める響斬。だが、そこで響斬は気づいてしまった。1つの致命的に面倒な問題に。
「・・・・・・・・まずいな。レイゼロール様にこっちから連絡取る方法なかったんだった。でも、流石にあそこまで戻るのは効率悪すぎるし、面倒に過ぎる・・・・」
レイゼロールと闇人の間には見えない経路のようなものが存在しており、その経路を通じてレイゼロールは闇人に自分の意思や思いを伝える事が出来る。だが、その経路を通じた念話はレイゼロールから闇人への一方通行で、闇人側からレイゼロールに念話を行う事は出来ない。しかも、レイゼロールは当然のことながら携帯電話を持っていないので、響斬がレイゼロールに連絡を取ろうとすると、あの本拠地に戻りレイゼロールと直接話すしか方法がないのだ。
唯一、レイゼロールに距離に関係なく連絡を取れる人物は、十闇第4の闇、『真祖』のシェルディアだけだが――
「ん・・・・・・? そういえば、シェルディア様は東京にいるってレイゼロール様が言ってたな・・・・・・・なら、千葉県が外れだった場合は、シェルディア様と接触してレイゼロール様に連絡を取ってもらえば・・・・・って、ぼかぁシェルディア様が東京のどこにいるのかも知らないんだった」
再びドサリと畳に寝転びながら、響斬は2回目の疲れたようなため息を吐いた。全く、問題が多いことだ。
「・・・・・・・・・でもまあ、やるしかないか。そいつが僕が日本にまた戻ってきた理由だしね」
とりあえず、千葉県が当たりなら全部解決なんだけど、と心の底から思いながら、響斬はその瞼を完全に閉じた。とりあえずまた考えるのは起きてからだ。
「すぅ・・・・・・すぅ・・・・・・・」
数分すると、響斬は規則的な寝息を立て完全に眠った。
その寝顔は最上位闇人という光導姫・守護者の敵という事実と関係なく、
――ただの、1人の人間のようであった。
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