第98話 前髪野郎とイケメンと

「ふぁ〜あ・・・・・・昨日は疲れてたからぐっすりだったな」

 大きなあくびを1つして、影人はのそりと自分のベッドから起き上がる。枕元に置いていたスマホを触ると、時刻は午前11時だった。夏休みらしく、前髪野朗は存分に惰眠を貪った形だ。

「・・・・・今日は12時からって事だったし、さっさと用意するか」

 ベッドから出た影人は洗面所に行って顔を洗い口をゆすぐと、リビングに足を運んだ。リビングには誰もいなかった。母親は仕事だろうが、妹の姿もない。また不定期のバイトだろうか。

「あいつもよく頑張るやつだな・・・・・・・・まあ、いいや。とりあえず飯だ」

 妹不在の理由をバイトだろうと適当に決めつけながら、影人は冷蔵庫を漁った。

 冷蔵庫から昨日の夕飯の残りであったきんぴらと納豆を取り出した影人は、チンするご飯を電子レンジで温める。そしてご飯が温まると、今度はラップを掛けていたきんぴらごぼうを電子レンジに入れた。その間に冷えたお茶をコップに注ぐ。

「いただきます。えーと、リモコンどこだ? あ、あった」

 食事の準備をした影人は、リモコンを操作してテレビをつけた。別に真剣に見るつもりはなく、ただの賑やかしなのでチャンネルにはこだわっていない。ゆえに、影人はつけたチャンネルそのままにした。

『――次のニュースです。以前からお伝えしていた世界の歌姫と名高い――さんの日本でのライブの詳細な日程が決まったようです。日程は、8月の15、16、17日の3日間。ちょうど8月の中旬、お盆の時期で、会場は東京ドームとのことです』

 ぼけーとニュースを流し見していた影人は、ゆっくりと冷えたお茶を飲んだ。ニュースの映像には、世界の歌姫なる少女のどこかで行ったであろうライブの映像が流されていた。どうでもいいが、お盆の期間という事は、また人の数がえげつなくなりそうだ。

「世界の歌姫ね・・・・・・・・・何だかこの人のニュース見てると、聖女サマのこと思い出すな。まあ、流石にこの人まで光導姫って事はないだろうが。もうそういう展開はお腹いっぱいなんだよな・・・・・」

 ファレルナの事や昨日の真夏の顔を思い出しながら、影人は疲れたようにそう呟いた。普段なら、家で光導姫などという単語は影人は呟かないのだが、今は自分1人なので気楽に呟いたという形だ。

「ごちそうさまでした。っと、もうそろそろ出なきゃまずいな。ったく、忙しない・・・・・・・」

 15分ほどして遅めの朝食、または早めの昼食を食べ終えた影人は食器を台所に持っていき、納豆のパックを洗った。食べ終えた納豆のパックは、洗わなければひどく臭うので、食べ終えたら洗えと母親から強く言われているのだ。

 こういうところは、いくら自分が謎の怪人として振る舞っていてる側面があると言っても、自分はまだまだ子供なのだなと自覚させられる。

 それから適当な物を用意した影人は、自宅の鍵を持って家を出た。

「・・・・・・行ってきます」

 誰もいない家にそう告げ、影人は紫織の家へ向かうべくマンションの駐輪場を目指した。













「おー、帰城。今日もよろしくな」

「こんにちは先生。分かってますよ」

 昨日のように、坂の上の榊原家のインターホンを影人は鳴らした。中から通用門を開けてくれたのは、昨日と同じく紫織だった。

「おお、そうだ帰城。喜べ、真が倉掃除の助っ人呼んできてくれてな。しかも男手だ。うまく行けば予定通り明日で、さらに上手くいけば今日で面倒な掃除が終わるかもしれないぞ」

「助っ人ですか・・・・・・・? それは率直に言ってありがたいですけど・・・・・」

 自転車を昨日と同じ門の近くに止め、影人は紫織と共に倉の方へと向かった。途中、紫織がそんな事を言ってきたので、影人は紫織の言葉にそう返す。男の助っ人が増えたのは影人からしてもありがたいが、いったい誰なのだろうか。真夏の伝手ということは、風洛高校の生徒の可能性が高いが。

「うん? ああ、帰城くん。こんにちは! 今日もよろしくね!」

「こんにちは会長。挨拶もそこそこですいませんが、今日は助っ人が来てると先生からお伺いしました。そちらの方はいったいどこに・・・・・?」

 倉の前の縁側に座っていた真夏は、相変わらず元気いっぱいという感じで影人に微笑んできた。服装は、今日も制服姿だ。影人は真夏に表向きの丁寧な口調で挨拶をし、そんな質問をした。辺りを見た感じだと、紫織の言っていた助っ人の姿は見えない。

「ああ、今トイレを貸してあげてるとこなの。だからもう少ししたら戻ってくるわ。――あ、そんな事を言っている間に戻ってきたわね。おーい、副会長! さっき話してた帰城くんが来たわよー!」

「副会長・・・・・・・?」

 真夏はそう言って廊下を歩いてくる人物に手を振った。榊原家の縁側は廊下と一体になっているタイプの縁側なので、真夏が座っているところは縁側でもあり廊下でもあるというわけだ。

 一方、真夏の言葉を聞いた影人は嫌な予感がした。まだ影人は真夏が手を振った廊下の方を見ていないが、誰が歩いてきているのかは予想がついていた。真夏が副会長と呼ぶ人物は1人しかいない。

(嘘だろ・・・・・・・・)

 恐る恐る、といった感じで影人はゆっくりとその方向を振り返った。そしてこちらに向かってきていたその人物も、影人が振り返ったと同時にちょうど真夏の横に辿り着いていた。

 そこにいたのは目も覚めるようなイケメンの少年だ。着ている服こそ風洛高校のジャージだが、そんな姿でも彼には爽やかさというものがあった。

「・・・・・・・・・・香乃宮」

「やあ、帰城くん。今日はよろしく」

 その誰もが認めるイケメン少年――香乃宮光司は笑顔で影人に挨拶をしてきた。

「あら、副会長と帰城くんは知り合いだったの? なら自己紹介はいらなさそうね! それじゃあ早速掃除に取り掛かりましょうか!」

 2人の様子からそんな事を察した真夏が、明るい声でそう言った。光司と紫織は、「はい、先輩」「はいよっと。ああ、今日も面倒だな・・・・・」と返事をしたが、影人だけは思ってもいなかった光司の登場に少しだけ放心していたため、返事が出来なかった。

「? どうしたの帰城くん? どこか体調でも悪い?」

 そんな影人の事を心配したのだろう。真夏がそう聞いてきた。影人はその言葉にハッとすると、苦笑を浮かべた。

「ああ、すいません会長。ちょっと考え事をしてまして。体調の方は大丈夫です」

「そう? 気分が悪くなったらすぐ言うのよ。私は風洛の会長、生徒を守り気遣う義務があるんだから!」

「はい、ありがとうございます」

 自分の心配をしてくれた真夏は、なぜか腕組みをしてドヤ顔を浮かべた。そんな真夏を見た影人は、「会長らしいな」と思い、つい笑ってしまった。

 生徒会長という役職に、真夏が言ったような義務はないが、本人はおそらく本気で言っているのだろう。そんなところが会長らしいと影人は思い、笑ったのだ。

「へえ・・・・・・」

「っ・・・・なんだよ、香乃宮」

 影人が笑みを浮かべていると、光司がニコニコとした感じで影人を見つめてきた。光司がいる事を思い出した影人は、口調をぶっきらぼうな感じにして光司に言葉を投げかける。

「いや、君はそういう風に笑うんだなって。よく考えてみれば、僕は君が笑ったところを見たことがなかったから」

「・・・・・・・・・・そうかい、まあお前の気のせいな気もするが。・・・・・会長、じゃあ倉掃除を始めましょうか。俺は昨日の続きの場所からでいいんですよね?」

 光司の言葉に冷たい反応をした影人は、声音を切り替え真夏にそう確認を取った。光司と影人の一連のやり取りを聞いていた真夏は、少し呆気に取られていたようで、「え、ええ」と言葉を返しただけだった。

「分かりました」

 真夏から確認を取った影人は、スタスタと既に空いていた倉の方に向かった。そんな影人の後ろ姿を見た真夏は、光司の方に顔を向けヒソヒソといった感じで光司に質問をした。

「ねえ、あなた。帰城くんとは仲が悪いの? 彼、あなたと話す時すっごくぶっきらぼうだったけど・・・・・・」

「いや、仲が悪いというよりは、単純に僕が帰城くんに嫌われていまして・・・・・・・・・一応、出来れば僕は彼と友人になりたいと思っているんですけどね・・・・・」

 苦笑した感じで光司は真夏にそう答えた。昨日真夏からメッセージを送られて来て、影人が倉掃除に参加している事を知っていた光司は、今日という日を楽しみにしていた。もしかしたら、影人と仲が良くなれるかもしれないと淡い期待をしていたからだ。

 だが、影人は今まで通り自分には冷たいままだった。そんな影人の反応ははっきりと言えば、少し悲しい。しかし、光司はめげるつもりはなかった。

(帰城くんのアドバイスのおかげで、僕は朝宮さんと月下さんの力になれた。あの時、君がアドバイスをしてくれなかったら、僕は2人に対してあんな事はしてあげられなかった。だから、本当に僕は君に感謝しているんだ)

 光司が偶然にも学食で影人と隣の席になった時、影人は悩んでいた光司にアドバイスをくれた。そのアドバイスのおかげで、光司はすぐに立ち直れたし、落ち込んでいた陽華と明夜に対して寄り添う意志を示す行動を取る事が出来た。事実、2人が喫茶店「しえら」に訪れた翌日、2人は元の2人に戻っていた。そして、光司は陽華と明夜からお礼の言葉を受けた。

(全部君のおかげだ。君のぶっきらぼうな優しさを僕は知ってる。僕は君に友人になる事を2度断られた。・・・・・・・・・・諦めが悪いのは分かってる。でも、それでも僕は、君と友人に――)

 倉の物品を運んでいる影人を見つめる光司。本人にその自覚はなかったが、その視線は徐々に熱というか、感情を帯びたものになっていた。

「あー・・・・・・・香乃宮、帰城に熱い視線を送ってるとこ悪いが、私たちもそろそろ倉掃除に取り掛かるぞ。時間は貴重なんでな」

「っ! す、すいません榊原先生。あ、あと僕は別に帰城くんに熱い視線を送っては・・・・・・!」

 ポンと光司の肩に手を置きながら、紫織がそう言った。紫織の指摘に驚いた光司は、否定するように首を横に振った。

「いや、かなり熱っぽい視線だったわよ副会長。自覚なかったのね・・・・・」

「ほれ、真もそう言ってるだろ。別に私はお前と帰城の仲はどうでもいいんだ。倉掃除がさっさと終わればそれでいい。だから、始めるぞ」

「ちょっとお姉ちゃん! そんな言い方は・・・・・・・って無視しないでよ!? ああ、もう! 副会長! 遅れちゃったけど、とりあえず私たちもやるわよ!」

 面倒くさそうに光司の悩みをバッサリと捨て去った紫織は、倉へと向かった。そんな紫織を追いかけ、真夏も倉に向かって走って行く。

「あ・・・・・はい!」

 真夏にそう声を掛けられた光司は、思考を切り替えると真夏の後を追った。

 こうして、倉掃除の2日目が始まった。












「よーし、みんな休憩よ! 1階はあと1、2時間で終わりそう! やっぱり男手が増えると作業効率が違うわね!」

 倉掃除を始めて3時間を少し過ぎた辺りで、真夏が休憩宣言を行った。真夏の言った通り、光司の参加はかなり助かり、1階の掃除は今日中には終わりそうであった。

「今日は暑いから、20分くらいしっかりと休みましょう! あ、お姉ちゃん! またタバコ吸いに行く気!? 昨日もやめるようにって――って、逃げるなこら!」

 昨日のようにタバコを吸いに移動しようとしていた紫織を見て、真夏は怒ったように後を追いかけた。真夏に追いかけられた紫織は、早足から走りに逃げの手段を変えた。

「・・・・・・・・・・」

「ははっ、先輩と榊原先生は本当に仲が良いな」

 そのため、倉前に残ったのは影人と光司だけになってしまった。

「・・・・・・・何でお前がここにいる」

 影人は今更ながら光司にそう問いかけた。最初に顔を合わせて以来、影人は光司と言葉を交わしていなかった。

「昨日会長に手伝ってくれないかってメッセージが来てね。先輩の力になれるのは嬉しかったし、予定もなかったから来たんだ。会長のメッセージに君の名前があったのには驚いたけど、せっかくだからと思って。そういう帰城くんこそ、何で倉掃除の手伝いを? 僕の勝手な偏見になってしまうけど、君はそういう手伝いはしない人間だと思っていたんだけど」

 影人に話しかけられた事が嬉しい、というわけではないだろうが、光司は笑顔でそう言った。そしてちゃっかりと自分にそんな質問もしてきた。話しかけたのは影人だが、光司はどうやら話を続けたいようだ。

「・・・・・・別に。俺にも事情があるんだよ。じゃなきゃ、こんな面倒なこと休み潰してまでもやるかよ」

 光司の問いかけに影人は吐き捨てるようにそう答えた。明らかな不機嫌な言葉。聞いていて気分の良くなる声音ではない。だが、なぜか光司は笑顔を浮かべたままだった。

「なるほど。どうやら僕の観察眼も捨てたようじゃないみたいだ。・・・・・・・・帰城くん。いきなりかもしれないけど、ありがとう。君のアドバイスは本当に役に立った。だから、ありがとう」

 光司は表情を少し真剣なものにすると、影人の方に向かって頭を下げて来た。頭を下げて来た光司に、影人は顔を背ける。そして、変わらずぶっきらぼうな不機嫌そうな声で言葉を紡いだ。

「・・・・・・・ふん、どうでもいいな。あの時言っただろ、あの会話は夏の暑さが起こした一時の陽炎かげろうの夢。夢で言ったを寝言を、俺は一々覚えちゃいない」

「はははっ、君らしい言葉だね帰城くん。でも、例え君にとってあの言葉が寝言でも、僕が感謝することに変わりはないよ」

 影人の中々厨二病っぽい言い回しに、光司は暖かく笑っただけだった。

「・・・・・・・本当に変わった奴だよお前は。俺みたいな奴に、まだそれだけ明るく話せるなんてな」

 自分はスプリガン。光司は守護者。その事を知っている影人は、自分がボロを出さないようにするため、また光司に肩入れしすぎないためにも、光司に冷たく当たっている。

 しかし、光司は何度影人が冷たい言葉を投げかけようとも、自分に対して不快そうな顔をする事はない。それが影人からしてみれば、不思議でしかない。

「君と話をするのは楽しいからね。君には2度断られたけど、僕はずっと君と友達になりたいと思ってる」

「言葉の距離が急に近いんだよ・・・・・・・・・お前、何か俺に対して吹っ切れてねえか?」

 光司の3度目の友達になりたい発言に、影人は呆れからため息を吐いた。なぜこいつは自分などとそんなに友達になりたいのか。

「どうだろう。でも今こうして君と話してる間にも、君と友達になりたいって気持ちは強まっていってるんだ。だから、もしかしたらそんな気持ちが抑えられていないのかもね」

「知るかよ・・・・・・・あと、何度言われようが俺はお前と友人になる気はない。再三断るぜ」

「手厳しいね。これで3回目だ、君に振られたのは」

「言い方・・・・・・つーか、何で断られたのに嬉しそうなんだお前は・・・・・・・・・」

 ニコニコ顔を崩さない光司に、影人はため息を吐く。今日何度目のため息だろうか。それもこれも、目の前のイケメン野朗のせいである。

 それから10分ほど。影人が光司と仕方なく言葉を交わしていると、真夏と紫織が戻ってきた。真夏はガミガミと紫織に何か言っているが、紫織は真夏の言葉を聞き流している。そんな紫織に真夏が怒ると、紫織は少し慌てたように作り笑いを浮かべていた。全く、どっちが姉か分かったものではない。

「お待たせ2人とも! じゃあ20分経ったから、掃除を再開しましょうか! 今日で何とか終わらせましょう!」

「・・・・・・・了解っす」

「そうですね。頑張って終わらせましょう会長」

 真夏が気合を入れ直すためか、右手を天に掲げてそう言った。影人と光司は真夏の言葉に同意する。そんな2人に追従するように、紫織も「おー」とやる気のなさそうな声を上げた。

「ふっふっふっ、ここでさらにあなたたちの気合いをぶち上げるわ! 今日で奇跡的に掃除を終わらせられれば、夜飯はお姉ちゃんの奢りよ! 寿司行きましょう寿司!」

 そして何を思ったのか、真夏は急にそんな宣言を行った。その宣言に1番驚いたのは、紫織であった。

「は!? おいちょっと待て真! 私はそんな事聞いてないぞ!? というか言ってもいない!」

 紫織は普段のダウナーな様子からは想像も出来ないほど、慌てふためいていた。そんな紫織に真夏はふふんとした感じでこんな言葉を述べた。

「私の倉掃除の小遣いはなしでいいから。だからお姉ちゃん今日で倉掃除終わったらお願いね。なーに、これは賭けみたいなものよ。今日で2階も含めた倉掃除が終われば、お姉ちゃんがここにいるみんなにお寿司を奢る。終わらなかったら、私の倉掃除の小遣いはいらないわ。どう? 2階の様子は分からないけど、お姉ちゃんに有利な賭けだと思うの。当然、乗るでしょ?」

「ぐぬぬぬ・・・・・・・・いいわ、乗ってやろうじゃないのその賭け。後悔しないことね、真。私はあんたより断然賭けの経験が上よ。ちなみに、私はゆっくりとしか掃除しないけど、それはいいわよね?」

「ええ、いいわよ。じゃあ、賭け成立ね。帰城くん、副会長! そういう事になったから、今まで以上に本気で行くわよ! 寿司が私たちを待ってるわ!」

 真夏がビシッと右の人差し指を影人と光司に向けてきた。真夏の唐突な寿司宣言からの一連の流れを見聞きしていた2人は呆気に取られていたが,真夏に鼓舞の言葉に2人はそれぞれの反応を示した。

「い、いや会長! そんないきなり・・・・・!」

「そ、そうですよ。そもそも先生に食べ物を奢ってもらうというのはちょっと・・・・・・・」

 影人も光司も、少し引き気味な感じの言葉を述べた。そんな2人の様子に、真夏は少し不満げな表情になる。

「何よ? あなたたちお寿司が食べたくないの? そりゃあ副会長はお金持ちだから、寿司なんて食い飽きてるかもしれないわ。でも、帰城くん。あなたは本当にお寿司が食べたくないの? しかも奢りよ、普段は気にするお金の事を気にしなくて、他人の金で食い放題。こんなチャンスはそうそうないわよ?」

「ぐっ・・・・・・・・」

 そう言われてしまえば、影人も心が動いてしまう。影人とて食べ盛りの高校生。しかも寿司を食いまくれるチャンスだと言われれば、はっきり言って燃えてくる。何だかんだ影人は寿司が好きだし、寿司は食いたいのだ。

「副会長もよ。確かにあなたはそんなにお寿司には惹かれないでしょうけど、帰城くんと一緒に夜飯を食べれるチャンスよ? あなた、彼と友達になりたいんでしょ? 想像してみなさい。学校とは違う場所、お寿司を食べてテンションが上がった彼は、そのままあなたとオールでカラオケに行くかもしれない。そうなれば、それはもはや友達よ!」

「な、なるほど・・・・・・・!」

 光司に対してはそんな餌をぶら下げる真夏。そしてその光司はと言うと、見事に餌に食いついていた。

 ちなみに光司の言葉を聞いた影人は、「いや、何がなるほどだよ」と心の中で突っ込んでいた。今の説明に納得する部分は確実になかった。

「そういうことよ! あなたたちも人間なら、欲望のまま動きなさい! さあ、返事は!?」

「・・・・・・・・・・はあー、分かりましたよ。全力でやりゃあいいんでしょう。俺も何だかんだ寿司は食いたいですし」

「ありがとうございます先輩。僕はチャンスを掴みます。という事で、今まで以上に頑張ろう帰城くん!」

「キラキラとした目を俺に向けるな・・・・・・言われなくてもやってやるさ。寿司のためにな」

「ようし! よく言ったわあなたたち! それじゃあ、やるわよ!」

 2人の言葉を聞いた真夏は満足げに頷くと、右の拳を左のてのひらに叩きつけた。

 こうして倉掃除は、寿司を賭けとした戦いへと変わった。













「ふっははは! 寿司よ寿司! ひっさしぶりのお寿司だわー!」

「くっそぉ・・・・・・まさか2階があんなに物がなかったなんて。ああ、私の薄給が・・・・・・・・!」

 日が沈む一歩手前といった時間、倉の前で真夏が高笑いを上げ、対照的に紫織は悔しげな表情をしていた。

「・・・・・・・・まさかマジで終わるとはな。2階に物がなかったのが決め手だったな」

「そうだね。2階にあったよく分からないものは、会長が『研究材料にする!』って言って引き取られたし、埃掃除だけだったからね」

 真夏と紫織の様子、そして今の影人と光司の言葉からも分かる通り、賭けの軍配は真夏たちの方に上がった。その理由はいま影人たちが述べたように、倉の2階に物品が意外にもほとんどなかったからだ。

「じゃあお姉ちゃん! 約束通りお寿司奢ってね! 場所はいつもの回転寿司ね!」

「あーもう・・・・・・・・・分かったわよ! 奢ればいいんでしょ! こうなったら私も腹一杯食ってやるわ! 帰城、香乃宮! 行くぞ! 寿司屋はここから徒歩10分くらいの場所だ!」

 紫織がキレたようにというか、ヤケクソ気味にそう叫んだ。紫織が叫んだところなど見た事がなかった影人からしてみれば、紫織のその感情の発露は驚くものだった。

「分かりました。・・・・・・あのダウナー教師があんなに感情的になるとはな」

「確かに榊原先生の感情的な姿はとても珍しいね。僕もあんな先生は初めて見たかな」

 前を歩く紫織と真夏の背中を見ながら影人がそう呟くと、光司が自分と同じ感想を言葉に出した。自分の横を歩く光司に、影人は「けっ、独り言に話しかけて来るなよ」と悪態をつく。

「それより、坊っちゃまは勝手に夜飯なんて食いに行っていいのか? 俺はもう親に連絡したが」

「心配ありがとう。でも大丈夫だよ。僕もさっき家族に連絡したから。楽しんでこいって言われたよ」

 影人の皮肉を込めた問いに光司は笑顔を浮かべる。おそらく、光司も今の影人の問いかけが皮肉という事は分かっているのだろうが、それを受け止めた上で笑顔を浮かべるいる。全く、厄介な男だ。

(・・・・・・何をやってるんだろうな、俺は。本来なら香乃宮、そして昨日光導姫って事が判明した会長から、もっと距離を取らなきゃならないってのに)

 隣にいるのは守護者ランキング10位『騎士』、前を歩いているのは光導姫ランキング10位『呪術師』。真夏に関しては今日は仕方ないにせよ、影人はもっと2人から精神的な距離を取らなければならない。

(会長に関しては、もうしばらく関わらないだろう。問題は香乃宮だ。こいつは何度俺が突き放しても、俺に関わろうとする)

 チラリと前髪の下から光司を見てみると、光司は楽しげな表情をしている。どうやら、よっぽど4人で行く回転寿司が楽しみらしい。

(・・・・・・・・・ああ、面倒くさい。疲れた頭でごちゃごちゃ考えるのは嫌いなんだ。・・・・・・まあ、もういいか、今日だけは。俺も寿司食って帰って寝よう)

 ただでさえ今日の倉掃除は昨日より疲れたのだ。そんな疲労した肉体で考え事をしてしまうと、眠くなってしまう。だから、今日だけはもう何も言うまい。

「・・・・・・・いい日だな、今日は」

 蚊の鳴くような声でボソリと影人はそう呟いた。影人の呟きに反応したのか、光司が不思議そうな顔を影人の方に向けた。

「ん? 何か言ったかい帰城くん?」

「別に何も。ただ最悪な日だと思っただけだ」

 光司の言葉にそう答えを返した影人が、心の中では少し違う感想を抱いていた事を、光司が知る由はない。帰城影人は、香乃宮光司に対してはぶっきらぼう。それでいい。

 今日という夏の記憶が、影人の心へと刻みつけられた。

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