第95話 生徒会長、現る

「マジで暑い・・・・・・・何でこんな昼に外に出なきゃならんのだ」

 キーコキーコと自転車を漕ぎながら、影人は愚痴を漏らした。

 今日は7月26日の金曜日。時刻は午前12時を少し過ぎた辺りだ。影人は自転車でとある場所に向かっていた。

「あの面倒くさがり先公の家の倉掃除・・・・・・だるいな」

 そう。影人がいま向かっている場所は、影人のクラスの担任教師である榊原紫織の家だ。紫織にある弱みを握られている影人は、夏休みに紫織の家の倉掃除を手伝うように脅されていた。

 弱みは完全に影人の身から出た錆だ。だから、本来なら自分はとやかく文句を言うことすらおかしいのだが、影人もまた人間。面倒な事は面倒なのだ。

 しかも、影人は面倒くさがり。ゆえに、普通の人間よりもそういった愚痴は出るというものだ。

「しかも今日までの4日間の間に休みを満喫しようと思ってたのに、ゲーセンの時は暁理に呼び出しくらうわ、次の日はソレイユが『お茶をしましょう!』とかクッソどうでもいい事で神界に呼びつけやがるし・・・・・・・・はあー、不完全燃焼な気分だぜ」

 ブツブツと癖である独り言を呟きながら、影人は炎天下のなか自転車を漕ぎ続ける。途中すれ違った小さな男の子が「ママー変な人」と影人を指差したが、男の子の手を握っていたお母さんが「しっ! 見ちゃいけません!」と厳しめに言っていた。だが、チャリを漕ぎながらブツブツと独り言を呟いていた前髪野朗は、傍から見れば明らかに変人なので、子供の指摘は正しいと言えるだろう。親御さんの教育は間違っていない。

「さてと、確か家出る前に確認した感じだと・・・・・こっちか」

 しかし、前髪野朗はまるでそんな声など聞こえなかったかのように、道を曲がった。昨日寝る前と家を出る前に紫織の家までのルートは調べたので、大丈夫のはずだ。

「んで次は・・・・・・・げっ、この坂登らないといけないのかよ」

 道を曲がり少し道なりに進むと、目の前に坂が見えた。まあ勾配はそこまで急ではないので、あまりキツくはないと思うが。

「ああ、嫌だな・・・・・・せめて冬だったらな。夏だし明らかに登りきったら汗だくだくじゃねえか。ただでさえ、夏は嫌いだっていうのによ・・・・・」

 心の底から嫌そうなため息を吐きつつも、影人は坂を登り始めた。そこまで汗をかくのを嫌うのならば、自転車を押せばいいじゃないかと思う人間もいると思うが、それはそれで時間がかかるし、その分灼熱の太陽に照らされる時間が増えるという事だ。つまるところ、あまり結果は変わらない。

 ちなみに影人が夏が嫌いな理由は、夏に嫌な思い出が1つあるのと、後は単純に蒸れるしよく汗をかくからだ。夏の季節に、影人の前髪を含めた髪の長さはあまりいただけたものではない。

『――なら髪を切りゃいいじゃねえか。バッサリとサッパリとよ。前から思ってたんだが、お前なんでそんなに髪伸ばしてんだよ?』

 影人が夏が嫌いな理由を心の中で思い返していると、イヴが突然そう話しかけてきた。もちろん影人にしか聞こえない念話でだが。

「・・・・・・確かに俺の髪は長い部類に入るが、それほど長くないだろ。まあ、前髪はかなり長い部類に入るが、それ以外は標準よりちょっと長いくらいだ」

 そんなイヴの突然の問いかけに、影人は慣れたようにそう言葉を返した。確かに影人の前髪はかなり、いや顔の上半分を覆い隠す尋常ではない長さだが、その他の髪の長さはそれ程だ。襟足も首くらいまでしかない。

『誤魔化すなよ。俺が聞いてるのは理由だ。お前が髪を伸ばし始めた時期なんかは、お前の精神世界の記憶で確認できたが、理由はどこにも確認出来なかった。その事実が示すのはつまり――』

 はぐらかすような影人の言葉に、イヴが少し不機嫌そうになる。イヴの言った精神世界の記憶とは、あの図書館のような建物にあるという、帰城影人という人間の今までの記憶の事だろう。

 そして、イヴはそこからある推論を述べようとしたが、その推論を述べることは出来なかった。

「・・・・・・その言葉の先を言うのはやめとけ。

 なぜなら、影人が暗く底冷えのするような声でイヴに警告したからだ。

『っ・・・・・・・・・・分かったよ。ったく、急にマジな声音になるなよ。融通の効かない野朗だな』

 有無を言わせぬ圧力が影人の言葉にはあった。イヴは影人の言葉にしぶしぶ了承すると、嫌味を1つ付け加えた。

「悪いな、ついキツい言い方になっちまった。でもまあしばらくは、誰にも髪の理由を言うつもりはねえよ。謎の1つや2つあった方が魅力的だろ?」

 声音を即座に通常のものに戻した影人は、フッと軽く笑みを浮かべた。相変わらず気色の悪い部類の笑みである。

『けっ、なーにが魅力だ。お前みたいな奴に魅力なんてあるわけねえだろ。自惚れ屋が』

「吐き捨てるように言うなよ・・・・・・マジみたいじゃねえか」

 イヴのその言葉に若干傷ついた影人は、少し悲しそうにそう呟いたのだった。













「榊原・・・・・・・・よし、ここで合ってるな」

 坂を登り終えた影人は、木彫りの表札に目を向けながら軽く頷いた。

「にしても・・・・・・えらく立派な門だな。こりゃ中もかなり広そうだ」

 目の前にある和式の門に視線を移しながら,影人はそう呟く。ぱっと見は大名屋敷を思わせるような表門だ。

「このインターホン押したら強制労働・・・・・・・はあー、本当に押したくねえが覚悟決めるか」

 この後に及んでまだブツブツと嫌そうに言葉を紡ぐ前髪は、特大のため息を1つ吐くとインターホンのボタンを押した。

 ピンポーンという来訪者が来たことを知らせる音がセミの鳴き声と共に世界に響く。影人がしばらく待っていると、ガチャリと表門の横に設置されていた小さな扉が開いた。いわゆる通用門的な扉だろう。

「おおー、よく来たな帰城。歓迎するよ」

「労働力としてでしょうが・・・・・・」

 扉から出てきた紫織がへらりとした笑みを浮かべた。服装は部屋着なのだろうか、くたびれたジャージ姿だった。

「それでも歓迎してる事には変わりないだろ。ほら、入れ。昼飯まだならそうめんくらい食わせてやるよ」

「食ってきたんで大丈夫っすよ。じゃあ、お邪魔します」

 紫織の言葉に従い、影人は扉を潜った。扉を潜った先に見えたのは、立派な平屋の和風屋敷だった。

「・・・・・・・・・・こりゃまた立派な家ですね。というか、敷地面積かなり広くありません?」

 家も立派なものだが、影人が驚いたのはその敷地の広さだった。いま影人と紫織が潜った門から家の玄関までの距離は、少なくとも8メートルはある。

「まあな、でも広いだけだよ。かなり古い家だから、ガタは来まくりだ。色々とリフォームしなきゃならんとこはあるんだが、面倒くさいんだよな」

 影人の感想に紫織がそんな言葉を返した。確かに見た感じはかなり年季が入っている様子なので、そういった事はしなければならないんだろうなと影人はぼんやりと思った。

「お前に手伝ってもらう倉掃除をする倉はウチの裏手にあるから、ここからは見えん。だからとりあえず裏に回るぞ」

「・・・・・・・分かりましたよ」

 相変わらず面倒くさそうというか、やる気も覇気も感じられないような口調で紫織はそう言葉を述べた。影人もそれに負けず劣らずといった感じの面倒くさそうな声音で返事をした。

「というか帰城。私が言うのもなんだが、お前私服のセンスは大丈夫か? 半袖短パンに風洛うちのジャージの上着って果てしなくダサいが」

 影人の前を歩く紫織が、暇つぶしがてらかそんな事を言ってきた。

「別にいいじゃないですか。服装は個人の自由ですよ。というか、服は動きやすくて着れれば俺は何でもいいですし」

「確かにな。私もどっちかっていうとそっちの意見に賛成だ。服は動きやすくて楽なものに限る」 

「じゃあわざわざそんな事言ってこないで下さいよ・・・・・・・・」

「ははは、気にするな。会話なんて適当なもんさ」

 ため息を吐く影人に紫織はヘラヘラと笑った。面と向かって言うのは憚られるが、よく教師になれたなと影人は改めて思った。

「そういや今日平日ですけど、先生学校行かなくていいんですか。教師は夏休みでも仕事あるでしょう」

「まあな。今年はアホ共の補習とかいうクソめんどい仕事もあるが、私の補習授業は1限だし仕事も今日はそれ程溜まってなかった。だから今日は11時くらいで上がって来たんだよ。日曜までは休みだし、ちょうどいいから倉掃除しちまおうってわけさ」 

「・・・・・・なんか意外っすね。先生面倒くさがりだから、倉掃除なんかで休み潰されたくないと思ってたんすけど」

 影人は紫織のクラスなので、この担任教師が自分以上に面倒くさがり屋という事を知っている。ホームルームも基本は重要な告知事項がない限りは、30秒ほどで終わらせるような教師、それが榊原紫織だ。

 そういった事もあり、影人は紫織が倉掃除などという面倒な事をしようと考えていた事にずっと違和感を持っていた。

「そりゃ面倒くさいさ。本音を言うなら休み潰してまで倉掃除なんかしたくはない。だが、やらないと母親と祖母がうるさくってな。しなきゃ家から出て行かされるからやらなきゃならん。ついでに、売れる物ももしかしたら出てくるかもしれないだろ。あったら酒代とつまみ代にするんだよ」

「さいですか・・・・・・やっぱりいつも通りの先生っすね」

 保身と打算に塗れた理由を聞かされた影人は、心の底から納得した。なんとも紫織らしい行動理由である。

 そんな事を話しているうちに、2人は家の裏側にやって来ていた。影人の目の前に紫織が言っていた大きな倉が姿を現した。

「ここが今日から掃除をする倉だ。まあ見た目からも分かる通り、倉の中はかなり広い。今日から日曜までに掃除を終わらせる予定だが、欲を言えば明日で終わらせたい。というわけで帰城、頑張ってくれ」

「いや先生も頑張るんですよ? 何を俺だけやるみたいになってるんすか」

「ちっ、やっぱりダメか」

 さりげなく掃除をサボろうとする紫織に釘を刺す。全く油断も隙もあったものではない。

「あ、そうだ。結局助っ人って誰なんすか? ご家族の方とかですか?」

 倉掃除にはもう1人加わる。紫織のメールに書かれていた事だ。その人物に関する情報は何も書かれていなかったので、影人は当たり障りのない予想の言葉を述べた。

「あー、まあ家族だよ。というか。手伝うのは、あいつ。私の妹だ」

「え、それって風洛ウチの――」

 紫織の答えに驚いた影人が言葉を紡ごうとした時、どこからか第3者の声が聞こえて来た。

「お姉ちゃん、私の菓子パン知らない? 机の上に置いてたんだけど――って、その男の子誰? 風洛ウチのジャージ着てるって事は風洛の生徒?」

 声がしてきた方向は家の縁側の辺りからだった。紫織と影人は振り返ってそちらに顔を向けた。すると寝間着のようなラフな格好をした1人の少女が縁側に立っていた。

 整った顔に暁理より少し長いくらいの髪。そしてその髪には、特徴的な紙の髪飾りが飾られていた。本来はもっと溌剌はつらつとしているその目は、寝起きなのか寝ぼけ眼なようにうつらうつらとしている。

 紫織はもちろんこの家の人物でもあるから、少女の事は知っている。だが、その少女の事は影人も知っていた。

「せ、生徒会長・・・・・・・・」

 なぜなら、その少女は影人の通う風洛高校の生徒会長にして、影人の横にいる紫織の妹、榊原真夏まなかであったからだ。

「む? 私の事を知っているということはやはり風洛の生徒か。ならば諸々の理由を今は問わないわ。2分で身を整えるから少し待っていなさい!」

「あ、え・・・・・・・・?」

 真夏は一瞬で目をシャッキリとさせてそう宣言すると、家の中へと走り去って行った。影人は真夏のその言葉にただただ戸惑うしかなかった。

「・・・・・・・悪いな帰城。お前も知っての通り、私の妹はああいう奴だ。まあ元気だけは有り余ってるし、小遣いやるって言ったら倉掃除を手伝うって秒で答えてくれたよ」

 紫織が珍しく苦笑したような感じでそう言った。紫織のその言葉に影人も同意するように頷いた。

「まあ生徒会長の性格上そうでしょうね。ウチの名物コンビと並ぶ、名物生徒会長は元気と明るさと潑剌ぶりが凄いですから」

「それ全部同じ意味だろ。でも、お前の言葉がピッタリな奴だしな」

 それから影人と紫織が少し話していると、真夏の宣言からきっかり2分後、ドタドタという音を響かせながら、再び縁側に真夏が登場した。

「待たせたわね! 真なる夏が私の名前、であるならば夏は私の季節。そう、私こそが風洛高校生徒会長、榊原真夏よ!」

 なぜか風洛の制服を着て、妙な口上と共に自己紹介をした真夏。そんな真夏に紫織はため息を、影人は「あはは・・・・・」と力ない笑みを浮かべた。

まな、何でわざわざ制服に着替えて来たんだ。今からやるのは倉掃除だぞ・・・・・・・」

 紫織が真夏の事を愛称で呼ぶ。学校ではそう呼んだ事を聞いた事がないので、プライベート用の愛称なのだろう。

「知ってるわよお姉ちゃん。でも、その子は風洛の生徒なんでしょ? なら生徒会長らしく制服でなければ示しがつかないってもんよ」

 紫織のジトっとした視線になぜかドヤ顔でそう答える真夏。そして今更ながら、真夏は影人にこんな事を聞いてきた。

「で、あなたは誰かしら? 同学年にあなたみたいな前髪の長い男子はいなかったはずだし、1年生か2年生?」

「はい、榊原先生のクラスの2年の帰城影人です。今日は倉掃除に呼ばれまして。本日はよろしくお願いします、先輩」

 一応真夏と話すのはこれが初めてなので、影人は他所行きの口調で軽く頭を下げた。ちなみに今の真夏と影人の発言からも分かる通り、真夏は3年生。影人の先輩にあたる人物だ。

「うんうん、礼儀正しい子ね。今日はよろしくね帰城くん!」

 真夏はニカリと笑うと、「じゃあ靴履いてくるわ!」と再びどこかへと消えて行った。

「・・・・・・・・改めて思いますけど、嵐のような妹さんですね。いえ、別に悪い意味とかではなく」

「違いない。全く姉妹だっていうのに、性格は全然似てないのは何でかね。じゃあ帰城、真は玄関から来るから先に倉開けちまおうか」

 紫織はジャージから古びた鍵を取り出すと倉の南京錠に鍵を差し込んだ。

 ガラガラと倉の扉が開けられ、カビ臭いような埃っぽい空気が流出する。

「うわ・・・・・・これはまた中々ですね」

「だろ? 今からこれを掃除するんだ。本当、面倒だよな・・・・・・・・」

 薄暗い倉の中を覗き込むと、中は様々なガラクタやら物やらが乱雑に積まれていて、はっきり言ってひどい有様であった。確かにこれは1日で終わる量ではない。

「やっぱり暑いわね。夏は私の季節だけど、この暑さは願い下げだわ」

 紫織と影人が倉の中を見て辟易としていると、運動靴を履いて来た真夏が合流してきた。真夏も倉の中を見ると、「うーん、これ日曜で終わるかも怪しいわね」と首を傾げていた。

「と言ってもやらなきゃ始まらん。ほら真、小遣いのために頑張れ。帰城も頑張れよ」

「分かってるわよ。自分のため・・・・・・? いったいどういう意味なの帰城くん?」

「あはは、まあ色々ありまして・・・・・・・・生徒会長はあまりお気になさらないでください」

 紫織の言葉に疑問を持ったのか、真夏が影人にそんな質問をしてきた。まさかカンニングをして弱みを握られているなどと正直には言えずに、影人は言葉を濁した。

「ふーん・・・・・・・・ま、いいわ。大方、お姉ちゃんに弱みを握られてるとかそんなところでしょう」

「チ、チガイマスヨ・・・・・・」

 内心ギクリとした影人は真夏のあまりにも鋭い推察に片言でそう言った。えげつない推察力である。

「ほれ、いつまでも無駄口叩くなお前ら。私は出来るだけ早く楽したいんだ。ちゃっちゃっか始めるぞ」

「はいはいっと。じゃ、やりましょっか」

「ういっす」

 真夏と影人は紫織の言葉にそれぞれ返事を返すと、倉の中に入った。

 さあ、お掃除の始まりだ。

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