第92話 今はまだ
「――久しぶりだな、響斬。大体100年ぶりか・・・・・・服装は随分と変わったな」
「お久しぶりです、レイゼロール様。服に関しては、まあこちらの方が動きやすいので」
世界のどこか。辺りが暗闇に包まれた場所。自らの本拠地に戻ったレイゼロールは、石の玉座に腰掛けながら、自分のいない間に戻っていた響斬と顔を合わせていた。
「・・・・・・・ところでその顔はどうした? 左頬が随分と腫れているが」
「あはは、お恥ずかしい話ですけど冥くんと戦ってぶん殴られまして。お見苦しい顔で申し訳ありませんね」
自分の腫れている左頬をさすりながら、響斬は軽く笑ってみせた。久しぶりに会うレイゼロールにこんな顔を見せるのは申し訳ないなと、響斬は本気で思っていた。そういう所は律義なのである。
「なるほど、そういうことか・・・・・・今のお前はまだ力を封じられている状態、そのままでは腫れが引くのも時間がかかるか」
レイゼロールはそう呟くと、右手を前方に突き出した。レイゼロールの右手の先にいるのは響斬だ。レイゼロールと響斬との距離は6メートルほど離れているが、この程度の距離ならば、今から自分が使う力の射程圏内だ。
レイゼロールの右手に闇が集まる。そしてその闇は響斬へと向かっていった。
「うわッ! い、いきなり何ですかレイゼロール様?」
「少しジッとしていろ。すぐに終わる」
自分に伸びてきた闇に驚く響斬。そんな響斬にレイゼロールはいつも通りの冷たい声でそう言った。
闇は響斬の左頬、そして腹部へと纏わり付くと溶けるように消えていった。すると、腫れていた左頬が、痛んでいた腹部の痛みが嘘のようになくなった。
「あれ? どこも痛くない・・・・・・ああ、なるほど。治癒の力を使ってくださったんですね。いやぁ、ありがとうございます! 実は我慢してただけでかなり痛かったんですよねー」
「ふん、話をしやすくしただけだ」
感謝の言葉を述べる響斬に、レイゼロールは興味なさげに鼻を鳴らした。レイゼロールは腹部の怪我は知らなかったが、一応、全身のダメージを負っている箇所を指定して治癒の力を使ったので、響斬が言っていなかった腹部の怪我も治癒したようだ。まあ、レイゼロールの治癒の指定範囲は間違っていなかったという事になる。
「さて、ではそろそろ本題に入るか。お前を呼び戻した理由についてだ。少し長くなるがいいな?」
「はい。結局冥くんが教えてくれなかったので、聞くのけっこう楽しみなんですよね。お聞かせください」
「? 分かった。ならば話そう――」
冥が結局教えてくれなかったという箇所の意味はレイゼロールには分からなかったが、レイゼロールは響斬に呼び戻した理由について話した。
「ほうほう、なるほど・・・・・・・・闇の力を使う謎の怪人ですか。ふーん、ぼかぁずっと日本の東京にいましたけど、まさかそんな奴が出現していたとは。いやー、世界は狭いですね」
レイゼロールからスプリガンの事を聞いた響斬は、のんびりとした口調でそんな感想を漏らした。響斬がいたのは東京の郊外。そして、どうやらそのスプリガンなる怪人は東京によく出没していたらしい。
「フェリートくんに、冥くんに、キベリアくんに、レイゼロール様を破った・・・・・・・・そのスプリガンって奴はえげつない強さの化け物ですね。少なくとも、今の僕じゃ5秒でボコボコにされそうだ」
「・・・・・・『剣鬼』の名を冠すお前が5秒でだと? どういうことだ? お前は冥と同レベルの強さのはずだろう。少なくとも5秒でお前がやられるわけがない」
響斬が漏らしたその言葉に、レイゼロールは疑問から眉をひそめた。レイゼロールは響斬の強さを、剣の腕を知っている。響斬の強さは本物だった。その響斬が5秒で負けるという事に、レイゼロールは理解が出来なかった。(ちなみに、キベリアがスプリガンに負けたという事実は、この前キベリアがシェルディアと共にここに戻ってきた時に、レイゼロールがキベリアから報告を受けた)
「あはは・・・・・・・レイゼロール様に言うのは間違いなく怒られるので、あまり言いたくはなかったんですが・・・・・・・まあ、言わなきゃダメですよね」
レイゼロールに話すのは気は進まなかったが、そもそも全て悪いのは自分だ。そして、この事はいずれ話さなければならないものだった。
「レイゼロール様。ぼかぁ――」
響斬は冥、殺花にした話をレイゼロールにも語った。自分の自堕落さ、そしてその事が原因の弱体化。自分に『剣鬼』の名を与えてくれた人物にこういった話をするのは、中々、いやかなり恥ずかしく申し訳ない気持ちになるな、と響斬は思った。
「・・・・・・というわけで、今のぼかぁ凄まじく弱くなってまして。元々、僕の最上位闇人としての実力は、闇の力ではなくて剣の腕の方に起因してましたし、レイゼロール様に封印を解いてもらっても、きっと今のぼかぁ並の、いやもしかしたら並以下の闇人と同じ実力だと思います。そういうわけで、もしそのスプリガンと戦ったならば、ぼかぁ5秒辺りでやられますね」
申し訳なさそうに頭を掻きながら、響斬はレイゼロールにその理由を話し終えた。響斬の話を聞き終えたレイゼロールはしばらく沈黙していたが、突如としてこんな事を問うてきた。
「・・・・・・・・・・・もう1度強くなりたいという心はあるか?」
「え・・・・・? 心・・・・・・ですか?」
レイゼロールのその問いに、響斬は驚いたようにそう聞き返した。
「ああ。答えろ、響斬。研鑽を怠り、錆びついたその剣の腕を、もう1度研ぎ輝かせたいと思うか? お前の正直な気持ちを我に聞かせろ」
美しいアイスブルーの瞳を、レイゼロールは響斬に向ける。その目は見る者全てに嘘をつかせない、圧を感じさせる目だった。
「・・・・・・・そうですね。正直に言うと、さっき冥くんと戦う前までのぼかぁそんな気持ちは皆無でした。日本にずっといる間に、ぼかぁ戦いよりもその他の娯楽に目を奪われるようになった。そして気づけば戦いにも飽いて、昔は毎日続けていた剣の鍛錬すらしなくなってしまった」
響斬は軽く下を向きながら、本心を吐露し始める。最上位闇人としての実力を失っている今の自分に、間違いなくレイゼロールは失望し怒っているだろう。頭の片隅で響斬はそう考えていた。
「でも、さっき冥くんと戦って、殺花くんに変わらぬ尊敬の念を向けられて、僕の気持ちは変わりました。――ぼかぁ、もう1度強くなります。また一から剣を極めるつもりです。時間はまた随分と掛かるかもしれません。ですが、気持ちはありますよ」
顔を上げて響斬はレイゼロールの問いにそう答えた。先ほども思ったこの気持ちは嘘ではない。
「そうか・・・・・・・・」
響斬の答えを聞いたレイゼロールは、まるでその答えを吟味するようにその
「・・・・・・・・・・・ならば、我からはもう何も言うまい。また研鑽に励め、響斬」
「え・・・・・? そ、それだけですか?」
何かしら怒りの言葉を受けると思っていた響斬は、拍子抜けしたようにそう言った。
「ああ、それだけだ。お前がその気持ちを抱いているならば、またお前はかつての剣の腕を、実力を取り戻すだろう。お前はそういうタイプだ」
ここ100年ほどは会っていなかったが、レイゼロールと響斬はけっこう長い付き合いだ。確かに響斬は良くも悪くも多少は変わったのだろう。しかし根っこの、本質の部分はそう簡単に変わりはしない。今の響斬の答えを聞いて、レイゼロールは響斬のそこが変わっていない事を理解した。
「罰は与えん。お前にそういう少しだらしないところがあったのは我も知っていたからな。お前を長い間外に派遣していた我のミスでもある。・・・・・・・・だから、また励めよ響斬」
「ッ・・・・・・・」
レイゼロールのその言葉に、
響斬は不思議と懐かしい気持ちを覚えた。
(ああ、そうだった。この人は一見冷酷だけど、無駄に怒りはしない人だった・・・・・)
見た目の割に、レイゼロールは自分たち闇人にどこか甘い。もちろん怒る時は氷のように冷たく怒るし、光導姫や守護者といった敵には、容赦なく冷酷だ。だが身内というか、シェルディアを除いた十闇のメンバーには、レイゼロールは時折り優しさを見せる事がある。
「・・・・・・本当に、ぼかぁダメなクズ野郎だな」
気がつけば、響斬はポツリと自虐の言葉を漏らしていた。
こういった場面でもただ自分に必要な言葉を掛けてくれる人だから、自分は闇に堕ちたのだ。そういう人だから、この人の目的が叶ってほしいと過去の自分は思っていたはずなのに。
だと言うのに、その目的の1つである探し物に関する情報収集も自分は怠っていた。実力も地に落ち、やるべき事もやっていなかった。そんな自分はやはりクズ野朗だ。
「・・・・・・・レイゼロール様、2つだけお願いがあります。聞いていただけますか?」
クズ野郎という事を自覚した響斬は、決意と覚悟を滲ませた声音でそう呟いた。
「・・・・・・言ってみろ」
響斬の声音からただならぬ決意を感じ取ったレイゼロールは、ただ一言許可の言葉を口にした。
「では、まず1つ。・・・・・・僕の封印を解くのはまだ待ってもらいたいんです。闇人としての力を解放すれば、身体能力も今の状態とは比較になりません。そうすれば、刀も容易に振れるし僕の剣技も今よりは遥かにマシになるでしょう。ですが、そうすればぼかぁそれに甘えてしまう。それじゃあ、剣は極められない。昔の僕には届かないんです」
封印を解けば、確かに響斬は今よりは確実に強くなる。だが、封印を解いて剣を振るってもその重みはまるで違う。
響斬の剣の基礎は人間時代に培ったものだ。本当に剣の腕を取り戻したいのならば、肉体の状態も人間時代と同等のものでなければならない。
今の脆弱な肉体で満足に剣を振るう基礎を身につける。そして最終的には、純粋な剣の腕だけで全てを斬ってみせる。響斬は本気だった。だからこそ、そのような提案をしたのだ。もう1度、自分が強くなるために。
「・・・・・・・・・分かった。その願いを了承する」
「ありがとうございます。では、2つ目の願いを言わせていただきます」
レイゼロールに1つ目の願いを了承された響斬は、内心ホッと息を吐いた。だが、問題は2つ目だ。この願いは了承されない可能性もある。響斬は気を引き締め、2つ目の願いを口にした。
「2つ目の願いは、また僕を日本に戻してくれないか、という事です。とりあえず1週間はまだこっちにいるつもりです。その間はひたすら剣の研鑽に努めます。ですが、それ以降はまた日本に戻りたいんです」
「・・・・・・・・理由を聞こう」
響斬のその謎とも言える願いの理由をレイゼロールは訊ねた。
「1番の理由は情報収集です。僕がずっとサボっていた事を今更ながらやりたいです。今の時代は便利な事にネットがありますから、昔よりは遥かに情報収集が楽です。まあ、その分眉唾の情報も多いですけど・・・・・・・・・とにかく、ここにはネット環境がない。日本の僕の家にはありますから、日本に戻りたいというのが、理由です。もちろん、日本に戻っても剣の鍛錬は続けます。・・・・・・・ずっとサボっていた僕を信用は出来ないと思いますが、どうかお願いしたいです」
そもそもの自分の最上位闇人としての仕事。それを響斬はやりたい。いや、やろうと今は思っていた。本当に今更だ。それでも響斬は久しぶりにレイゼロールに会って、彼女の力になりたいと思っていた。
「・・・・・・・・・・・・そうだな。どちらにせよ、今のお前ははっきり言って戦力にはなりえない。スプリガンと邂逅しても、今のお前では勝てないだろう。ならば、お前1人がいなくとも今は変わりないか」
「ッ・・・・・・はい、そういう事です」
はっきりと戦力にならないとレイゼロールから言われたのには、少し胸の内が痛んだ。だがその痛みを感じる事が出来て、響斬はよかったと感じた。
この痛みが自分を強くする、響斬はその事を知っているからだ。
「・・・・・・・・・・分かった。お前の願いは全て了承しよう。封印は解かない、1週間の滞在の後に日本に戻る事も許す。これでいいか?」
「はい、ありがとうございます。もう1度、こんな僕を信じてくださって」
「・・・・・・・・・・・・別に信じたわけではない。我はただお前がどういう人物かを知っているだけだ」
嬉しそうに笑う響斬の言葉に、プイと顔を背けながらレイゼロールはそう言った。その仕草を見た響斬は内心「可愛いなぁ」と不敬ながら思った。まあ、言葉に出せば今度は間違いなく怒られるので、声には出さなかったが。
「だが、次はないぞ。その事はよく肝に銘じておけ」
「わかってますよ」
凍えるような声音でそう付け加えてきたレイゼロールに、響斬は当然だとばかりに頷いた。
「・・・・・・・・我の行動はしばらくは変わらない。探し物の情報が入って来ない限りは、我はこれからも変わらずに闇奴を生み出す作業をするだけだ。スプリガンに関しては、とりあえずはゼノが戻って来ない限りは仕掛けるつもりもない。・・・・・・今はまだな」
変わらない、というよりかは変われないという方が正しいが、とレイゼロールは内心呟いた。
情報がない限りは、レイゼロールの目的の1つである「黒いカケラ」を収集する事は出来ない。スプリガンに関しては、不安要素は早めに消してしまいたいが、複数の最上位闇人たちや自分すら退けたスプリガンを消すのは、はっきりいって難しい。それこそ最強の闇人であるゼノが戻って来ない限りは、レイゼロールも容易にスプリガンに手を出す事はもう出来ないと考えていた。
本当ならば、今いる闇人たちや東京にいるシェルディアたち全てをスプリガンに当てたい所だが、そうすれば、光導姫や守護者の最上位の実力者たちもその場にやって来る。そうなれば、スプリガンなどは関係なくその場で光と闇の決戦が起きてしまう。数は明らかに光サイドの方が多いので、そうなれば不利になるのは自分たち闇サイドだ。スプリガンに対して戦力の一斉投入が出来なかった理由は、実はそれだった。
ゆえに、レイゼロールの行動はこれまでと同じ、「闇奴を生み出す」という事に変わりはない。つまり、レイゼロールの言いたい事はこのようなものだった。
「時間はある。だから、あまり焦りすぎるなよ響斬」
「そうですか・・・・・・・分かりました。気遣ってもらってすみませんね、レイゼロール様。ぼかぁ、やっぱりあなたが好きですよ」
「・・・・・・・・・・・・世辞はいい」
ポロリと響斬が漏らしたその言葉に、レイゼロールは少しだけ、ほんの少しだけ顔を赤く染めた。もちろん、響斬の好きという言葉は恋愛的なものではない。友好的とか、そう言った意味の方の好きだ。だが、真正面から「好き」などと普段は言われない言葉を受けたレイゼロールは、不覚にも羞恥の気持ちを抱いてしまった。
「あはは、そうですか。それじゃあ、ぼかぁこれで失礼します。また用があったら呼んでください。たぶん地下にいますので」
そんなレイゼロールを見て暖かな気持ちになった響斬は、そう言ってその場を後にした。
「・・・・・・・」
そして、暗闇の中でずっとレイゼロールと響斬の話を聞いていた冥も静かにどこかへと向かい始めた。
「さて、まずは素振りからかな。いや、その前に肉体作りからか? ・・・・・・ん?」
地下に向かいながら、響斬はまず何から始めるべきかを考えていた。
すると、響斬の前方に1人の人物が暗闇から現れた。
「よう、響斬。さっきぶりだな」
「・・・・・・・・やあ、冥くん。さっきはどうも。君の拳はすっごく効いたぜ?」
その人物、冥に軽く嫌味を言いながら響斬は軽く笑みを浮かべた。そんな響斬に冥はこう言葉を返す。
「当たり前だ、なんせ俺の拳だからな。まあ、それはいいじゃねえか。レイゼロールに治してもらっただろ?」
「そういう問題じゃ――ん? その口ぶりからすると・・・・・・君、話を暗闇で盗み聞きしてたね?」
冥の口ぶりから響斬はその事を察した。自分の頬の腫れなどが引いているのは、ある程度は推理できるだろう。今いる闇人で治癒の力を使えるのはレイゼロールだけだからだ。だから、響斬が冥が話を聞いていたと思った理由は、その見て聞いていたかのような口調からだった。
「まあな。レイゼロールはたぶん気づいてたが、どうでもいいからって俺をほっといたんだろうぜ」
悪びれない感じで、冥はあっさりとその事を認めた。今の響斬は自分の気配を感じ取れないだろうという事は、響斬の弱体化から大体分かっていたからだ。
「やっぱりか・・・・・・それで冥くん、僕に何か用かい? 話を聞いていたなら分かってると思うんだど、今からぼかぁ鍛錬するんだ。今は1分1秒でも惜しくてね。時間はあまりないんだ」
責めるでもなく、響斬は逆に申し訳ないような口調で冥にそう言葉を述べた。先ほどは軽く嫌味を言ったが、あれは軽い冗談のようなものだ。響斬は冥に殴り飛ばされた事を恨んではいない。
「知ってるよ。さっきの独り言から察するに、基礎から鍛え直すんだろ?」
「ああ、そうさ」
冥の確認の言葉に響斬は素直に頷いた。すると冥はどこか嬉しそうな表情でこんな事を言った。
「なら、しばらくは俺は必要ねえだろうが、また程度を試したくなったら俺を呼べ。軽い対戦相手と調整相手になってやる。お前がまた強くなるためなら、俺も協力してやるよ」
「冥くん・・・・・・」
冥の申し出を聞いた響斬は、胸の内から嬉しさが込み上げてきたのを感じた。
「ぼかぁいい仲間を持ったよ、本当にね。こんな僕を見捨てない人たちが、ここにはいる」
しんみりとそんな事を呟いた響斬に、冥は変なものを見るような目を向けた。
「けっ、なに気色の悪いこと言ってやがる。おら、さっさと地下行くぞ。1週間しかこっちいないんだろ? 暇だから見学しといてやる」
「色々と台無しじゃないか・・・・・・はあ、そういうとこも冥くんらしいけどね」
「知るか。俺は俺だ」
「ははっ、そうだね。確かに君は君だ」
そんな事を言い合いながら、2人の最上位闇人は再び修練場へと足を運んだ。
――今はまだ。熾烈極まる戦いが生じるのは、もう少し先になりそうだ。
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