第88話 聖女来日(7)

「やはり、あなたが・・・・・・・・・」

 その名を聞いたファレルナがポツリとそう呟いた。ファレルナの予想した通り、やはり目の前の人物は今日の昼間、ちょうど話題になっていた人物であった。

「・・・・・・・俺を知ってるか。なら、俺がどんな奴かも知ってるな?」

 金の瞳を真っ直ぐファレルナに向けながら、スプリガンはそうファレルナに問いかけた。その問いにファレルナは、手紙に書かれていた内容、昼間の陽華や明夜の話を思い出しながら、こう答えた。

「はい、闇の力を扱う正体不明・目的不明の人物で最上位闇人、レイゼロールとも渡り合う戦闘力を持ち合わせていると聞きました。そして光導姫や守護者を助けた人物であるとも」

「・・・・・・・・・・大方そんなところだろうな。お前たちサイドの俺に対する評価は。だが、1つ情報が抜け落ちているな。まだ広まっていないのかどうかは知らないが、俺が光導姫や守護者を助けた理由は――」

「あなたの目的のため、ですか? そして光導姫や守護者があなたの目的の邪魔になるならば、あなたが光導姫や守護者の敵に回る」

「・・・・・・・どうやら、あんたは知っていたようだな」

 自分が話そうとしていた話の内容をファレルナに言われたスプリガンは、そう言葉を変更した。

「・・・・・・あなたとは1度お会いしたいと思っていました。突然あなたが現れた事には驚きましたが、今は会えて嬉しいという気持ちの方が大きいです」

 その言葉が真実であるという風に、ファレルナは微笑んだ。その笑みに恐怖や戸惑いといった感情は見受けられない。そしてファレルナは優雅にスプリガンに挨拶をした。

「初めまして、スプリガンさん。私はファレルナ・マリア・ミュルセール。あなたのご指摘通り、光導姫ランキングでは1位の位を頂き、『聖女』の名を賜っています。以後、お見知りおきを」

(・・・・・・・・・俺の敵対宣言の事も知ってながら、この場面で優雅に挨拶か。肝が据わってるのか、ただの天然か・・・・・いずれにしても、やっぱ普通じゃないな)

 その挨拶を聞いたスプリガン、もとい影人は内心そんな事を思った。

『なあ、影人よ。やっぱこの聖女サマ、頭がどっかイカれてんじゃねえか?』

 そんな影人の感想に茶々を入れて来るように、イヴが念話を行ってきた。イヴの念話を聞いた影人は、心の内でこう呟いた。

(さあな。たぶんそういった感じじゃねえとは思うが、いまさっき俺が思ったように聖女サマが普通じゃないのは確かだぜ)

 イヴの念話に否定気味に答えを返す影人。ちょうど影人がそう念話した時、ファレルナが次の言葉を放った。

「それでご質問なのですが、スプリガンさんが私の前に現れた理由は何なのでしょうか?」

 核心をついた質問。そもそもの理由をファレルナはスプリガンに問うた。

「・・・・・・・・・・別に深い理由はない。ただランキング1位、最強の光導姫がどんな奴なのか気まぐれに気になっただけだ」

 ファレルナが影人に問うた質問は当然のものだ。なぜ戦闘中に出現する正体不明・目的不明の怪人が、戦闘が終わったタイミングで姿を現したのか。ファレルナの質問の意味の1つとして影人はそう考えた。

 まあこの質問の意味はもっとシンプルで、「なぜ自分の前に現れたのか」というそのままの意味合いが1番強いのだろうが。

「そうでしたか・・・・・・・それは光栄なことですね。私などに興味を持ってくださって。では、お話いたしましょうか」

 影人の、スプリガンの答えを聞いたファレルナが胸の前で手を組み合わせ、そんな事を言ってきた。もちろんと言っては変な話ではあるが、笑顔でである。

(はっ・・・・・・・・聖女サマらしいな。話し合い、ね。だが・・・・・・ところがぎっちょんってとこだな。俺がしに来たのは話し合いじゃない)

 そう。今日自分がファレルナの前にスプリガンとして現れた理由は、ファレルナの自分に対する反応を窺うためだ。そういった点から見れば、今のところ『聖女』は非常にスプリガンに対して友好的に見える。

 しかし影人が、ソレイユが見たいのは、そういった上辺だけの反応ではなかった。

「・・・・・・・・・・・何か勘違いをしてるみたいだな、『聖女』。俺がしに来たのは話し合いじゃない。俺が今日しに来たのは――」

 スプリガンの金の瞳が少し細められる。その次の瞬間、

 ファレルナの周囲に闇色の杭が複数本出現した。

「これは・・・・・・・・」

 ファレルナが驚いたように自分の周囲に突然現れた杭に視線を配った。いずれの杭の先端も自分に向いている。

「――『聖女』。あんたという人間が、俺の邪魔になるかどうか。それを確かめる。そいつが、俺が気まぐれに気になった事だ。まあ、最初に言ったように深い理由はないがな」

 冷たい声で影人はそう宣言した。例え『聖女』と言えども、人間。そして人間の本音というものは、窮地にこそ吐き出される。影人と、いまこの瞬間、影人の視界と聴覚を共有しているソレイユはそれが知りたいのだ。

「1つ安心しろ。その杭は単なる舞台装置だ。あんたが抵抗しない限りは、その場から動かない。だが、例えばあんたが変身して抵抗しようとすれば、その時は容赦なくその杭の全てがあんたを貫く。・・・・・・・・平たく言えば、死ぬって事だ」

 さらりと恐ろしい事を述べながら、影人は言葉を続けた。

「もう1つ。その杭があんたを貫く条件がある。それはあんたが嘘を言った時だ。つまり死にたくなかったら、嘘を言わなきゃいい。簡単な事だろ?」

 この条件じたいが嘘なんだがな、と心の中で付け加えながら、影人は真っ赤な嘘をつく。嘘を言うなと言った本人が、すぐに嘘をつくというのは中々の皮肉だなと影人は思った。

「なるほど・・・・・・そうなんですか。スプリガンさん、私があなたの邪魔になるかどうかとは、具体的にどのように判断されるのでしょうか?」

 ふむふむと、客観的に聞いても中々えげつない話の内容に、ファレルナは何でも無いように頷いてみせた。そしてその内容を理解した上で、ファレルナはそんな疑問を影人へと飛ばしてきた。

「・・・・・・・・・簡単だ。軽く俺の質問に答えてくれるだけでいい。その際、あんたがどんな答えを返そうとも、それが真実のものであれば俺は何も危害を加えない。そう誓おう。今回はあくまで確かめるだけだからな」

 その余りにも速い切り返しに、やっぱりこの少女は頭がちょっとアレなんじゃないかと思い始めた影人だが、そんな様子はおくびにも出さずに影人はそう答えた。

(つーか、聖女サマに危害なんか加えないし、殺すなんて事は絶対にないがな。今の言葉もただの脅しだし)

 当たり前ではあるが、影人がファレルナを殺すことなどはありえない。なぜなら影人が所属している本当のサイドは、光導姫・守護者サイドだからだ。

 だが、その事を知っているのはソレイユだけ。ゆえに、影人の言葉は正しく脅しとして成立しているはずなのだが、ファレルナの反応に恐怖の色などは全く見受けられなかった。

(やっぱり、一筋縄じゃいかなさそうだな・・・・・・・)

 気合いを入れ直しながら、影人はその質問を開始した。

「まず1つめの質問だ。あんたは俺の事をどう思っている? 『提督』のように俺を敵と見なしているのか、『巫女』のように俺に和平的な姿勢か。あんたはどっちだ?」

 夏の夜に影人の質問が溶けていく。この質問こそが最も重要な質問であると言っていいだろう。影人はそれほどでもないが、ソレイユが最も知りたがっている質問だ。

「私の意見は決まっていますよ。私は風音さん・・・・・『巫女』と同じように、あなたに和平的に、出来れば手を取り合いたいと思っています」

 まるで周囲の杭など存在していないかのように、ファレルナは笑顔を浮かべる。脅しのこともあるので、おそらく嘘ではないだろう。

「・・・・・・・・あんたは変わってるな。この状況で俺に脅されながらも、その姿勢は変わらないか」

「ええ、私はあなたは悪い人ではないと思っています。光導姫や守護者を何度も助けたあなたを私は信じたいと思っています。それに・・・・・・これは私の勘なのですが、あなたのこの闇の力からは悪意を感じられないような気がします。あなたは、あくまで私を試しているだけ。そう感じられるんです」

「っ・・・・・・・・・・」

 その言葉に、影人は思わず息を呑んでしまった。なぜなら、ファレルナのその言葉は真実であるからだ。

(聖女サマの直感ってやつはどうなってんだ・・・・・・!)

 思わず影人は内心そう言った。何をどう感じれば、この状況でそんな言葉が出てくるのか。まるで全てを見通しているかのようだ。そんなことはないはずなのに、この時の影人は珍しくそう思った。

『・・・・・・・恐ろしい直感ですね。ファレルナにそういった直感があることは知っていましたが、まさかこれほどのものとは・・・・』

 影人を通してこの場を見ていたソレイユの声が、影人の内に響いた。ファレルナの今の言葉も、ソレイユは影人の聴覚を通して聞いていた。

(はっ、『聖女』なだけあって神に愛されてんじゃねえか? その直感も神からの贈り物で、もしかしたら俺の正体もバレたりしてな)

 ふざけた感じで、影人はソレイユの念話にそう返した。神であるソレイユにこういった皮肉な冗談を言えるという事は、自分にはまだ余裕があるということだ。影人は出来るだけ自分を客観視しながら、そんな事を思った。

『あなたらしい皮肉ですね・・・・・・確かにファレルナは私以外の他の神に愛されているのでは、と思う事もありますが、あなたの正体がバレるという事はないのでご安心を。スプリガン状態のあなたは、究極の偽装形態でもありますから』

(んな事は分かってるよ。ただの冗談だろ)

 少し棘のある声でそう言って来たソレイユ。そんなソレイユに、影人はつまらなさそうな声でそう言葉を返した。

「・・・・・・・・・・・どうやら、あんたはよっぽどおめでたい奴みたいだな。はたまた、危機感が欠如してるのか」

 とりあえず、影人はスプリガンとしてファレルナの言葉にそう答えた。出来るだけ馬鹿にしたような声音で。もちろん演技だが。

「ふふっ、よく言われます。ですが、私はそれでいいと思っていますよ。なぜなら、それが私だからです」

「・・・・・哲学の話をしに来たんじゃない。あんたが自分をどう思っていようが、俺には関係ない。それより、2つ目の質問だ」

 イマイチ調子が狂う。マイペースというのか、ファレルナは昨日影人と話した時と何ら変わらない。しかし、その戸惑いを表情に出すわけにはいかない。影人は次の質問をファレルナにぶつけた。

「あんたは、自分の命と自分の信念・・・・・・・・どちらを取る人間だ?」

「・・・・・・・その質問は脅しでしょうか?」

「違う、単純な質問だ。確かにそう聞こえるかもしれないが、俺は最初に言った誓いは守る。だから、それ以外であんたの命を奪うことはない」

 首を傾げたファレルナに影人は明確な否定の説明を行う。ファレルナの置かれている状況からすれば、確かに今の質問は脅しにも聞こえるだろう。

(たぶん、聖女サマの答えは信念の方だろうがな・・・・・)

 自分の命か信念か。大多数の人間――もちろん影人も含まれる――は、当たり前だが命を取る。それは生物としての本能だ。誰だって死にたくはない。

 だが非常に稀ではあるが、中には信念を取る人間もいる。そして、これは影人の予想でしかないが、光導姫や守護者になる人間は、信念を取る人間が多いと思う。まあ、これは「光導姫や守護者は、芯のある善人が多そうだがら」という影人の勝手な主観に基づいているのだが。

 一応、この質問にもちゃんと意味はある。命を取る人間か、信念を取る人間かで、ファレルナが厄介な人間かどうかを推し量れる。命を取る人間は、危険な状況になれば逃げる事を考える。しかし、信念を取る人間は危険な状況でも逃げない。影人からしてみれば、明らかに後者の方が厄介だ。

 影人はファレルナの分かっている限りの人となりから、ファレルナは後者だと予想していたのだが、しかしファレルナの答えは影人が予想したものではなかった。

「難しい質問ですね・・・・・・・正直に言ってしまえば、時と場合による、でしょうか」

「! ・・・・・・・・・・・意外だな。あんたは明らかに信念を取る人間だと思っていたが。所詮、『聖女』も人間か」

 まさかの答えに影人は内心驚いた。半ば確信を抱いていた予想が裏切られたからだ。とりあえず、煽り馬鹿にするような言葉を付け加えたが、ファレルナはその挑発には乗ってこなかった。

「ええ。もちろん私も人間ですよ、スプリガンさん。あなたが人間かどうかは分かりませんが、私は人間です」

 ただただマイペースに言葉を述べながら、ファレルナはその理由について話し始めた。

「絶対に信念を取らなければならない場合は、私は喜んで命よりも信念を取ります。ですがそれ以外の場合は、私は命を取ると思います。だって、命あっての信念ですもの。それに、こんな私でも死んでしまえば、少なからず悲しんでくれる人々がいます。・・・・・・私はそんな人々を、私のことで出来るだけ悲しませたくはないんです」

 どこまでも真っ直ぐに、それこそ揺るぎない信念を感じさせる瞳でファレルナはきっぱりとそう言った。

(・・・・・・・・・・・・クソが。思ってた何倍も厄介じゃねえか、聖女サマは)

 信念という答えよりもよっぽど厄介だ。どうやら自分はファレルナという人間を見誤っていたらしい。

(善意100パーセントの歪んだ人間。だっつうに、覚悟と自分の重さを理解してやがる。普通こういった人間は自分の重さが欠如してやがるもんだろうが・・・・・・・・・矛盾してやがる)

 だが、その矛盾をしっかりと内包しているのが、ファレルナという少女なのだろう。影人は冷たい汗が一筋流れたのを感じた。

「なるほどな、理解した。・・・・・・・次は3つ目、最後の質問だ」

 ファレルナの評価を内心で書き換えながら、影人は言葉通り最後の質問を行った。

「――『聖女』、あんたは俺と戦ってあんたが勝てると思っているか。これも安心しろ、今からやり合おうなんて考えちゃいない」

 試すような目で影人はそう言った。さあ、世界最強の光導姫はどう答えるか。

「・・・・・・・・・正直な事を申しますと、分かりません。私は実際のあなたの実力を知りません。知っているのは、伝聞によるあなたの実力です。・・・・・フェリート、レイゼロール、冥、最上位の実力者たちを退けたあなたは、間違いなく強い。ですが、私は敢えてこう言いましょう」

 暖かさと強さ、それらを両方兼ね備えた目でしっかりとスプリガンの瞳を見つめながら、ファレルナは笑顔でこう宣言した。

「私は負けません。もし、やむを得ずあなたと戦う事があり、あなたが真の闇に沈んだのならば、その時は私が勝ちます」

「・・・・・・くくっ、そうか。1位としての、最強としての矜持はあるか」

 その答えを聞いた影人は、スプリガン状態であるにも関わらず笑った。たぶんだが、スプリガン時に自分が光導姫に笑みを見せるのは初めてではないだろうか。

「スプリガンさんも笑われるんですね。そちらの方が素敵ですよ?」

「御託はいい。・・・・・・・・・あんたは正直に全ての質問に答えた。だから、今日殺しはしない」

 影人は右手でパチリと指を鳴らした。するとファレルナの周囲にあった杭が、跡形もなく虚空へと溶けていった。

「ありがとうございます、約束を守ってくださって。やはり、私はあなたと敵対したくはありません。あなたはきっと、優しい人でしょうから」

「・・・・・・・・・・よくもまあ、そう言えるもんだ。人を見る目がないな、あんたは」

 呆れた声で影人はそう呟いた。きっと脅していた人間に「優しい人」と評価を下すのは、この少女くらいだろう。

「それでスプリガンさん。私はあなたの邪魔になる人間なのでしょうか?」

 影人が質問を行ったそもそもの名目について、ファレルナは質問してきた。その辺りを影人に聞いて来るという事は、やはり肝が据わっているということか。

「そうだな・・・・・・・はっきり言えば、あんたは邪魔になりそうだ。覚悟と矜持と胆力、それに実力が伴っている奴は厄介以外の何者でもない。いずれ戦う事もあるかもな」

 唐突に、影人の後ろに闇の渦が広がった。影人はその渦にもたれ掛かるように消えていった。

「え・・・・・・」

 突然目の前から姿を消したスプリガン。ファレルナは思わずそう声を漏らした。

 だが次の瞬間、スプリガンの声がなぜかファレルナの後ろから聞こえて来た。

「・・・・・・・だが、少なくとも今日じゃない。じゃあな『聖女』。世界最強の光導姫。あんたの光は、眩しかった」

 転移によりファレルナの真後ろに出現した影人が、振り返らずにそう述べる。

「・・・・・・・褒め言葉として受け取っておきます。さようなら、スプリガンさん。あなたの闇は私が見通せないほどに深かった」

 多少驚きはしたものの、ファレルナも振り返ることはせずにそう言葉を返した。

「ふん・・・・・・当然だ」

 ファレルナに背を向けている影人は、ほんの少しだけ笑みを浮かべた。ぶっちゃけた話、眩しかったとかその場のノリで言ってみただけなのだが、なんか似た答えが返ってきて、ちょっとビックリした影人であった。

 そして、その言葉を最後に、影人は再び自分の前に出した闇の渦に消えた。収穫は十分だった。

「・・・・・・また会えるでしょうか。夜の闇のような人よ」

 残されたファレルナは、ポツリとそんな事を呟いた。

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