第87話 聖女来日(6)
生徒会室のドアが開かれ、新たに3人の少女が入室してきた。その内の1人髪を1つに括った少女、連華寺風音が、ファレルナとアイティレに向かって声を掛けた。
「お待たせ。ごめんなさいね、2人とも。ちょっと講堂内の点検をしていたから遅くなっちゃって」
風音の謝罪の言葉にアイティレは「構わない」と言葉を返し、ファレルナも「全然待っていませんよ? お気になさらないでください風音さん」と笑みを浮かべた。
「それよりと言っては失礼かもしれませんが、そちらの方たちは? おそらく、初対面だと思うのですが」
「「っ・・・・・・・!」」
ファレルナの視線が風音の後ろにいた陽華と明夜に注がれる。聖女が自分たちを見ている。その事実に2人は緊張した。
「あ、あのっ! 初めまして聖女様! 私、朝宮陽華って言います! 光導姫です、よろしくお願いします!」
「同じく光導姫の月下明夜です。光導姫としてはまだ新人ですが、そ、そのよろしくお願いします」
陽華はガチガチといった感じでそう言って、明夜も珍しく声を上擦らせた。そんな2人の様子を見た風音は、「あはは、まあそうなるよね」と苦笑した。
「というわけでって言うのもおかしいけど、この2人はまだ光導姫になって新人なの。でも目標としてはランキング1位、つまりあなたのいる座を目指しているのよファレルナ。だから、1位のあなたに会いたいって今日は他校から来たんだけど、せっかくあなたが来ているんだから、ちょっとお話でもと思って。ごめんなさい、迷惑だったかしら?」
風音が少し長めの補足説明を行った。風音のその説明を聞いたファレルナは「全く迷惑ではありませんよ」と言って、陽華と明夜に再び顔を向けた。
「むしろ他の光導姫の方とお話できるのは、私もとても楽しいので。朝宮さんに月下さん。初めまして、私はファレルナ・マリア・ミュルセールと申します。私の事はお気軽にルーナとお呼びください」
ファレルナが座りながら2人に向かって挨拶を返した。ファレルナの挨拶を聞いた2人は慌てたようにこう言った。
「そ、そんな聖女様に愛称なんて私とても!」
「さ、さすがにそれは私も気が引きまくりです」
「そうですか、残念です。皆さん、中々私の事をそうは呼んでくれないので。あのお兄さんも、結局そうは呼んでくれませんでした」
2人の反応を見たファレルナは少し残念そうな顔でそう呟いた。ファレルナの言ったお兄さんというのが、誰のことを指しているのかファレルナ以外の人物には分からなかったが、その事については誰も質問を挟まなかった。
「あまり無茶を言ってやるな、ファレルナ。君の事を愛称で呼ぶのは中々に覚悟がいる行為なんだよ」
落ち込むファレルナにアイティレがそう言った。アイティレですら、ファレルナを愛称で呼ぶ事はない。別にアイティレはファレルナを嫌っているのではない。ただ、世界に名だたる『聖女』を愛称で呼ぶのは一般人ならば気が引けるというだけだ。
「あ、あの聖女様はアイティレさんといったいどんなお話をされていたんですか・・・・・・? あ、ちょっとした興味本位なので、無理に答えて下さらなくても全然大丈夫です!」
ファレルナの落ち込んだ顔を見た陽華が、慌ててそんな話題を振った。陽華がこう言ったのは、ファレルナに対する取っ掛かりの意味合いもあるが、ファレルナの気分を転換させるためだ。自分たちのせいで(陽華の主観だが)、聖女を落ち込ませたままではあまりに気が引ける。陽華はそう考え話題を振った。
「っ・・・・・・・・・・」
だが結果的にその質問は、3人が入ってきて有耶無耶になっていた、あの人物に関する話題を掘り返すものになってしまった。陽華がその言葉を述べた瞬間、アイティレだけが小さく息を吸って反応した。
「はい。アイティレさんとはちょっとした世間話をしていました。そして――そうでした、アイティレさんとはちょうど彼についての、スプリガンさんについてのお話をしていたんです」
「「「!?」」」
そのファレルナの言葉に、いや正確にはファレルナが放った「スプリガン」という固有名詞に、アイティレ以外の3人もそれぞれの反応を示した。
「あら? 皆さんのご反応・・・・・・・・・もしかしてスプリガンさんを皆さんご存じですか?」
3人の反応を見たファレルナがそんな言葉を漏らした。皆さんとファレルナは言ったが、実はこの言葉は陽華と明夜に向けられたものであった。アイティレは言わずもがな、風音もランキング4位。ソレイユの手紙は風音にも届けられている。だが、陽華と明夜はランキング10位でもなければ、圏外だ。
ゆえにファレルナはこう思った。「なぜランキング10位以外の者が彼の事を知っているのだろうと」
ファレルナは外国の光導姫。ゆえに日本の光導姫や守護者のほとんどが、噂とはいえスプリガンの事を知っているという事実を知らない。実際、外国の光導姫と守護者のほとんど全てはスプリガンの事を知らない。その違いは、スプリガンが今のところ日本にしか出現していないということに起因している。
(ファレルナのこの反応も私からしてみれば分からなくはないな。私も最初はスプリガンの事はトップシークレットの情報だと誤解していたが、日本に来てからその認識が変わったからな)
ファレルナの実際の質問の対象とその意味合いを理解していたのは、同じく外国の光導姫であるアイティレだけだった。アイティレも当初は10位以外の光導姫や守護者がスプリガンの事を知っているのには戸惑ったが、その原因を今は理解していた。
「ええと、はい・・・・・・・その、実は私たち――」
「話せばけっこう長くなるんですけど・・・・・・・」
自分たちが質問をされたという認識はなかったが、風音とアイティレが何も言わない様子を見て、陽華と明夜はファレルナに自分たちとスプリガンのことについて語った。ただし、出来るだけ手短にだが。この手短にというのは、ファレルナは有名人であり国賓なので話せる時間はあまりないだろうという、陽華と明夜の推測が関係していた。
「そうなのですか・・・・・・・・やはりスプリガンさんはお優しい方なんですね」
「「!?」」
「「え・・・・・・・・」」
話を聞き終えたファレルナが呟いたその言葉に、風音とアイティレは驚き、陽華と明夜はそんな声を漏らした。
「・・・・・・・ファレルナ、今の話を聞いた上で君は本当にそう思っているのか?」
ファレルナにアイティレが少し厳しい目を向ける。陽華と明夜の話は、光導姫や守護者を助けただけという都合の良い内容ではなかった。2人の話は、スプリガンが光導姫・守護者に対して攻撃を行ったこと、スプリガンが自分たちに対して敵対宣言を行ったことも含まれていた。
「はい、少なくとも私はそう思いました。確かにお話を聞いた限り、スプリガンさんは光導姫や守護者に対して攻撃を行ったのかもしれません。明確に敵になるという事を仰ったのかもしれません。ですが・・・・・・・・・それでも助けられた人がいるという事実もまた消えることはありません」
「「あ・・・・・・・」」
そのファレルナの言葉に、陽華と明夜は呆けたように再び声を漏らした。
「それに、人を助けた人に真の悪人はいないと私は思っています。例えどのような人であれ、人を助けることのできる人は優しい人だと私は思うんです」
それはファレルナの主観であった。だが、その主観に基づいた言葉は陽華と明夜の心に静かに響いた。まるで暖かいものが溶けていくように。
「・・・・・・・・ふふっ、なんだかとってもファレルナらしい言葉ね。あなたという人間の優しさが今の言葉から分かるわ」
今まで黙っていた風音が微笑を浮かべてそう言った。風音もこの前のスプリガンの敵対宣言を聞いて以来、スプリガンに対して複雑な心境であった。もしかしたら、スプリガンと共に戦う道もあるのではと考えていた風音。しかし、その提案は彼の言葉によって1度は砕かれた。
(でも、やっぱり私は彼とはあまり敵対したくない。たぶん、それが私の偽らざる感情)
1度スプリガンに助けられた風音にとって、どのような事実があろうとも彼は恩人だ。それは助けられた風音の感情。だから、出来ることならば風音はスプリガンと敵対したくないというのが、風音の本音だった。
「朝宮さん、月下さん。あなたたちはスプリガンさんの事を信用しているのでしょう。それはお2人の言葉の端々から感じ取れました。ですが、お2人がほんの少しの疑念を抱えていらっしゃる事も分かりました」
ファレルナの言葉により風音が自分の本音を自覚した中、ファレルナは陽華と明夜にその瞳を向けた。優しさと暖かさが両立した瞳だ。
「っ・・・・・・・やっぱりすごいですね聖女様は」
「初対面で、私たちの言葉からそこまで分かるんですね・・・・・・」
その言葉を受けた陽華と明夜は素直に、苦笑したようにそう呟いた。
確かに2人は光司の気遣いを契機として、再び前を向いた。だが、完全に前を向けたわけではない。2人にはまだ小さな疑念もある。それは陽華と明夜が1番分かっている事だった。
スプリガンは本当に自分たちと敵対する道を選んだのではないか。もしそうだとすれば、自分たちは――
「「・・・・・・」」
黙ってしまった2人。そんな2人を見たファレルナはこんな言葉を送った。
「部外者の私の言葉ですので、あまり助けになるかは分かりませんが・・・・・・・・・・信じるという行為は難しい事だと私は思います。もちろん私は神を信じていますが、常に神を信じられているかは正直に言って、分かりません」
胸の十字架に視線を落としたファレルナが、そんな衝撃の言葉を述べた。
「「え・・・・・・・・・!?」」
その言葉に陽華と明夜は驚愕した。風音とアイティレも驚いたような表情を浮かべている。
だがそれも無理なからぬ事だろう。なにせ目の前にいるこの少女は『聖女』。死後に列聖される事が確定し、世界中に信者を持つ宗教の今やシンボルにまでなっている少女だ。そんな彼女が常に神を信じられているかは分からないと言ったのだ。聞く人が聞けば、腰を抜かすのではないか。その言葉にはそれほどの衝撃があった。
「それに関してはきっと私の信心不足だとは思います。ですが、人間には誰しも信じるものに疑念を抱く時があります。そしてそれは、普通の事でもあると思うんです。だって疑念を抱くという事は、その信じているものを理解しようとしているからでしょう? 完全にその全てを、いい面だけ信じてしまえばそれはただの盲信です。だから、お2人は正しくスプリガンさんを信じていると私は思いますよ」
「と、疑念を指摘した私が言うのも変なお話だとは思いますけど」そうファレルナは付け加えて、話を終えた。ファレルナの話を聞き終えた陽華と明夜は、しばらく黙っていたかと思うと、唐突にファレルナに頭を下げた。
「聖女様・・・・・・・・・・ありがとうございました! 聖女様のお話を聞いたら、なんか私はまだ彼を信じていいんだなって思いました!」
「私も、ありがとうございました。疑念も引っくるめて信じるという事、しかと胸に刻みました」
完全に霧が晴れたような声で2人はファレルナにお礼を言う。考え方の違い、と言ってしまえばそれまでだが、ファレルナの言葉は2人の心の奥深くまで響いた。
「か、顔を上げてください。そんな私は頭を下げられるような事は何も・・・・・・・!」
パタパタて手を振って、慌てるファレルナ。そしてそんな時、生徒会室のドアにノックの音が響き、スーツ姿の女性が半身だけ姿を現した。
「聖女様、そろそろお時間です。よろしければ・・・・・」
「あ、アンナさん。分かりました、あと少しだけ待ってくれませんか? 皆さんにお別れの挨拶をしたいので」
「・・・・・・分かりました。では、引き続き別室で待機しております」
アンナはそう言ってドアを閉めた。彼女のお付きであるアンナは、ファレルナが生徒会室で話をしている間、ずっと別室で待機していた。本来ならば、アンナも生徒会室に同席したかったのだが、生徒会室での会話はファレルナのプライベートな話だ。そこに同席するのは、流石にどうかと思いアンナは別室で待機していたのだ。
「そう言う事になりましたので、すみませんがこれでお別れとなります。皆さん、楽しい時間をありがとうございました」
立ち上がったファレルナが、全員に向かってお辞儀をした。短い時間ではあったが、ファレルナはもう行かなくてはならない。
「こちらこそ、無理を言ってごめんなさいねファレルナ。また、会いましょう」
「本当に会えてよかったです! 今日はありがとうございました聖女様!」
「ありがとうございました! ・・・・・・・あの、出来ればサイン頂けたりとかは・・・・・・」
「ちょっと明夜!? 本当にそれ聞く!?」
「あ、大丈夫ですよ。ええと、紙とペンは・・・・・」
「これにお願いします! もしかしたらと思って色紙とペン用意しときました!」
明夜が鞄から色紙とペンを取り出し、ファレルナに差し出す。ファレルナは快くそれを受け取り、サインをして明夜に返した。明夜は嬉しそうにそれを受け取ると鞄に仕舞った。
「ありがとうございます! ふふふ、聖女様のサインゲットだぜ・・・・・・!」
どこぞのマスターを目指す少年のような言葉を呟く明夜に風音は「あはは・・・・・・明夜ちゃんは明夜ちゃんね」と苦笑し、陽華は「色々台無しだよ・・・・・」と呆れていた。
「・・・・・・・・・・・ファレルナ、君の意見も分かる。信じるものは人それぞれ。スプリガンを信じる者を私は咎めはしない。だが、奴を信じない者もまた居る。そして私はその1人だ」
アイティレがファレルナにその赤い瞳を向ける。そしてアイティレは言葉を続けた。
「私が信じるものは私の正義。その正義において、奴は悪しき者。ゆえにはっきりと言っておこう。奴は、スプリガンは私の敵だ」
「「「っ・・・・・・・」」」
アイティレのその言葉に、風音、陽華、明夜はその表情を引き締めた。アイティレのそのスタンスは彼女が最初から明言しているものだ。ゆえに、3人も別にアイティレの考えを拒絶しはしない。
場の空気が少しだけ重くなる。3人とアイティレがファレルナに注目する中、その言葉を受けた少女は儚げな笑みを浮かべた。
「そうですね。それがアイティレさんの信じるものならば、それもまた正しい答えです。私はまだ彼に直接会った事はありませんが、いつか彼に会ってみたいですね。では、皆さん私はこれで失礼いたします」
そう言ってファレルナは再びお辞儀をした。そして今度こそ、ファレルナは生徒会室から退室していった。
「・・・・・・聖女様とお話出来てよかったね、明夜」
「うん、本当によかったわ。・・・・・・ついでにサインももらえたし」
「だから台無しだよ!? でも、明夜らしいや!」
そう言って陽華は笑った。そんな陽華を見て、明夜も笑った。2人の笑顔は晴れやかなものだった。
「・・・・・・・・・・やっぱり、ファレルナと2人を話させてよかったわね」
「そうだな、結果的にはよかった。・・・・・この際、私個人の感情は今は置いておこう。流石にそこまで私も無粋ではない」
2人は暖かい目で笑い合う2人を見つめた。短い面会ではあったが、2人が得られたものは大きかったようだ。
生徒会室に少女たちの談笑の声がこだました。
「――神の御加護があらんことを」
気を失っている少年にファレルナはそう言葉を紡いだ。そして軽く祈りを捧げる。
ファレルナが扇陣高校で講演を行った日の夜。ソレイユから闇奴出現を告げる合図を受けたファレルナは、ソレイユの転移により日本の閑静な住宅街にいた。光導姫として闇奴を浄化するためだ。そのため、周囲に護衛やお付きはいない。
幸い闇奴はそれ程手こずる相手ではなく、ファレルナが変身をしてから5秒で浄化は完了した。今は闇奴化していた人間を介抱しているだけだ。そのため、変身ももう解いている。
「さて浄化は完了しましたし、後はソレイユ様の転移待ちですね」
闇奴化していた少年に祈りを捧げ終えたファレルナが立ち上がる。今ファレルナは電灯の下にただずんでいる。明かりの下なら、気を失っている少年を早い段階で誰かが見つけてくれるだろうと思っての事だ。
そんな時だった。どこからかコツコツと足音が響いて来た。
(人の足音・・・・・・誰かがこちらにやって来るようですね)
その事をファレルナはそれ程気にはしていなかった。ファレルナは変身を解いている。という事は人避けの結界がなくなったということだ。であるならば、普通の人間もこの周囲を無意識的に忌避しなくなる。
足音が唐突に止まった。そこで初めてファレルナは少し疑問を抱いた。なぜ、足音が止まったのかと。
ファレルナは足音が止まった方向に顔を向ける。すると自分のいる場所から少しだけ離れた場所、電灯の下に1人の人物がただずんでいた。
「・・・・・・・・・・」
その人物は一言で表すならば、黒かった。
黒い髪に黒い外套。紺色のズボンに黒の編み上げブーツ。ただ、胸元を飾る深紅のネクタイだけが映える色を放っている。
その人物が俯いていた顔を上げる。その瞳の色は金色だった。
「あなたは・・・・・・・・・・」
その人物の特徴に、ファレルナは覚えがあった。いずれの特徴も、ソレイユが記したある人物の特徴に一致していたからだ。
「・・・・・・・・・光導姫ランキング1位『聖女』だな」
「・・・・・・・・・はい、そう言うあなたは――?」
その人物がファレルナに言葉を投げかけてきた。ファレルナはその人物の名前を予想しながらも、半ば無意識的にそう聞き返していた。
「・・・・・・スプリガン。それが俺の名だ」
黒衣の怪人――スプリガンはその問いに自分の名を答えとして返した。
電灯の下、スプリガンと『聖女』は相見えた。
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