第81話 聖女来日 前日
『――さあ、お次はみなさん気になるこのニュースです! いよいよ明日、7月13日にヴァチカンの「聖女」が日本に来日します! いやー、ついに明日ですね◯◯さん!』
『そうですね。2年前の「奇跡の祝福」からその名が世界に知れ渡り、その後の慈善活動などの精力的な活動の功績、更に複数の科学的解明が不可能な「奇跡」を起こした事により、「
「・・・・・・聖女ねえ」
テレビのアナウンサーとコメンテーターの声が流れてくるテレビに目を向けながら、影人はあまり興味なさそうにそう独白した。
今日は金曜日。学校から直帰した影人は、別にやる事もなくぼうっとテレビを見ていた。別に影人はニュースが好きなわけでは無いが、明日の聖女来日というある意味での一大イベントに向けて、各放送局は大体どこもそれに関するニュースをしている。だからチャンネルを変えても意味はないというわけだ。
(・・・・・・・・明日は土曜だから、都心の方とか空港周囲はえげつなく混むだろうな。なんせ、聖女サマは日本でも大人気だからな)
聖女――厳密には『聖女』と呼ばれる若干15才の少女の事は影人でも知っていた。今テレビでも言っていたように、今から2年前の「奇跡の祝福」という出来事で彼女の名は世界に知れ渡った。
(あの時のメディア、いや世界の騒ぎようといったらえげつなかったな。当時はよく、「現代のお伽話」「殺伐とした世界を救世する始まり」とか言われて世界中が1人の少女が起こした奇跡に熱狂してたし)
ニュースから『聖女』に関する話題を影人は適当に思い出していた。今でこそ当時よりは落ち着いたが、依然『聖女』は世界中で凄まじい人気を誇っている。それは、宗教という概念があやふやと言っても過言ではない日本でも同じだ。
だからテレビでは連日『聖女』に関するニュースを行なっているし、明日『聖女』がやって来る東京とその空港は凄まじく混むだろうと予想されている。
『くくっ、おい影人。こいつがあの女神サマが言ってた「聖女」か?』
(・・・・・・・ああ、そうだ。二重の意味でややこしいが、ソレイユが言ってたのはこの女の子だ)
今テレビに映っている『聖女』の写真を、影人の目を通して見たイヴがそんな事を言ってきた。イヴの本体である黒い宝石のついたペンデュラムは、影人の制服のポケットに入っているが、イヴは影人の目と耳を通して外界の情報を取得できるので、テレビの情報が分かったというわけだ。
それよりもイヴが言っている『聖女』という呼び名の意味は、テレビで言っていたような呼び名の意味ではない。だから、影人も二重の意味でややこしいと前置きしたのだ。
では、イヴが言っている『聖女』の意味とは何か。それは昨日ソレイユから聞いたある情報に基づいている。
(この聖女って呼ばれてる少女が、光導姫ランキング1位、つまり世界最強の光導姫『聖女』ってわけだ)
そう。影人が昨日ソレイユから聞いた情報というのは、全世界で『聖女』と知られているこの少女が、光導姫ランキング1位『聖女』その人であるというものだった。
「・・・・・・ったく、何でか面倒な事になりそうな予感がするのは気のせいかね」
『さあな。だが、俺はお前と違って愉快な予感がするぜ。お前の面倒な予感は、大概俺にとっては愉快なもんだからな』
「・・・・・・・・・・何回か思ってるが、お前本当に性格悪いよな」
イヴに呆れたような呟きを返しながら、影人は昨日のことを思い出していた。
「影人。明後日には日本に『聖女』と呼ばれる少女が来日しますね?」
「確かにニュースではそう言ってたが・・・・・・・・・何でお前がそれを知ってるんだ?」
目の前のソレイユの真剣な表情から放たれた問いかけに戸惑いながら、影人はそう言葉を返した。
いつも通り、という表現は影人にとっては少し癪だが、影人は神界のソレイユのプライベート空間に呼び出されていた。学校の帰りに呼び出されたので、今の影人は制服姿だ。
「影人、まずは1つ聞かせてください。――あなたは『聖女』のファンですか?」
「はぁ・・・・・・・・・・・・?」
そのソレイユの質問に影人は反射的にそう声を出してしまっていた。
「ファン? 俺が『聖女』の? いや、というか質問の意味が理解不能なんだが?」
今度は逆に影人がソレイユに問いかけの形を取った。急に呼び出されて、お前は今度来日する『聖女』のファンかと女神に真剣に聞かれているのである。はっきり言って意味不明だ。影人でなくても同じような質問をソレイユにするだろう。
「理由は後で分かります。とりあえず今は答えてください」
「ああ? ったく、何だってんだよ・・・・・・」
だが、ソレイユがすぐさまその理由を影人に教える事はなかった。影人はガリガリと頭を掻きながら、ソレイユの言ったようにとりあえず答えを返した。
「・・・・・・・・・別にファンでもなんでもねえよ。つーかどっちかっていうと、俺はあの子はあんまり好きじゃない。ぶっちゃけると苦手に入る部類だ」
自分より年下の存在である為、影人は『聖女』の事を「あの子」と呼びながら、ソレイユに『聖女』に関する己の所感を述べた。
「そ、それはまた意外ですね。あの子の事が苦手な人間もいたんですか・・・・・・・その理由も伺っても?」
影人の所感がよほど意外だったのか、ソレイユはその目をパッチリと見開いた。
ちなみに影人は、ソレイユの『聖女』に対する「あの子」呼びに違和感を覚えた。影人が『聖女』の事を「あの子」と呼んだのは、単に『聖女』が自分より年下であるからだ。面識があってそう呼んでいるのではない。
だが、ソレイユの『聖女』に対する「あの子」呼びはそれとは違う気がする。今の「あの子」呼びは、まるで『聖女』と直接面識があるかのような・・・・・・・
(まあ、それも追々わかるか・・・・・・・)
影人は自分の内に生まれた疑問を一旦置いておくと、ソレイユにその理由を教えた。
「前置きしとくがこれは完全に俺の主観だし、俺は別に『聖女』が嫌いって訳じゃない。ただ苦手なだけだ。そこは勘違いすんなよ」
言葉通りそう前置きして影人は言葉を続けた。
「お前が『聖女』の事をどこまで知ってるか知らないが、あの子はたぶん完全に善人だ。しかも裏表がないな。まあ、俺もテレビで見た印象や情報からしか『聖女』の事を知らないから、本当のところはどうか分からない。でも、世間一般の奴らと同じように俺はそう感じた」
「・・・・・・・あの、なぜあなたはそう感じたのに『聖女』の事が苦手なのですか? はっきり言って、なぜその感想から苦手という感情が芽生えたのか不思議なんですが」
「話は最後まで聞け。これから話すんだからよ」
難しそうに首を傾げたソレイユに1つため息を吐いて話を再開する。
「ソレイユ、お前の方が長生きだから分かってると思うが、基本的に人間は裏表のある生き物だ。それはもちろん俺にもある。というかそれが普通だ。だが、『聖女』にはそれがない。裏表のない完全な善人。・・・・・・・・俺はな、そういった人間がどうにも苦手なんだよ。別に性善説も性悪説を支持するわけじゃないが、人間ってのは良い面もありゃ悪い面もある。それがない、良い面だけの人間ってのは、言い方は悪いが歪んでんだろ」
影人は自分が『聖女』が苦手である理由を語り終えた。まあ、最初に前置きしたようにこれは完全に影人の主観なわけだが、これから絶対に『聖女』と関わる事がないであろう影人のこの主観が覆る事はないように思える。
良くも悪くも、人間とは主観の生き物であり、完全に客観視の出来ない生き物だからだ。
「・・・・・・・何というか、すれている考え方というか、捻くれている考え方というか、あなたらしい考え方というか・・・・・・・・・・」
影人の理由を聞いたソレイユは、呆れてはいないがどこか哀れそうな表情を浮かべた。いや、別にソレイユは影人を馬鹿にしているのではない。確かに影人の考え方は分からなくもない。というか、見方によっては影人の意見は核心をついているかもしれない。
(ただ普通この年代の人間がする考え方ではないと思うのですが・・・・・・まあ、そこは影人らしいと納得するしかありませんね)
帰城影人という少年は時折り早熟したような言動や考えを示す時がある。その考えなどが形成されてきたであろう影人の過去に興味がないわけではないが、ソレイユはそういった詮索はしない心に決めていた。
「悪かったな、捻くれてて。で、俺の方の理由は話し終わったぞ。今度はお前が教えろよ。何で『聖女』の事なんかを俺に聞いてきたんだ?」
少しだけ不機嫌になったかのような声で、影人はそもそもの疑問をソレイユに聞いた。
「ええ、ちゃんとお答えしますね。私があなたに『聖女』の事を聞いたのは、彼女が光導姫ランキング1位『聖女』でもあるからです」
「は? 『聖女』が『聖女』?」
何だそれはややこしい。その驚くべき情報から、まず影人が1番最初に思った事はそんなことだった。
「はい、ややこしいと思いますがそうなのです。本来ならば、私はあなたといえども光導姫の正体などの個人情報を言うつもりはなかったのですが、今回はあなたの住む日本の東京に彼女が訪れるという事で、事前にその事を教えておいた方がいいと判断しました」
ソレイユが真剣な口調でそう言った。今言ったように基本的にソレイユは影人にも、光導姫の個人情報(それには光導姫の正体なども含まれる)を開示しない。別に影人がその個人情報をどうこうするとはソレイユも思っていない。これは単純に昔からのソレイユのスタンスなだけだ。個人情報を出来るだけ開示しない事が、ソレイユの出来る1つの事なのだ。
しかし、影人は色々と特殊な立場だ。知っておいた方がいい情報もある。そう判断してソレイユは影人にこの情報を教えた。
「なるほどな・・・・・・まあ驚いたが、知っておいていい情報に変わりはない。だがよ、ソレイユ。俺は一般人で『聖女』のファンでもねえ。かえって向こうは有名人だ。関わりになる事なんかありえないぜ。それとも、俺はスプリガンとして『聖女』に接触するのか?」
「いえ、そういった予定は今のところありませんが・・・・・・・・・・その、本当に一応です。もしかしたら、あなたが接触するような事もあるかと思って」
影人のその質問に、ソレイユは少し歯切れ悪そうに言葉を述べた。その様子は「まさかそんな事を聞かれるとは・・・・・・・」といったような感じである。
「だからそれはないって・・・・・・・・・・・善意からなんだろうが、やっぱお前抜けてるというか、ポンコツだな」
「なっ・・・・・・・!?」
呆れを隠しもせずにそう言った影人に、ソレイユは、それはそれは驚いたような顔になる。
だが、その顔は徐々に怒りの表情へと変わっていった。
「こんの・・・・・・・影人ぉ! 誰がポンコツですか!? 私は! 断じて! ポンコツではありません! これでもやり手の女神だと神界では言われているかもしれないんですよ!? ええい、不敬です! 今すぐに謝罪を要求しますッ!」
「かもじゃねえか! てめえのどこがやり手の女神だこの頭ピンク色! どうでもいい事でいちいち呼び出すんじゃねえ!」
「私の髪の色は関係ないですよね!? 善意は素直に受け取りなさいよこの捻くれ前髪!」
「誰が捻くれ前髪だ!? お前にそんなあだ名つけられる
なぜか言い合いになった(明らかに影人のポンコツ発言のせい)前髪野朗とポンコツ女神は、ぎゃあぎゃあとお互いの文句や悪口などを神界に響かせた。
(ダメだ。後半のゴミみてえな言い合いの印象が強すぎる)
昨日の事を思い出していた影人は、ズズッとお茶を啜りながら死んだような目を浮かべた。
「――♪ ――♪」
世界最小の国であり、とある世界最大宗教その一派の総本山であるヴァチカン市国。その住居スペースの一角、ある大部屋で1人の少女が聖歌を歌っていた。
祈るように歌っているその少女の身長は150センチと少しくらいだろうか。身長は少女の年を考えれば平均的だろう。一見すると修道女のようにも見えるその少女は、穢れのない白色を基調とした華美過ぎない装飾の施されたドレスを身にまとい、その胸元にロザリオを飾っていた。
「―― ――♪」
変わらず祈るように歌い続けているその少女の外見は、プラチナ色の長髪に赤みがかった茶色の瞳が特徴か。少女らしくどこかあどけなさを残した顔は可愛らしく、見るからに愛嬌がある。
「失礼します。っ、すみません。歌っておられる途中でしたか」
コンコンとしたノックが響き、修道女が少女のいる部屋に入ってきた。年の頃は20代半ばくらいか。修道女は少女の姿を見ると、謝罪の言葉を述べた。
「あ、お気になさらないでください。少し歌いたい気分だっただけなので。何か御用でしょうか? アンナさん」
少女はその修道女の名前を呼びながら、慈愛と優しさに溢れた笑顔を浮かべた。
(っ・・・・・・この方の笑顔を見ると、心に暖かな風が吹くような感覚を覚えてしまう。これも『聖女』様の慈愛と優しさゆえなんだわ、きっと)
目の前の少女はアンナよりも年下であるが、アンナはこの少女に心からの尊敬を寄せている。
この少女と同時代に生き、言葉を交わしている事は一種の奇跡だ。アンナは本気でそう思っていた。
「は、はい『聖女』様。明日の訪日について猊下がお話したい事があるそうです」
「まあ、教皇様が。分かりました、少しだけ身支度をして教皇様に謁見します。教皇様にそうお伝え願いますか、アンナさん」
「了解いたしました『聖女』様。では、失礼させていただきます・・・・・」
「はい、ありがとうございました」
アンナにお礼を言った少女は、鏡面台に腰を下ろすとヘアブラシで軽く髪をといた。尊敬する方に自分のだらしのないところは見せられない。
「ふふっ、日本ですか。楽しみですね。私が訪れる事で、もし1人でも笑ってくだされば嬉しいですね」
少女の無邪気な笑みが鏡に映る。少女は人の笑顔が大好きだ。だから、もし自分が日本を訪れる事で、日本の人々が笑顔になってくれたら、それはとても喜ばしい事だなと心の底から思っていた。
「ああ、そうでした。日本といえば、少し前にソレイユ様から頂いた手紙に、不思議な人物が日本に出現したと書かれていましたね。ええと、確かその方の名前は――」
うーんと記憶を思い出しながら、少女はその人物の名前を思い出そうとする。そして、少女はその名前を思い出すことに成功した。
「――スプリガン。そう、確かスプリガン様です。手紙には光導姫を助けた守護者ではないお方だと書かれていました。1度、お会いしたいものですね」
光導姫ランキング1位『聖女』こと、ファレルナ・マリア・ミュルセールは柔らかな笑みを浮かべながらそう呟いた。
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