第77話 夏の到来、しばしの日常(2)
担任に夏休みの面倒ごとを押し付けられた影人は、沈んだ気分で1階の購買・学食フロアへと向かった。最近は普通に弁当続きだったので、たまには学食が食べたいと思い今日は朝から学食と決めていたのだ。
「さて、今日のメニューはと・・・・・・・」
影人は本日の学食のメニューに目を通した。豚しゃぶ定食にハンバーグ定食。その他にも様々なメニューが書かれている。
「うーむ、悩むところだが・・・・・・本格的に暑くなって来たからな、ここはいっちょサッパリさせようぜ。じゃなくて、サッパリさせるか」
沈んだ気分を変えるためにも影人はそう呟きながら、すだちうどんの食券を購入した。後は適当に購買でおにぎりでも買えば丁度いいだろう。
「あ、見て見て! 香乃宮くんだよ!」
「本当だ、今日もカッコいい・・・・・・・・でも、やっぱり噂通りちょっと表情硬い感じだね」
すだちうどんを受け取った辺りで影人はそんな声を聞いた。そして何とは無しに周囲を軽く見渡すと、学食のメニュー表の前にただずんでいる光司を発見した。聞こえて来た話の通り光司の表情はどこか硬かった。
(・・・・・・自惚れじゃなければ、あいつがあんな雰囲気になったのは俺の敵対宣言のせいだな。まあ、俺は何も気にしてないが)
元々光司はスプリガンに対して敵対的であった。だから光司からすれば影人の敵対宣言はそれ程衝撃的ではなかったはずだ。おそらくだが、光司はスプリガンの敵対宣言によりショックを受けた人物――陽華と明夜の事について何か考えているのではないだろうか。
(香乃宮は優しいからな、さもありなんだ。あいつらについては・・・・・・・・人を信じすぎるところがあったからいい勉強になっただろう。前にも思ったが、俺の仕事はあいつらを守る事であって、精神の安定をはかることじゃない)
影人は光司を通して陽華と明夜の事を思い出したが、その思考を振り払うように光司から目を背けた。結局、前回は軽く2人の助けをしてしまったが、今回は何もしない。立ち直るはあの2人次第だ。
「空いてる席はと・・・・・・・」
なにぶんお昼休みなので人が多いし、イスもほとんど埋まっている。影人は何とか空いている席を見つけると、そこにすだちうどんを乗せたトレーを置いた。
「後はおにぎりと水だな」
影人はその席から離れて購買スペースへと足を運ぶ。購買もかなり混んでいたが、なんとか鮭のおにぎりを買う事が出来た。おにぎりを買った足でセルフの水を汲み、影人は自分がすだちうどんを置いた席へと戻った。
だが――
「げっ・・・・・・まじかよ」
影人はある事に気がついてしまった。先ほどまでは空いていた自分の席の隣が埋まっている。後ろ姿だけでも分かる。自分の席の隣に座っている人物、そこにいたのは――
「よりによって何でお前がそこに座ってるんだ。・・・・・・・・・・香乃宮」
影人が自分から2度と関わるなと言った人物、陽華と明夜の表の守護者。すなわち、香乃宮光司がそこにはいた。
(どうする? すぐにうどん取って今からでも席を変えるか? いや他の席はもう全部埋まってる。となると・・・・・・・・・・はあー、自分からあんなこと言った手前、あいつの隣に座るのは気が進まねえが仕方ねえか)
離れた場所からおにぎりと水を持ちながら、影人は1人悩んでいた。ぶっちゃけ、出来ることならマジで座りたくないが腹も減っていたので、もう座るしかなかった。
「・・・・・・・・・・・・・・・」
影人は無言で光司の隣の席へと近づいていた。そしておにぎりと水を自分のトレーに置くと、イスを引いて光司の横へと座った。
「っ!? き、帰城くん・・・・・・・・・?」
「・・・・・・・気にするな。俺が取ってた席の隣にたまたまお前が座った。ただそれだけだ」
影人を見て驚く光司に影人はぶっきらぼうにそう言った。帰城影人として光司と言葉を交わすのは、おそらく1、2ヶ月ぶりくらいだろう。そしてそれ以降は光司を無視し、すだちを絞り割り箸を割った。
「・・・・・いただきます」
手を合わせて影人はうどんを啜った。すだちの酸味と冷たいうどんが食欲を掻き立てる。影人はうどんを啜りながら、未だに自分の事をチラチラと見てくる光司に仕方なく言葉を投げかけた。
「・・・・・・・・・・・・・俺に何か用か」
「い、いや用とかそういうわけではないんだ。た、ただ・・・・・」
影人の言葉に光司は目に見えてたじろいだ。自分には2度と関わるなと言った手前であるが、このままではどうにも気持ちが悪いので、影人はもう少し話してやる事にした。
「ただ、なんだ? 安心しろよ、俺はうどんとおにぎりだけだからすぐに席を立つ。俺がいたんじゃ、せっかくの飯も美味く食えないだろうからな」
「ち、違う! そんな事は別に思っていないよ! 僕はただ君の迷惑になるんじゃないかと思って・・・・・」
「・・・・・・・・・・は? どういうことだよ? 何でお前がそんな事を思う必要がある? 俺は一方的にお前の善意を否定した奴だぞ。そんな奴のことを嫌いこそすれ、お前が気を使うのはおかしいだろ」
光司のその意外過ぎる言葉に、影人は思わず混乱した。全く以って光司の言葉の意味が理解できない。
「それは誤解だよ。僕は君の事を嫌ってなんかいない。確かに僕は君に『2度と関わるな』と言われたし、友人になる事も断られた。でも、それは君の意志だ。その君の意志を僕が不満だと思ったなら、僕はとてつもなく傲慢な人間になってしまう。僕は出来るだけそうはなりたくはないんだ。だから、君の事を嫌ってなんかいないよ。・・・・・・・まあ、ショックを受けなかったといえば嘘になるけどね」
光司は真面目な口調で影人にそう言った。しかし最後の付け加えた言葉の部分だけは苦笑していた。
(こいつ・・・・・・・・・・・マジで言ってんのか?)
なんだこの男は。いったいどこまで聖人なのだろうか。見た目イケメンのくせに、やはりいい奴すぎる。
(うわ・・・・・・・俺こんないい奴に変わらず冷たく当たらなきゃならねえのか。ふだん罪悪感なんてもんとは無縁だが、今回はさすがにそいつを感じるぜ)
影人は本当に珍しく、光司に対して申し訳ないといった気持ちと罪悪感を覚えた。影人はぶっきらぼうで捻くれてはいるが、一応は道徳観を持った人間である。ゆえに、眩しく真っ直ぐすぎる光司の言葉は影人の精神に少なからずダメージを与えた。
「むしろ僕が隣にいる事で、帰城くんの気分を害していないかと思ってね。多分だけど、君は僕のことが嫌いだろ? ああ、責めてるわけじゃないんだ。僕にだって嫌いというか苦手な人はいるよ。ただ、帰城くんの場合それが僕であったというだけ。だから、出来れば席を移動した方がいいかなと悩んでたんだ」
(こいつマジもんの聖人じゃねえよな? やめてくれ、俺のライフはもうゼロだ。これ以上は罪悪感で吐血しちまう)
要するに光司は最初に言ったように、本当に影人の迷惑にならないか心配していたのだ。だが、周囲の座席は全て埋まっており、光司もまだほとんど学食(見たところハンバーグ定食)に手をつけていない。ゆえに移動は出来なかったということだろう。
「・・・・・・・・・・・・変わった奴だな、お前。普通は俺みたいな野郎にそんな事は思わねえよ。善意丸出しで生きてたらいつか痛い目見るぜ、おぼっちゃま」
内心の心情とは真逆ともいえるようなぶっきらぼうな言葉と煽り文句を影人は光司に吐き捨てた。その影人の言葉に光司は疲れたように言葉を返した。
「ご忠告痛みいるよ、確かに君の言う通りだ。善意というものは簡単に裏切られる。・・・・・・今まで信じていた者に裏切られるというのは、いったいどんな気持ちなのかな」
(この言葉が指してるのは・・・・・・・・・あいつらの事か)
ひどく真面目な顔で、少し怖いくらいの厳しい目をする光司。その目で分かる。光司がいったい誰の事を思い出しているのか。
(香乃宮の今の目はスプリガンに向けられるものと一緒だ。そして信じていた者に裏切られた奴ってのは、朝宮と月下のことだな)
ソレイユからしばしば影人は、あの2人はスプリガンの事を信じていると聞いていた。だからあの敵対宣言で最もショックを受けたのは陽華と明夜だ。それは自惚れなどではなく、生徒の噂になるような雰囲気の変化にも表れている。
(はっ、どうだっていい。俺はそれを覚悟であの宣言をしたんだ。どうせ香乃宮は優しいからな。あいつらのメンタルのケアはこいつが勝手にしてくれるだろ)
どこか言い訳をするように影人は内心そう吐き捨てた。今朝もついさっきも思ったはずだ。今回は自分は何もしないと。
「あ・・・・・・ごめんよ。変な事を言って。帰城くんにするような話じゃなかったね。なぜだろう、僕は普通こんな話はしないはずなんだけど・・・・・・・・君にはポロッと話してしまうみたいだ」
光司はハッとしたように、その硬い表情を崩し苦笑してみせた。どうやら先ほどの呟きは予定外の言葉であったようだ。
「全くだ、そんな限定的な状況の事を聞かれても困る。ましてや俺はお前と雑談に興じる仲じゃない」
うどんを食べ終え、おにぎりのビニールを剥きながら影人は変わらず冷たい言葉を吐き続ける。そんな影人の言葉にさすがの光司も少しショックを受けたような顔をした。まあ、それが普通の反応だ。だが、普通の人間ならばそこに嫌悪や怒りの色も入る。だが光司にその色はない。掛け値なしの善人の証拠である。
「そ、そうだね。本当にごめんよ。あ、席が空いたみたいだから僕は移動して――」
「が、今日は気分がいい。特別にお前の雑談に付き合ってやる」
光司がトレーを持って立ち上がろうとした時、影人はそんな事を言った。
「え・・・・・・・?」
「信じていた者に裏切られる。そりゃ気持ちとしては辛いに決まってる。信じるの深度によってその辛さは変わってくるが。辛いのは変わらねえ」
驚いているような光司を尻目に、影人はおにぎりを食べながら言葉を紡ぐ。咀嚼音は出来るだけしないように心がけながら。
「だがな、それでも明日は来るんだよ。辛くたってもな。ならどうする? 酷な言い方になっちまうが、結局は立ち直るしかない。自分の足で自分の心でな」
「・・・・・・・・・・・・」
静かに影人の言葉を聞く光司に、変わらず影人は言葉を続ける。別にアドバイスなどではない。ただ気分がいいから自分の自論を聞かせてやっているだけだ。
「でもそいつをやれる人間はけっこう少ない。大抵は励ましてくれるような物や人間、寄り添ってくれる奴がいて、ようやくそいつは立ち上がれる。・・・・・・・・・・お前のさっきの言葉は誰の事を言ってるのか俺には分からん。が、まあ俺の自論はそんなとこだ。ああ、あと1つ。その励ます人間や寄り添ってくれる奴がしけたツラしてたら、意味はねえぜ。自分がそんな気分だってのに、他人に寄り添う事なんて出来やしないからな」
最後のおにぎりのかけらを食べ、影人は手を合わせた。存外長く語ってしまったので喉が渇く。影人は水を飲むと、トレーを持って席を立った。
「・・・・・・・じゃあな。今日の事は夏の暑さが起こした一時の
そう言い残して影人はこの場を立ち去ろうとした。しかし、後方から光司が声をかけてきた。
「帰城くん! ・・・・・・その、ありがとう。君の意見はとても参考になったよ。君の言う通りだ、僕がこんな感じであの2人に寄り添う事なんて出来るはずがない。僕の目の前の霧は晴れたよ。だから、本当にありがとう。・・・・・・・・・・・・やっぱり、僕は君と友達になりたいな」
「・・・・・・けっ、やっぱり変わった奴だな。言っただろう、今日の事は一時の陽炎の夢だってな。後、その申し出は再度断るぜ」
チラリと後方を振り返った影人は、いつも通りの爽やかな光司の笑顔を見た。その笑顔を見た影人は「これで香乃宮の噂は消えそうだな」と思った。どうやら少なからず自分は光司を助けてしまったようだ。
(何やってんだかな俺は・・・・・・・)
『本当にな、らしくねえな影人。なんかあの守護者には妙に甘くねえかお前?』
「・・・・・・ふん。気のせいだろ」
イヴがからかうようにそんな事を言ってくる。影人はボソリとイヴにそう返すと、トレーを返して購買・学食スペースを後にした。
「・・・・・・・・・・・帰城くん。やっぱり僕は君を嫌いになれないよ。だって君は・・・・・・いい人だから」
後に残された光司の呟きが賑やかな喧騒の中に溶けてゆく。光司は晴れたような表情で冷めてしまったハンバーグにナイフを入れた。
「悪い影人! 今日クラスの女子に誘われちゃってさ。僕はこれからカラオケに行くから今日は一緒に帰れない。だから、ぼっちの君には哀れだけど1人で帰ってくれ!」
「しばき倒すぞてめえ。確かに俺はぼっちだがそれは俺が好きでいるだけだ。お前に哀れまれる必要はねえよ。しっし、さっさと女子高生してこい」
放課後。いきなり廊下で手を合わせて果てしなく失礼な事を言う暁理に、影人は顔を
「い、言われなくともちゃんと女子高生してくるよ! 全く君って奴は口が悪い。じゃあね影人、また明日」
「おう、楽しんでこいよ。またな」
友人間特有の軽口を叩き合い、暁理は自分のクラスへと戻っていった。影人も今日は1人なのでさっさと昇降口へと向かう事にした。
「・・・・・・せっかくの1人の放課後だ。帰りにどっか寄って行くか」
頭の中で適当にどこに寄ろうか考えながら、1人の前髪の長い高校生はその口角を少しだけ上げた。
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