第59話 この前髪野郎にドキドキを

「んで、結局今日なんの映画見るんだよ?」 

「う〜ん、そうだなぁ・・・・・・・とりあえずは、行ってみなきゃ分からないかな。僕も今なにがやってるかは詳しく知らないし」

 電車に乗り込んだ影人と暁理は吊革を持ちながらそんな話をしていた。今日は週末ということもあってか人が多い。そのため、2人は座席に座ることが出来なかったのだ。

「はあ? お前から映画に誘っといてなんだよそれ。見たい映画がないなら別に行かなくてもいいじゃねえか。金の無駄だ」

 暁理の答えに影人はわけが分からないといった表情になる。影人はてっきり暁理が見たい映画があるからと、ついでに自分を誘ったのだと考えていたのだ。

「む・・・・・・・・だ、だって仕方ないじゃないか。デートと言えば映画が定番だし、僕も1度は影人と映画見たかったしさ・・・・・」

 ごにょごにょと口籠るように暁理は目を逸らす。よく聞こえなかった影人は「ああ?」と首を傾げた。

「と、とにかくさ! 行ってみて決めようよ! たまにはいいじゃないか! そういうのも!」

「・・・・・・・・・・わーったよ。一応、今日は付き合ってやる。だけど、映画館でチュロスと飲み物は奢れ」

「・・・・・君さ、よくこんなレディーに向かってそんなこと言えるよね。普通は逆じゃない?」

「レディー? おいおい暁理、淑女なんてどこにいるんだ? 俺の目の前にいるのは、罰ゲームで尻で花火とかいう奴だぞ? レディーのわけねえだろ」

「おっと、知らないのかい影人? ――淑女の嗜み国際条約第1条、デートをサボろうとした者はケツで花火を上げる事になる。僕のあのメールは淑女の嗜み国際条約に則ったものなんだよ」

「意味がわからん上に、平然と嘘をつくな。そんなもんがあるわけ――」

 くだらない話し合いを締め括ろうと、影人がそう言おうとした時、暁理がスマホの画面を影人に見せてきた。「じゃあ、これ見てみてよ」という暁理の言葉に、影人は前髪の下から表示されている画面に目を凝らした。そこにはこんな事が書かれていた。


     ――淑女の嗜み国際条約――


第1条 デートをサボタージュしようとした者は失格となる。罰としてサボタージュした者は尻で花火を上げなければならない。


第2条 淑女ファイトを行った際、頭部を破壊された者は失格となる。


第3条 淑女たる者、優雅たれ。優雅さを失った淑女は淑女失格となる。


エトセトラ



「・・・・・・・・・・・・・・・」

 影人は無言で暁理のスマホをスクロールさせていった。この「淑女の嗜み国際条約」とやらは膨大な数があるようで、全文を見ようとしてはそれだけで時間をかなり食いそうである。そしてスクロールが下まで行き着くと、そこには「淑女国際協会」なる協会の名前が書かれていた。

(頭沸いてんのか? この世界は・・・・・・・・・?)

「ね? ちゃんと書いてあるでしょ? これ国際条約だから僕はそれに従っただけだよ」

 頭を抱える影人に、暁理が勝ち誇ったような顔でそう言った。

「ダメだこの世界。早くなんとかしないと・・・・・」

「あ、影人。席空いたよ、座ろう」

 現実に絶望して、そう呟いている影人の腕を引っ張りながら、暁理は影人と共にシートに座った。










 映画館の最寄りの駅に辿り着いた2人は、そこから歩いて5分ほどの映画館を含む大型施設に足を運んだ。

「えへへー、なに食べよっかな! フードコートのメニューどれも捨てがたいんだよね!」

「相変わらず食べる事しか考えてないわね陽華。せっかくちょっと遠出してきたんだから、他のことも考えましょうよ。例えば、ヒッチハイクして『へい彼女! 今日どうだい?』とか言ってみるとか」

「明夜、ここでヒッチハイクは無理だよ・・・・・・・というか、どうしたの? なんか明夜きょうはいつも以上にぶっ飛んでる気がするけど」

「そうかしら? きっと出番が久しぶりだったから張り切っちゃったのね。とりあえず今日は遊び倒しましょ」

 どこからか聞いた事のある声がした影人は、その首を周囲に回した。だが、人が多すぎたこともあってか、その声の人物たちの姿は確認出来なかった。

「気のせいか・・・・・・・?」

「ん? どうしたのさ影人。誰か知ってる人でも見かけたのかい?」

 影人の仕草に暁理が首を傾げた。影人はそんな暁理に「何でもない」と言葉を返した。

「知ってる声を聞いた気がしたんだが、気のせいだったみたいだ。ほれ、映画館は3階だろ? 行こうぜ」

 風洛の名物コンビのことがチラリと頭に過ぎったが、今はあの2人の事はどうでもいい。プライベートの時に仕事に関する事は出来るだけ思い出したくない。しかも遊んでいる時は尚更だ。

「う、うん。あ、あのさ影人・・・・・・・・・・こ、ここ人が多いだろ? だ、だから、はぐれないように、手、手を繋がない・・・・・?」

 顔を赤く染めながら、暁理は思い切ってチラリと影人を見た。ただでさえ、暁理の思い描いていたデートとは大きく乖離している。今のままでは、嬉し恥ずかしのドキドキデートなどは絵に描いた餅である。ゆえに暁理は攻めに出た。

「は? 手? ガキじゃあるまいし、そうそうはぐれるかよ。やだね、俺は」

 だが、影人の反応は冷めたものだった。面倒くさそうに首を横に振ると、そのまま歩こうとする。

(くっ・・・・・・さすが影人。守りが固い。でも、今日の僕は攻めるよ! じゃなきゃ何も変わらない!)

 暁理は決意を固めると、先を歩く影人の左手を自分の右手で握った。

「あ・・・・・」

 自分から握ったというのに、思わずそんな声が漏れてしまう。影人の手は見た感じだと、あまり大きくはなく、女性である自分と似ていると思っていたが、自分の友人の手は自分の手とは全く違い、硬くゴツゴツとしていた。

「っ・・・・・・何だよ暁理。だから手は繋がなくても――」

「ダメ・・・・・・・・・かな?」

 上目遣いで暁理は影人を見た。相変わらず影人の顔はその半分を前髪で覆われているため、その表情は分かりにくい。暁理にはいま影人がどのような目で自分を見ているのかが分からない。

(僕の心臓の高鳴りが、このドキドキが君に聞こえれば、君はもっと反応してくれるんだろうか?)

 影人のリアルな体温を握った手から感じながら、暁理は無意識にそんなことを思った。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・はあー。今回だけだぞ」

 ガリガリともう片方の手で頭をかきながら、影人は暁理の手を握り返した。

「! うん・・・・・・!」

 暁理は弾けるような笑顔を浮かべた。友人の今まで見たこともないような笑顔を見た影人は、不覚にもドキリと一瞬だけ胸が高鳴った。

(っ・・・・・・何だ今のは? まさか暁理が可愛いとでも思ったのか? ははっ、ありえねえだろ。そんな思いは感情に繋がる。俺にはもうそんな感情は――)

「? どうしたの影人?」

 突如として黙った影人を不審に思ったのか、暁理が不思議な顔でそう聞いてきた。

「あ、ああ。・・・・・・・悪い、ちょっと考え事してただけだ。行こうぜ」

「うん! えへへ・・・・・・・・」

 雑念を振り払うように影人はそう答えると、暁理の手を引いて映画館を目指した。









「で、何みるよ? 俺としてはまだこのアニメの映画なら見たいって感じなんだが」

「そうだね、確かにこれは僕も見たいかも。でも、せっかくなら普段見ないような映画も見てみたいよね」

 3階の映画館のフロアに辿り着いた2人は、現在上映している映画の一覧を見て、そんな事を話し合っていた。現在上映している映画は、洋画に邦画、アニメにホラー、恋愛映画など様々だ。

「普段見ないような映画? 例えばなんだよ?」

「そ、そうだね。例えば・・・・・・こ、この恋愛映画とかどうかな・・・・・・・・・・?」

 暁理がどこか恥ずかしそうにある映画に指を向けた。それはいま人気の恋愛映画で、影人もよくテレビのコマーシャルで見かけたものだった。

「恋愛映画か・・・・・・・・・俺、あんまりこういった映画見たことないんだよな。登場人物の感情とか行動とかが、あんまり理解できないっていうか」

 暁理の提案に影人はあまりいい反応は示さなかった。理由はいま言った通りで、影人は今までの人生で1度も恋というものをしたことがないから、イマイチ恋愛映画の楽しさがよく分からないのだ。

「そう? 確かに僕も昔はあまり面白いとか感じなかったけど、最近は面白いと思えるようになったんだよ」

「ほう? それはまた何でだ?」

「え!? いや、それはその・・・・・・・・」

 影人のその問いかけに思わず暁理は口ごもった。理由は簡単で、いま自分にその問いかけをした人物に関連しているからだ。だが、そのことをバカ正直に言うほど暁理は素直ではなかった。

「さ、最近少女マンガにハマっててさ! それが影響で・・・・・・・」

 パタパタと両手を振って、暁理はそう言い訳をした。今日は攻めると決めた暁理ではあるが、このような不意打ちの状況にはまだ対応できないでいた。ゆえに、少々苦しい言い訳であることは暁理も認めていた。

「なーんだ、そういうことかよ。まあ、お前も女子だもんな。それで今日のお前の行動に合点がいったぜ。さてはお前少女マンガのシチュエーションに憧れたな? だから手頃な俺を使って、今日は色々と少女マンガっぽいことをしようと思ってたわけだ」

 だが、暁理のその言い訳に影人は納得がいったという風にしきりに頷いた。実はさすがの影人も今日の暁理はどこかおかしいと思っていたのだ。服装はいつもの暁理とは全く違うし、手は繋ぎたいというし、今に至っては恋愛映画を見たいという。確かに暁理も女子であるからそういったことに元々多少の興味はあったのだろう。そこに少女マンガにハマったという事実が加われば、その興味は行動へと移される。

 そこで一応男性で友人であり、そういったことに気軽に使える影人に白羽の矢が立ったのだろう。そのことに利用されたことは少々腹立たしいが、実際に「少女マンガにハマってて、少女マンガにありそうなシチュエーションをやってみたいから、付き合って欲しい」と言うのは思春期の自分たち世代からしてみれば、かなり恥ずかしい。そこは影人も思春期なので、理解がある。なので怒るということはしない。

 代わりに、影人は自分の数少ない友人に今日くらいは協力してやろうと思った。

「しゃーねえな。そういうことなら俺も今日は協力してやる。ま、俺は少女マンガの男みたくイケメンじゃねえし、見た目も暗いがそこは我慢してくれよ?」

 そう言って、影人は「んじゃ、見るのこれで決まりな。チケット買いに行こうぜ」と再び暁理の手を握ってきた。

「え? え?」

 暁理はまだ状況がよく理解できていなかった。それも仕方ないだろう。何せ自分の苦し紛れの言い訳に、なぜか影人は納得し意味の分からない理屈で暁理に協力すると言い出してきたのだ。しかもまた手を握ってくれたのだから、暁理の脳内は色々とパンクしかけていた。

 そして影人に手を引かれるまま、暁理は映画館のチケット販売機の前についた。そしてあれよあれよという間に、影人と暁理は恋愛映画のチケットを購入した。

「ちっ、せっかくならペアシートにしたかったがちょいとお高いしな。・・・・・・・・おい、暁理。もしお前が望むなら、映画見てる最中も手繋いでてやるけどどうする?」

「え・・・・・・・・あ、お、お願いします・・・・・・?」

「何で疑問形なんだよ。ま、そこは了解した。つーか、少女マンガに憧れてるなら手のつなぎ方も変えた方が良いよな。えーと、確かこうだっけか」

 影人は今まで普通に握っていた暁理の手と自分の手を絡めるような握り方に変えた。俗に言う、「恋人つなぎ」というやつだ。

「! え、影人・・・・・・・・・?」

「くくっ、やるなら徹底的にだ。今日1日は俺が仮初めの彼氏もどきになってやるよ。さあ、軽食と飲み物を買おうぜ暁理」

 にやりと笑顔を浮かべて自分を見つめてくる影人。さっきまでの影人とは全く違い、今度は暁理が影人に攻められている状態だ。

(な、なんか誤解されてるみたいだけど・・・・・・・・こ、これはこれで悪くないかな・・・・・・うう、というかさっきからドキドキが止まらないよ、僕)

 だが、そのドキドキがどこか心地良い。脳内で幸せ物質が出ていることがわかる。

「・・・・・・・・・えへへ、今日はいい日だなぁ」

「? なんかいったか暁理?」

「ううん、何でも無い。――ただ、楽しいなって」

 暁理の言葉に影人は「そうかい」と笑みを浮かべ、2人は恋人つなぎのまま、飲食用のショップに足を運んだ。










「どうだった影人? 僕はかなり面白かったけど」

「そうだな・・・・・・・・・まあ思ってたよりは面白かったかな。特に後半」

「だよね! 僕も後半からはワクワクしっぱなしだったよ!」

 恋愛映画を見終えた2人は、地元に戻って来ていた。夕日が世界を照らす中、2人は変わらず恋人つなぎのまま映画の感想を話し合っていた。

「で、今日はどうだった? 満足は出来たか?」

 影人が暁理に今日1日の感想を聞いた。暁理の今日の目的が、少女マンガっぽい事をやることだと誤解している影人は、そういった意味で暁理に問いかけたのだ。

「うん! もちろん、大満足だよ! 今日は本当に楽しかった! 本当に今日は付き合ってくれて、ありがとね影人」

「おうよ、ならよかったぜ。つーか、悪いな暁理。こういった事なら、お前の言う通りちゃんとした服着てくるべきだったな。まあ、俺のちゃんとした服なんてあんまりないけどな」

 自分の服装を見下ろしながら、影人は暁理へと謝罪した。暁理のバッチリとした服装とは違い、お世辞にも自分の服装は釣り合ってはいない。一応、この服装は自分のお気に入りだし、普段着でもあるのだが、そういった事では今日はなかった。

「いや、全然いいよ。確かに僕も最初は文句言っちゃったけど、なんか影人らしいし。でも、1回は君のちゃんとした服も見てみたいな。僕、君のそういった服装は見た事ないし」

「はっ、ならいつかは見せてやるよ。馬子にも衣装って感じで驚くなよ?」

「ふふっ、なにさそれ? わかった、じゃあ楽しみにしてるよ」

 影人の言葉に暁理はクスクスと笑った。

 そしてしばらく他愛のない話をしていると、2人のそれぞれの帰路への分かれ道が近づいて来た。

「じゃあ、今日はこれでお別れだな。またな暁理」

「うん、またね影人。・・・・・・・・・・ねえ、影人。ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ目つぶっててくれない?」

「は? なんで――」

「い、いいからっ!」

 なぜか顔を赤くしている暁理の妙な要求に、影人は反射的に従ってしまった。影人の両目は前髪で覆われているため、暁理からは見えないのだが、影人の細かな体の動きから、暁理は影人が瞳を閉じた事を察した。

(い、いくぜ僕・・・・・・・・・・・これが今日の僕の最後の、そして最大の攻めだ!)

 暁理は決心を固めると、グイっと自分の顔を影人の顔へと近づけた。

 そして――

(ん? なんだ? 頬っぺたになんかへんな感触が・・・・・・)

 一瞬だったが、何か温かいものが影人の頬に触れた。だが目を閉じていたので、影人にはそれがなんだか分からなかった。

「じゃ、じゃあ、僕もこれで失礼するよ! バイバイ!」

 暁理は恥ずかしいような、それでいてニヤけたような奇怪な表情でそう言うと、分かれ道を走り去っていった。

「あの感触は・・・・・・・・・・・・いや、まさかな。流石のあいつも、好きでもない奴にあれをするほど気安くはないだろ」

 きっと他の何かだろう。影人はそう納得すると、自分も帰路へと着いた。

(・・・・・・でも、なんで心拍数が上がってるんだ?)

 だが影人の心臓はいつもよりも、なぜかかなりドキドキとその鼓動を刻んでいた。

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