第57話 イヴ・リターンキャッスル

「俺と契約を結ぶため・・・・・・・・・?」

「ああ、言っとくが拒否は出来ないぞ。お前には俺が決めた契約内容に従ってもらう。もちろん、その契約でお前という存在が消えることはねえよ」

 影人の言葉がよほど予想外だったのか、スプリガンの力の化身である少女は、おうむ返しで影人にそう聞いてきた。奈落色の瞳を大きく見開く化身に、影人はそう返し、話を続ける。

「じゃあ、契約内容を言うぞ。――1つ。2度と俺の体を乗っ取ろうとしないこと。これは絶対守れよ。1つ。俺に全ての闇の力を扱えるように協力すること。具体的には、身体能力の常態的強化、回復、無詠唱とかだな。とりあえず俺が今まで出来なかったこと全部だ。お前は闇の力そのものだから、それくらいはできるだろ? 以上が契約の内容だ」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・は? それだけか?」

 影人にどんな理不尽な契約を言い渡されるかと覚悟していた化身は、あまりの契約内容の少なさに、またその拍子抜けした内容に開いた口が塞がらなかった。

「? そうだが・・・・・・・? 俺としてはこれでもけっこう欲張ったんだがな。本当なら最初の『体を乗っ取らない事』だけでも契約を結べたら万々歳だったんだが、欲張れそうだったから2つ目も付け加えさせてもらったってところだな。んで、文句はないよな? まあ、あってもこの条件は飲んでもらうが」

 一方、影人からしてみれば化身の少女の態度の方が意外だった。影人はもっと反発されると踏んでいたのだが、化身の少女はなぜか驚いているだけだ。

「それは分かってる・・・・・・・・・・・俺が言いたいのは、本当にそれだけでいいのかって事だ。俺は敗者だ。お前が望めばもっとえげつない契約だって――!」

「ああ、それはいいよ。俺からしてみれば、これで十分なんだ。いや、十分以上か。だから、契約内容はその2つだけでいい」

 意味が分からないといった感じの化身の言葉に、影人はあっさりとした感じで言葉を返した。化身は首を横に振りながら、「何でだよ・・・・・」と立ち上がり影人に詰め寄った。

「何でお前は俺の存在を残すんだ!? なぜ、俺を消さないっ!? それで全ては丸く収まるだろ!? そして契約をするにしても内容も甘過ぎるッ! 何で、何で何だよ!? 答えろっ! 帰城影人!!」

 化身たる少女の慟哭どうこくが響く。別に化身は悲しいわけではない。だが、どういったわけか化身の両の目からは涙が溢れる。この涙は先ほどの恐怖による涙とは違う。意味のわからない、感情がごちゃごちゃになった末に出た、そういった涙だ。

「・・・・・・・言った筈だ。お前には2回助けられた。お前にとっちゃ宿主に死なれちゃ困るから、だったかもしれないが、俺にとっちゃそれは明確で大きな借りなんだよ。借りは返さないとな」

 制服の襟を緩く掴んで泣いている化身に、影人はほんの少しだけ口角を上げて、そう言った。

 そして、影人は右手を上げて、右手を化身の頭に乗せた。

「それに・・・・・・・・・・・・お前は俺の感情から生まれたんだ。例えお前が暗い感情から生まれたとしても、それは変わらない。ちょっと、いやだいぶ気持ちの悪い表現になっちまうかもしれんが、そういった意味では、お前は俺の娘なんだよ」

「っ!?」

 恐る恐るといった感じで、影人は右手で化身の頭を撫でた。その少し恥じらいを含んだ優しい言葉に、頭を撫でられるという所作に化身はその目を大きく見開いた。

「子供を消す親はいねえよ。お前は俺の感情から生まれた。俺にはお前を生んだ責任がある。・・・・・だから、お前はいてもいいんだよ。これがお前を消さない理由だ。どうだ満足か?」

 後半は自分で言っていてかなり恥ずかしかったのか、影人は少しぶっきらぼうにそう言った。そして撫でていた右手をゆっくりと引っ込めようとした。

 だが、化身は俯きながら影人の右手を両手で握った。

「っ・・・・・・・お、おい?」

「何だよそれ・・・・・・俺が、お前の娘? ははっ、バカかよ。・・・・・・・お前は、大バカさ・・・・・・!」

 助けた理由も自分を消さなかった理由も聞いた化身は、影人の暖かな手を握り締めながらくしゃくしゃの笑みを浮かべた。相変わらず涙は止まらないし、ひどい顔になっているが、俯いているから影人には顔は見えないだろう。

(こいつは、本当に甘い野郎だ・・・・・)

 先ほど影人が自分を助けた理由は、心の折れた自分を好き放題に出来る事と、契約を結ぶためだと言っていた。

 だが、それはきっと建て前だ。いや、契約に関しては建て前ではないかもしれないが、自分を好き放題に出来るからというのは建て前。影人の本心はきっと自分が泣きながら尋ねた理由の方だ。

 なぜなら自分は知っている。帰城影人という少年の優しさを。

(俺は・・・・・・・・いてもいいんだ)

 嬉しかった。自分の存在を肯定してもらえたのが。嬉しかった。頭を撫でられたのが。嬉しかった。娘と言われて。

 しばし喜びの感情に浸りながら、化身は影人の手を握り続けた。











「さて、お前もようやく泣き止んだ事だし、そろそろ契約に取り掛かろうぜ。ったく、娘がこんなに泣き虫だとお父さん心配だ」

「おうてめえ、早速父親面すんなよ。気持ち悪くて吐き気がするぜ」

 化身たる少女が嫌そうな顔でそう毒づいた。影人はそんな少女を見て、「ふっ、反抗期か」と呟いたのだが、本気で嫌な顔をされたので、もうそう言った事は言わなかった。ほんの少しだけ悲しい影人であった。

「さて、なら契約だ。紙とかはないし、口頭のみの契約にはなるがいいな?」

「けっ、敗者に口なしだ。しゃあねえから契約してやるよ」

 化身はガリガリと頭を掻きながら口を尖らせた。そんな化身の様子を影人は「OK」と受け取った。

「では――1つ。甲(化身)は乙(帰城影人)の体を乗っ取ろうとしない事。これは絶対である。――1つ。甲は乙に十全なる力の解放を許可する事。この十全なる力とは、今まで乙が扱えなかった全ての力を指す。以上の契約を破った場合、乙は甲に強制力を発揮する権限がある。甲は以上の契約に同意するなら、右手を前に」

「ちっ、ちゃっかり裏切った場合の対策しやがって。――分かったよ。甲は乙の契約に同意する」

 影人の契約内容に、化身は一応の納得を示した。そして影人の言葉通り、化身は右手を前に突き出した。

「甲の同意を乙が確認した。では、乙が甲に名を与える事によって契約は成立したものとする」

「は? 名前? 何だよそれ――」

 全くもって不意打ちの言葉に化身は戸惑いの表情を浮かべる。だが、影人はそんな化身の言葉を無視して言葉を続ける。そしてその名前を口にした。


「甲に乙が名を与える。甲の名は――イヴ。イヴ・リターンキャッスル。それが甲の名である」


「っ!?」

 影人が化身の――いや、イヴの右手に右手を合わせた。すると、周囲に闇の炎が弾け、それらは一瞬強く燃え上がると、パチパチと音を立てて消えていった。

「名を与えるという事は、その存在を縛るという事。てなわけで、お前は今日から『イヴ・リターンキャッスル』だ。名前の由来は、イヴって意味と悪意イヴィルって意味のダブルミーニングだ。お前にはピッタリの名前だろ? リターンキャッスルっていうのは、俺の苗字『帰城』の英訳だな。帰るって意味は、本来ならゴーホームなんだが、それだと語呂が悪いから、戻る帰るとかの意味のリターンにした。ふふん、どうだ? 我ながら良い名前だと思ってるんだが」

 ドヤ顔で名前の意味を解説する影人。イヴはしばし心の中で「俺はイヴ・リターンキャッスル・・・・」と反芻して、影人に悪態をついた。

「けっ、何で和名じゃなく英名なのかは知らんが、センスのねえ名前つけやがって。最悪だぜ。・・・・・・・だが、つけられちまったもんはしょうがねえ。仕方なく受け取ってやるよ。俺はイヴ・リターンキャッスルだ。くくっ、これからよろしく頼めぜ? 影人さんよ」

「おうよ、よろしくなイヴ。――と、その前に」

 影人はニコニコとしながら、右手を大きく後方へと引いた。そしてイヴに見えないように拳を握った。

「?」

 イヴが「何だ?」といった感じで眉を潜めた。影人はそんなイヴの様子を見て、イヴが完全に油断していることを確認した。

「1発殴らせろ!」

「は? ――ぶっ!?」

 そして、影人渾身の右ストレートがイヴの左頬に綺麗にめり込んだ。精神世界の影人の身体能力はスプリガンと同等。そのため、イヴはかなり遠くまで吹っ飛ばされる事になった。

 激しい幻痛を左頬に感じ、イヴは地面へと倒れた。

「て、てめえ! 何のつもりだこの野郎!?」

 左頬に手を添えながら、イヴは立ち上がりいきなり自分を殴ってきた影人に抗議の声を上げた。すると影人は晴れ晴れとした顔でこう答えた。

「いやースッキリした。ケジメだよケジメ。お前にはぶっちゃけ拷問されたし、他にも色々とフラストレーションが溜まってたからな。だから1発だけは本気で殴ろうと思ってさ。まあ、今の1発で今までの分はチャラにしてやるよ」

「な・・・・・・・・!?」

 影人の言い分を聞いたイヴは一応の理解はした。確かにイヴが影人にしたことを考えれば、1発くらい本気で殴られる事はわかる。では、なぜイヴが未だに目を見開いて驚いているのかと言うと、それはタイミングの問題だった。

「てめえ普通いまのタイミングで殴るか!? 殴られるのは理解がいったが、タイミングってもんがあるだろ!? 今までの感動的な雰囲気台無しじゃねえか! この暴力親父が!」

「ふ、そんなもんは知らん。マンガやラノベの主人公ならそもそも殴らんだろうし、殴るにしても今のタイミングでは殴らんだろう。だが、俺は違う。俺はやる時はやる男なんだよ!」

「何でドヤ顔なんだよ!? クッソ、頭に来たぜ! やっぱ俺にも1発殴らせろ!」

「お、ケンカか? いいぜ、初めての親子喧嘩だ! さあ来い娘よ!」

「だから父親面するんじゃねえよクソ親父!」

 影人を睨みつけながら怒るイヴに、影人は楽しそうに言葉を返す。

 2人の奇妙な親子の殴り合いが始まった。だが、2人の様子はどこか楽しそうだった。











「――ていう事があって、問題は解決したってわけだ」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・何というか、やはりあなたは無茶苦茶ですね。そんなあなたに慣れてきた私が、少し悲しくなりますが」

「褒め言葉として受け取っといてやるよ」

 己の精神世界でのいきさつをソレイユに話した影人は、呆れているソレイユを見てふんと鼻を鳴らした。

「とりあえずこれで俺の悩みは消えた。しかも新しい力も得られたからだいぶ儲けもんだったぜ。まあ、なんか娘みたいな奴も増えたし、今回は上々だったな」

「だから俺は娘じゃねえ。2度と間違えんなよ影人」

 影人の言葉を隣に座って聞いていたイヴは、心底嫌そうにその顔を歪めた。

「つれねえな。さっきは親父って呼んでくれたのに」

「あれはその場の勢いで言っただけだ! 勘違いするな!」

「あはは・・・・・・・」

 影人とイヴのやり取りを見たソレイユは苦笑いを浮かべた。

 影人が精神世界から戻ってきてその目を覚ました時、影人は案の定ソレイユに膝枕をされている状態に驚きとてつもなく嫌がった。その影人の態度にソレイユもムキになり口論になった。そして口論も終わり、影人から「見せたい奴がいる」と言われ、ソレイユが何の事か戸惑っていると、影人の横の空間にある少女が現れた。それがイヴだった。

 それから何が何だか分からないソレイユに、影人は精神世界で何があったか、それにイヴについての事を話した。イヴが影人の言っていた「悪意」であることには驚かされたが、ソレイユの感想は今さっきいった言葉に集約されている。帰城影人という少年はどこか無茶苦茶なのだ。そう納得するしかない。

「ところで影人。イヴさんはなぜ肉体を得て私達の前にいることが出来ているのですか? イヴさんはスプリガンの力、その意志。話を聞いていた状況から考えるに、イヴさんは肉体を得たかったから影人の体を乗っ取ろうとしたんですよね? ですがイヴさんはこうやって私達の前にいる。これはいったい・・・・・・」

「へー。アホ女神にしてはいい質問だな」

「誰がアホ女神ですかっ! そういうのは本当にやめてください! 私が本当にアホみたいじゃないですか!? というか今のあなたはスプリガンなんですから、見た目と言葉のギャップが凄いんですよ! だから尚更やめてください! スプリガンのイメージが壊れます!」

 ある意味いつも通り、プンプンと怒りながらソレイユは影人に抗議した。今の影人はスプリガンの変身を解いていないため、普段の影人と同じ言葉を聞くと、そのギャップが凄まじい。 

「知るか。別にここには俺の正体知ってる奴しかいないからいいだろ。それよかお前の質問に対する答えだが――」

 スプリガンの姿のまま、影人は対面に座るソレイユに事情を説明した。

「仕組みは簡単だ。俺が闇でイヴの体を作って、イヴがその体に意志を飛ばすだけ。イヴは闇の力の意志だから、闇で作った体になら意志を飛ばせる。これがイヴが俺たちの前でも存在してる理由だ。まあ、俺が変身を解除しちまえばイヴの体は消えちまうがな」

「そういうこった女神サマ。影人が変身していない時の俺はペンデュラムの黒い宝石の中にいる。体はねえが俺の意識は存在してるから、話そうと思えばあんたと影人みたく、俺も影人と念話ができるぜ」

「まじかよ、初耳だぞそれ。という事は娘と四六時中話すことも可能ってわけか・・・・・・・・」

「また娘って言いやがったなてめえ!? ふざけんな気持ち悪いんだよ! やっぱ念話は絶対しねえ!」

「寂しいこと言うなよイヴ。俺だってたまにはクソアホ女神以外とも念話したいんだよ」

「だーれがクソアホ女神ですか!! もうキレました! 影人ぉ! そこに直りなさい! 説教です!」

「ふざけんなアホ女神! アホにアホといって何が悪い!」

 ギャースカギャースカと神界に3人のふざけた怒号が飛び交う。今回の事態はこれでめでたし、と言いたいところだが、影人は1つだけソレイユに話していないことがあった。それは影人の精神世界の奥底に封じられていたあの影のことだ。

 あの影の事は、いやあの影に関することは影人は自分以外の存在に言うつもりはない。それが例えソレイユであってもだ。それは影人があの影の本体と出会った後から決めていた事だ。

 イヴには知られてしまったが、イヴにもあの影の事はソレイユに言わないようにと精神世界から帰る前に言っておいた。イヴは真剣な影人の様子にしぶしぶといった感じではあるが従ってくれた。だからイヴもソレイユに影の事は話していない。

(に関する事は墓場まで持っていく。それが俺が決めたことだ)

 ソレイユやイヴと賑やかに騒いでいる中、影人は心の中でそんなことを考えていた。

(だが、とりあえずは一件落着か・・・・・・・)

 騒いでいるイヴを横目に見ながら、影人は優しい笑みを浮かべた。確かに、レイゼロールとの戦いから今日まで続いたイヴの問題は一筋縄ではいかなかったが、得られたものは非常に大きかった。

 イヴとの共存、そして新たなる力。

 今後の戦いにこの2つは確実に影人の助けになるはずだ。

 こうしてイヴと話し合える結果になってよかったと、影人は心の底から思った。

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