第54話 対面

「・・・・・・・・・・・ん? ここは――」

 気がつくと、影人は夜の闇に包まれた世界にいた。

 頭上に輝くは美しき三日月。周囲にはマンションが一棟、それに見慣れない図書館のような建物。小学校、中学校、そして現在影人の通っている風洛高校のような建物、あと2階建ての一軒家が、ぐるりと影人を囲むようにそびえたっていた。

「これは・・・・・・この建物は」

 図書館を除いた全ての建物を影人は知っていた。マンションはいま自分が住んでいるマンション、小学校、中学校は今まで自分が通っていた学校だ。風洛高校は言わずもがな。そして、昔自分が、自分たち家族が住んでいた2階建ての一軒家。これらの建物は全て今までの影人を形成してきた重要な場所だった。

「・・・・・・・・・なるほどな。ここが俺の精神世界ってわけか」

 それらの建物を見てようやく理解がいった影人はポツリとそう呟いた。

 今、影人が立っている場所は広場のような場所だ。後ろから何かが流れるような音がするので振り返ってみると、そこには噴水があった。よくよく見てみると、まるで公園のようにベンチが何台か噴水の周囲に設置されていた。そしてこの広場を完璧な円として覆うように、それぞれの建物は設置されていた。

「服装は・・・・・・・・さすがにいつもの俺だな」

 ベンチに腰掛けて影人は自分の服装を見直した。そもそも、ここは精神世界なので体という概念はないはずだが、現に影人には体があった。まあ、夢のようなものと理解するしかない。

 今の影人は風洛高校の制服に身を包み、前髪の長さもいつも通り顔の半分ほどを覆っていた。つまり普段の影人だ。

 この精神世界に潜るまえ影人はスプリガンに変身していたので、もしやスプリガン時の姿なのではと思ったのだが、そうはならなかったようだ。恐らく、ここでは自分の真実の姿が投影されるのだろう。

(だが、まあ変身してここに来たから、はずだ。じゃなきゃ、俺がここに来た意味がないからな)

 内心そのようなことを思いながら――精神世界で内心というのも変だが――影人は周囲を見渡した。当然といえば当然だが、ここには自分以外誰もいない。

 だが、影人は確信していた。この空間には、必ずいるはずなのだ。自分以外の誰かが。自分に干渉してきたある意志が。

「――どこに隠れてるのかは知らねえが、いるんだろ? いるなら姿を見せてくれよ。お互い、ちゃんと対面しあって腹ァ割って話そうぜ!!」

 大声で、それこそ半ば叫ぶように影人はそう言葉を紡いだ。しばらく影人の声が少し響いたが、それが収まると圧倒的な静寂だけが再びこの場を支配した。

「・・・・・・・・・・・・」

 影人はしばらく待った。だが、静寂に変化は訪れない。影人の言葉は己の精神世界に虚しく響いただけだった。

 そう思われた時、影人から少し離れた場所に昏い昏い穴のようなものが突如として出現した。そしてその穴の中から1人の少女が姿を現した。

 見たところ、十代前半くらいの見た目の少女だ。黒いボロ切れのような服を纏ったその少女の身長は、140と少し程だろうか。紫がかった色の黒い髪は、数少ない影人の友人の暁理と同じくらいの長さだ。

 そして、その謎の少女の顔。それは本来なら美少女と言われるほどに整っているであろう顔なのだろう。だが、ベンチに座っている影人を睨み付けているため、その顔は中々に凄まじい事になってしまっていた。

「はっ、初対面でなんつう眼向けてきやがる」

 自分を睨む少女の眼は、光届かぬ奈落色であった。影人も日本人なので瞳の色は黒いが、少女の瞳はきっとそれよりももっと黒い。いや、昏いといった方が正しいか。

「・・・・・・・・・・・何しに来やがった」

 ベンチ周囲の街灯の光に照らされた少女が、忌々しそうにそう言った。その声はフェリートの戦いの時に影人が聞いた「お前に死なれちゃ困る」という女の声と同一であった。

(ビンゴだ。やっぱり居やがったか)

 そして影人はニヤリと笑みを浮かべた。今、自分の前に現れたこの少女が(まさか少女の姿をしていたとは影人は考えてもいなかったが)影人に干渉してきたモノ、それ自身だ。

「まさか、そんな見た目だったとはな。随分と可愛いらしい見てくれじゃねえか。ええ? よ」

「あ? チンピラみてえな言葉しやがって。見た目と言葉が矛盾してんだよ、前髪野郎。後、この姿はわざわざ作ってやったんだ。俺の意志と力が強まって人型に姿変えれるくらいは出来るようになったからな」

 くくっ、とその少女は、いや影人に干渉を続けてきた悪意は嘲笑うようにそう言葉を放った。

「そうかい、そいつはよかったな。んで、よければちょっと話そうぜ。俺はそのためにここに来たんだからよ」

 ポンポンと影人は自分が座っているベンチの横を叩く。影人の言葉に悪意は「こいつは何を言ってるんだ?」的な顔を向けてくるが、影人の言葉に嘘はない。影人は真実、悪意と話し合いをするためにここにやって来たのだ。最初に言ったではないか。「腹を割って話そう」と。

「は? 正気かてめえ。ちくしょう、何がどうなりゃそんな流れになるんだ・・・・・・・・・俺が意識の深淵に戻された間に何があった? ああ、くそ! 意識を失くしてた自分が嫌になるぜ・・・・・・!」

 ガリガリと頭を掻きながら、悪意は独り言を呟いていた。それが悪意の癖なのかは全くもって分からない。だが、独り言を呟いている悪意の姿は、影人にどこか親近感を抱かせた。たぶん、自分もよく独り言を呟くからだろう。

「ああ、そうだ。言っとくが、俺はお前の正体が分かってる。その上で話し合いたい」

「・・・・・・・はっ。それがブラフかどうかは知らねえが、いいぜ。乗ってやる。俺もお前には興味があったからな」

 少女の姿をかたどった悪意は、影人の方へと近づいてくると影人の横へと腰を下ろした。このベンチは長さ的には4人ほど座れそうな感じだが、悪意は1番端に座ったので、影人との距離は2人分ほど離れている。つまりお互い端と端に座っている感じだ。この距離が現在の2人の距離を端的に表していた。

「まずは礼を言っとく。ありがとう。お前がいなきゃレイゼロールは撤退しなかったろうし、俺も今頃は死んでただろう。さっきのキベリア戦に関しては、まあ手放しに感謝は言えねえが、キベリアは撃退出来たみたいだしサンキューだ。まあ、愚痴もけっこうあるからそれは後で言うが」

「・・・・・・・・けっ、言ったはずだぜ。お前に死なれちゃ俺も困るんだよ。だからお前を助けたわけじゃねえ、そこは勘違いするな」

 影人の言葉を受けて、悪意はまるで苦虫を噛み潰したような表情でそう吐き捨てた。そこに照れ隠しのような感情は一切なく、ただただ悪意は不快そうであった。

「そうか・・・・・・それじゃあ1つ質問だ。何で、? お前が自我を持ち始めたのは、たぶんレイゼロール戦の時だろう。もしお前が自我をそれ以前から持っていたなら、もっと早くから俺に干渉してきたはずだ。・・・・・・さっきも言ったが、俺にはお前の正体が分かってる。だが、なぜお前が自我を意志を持ったのか。これだけは分からなかった。お前が自我を持ち始めたのには、何かきっかけがあるはずだ」

 ゆっくりと説明するように、影人は自分の考えを悪意に告げた。そう。この事だけは影人にも分からなかった。悪意が意志を持ったのは、初めて自分の身に危険が迫ったから、という理由ではない気がするのだ。

「くくっ。その質問ができるって事は、俺の正体が分かってるってのはブラフじゃねえな。てめえには本当に俺の正体がわかってるらしい」

 奈落色の瞳を自分に向けながら、悪意はニヤニヤとした笑みをその顔に張り付けた。影人がそのまま悪意の言葉を待っていると、悪意は話を続けた。

「俺という意志が、自我が発生した理由? おいおい、酷いじゃねえか。俺が生まれたのはお前が原因だっていうのになぁ?」

「俺が・・・・・・・・?」

 悪意がさも可笑しいといった感じで、嗤った。影人はそのような答えは完全に予想していなかったので、呆けたようにそう聞き返した。そして悪意はなぜか徐々に距離を詰めてきた。

「願っただろ? 求めただろ? レイゼロールと戦った時、お前は力を求めた。守る力じゃねえ、敵を壊す力をよ・・・・・・・!」

「っ・・・・・・・!?」

 気がつけば、少女は超至近距離から影人の顔を覗き込んでいた。まるで深淵に覗かれているような薄ら寒さを影人は感じた。

「俺はそんなお前の昏い思いから生まれたのさ。そうさ、お前が俺を生み出した! はははっ、ははははははははははははははははははははははっ!!」

 笑う、嗤う。少女の姿をしたモノは哄笑を抑えきれずに声を上げた。そして未だに呆けている影人に悪意は説明を続けた。

「言っとくが、俺はイレギュラーだ。帰城影人、お前の本質、お前がソレイユから与えられた力、お前が抱いた昏い思い、そんな要因が合わさってイレギュラーは生まれちまった。見ろよ、この精神世界の空を」

 そう言って悪意は三日月が浮かぶ夜空を見上げた。悪意に釣られるように影人もほとんど無意識的に内なる世界の空を見上げる。

「何でこの精神世界が夜なのか知ってるか? それはお前の本質が闇だからだ。俺もお前以外の精神世界に行った事はねえから断言は出来ねえが、普通の人間の精神世界は陽が出てると思うぜ? まあ、それが朝なのか昼なのか夕方かは分からねえけどな」

「・・・・・・・・・・それが何だって言うんだ?」

 ようやく驚きから立ち直ったように、影人はそう呟いた。悪意の言った事実には確かに驚かされた。だが、悪意の言った影人の本質が闇という事に関しては、悪意がいったい何を言いたいのか分からなかった。

 影人がスプリガンとして振るう力は、確かにレイゼロールサイドと同じ闇の力だ。その力の性質ゆえにスプリガンは光導姫・守護者から敵と見なされることも多々ある。今でも闇の力を扱う自分は、闇人などではという噂もあるとソレイユがいつだか話してくれた。

 結局のところ、影人が言いたいのは「その本質が闇というのがどういった意味を持つのか」という事であった。

「俺にはお前にはない知識がある。で、当たり前だが知識の出所まではお前には話さねえ。――で、その知識に当てはめて言うとな、お前は

 悪意の表情が変わった。先ほどまでの人を食ったような態度はなりを潜め、悪意は難しそうな顔になりながら影人が異常であるという理由を話し始めた。

「人間の本質は光。これは決して変わらねえ。それはどんな大罪人でも、反吐の出るような邪悪に塗れた所業を行ってきたクズでもだ。人間は光の本質に分類されてんだよ。誤解のないように言っとくが、人間が光のように明るい希望がどうだこうだとか、性善説がどうのこうのとか、そんな理由で本質が光になったんじゃねえぞ? 人間の本質が光なのは、神々の庇護下にあることを示すため。つまりは神様たちがそう決めたんだよ。だがよ、お前は人間のはずなのに本質が闇だ。これは本来ならあり得ねえ。だからお前は異常ってわけだ」

「・・・・・・・・・・・?」

「まだ意味が分からねえって顔だな帰城影人。まあ、それもそうか。俺はあの図書館でお前の記憶や今までの知識や体験を覗いたが、ソレイユに力を授けられるまで、お前はごくごく普通の人生しか歩んでこなかったもんな。そりゃあ、いきなり本質がどうのこうのとかいった問題は分からねえか」

 この広場を囲むように建っている建物の1つ、見慣れない図書館のような建物を指さしながら悪意はため息をついた。その顔には失望の色と諦めの色が浮かんでいた。

「まあ、いいさ。この事は忘れろよ。さて――ん? 何か言いたそうな顔だな?」

 悪意が影人の方に視線を再び移すと、前髪の長い少年は口を真一文字に結び、ジッと悪意を見つめていた。前髪のせいで表情が死ぬほどわかりにくいが、悪意にはなんとなく影人が何かを言いたいことが分かった。

「・・・・・・・・あの図書館みたいな建物だけ見覚えがねえと思ったら、そういうことか。ここは俺の精神世界、ならあそこが俺の人生の記憶やらの閲覧所みたいなもんになるのか。・・・・・・・・・・・・・・つまり、お前にはあんなこんなの俺の恥ずかしい記憶を覗かれたってことだ。やめてよね、そんな事されたら僕が恥ずかしくて死んじゃうだろ」

「てめえ頭は大丈夫か? 何でこの雰囲気でいきなりボケてるんだよ。やっぱりどっかイカれてんのか?」

「やっぱりとはどういう了見だこの野郎。俺はいたって普通の男子高校生だ。ただ仕事はちょっと特殊だけどな。――出来るだけいつでもユーモアを。それが俺の座右の銘だ」

「平然と嘘をつくな。お前の図書館でお前の事を調べたときは、座右の銘なんかどこにも書いてなかったぞ。けっ、食えねえ野郎だ」

「お前には言われたくねえがな」

 軽口のたたき合い、とは少し違うが、悪意と影人はいつの間にかそんな会話をしていた。いや、いつの間にかというか完全に、どこかの前髪野郎のふざけた返しがきっかけだった。だが、本人にはそんな自覚は一切無く、影人は再び口を開いた。

「お前が生まれた理由には驚かされたし、俺の本質がどうのこうのとかいった話はよく分からんかったが、俺がここに来たのはそういったことを聞くためじゃねえ。無駄だとは言わない。俺からすればたぶん貴重な話を聞かせてもらったし、お前と話せたのはいい経験になったよ。――で、ここからが本題だ。俺はお前と話し合うため、つまり交渉するためにここに来た」

「交渉だぁ?」

「ああ」

 悪意が自分に胡散臭そうな目を向けてくる。影人は悪意の言葉に短く答えると、集中するために息を吐いた。

 影人がこの精神世界に来たのは悪意と話し合うため。それは嘘ではない、ただ影人が悪意と何のことを話し合いたいのかまでは、影人は悪意に伝えていなかった。

「このままお前のことを放っておけば、俺は仕事に支障をきたす。当然だな、いつお前に体を乗っ取られて、暴走するようなリスクのある奴が『スプリガン』の仕事なんて出来るはずがねえ。スプリガンの仕事は、その正体不明という事実を以て、1人で暗躍すること。が、実際は光導姫・・・・・・・あと守護者もか、が危険になればそれとなく助けることだ。だっつうのに、お前に体を乗っ取られた俺はレイゼロール戦の時、無差別攻撃をしちまった。下手をすれば、あの2人は・・・・・・・光導姫と守護者は死んでた」

 レイゼロール戦の時、目の前の悪意に体を乗っ取られた時のことを思い出しながら、影人はそう語った。あの時だけは本当に危なかった。ソレイユの転移がなければ、陽華と明夜、フードの光導姫と守護者は死んでいた可能性があった。

「お前に体を乗っ取られた2回目と3回目の記憶は俺にはない。だが、いつお前が気まぐれから光導姫と守護者を攻撃するか、か分からん。そんなことになれば本末転倒もいいとこだ。・・・・・・・・悪意、お前の望みは何だ? なぜ俺に干渉してきた?」

 影人は静かにそう問うた。ここに来る前、影人は悪意に反撃すると言った。その言葉にも嘘はない。ただ、悪意が思いのほか話せる相手だったので影人は交渉という手段を優先した。

(つまりは使い分けだな。俺の勝利条件は、悪意を何とかすること。その為の手段は実際のところは何でもいい。力づくだろうが、話し合いでもな。だが、話し合いに応じたなら交渉できる可能性がある。なら力づくよりも交渉の方が楽だ)

 何度も言うが、影人の言葉に嘘はない。悪意に反撃する力づくの方法も必要なら取るし、ここに来た本題も悪意と話し合う為、交渉するためでもある。

 だが、結局のところそれらは。影人は目的を達成するためなら、そのいくらでも変える。その結果が何をもたらすか。答えは簡単。悪意には自分は「わざわざ交渉と話し合いのためにここに来た、平和主義者。または甘ちゃんな人間」と思われているはずだ。

 それは影人にとって好都合。必然、悪意は影人を舐める。そこには多少の油断が生じるかもしれないし、もしかしたら交渉にも応じてくれるかもしれない。まあ交渉に応じる確率はそんなに高くないと影人は思っているが。

(さあ、乗ってくるか?)

 まるで詐欺師のように、内心と表情や態度などを分離させ、影人は悪意の答えを待った。

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