第43話 内なるモノ

 自分の右手がフェリートの肉体を貫いたことを確認した影人は、自分の賭けが成功したことを感じた。影人が闇による強化を選択したのは、剣ではなく己の右手だった。

(クソが・・・・・・・だいぶヤバイダメージ貰っちまったが、特大の一撃をくれてやったぜ。ざまぁねえ)

 両肩からヒビが広がり、ヒビは体の中心に向かっているが、それでも影人は笑っていた。いけ好かない強敵に、起死回生の一撃を通したことにより、影人は気分が高揚していた。

 ヒビはとりあえずなんとかしなければならない。だが、まだ多少は時間はあるはずだ。影人はなけなしの力を込めると、フェリートの体を貫通した右手を抜いた。

「がはっ・・・・・・!」

 影人が右手を抜いた瞬間、フェリートの体から黒い血が大量に流れ出す。人間なら心臓のある場所から少しズレたそこには、向こう側の景色が見渡せる穴が空いていた。

「闇よ、我が肉体の崩壊を止めろ。――お前に穴を空けてやるのは、これで2回目だな。気分はどうだ?」

 影人のイメージした通り、ヒビは広がることをやめた。頬と両肩からは血が流れているが、アドレナリンが出ているのか、痛みは感じなかった。

 ヒビを治すことをせずに、止める事にした理由は影人がまだ闇の力を回復へと変換できないからだ。唯一それができたのは、何かが自分の体を乗っ取った時だけだ。

 一方、影人によって黒い血を多量に流すことを余儀なくされたフェリートは、自分が不利になったことを悟った。

(まずい、まずい・・・・・・・! ただでさえ五重奏クインテットで力をフルに使っていたのに、この出血量は・・・・・・!)

 急激に力が抜けていく感覚がフェリートを襲う。執事の技能スキルオブバトラー、五重奏は流れ出る血と共に解除された。

「どうだって・・・・・・・・・聞いてるんだよッ!」

「っ!?」

 苛立ったような声を上げ、スプリガンは黒い血に濡れた右手を握りしめると、右のストレートを弱体化しているフェリートの右頬にぶちかました。フェリートは殴打を受け、よろめき倒れた。

(くそっ、力が全然入らねえ・・・・・・・・・)

 フェリートを殴った影人は、自分の力が空っぽになっている事に気がついた。

(俺がイメージしたのは、フェリートの硬く強化された肉体を打ち抜くための全力の一撃。だから持てる全ての闇の力を結果的に使ったってことだ)

 おそらく今日はもう闇の力は使えない。それが何故か実感として影人にはわかった。

「は・・・・・・・はは。ぐっ・・・・・・!? 悔しい、ですが・・・・・・あなたは、本当に、恐ろしく、強い・・・・・・」

 影人によってアスファルトの地面に倒されたフェリートが、薄弱の笑みを浮かべる。フェリートの周囲には、黒い血が水たまりのように広がっていた。

「はっ・・・・・・そうかよ」

 フェリートほどでないにしろ、影人もかなり限界だった。今になってようやく両肩の傷が痛みを訴えてきた。ポタポタと赤い血を流しながら、影人はフェリートを睨みつける。

「ええ・・・・・・今日の、私は、本気でした・・・・・・・・ですが、結果はこの様・・・・・負けましたよ」

 上体だけを起こしこちらを見上げるフェリート。負けを認める宣言をした闇人に、影人は変わらず警戒をしながら言葉を返す。

「・・・・・・・さっさとそのままくたばっちまえよ」

「くくっ・・・・・手厳しい。ですが、それは無理です・・・・・・闇人は、死なない。いや、んです。光の浄化、以外で私たちは・・・・・死なない」

 穴の空いた体で闇人のことを語るフェリートに影人は漠然とした不信感を覚えた。

(何だ? 何かが引っかかる。こいつは何でそんな話を俺にする? でかいダメージを負ったなら、前みたいにさっさと撤退すりゃあ・・・・・・)

 そうだ。なぜフェリートは撤退しない。もしかして力が使えないなどといった理由か。先ほどのフェリートの圧倒的な力を考えれば、もしかしたらという事もあるかもしれない。

 だが、影人にはそうは思えなかった。フェリート程の人物が最低限の余力を残していないとは考えられない。

「ああ・・・・・その顔。くくっ、やはり、あなたは、侮れ、ません、ね」

 ただ薄弱に笑う闇人に、影人は今までにない危機感を感じた。速く、速くこの場を離れろと影人の危険信号が点滅している。

「私は・・・・・・・1つ、嘘を言いました。・・・・・・・私は、まだ・・・・・・・」

「どういう意味だ・・・・・・!」

 この状況を第三者が見ても、勝者は影人と言うだろう。フェリートは倒れていて、影人はまだ立っている。それは明確な差だ。

 だと言うのに、フェリートが嘘を言っているようには影人は思えなかった。

「・・・・・・・よく、考えてみる、ことです、ね。あなた、がいま立っている、その場所を・・・・・・・・」

「場所・・・・・・?」

 影人がいま立っているのは、ただのアスファルトの道路だ。フェリートが倒れている場所からは、ほんの少しだけ離れている。位置で言えば、ちょうど提督と向かい合っていた時の中間地点。

(まて、中間地点? ここに何かなかったか? そう、提督と見合ってるとき、フェリートが現れた時・・・・・・・・)

 確か1本のナイフが地面に刺さって――

「ッ!? まさか――!?」

 影人は自分の足下を見た。そこにはフェリートが1番始めに投げた、闇色のナイフが1本、地面に突き刺さっていた。

「もう、遅い・・・・・・!」

 フェリートが右手を掴むような仕草をする。それを契機に、闇色のナイフはその姿を変えた。

 ナイフは突起物に姿を変えると、そのまま

執事の技能スキルオブバトラー・・・・・・・・トラップ!」

「がっ・・・・・・・・・」

 ダメなところが壊れた。本能的に影人はそのことを悟った。

(・・・・・・・ああ、ここで仕舞いか)

 負けた。自分の死という形をもって、自分は負けた。最後まで勝機を諦めなかった、最初から罠を仕掛けていた、フェリートのリベンジは確かに成功した。

 影人は意識が闇に沈む中、最後にそう思った。存外、あっけない最後だった。


『――おいおい、そいつは困る。困るぜ。お前に死なれちゃ、俺が困るんだよ』


 だが、影人はどこからか嘲るような女の声を聞いた。







「はあ、はあ、はあ・・・・・・・・」

 フェリートの罠によって肉体を貫かれたスプリガンは、地面に倒れた。フェリートとは対照的に地面に赤い血を流すスプリガンを見つめながら、フェリートは勝負がギリギリであったことを実感した。

(危なかった・・・・・・・! まさか、罠を使うことになるとは)

 ゴホッゴホッと咳き込みつつ、フェリートは突起物からナイフに形を戻したものを見つめた。

 もともと執事の技能、罠は強力なものではない。文字通り、罠として使ったり牽制として使うものだ。五重奏などに比べるとはっきりいって、雑魚レベルの闇の扱い方だ。

 だが、フェリートはその罠によってスプリガンを斃すことに成功した。

 フェリートがナイフを投げたのは、一応の保険程度だったが、まさかそれによってこのような結果になるのだから全く世界というものはわからない。

(恐らく、スプリガンも私を貫いた一撃で相当の力を使ったのでしょうね。でなければ、五重奏状態だった私にこれほどのダメージは入りませんし、いつもの彼なら罠に反応していた)

「っ・・・・・回復リカバリー

 スプリガンの血が赤いことを確認しつつ、フェリートは本当に最後の力を使って、自分の傷を癒そうとした。回復の力に変換された闇の力は、フェリートの肉体に空いた派手な穴を徐々に塞いでいく。

 そして何とか穴も小さくなり、立てるようにまで回復したフェリートは斃れているスプリガンを見て、ポツリと言葉を漏らした。

「・・・・・・・・レイゼロール様。私はあなたに傷を負わせたやからの首を、あなたに捧げます」

 フェリートがすでに事切れているであろう死体に手を伸ばす。


 ――ああ、しかし世界は、闇は、影人を死なせることはなかった。


 ゆらり、と突然スプリガンは幽鬼のように立ち上がった。

「な・・・・・・!?」

 フェリートは信じられないものを見るような目で、スプリガンを見た。自分は悪い夢でも見ているのだろうか。

「・・・・・・・・」

 スプリガンの全身から極度の闇が立ち上がる。闇はヒビの入っていたスプリガンの頬と、ヒビと出血していた両肩、そしてフェリートの罠により破損した心臓を治していく。

 2秒後にはスプリガンの体は完全なものへと姿を戻していた。

(あり得ない!! この状況は何だ!? 自分はギリギリでこの男を殺したはずだ!)

 だが、目の前の光景がそれを否定する。フェリートは何が何だか分からないまま、再び臨戦態勢になる。

 闇を体から立ち上がらせているスプリガンが、無機質的に金の瞳をフェリートに向ける。その瞳には、いつぞやのレイゼロール戦の時と同じように闇が渦巻いていた。

 次の瞬間、フェリートは強烈に過ぎる蹴りをくらい、空中へと身を移していた。

「がっ」

 メキメキと骨の折れる音を聞きながら、最上位の闇人は何が起こったのか理解できなかった。

(何が――)

 フェリートが蹴られたと分かったのは、それから5秒後。そしてその間に、次は上空から先程と同じ衝撃がフェリートを襲った。

 今度は声を上げる暇もなく、フェリートは水の張った田んぼへと叩き落とされた。

(ああ、そういうことですか。私は単純に2回蹴られただけ・・・・・・)

 薄れゆく意識の中、泥に塗れたフェリートは自分の身に起こったことを悟った。仰向けに転がると、そこには月を背景に闇を身に纏った金の瞳の怪人が自分を睥睨しながら宙へと浮いていた。

「くくっ、ははははっ、ははははははははははははははははははははははははっ!」

(? 笑っている?)

 上空ではスプリガンがさもおかしいといった風に腹をよじりながら笑っていた。

「あはははっ! おっかしいぜ! 何をこんな雑魚にいい戦いしてんだか! てめぇにある力が何なのかも理解してねぇでよ!」

(違う。は私の知っているスプリガンではない)

 見下しきった目で自分を嗤うそれは、フェリートの知っているスプリガンではない。自分の知っているスプリガンは、寡黙でどこか真っ直ぐな感情を持っていた。あんな下劣な笑みを浮かべるような人物では決してない。

「お前は・・・・・・・・誰だ?」

 かすれたように、半ば自問気味に呟いたフェリートの言葉を、どうやらスプリガンの体にいるそれは聞き取ったらしい。

「ああん? そんなことをお前が気にする必要なんてないんだよ。レイゼロールとかいうアバズレの部下の雑魚が、俺に口聞いてんじゃねえ」

「!!」

 その言葉に。

 主を侮辱されたフェリートは、どこにそんな力があったのか、怒気を孕んだ声で叫んだ。

「貴様のような下賤な存在がッ! 我が主を侮辱するなッ! その言葉を撤回しろ! でなければ、もう一度貴様を殺してやるッ!!」

 内部がぐちゃぐちゃになった上半身を、気力だけで上げ、フェリートは天に向かって吠えた。

 それはフェリートという闇人が見せた明確な感情であった。

「はっ、無理無理。お前程度じゃ俺を殺すなんて道理的に不可能なんだよ。まあ、こいつはそこんところを理解してないから、1回はお前に殺されたけどなぁ」

 ひたすらフェリートをバカにしたような笑みを貼り付けながら、手を横に振るそれはフェリートの激情など知ったことではないといった態度だ。

「さてと、どうすっかな。闇人はすこぶる残念ながら、俺にも殺せないんだよな。くそったれ。こいつの本質が闇なんて、闇人を殺せないんだよなぁ。本当、面倒で訳の分からない体だ」

(何を言っている・・・・・・・・?)

 1人でにぼやいている謎の存在の言葉を聞きながら、フェリートは内心疑問を抱いていた。

「まあ、いいか。とりあえず、肉体を粉みじんレベルにしてやりゃ、しばらくは雑魚以下になるだろ」

 だが、その疑問に思考を割く余裕などはフェリートにはなかった。スプリガンの体を占領している謎の存在が、右手をこちらに向けてきたからだ。その掌には、高濃度の闇が集まっていく。

「くっ・・・・・・・・」

 フェリートはその攻撃に対応するため体を動かそうとするが、体はピクリとも動かなかった。今のフェリートは全ての闇の力を使い、体はたった2発の蹴りをくらっただけでボロボロだ。はっきりいって、今のフェリートは闇奴よりも弱い存在だった。

「あばよ、せいぜい苦しみな」

 そして、無情にも動けない泥まみれのフェリートに向かって、高濃度の闇のエネルギーの奔流が迸った。

「くそ・・・・・・・」

 フェリートは諦めたように、ただ一言そう呟いた。

 フェリートは自分に迫る闇の奔流が身を焦がす瞬間を覚悟した。

 しかし、

「――ふん」

 突如として自分の前に、白髪の女性が立ち塞がると、女性の前に闇の障壁が展開した。闇の奔流はその壁を焦がし、やがては虚空へと収束した。

「あ?」

「な・・・・・・・なぜ・・・・・・あなた、様が」

 スプリガンの体を乗っ取った謎の存在が、疑問の声を上げる。そしてフェリートは、ただただ驚いて目を見開いた。

 スプリガンの体を乗っ取った謎の存在も、そしてフェリートもその白髪の女性を知っていた。

 足下が泥で汚れることなどを厭わずに、自分を守るように突如として虚空から現れたその女性の名を、自分の主の名をフェリートは気づけば言葉に出していた。

「レイゼ、ロール様・・・・・・・・」

「・・・・・・・なぜか。理由は簡単だ。馬鹿な私の執事を助けに来た。それだけだ」

 ――そう、現れたのは光導姫・守護者の宿敵、レイゼロールだった。

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