第30話 逃走とダミー
(クソッ、よりによってあの2人と一緒にいるなんてな・・・・・・・!)
昼休みの廊下を全力で駆けながら、影人は思考した。
影人はシェルディアから逃げ出した。なぜ逃げ出したのか主な理由は2つある。
1つは、シェルディアが陽華と明夜の2人と一緒にいたというのが主な理由だ。今まで影人が2人に接触してしまったのは1度だけ。陽華とぶつかったときだけだ。しかもそれは偶然である。
食堂での影人の1人演技は2人に姿を見られていないので除くが、影人は極力2人と接触しないように心がけている。いつ、どんなときに自分の正体がバレるか分からないからだ。
2つ目の理由は、単純に目立ちたくない。あのまま、シェルディアから弁当を受け取っていたならば、間違いなく周囲の生徒から注目が集まっていた。
影人は1人が好きだ。1人は自由だから。ゆえに注目を浴びるというのは、好ましい出来事ではなかった。
(帰ったら、嬢ちゃんに謝らないとな・・・・・・)
シェルディアからすれば、おそらく母の頼み事で自分に弁当を届けに来てくれたのだろうに、自分は何も言わずにいきなり逃げ出してしまった。弁当は暁理が受け取ってくれると思うが、後でしっかりとシェルディアに謝罪しなければならない。
階段を駆け下りながら、少し心の痛む影人であった。
「あらあら、一体どうしたのかしら?」
突然、自分から逃げ出した影人の後ろ姿を見てシェルディアは首を傾げた。
「どうしたの? シェルディアちゃん」
「ん? 誰かが思いきっり廊下を走ってるわね」
近くの生徒にエイトなる人物を知らないか訪ねていた陽華と明夜が、首を傾げているシェルディアに話しかける。明夜が見た廊下を走っている人物――影人はちょうど角を曲がったところだ。
「ちょうど影人を見つけたところだったのだけれど、なぜか逃げられてしまったわ」
困ったという風にシェルディアが手に持っていたお弁当を見つめる。影人の予想したとおり、シェルディアは影人の母親からお弁当を届けてくれないかと頼まれていた。
「え、それはちょっとひどくない?」
「人としてどうなのかしらね」
シェルディアの言葉を聞いた2人はまだ会ったことのない、エイトなる人物に憤りの言葉をぶつけた。こんなに可愛い子がお弁当を届けに来てくれたというのに、いきなり逃げ出すとは太てぇ野郎だ。
「あー・・・・・・・こほん。友人が粗相をしてしまったようでごめん。僕は早川暁理、影人からお弁当を受け取るように言われたんだけど・・・・・・」
隙を見計らったわけではないが、苦笑したような顔で暁理はシェルディアにコンタクトした。
いきなり逃走した友人に弁当を受け取っておいてくれと言われただけで、暁理はこの少女のことを何も知らない。というか、事情も説明せずに逃げたあの前髪野郎は絶対に許さない。放課後に尋問と何かおごらせることは確定だ。
(まあ、僕は優しいからちゃんと対応してあげるけどさ)
ちゃんと感謝してほしいものだ。暁理は内心そんなことを思った。
「そう、影人の友人・・・・・・・」
シェルディアはそう呟くとジッと暁理を見た。そして再びお弁当を見つめ直す。
「・・・・・・・ありがたいけど、なぜいきなり逃げ出したのかも聞きたいし、遠慮しておくわ。これは私が直接渡すから」
「え? でも影人は――」
「そこは大丈夫。影人の気配はもう憶えてるから」
シェルディアがそう言うと、突如その影が細い線のように伸びた。
シェルディアの影から伸びたその黒い線は何かを追うかの如くどこかへと伸びていく。その影が影人の逃げた道をなぞっていることを知っているのは、シェルディアただ1人だ。
「え・・・・・・・・?」
その声は誰が発したのか分からない。しかし、シェルディアを見ていた全ての人々がありえないものを見るかのように、その影とシェルディアを見つめた。
それは暁理や陽華と明夜といった少女たちも例外ではなかった。
「シェル、ディアちゃん・・・・・・・・?」
「ごめんなさい、少しだけ忘れてもらうわね」
自らに注目が集まる静寂の中、シェルディアの双眸に怪しい光が
その光を見た全ての生徒たちは、その瞳の輝きを虚ろなものに変える。まるで全員が人形のようにピタリと全ての行動を停止したのだ。
「――範囲はこのフロア全体。記憶の削除内容は伸びた影。こんなものかしらね」
その奇妙な光景の中、シェルディアはただ1人いままでと様子の変わらない口調で、言葉を紡ぐ。
その言葉はゆっくりとじっくりと虚ろな瞳の生徒たちに響いた。
「ありがとう、陽華、明夜。こんなお別れだけれどまた会いましょう」
周囲の生徒たちと同じく虚ろな瞳をしている2人にそう言い残すと、シェルディアは自分の影に沈んだ。
「はあ、はあ・・・・・・・・ここまで来れば大丈夫だろ」
1階に降り、校舎から出た影人は人気のない校舎裏に移動していた。
「・・・・・・・・嬢ちゃんには悪いが、しばらくここで時間潰すか」
影人がお腹をすかせながら空を見上げていると、突然後ろから声が掛けられた。
「ひどいわ、影人。いきなり逃げ出すなんて」
「うおっ!?」
そんな驚きの声と共に後ろを振り返ると、そこには少しツリ目気味のシェルディアがその場にいた。
(まじかよ・・・・・・・追いついてきたってのか?)
そもそもシェルディアはなぜこの場所がわかったのか。風洛高校を初めて訪れるシェルディアがこの場所を知っているとは思えない。すると、やはり追いかけてきたという結論に達することになる。
だが、自分の後ろからこの少女が追いかけてきたのなら、自分にもわかったはずだ。自分が逃走している間、誰かが自分を追跡していたとは影人は記憶していない。いや、とにかく自分も焦っていたから、間違いないとは言い切れないが。
しかし、結果だけを見るならばこの少女は今この場にいる。それが全てだ。
やはりこの少女はどこか不思議で底知れないと影人は感じた。
「私、あなたにこれを届けに来たのだけれど、なぜ急に逃げ出したの?」
「・・・・・・・・・ごめんな嬢ちゃん、いきなり逃げて。別に嬢ちゃんが苦手とかそういうんじゃないんだ。ただ、俺はどんな形であれ俺に注目が集まるのは嫌なんだよ」
影人はそう言うと、シェルディアに頭を下げた。嘘は言っていない。影人が逃げ出したのは、シェルディアと共にあの2人がいたからだが、目立つということも嫌だった。
「そうだったの。ちょっと意外ね、あなたと出会ってまだ2日だけど、見た目の割にそんなに暗くないのに」
「・・・・・・・・まあ、嬢ちゃんはいい意味で他人だからな。でも学校っていうのは、どんな形であれ人と関わる。しかもその関わり方がしばらく俺の日常に影響を与えちまう。だから、俺は好きで目立たないようにしてるのさ」
言葉がしっかりとまとまっていない。その自覚は言葉を発した影人にもあったが、まだ若い影人はこんな考え方さえ満足に説明できない。
「わかりにくいよな、悪い」
ため息を吐きながらそう付け加えた影人に、しかしシェルディアは理解したというような表情で笑みを浮かべた。
「いいえ、わかるわ。人間には1人1人に独自の世界があるものね。じゃあ、私もすぐにここを去るわ。はい、これ」
シェルディアは手に持っていたお弁当を影人に手渡した。
「・・・・・・・・ありがとう。実は腹減ってて・・・・・・・・本当に助かったよ」
「ふふっ、どういたしまして。あなたとあなたの家族にはお世話になってるから、これくらいはね」
いつになく素直な影人は感謝の言葉と、学校では浮かべないような笑顔を少女に向けた。
「シェルディアちゃん、いつの間にいなくなったのかしら」
「ね、気がついたらいなくなってたし。でもいなくなったてことは、お弁当渡せたってことじゃない?」
「まあ、そうなるか。あのエイトって人の友達もお弁当持ってなかったし。あの人も私達と同じでシェルディアちゃんがいついなくなったか分からない感じだったものね」
放課後。陽華と明夜は正門に向かいながら、今日の昼休みの出来事を話し合っていた。
「きっとそうだよ。――ん? あそこにいるのって香乃宮くん?」
陽華は正門の脇に光司が立っていることに気がついた。光司は陽華の視線に気がつくと、優雅な足取りでこちらに近づいてくる。
「やあ、2人とも。少しだけいいかな?」
いつもと同じ爽やかな笑みを浮かべながら、光司は2人に話しかけた。
「うん」「ええ」と、陽華と明夜は頷いて了承の意を示す。その様子を見た光司は「ありがとう、時間は取らせないから」と前置きして言葉を続けた。
「月下さんも朝宮さんから聞いてる思うけど、実は光導姫ランキング4位の彼女――『巫女』と会えることが決まった」
「で、影人。結局あの子とはどういう関係なのさ?」
「どうって言われてもな・・・・・・・顔見知り?」
「ただの顔見知りは学校までお弁当届けに来ないと思うけど? 影人、なんか誤魔化してない?」
「別に隠してねえよ。ただ何て言ったらいいかわからんだけだ」
風洛高校からの帰り道、影人はなぜか尋問気味の質問を友人から投げかけられていた。先ほど、なぜかコンビニで揚げ物をおごらされたのもそうだが、暁理が不機嫌なのは全く以てよく分からない。
なお、影人はお金を持っていなかったので、暁理が「信じられない! これ貸しだから! 絶対返してよ!」と言って暁理から金を借りたという形になった。そのため、暁理は自分の金で揚げ物を買ったのだが、なぜか影人が金を返さなければいけないというややこしい事態になった。
「ふーん・・・・・・・影人がそう言うなら、影人のお母さんに話を聞こうかな。お弁当もってたって事は、あの子影人のお母さんと知り合いだろうし」
「・・・・・・・・やめてくれ面倒くさい。別にお前には何の関係もないだろ」
影人の家にシェルディアがいるのを暁理が知れば、絶対に面倒なことになる。一応、つき合いの長い友である影人にはそのことがわかった。
それにもし暁理がつい口を滑らせて、自分の家にシェルディアがいたということを誰かに話してしまえば、それもまた面倒なことになる予感しかしない。
ゆえに少し突き放すように影人はそう言った。
「確かにそうだけどさ・・・・・・・」
友人の拒絶の言葉に、暁理は口をとがらせた。そこまで嫌と言われれば、もう探りはしないが、納得はできないといった感じだ。
「そう言うこった。じゃあな、暁理」
「む・・・・・・・はぁ~、仕方ないか。バイバイ、影人。また明日」
お互いの自宅への岐路で、そう言い合うと2人は別れた。
「ったく、帰ったら母さんに文句の1つでも言ってやる」
あの母親のことだ。どうせシェルディアに悪いと思いつつノリノリで行かせたことだろう。影人の母親は尊敬出来る所も多分にあるが、ノリというかそこら辺が自分とはあまり合わないのが玉に
(ウチの母親に巻き込まれただけの嬢ちゃんにも、何か感謝のプレゼントでもしてやらなきゃな・・・・・・・・)
今回の件で完全に被害者なのはシェルディアだ。確かに寝床やその他を彼女には提供しているが、それとこれとは別である。
しかし、あの年頃の海外の少女がいったい何を欲しがるのか、影人には全く分からない。
その事で頭を悩ませていると、何日ぶりかのその声が脳内に響いた。
『影人』
「・・・・・・・・・仕事の時間か」
脳内に響くソレイユの声に、影人は少し面倒くさそうにそう呟いた。
『ええ、それはそうなんですが今日は少し毛色が違います』
「・・・・・・・・・どういうことだ?」
その言葉に影人は疑問の声を返した。
『あなたにいつもお願いしているのは、陽華と明夜を見守ることです。しかし、今回あなたにお願いしたいのは、別の光導姫を見守ることです。そして、スプリガンとしてのあなたの姿を光導姫に確認させること。この2つです』
「・・・・・・・・・・」
ソレイユの『お願い』を聞いた影人は、なぜそんなことをしなければならないのか考えた。そもそも自分の仕事は、ソレイユも言った通り陽華と明夜の2人を見守ること。そして必要があるならば2人を助けることだ。
しかし、今ソレイユが言ったことはそれとは別。確かに毛色の違う話だ。
では、その理由は。
数瞬の間、思考を巡らせた影人は1つ可能性のある答えに辿り着いた。
「・・・・・・・・・ダミーか?」
『よく・・・・・・わかりましたね』
ソレイユは影人がその理由を察したことについて驚いているようだった。
『その答えに辿り着いたあなたならもう分かっているとは思いますが、なぜあなたにそのような事をしてもらうかの理由を話しましょう』
ソレイユはその理由を話し始めた。
『まず当たり前ではありますが、あなたは陽華と明夜の2人を専属に見守り助けてきました。あなたは何度もあの2人を正体を知られることなく助けてくれた。しかし、それゆえに完全な偏りが生じました』
「・・・・・・スプリガンの目撃情報か」
『ええ。そもそもスプリガンを直接見た者は限られますが、このままのスタイルを通していけば、いずれ誰かが気づくでしょう。スプリガンは特定の光導姫との戦闘にしか現れないと』
そう。今までスプリガンは陽華と明夜が関わった戦闘にしか介入していない。この前のレイゼロールとの戦いでは2人以外の光導姫や守護者などもいたが、それはあの2人がいたから介入しただけだ。
『基本的に今の2人には守護者ランキング10位の彼がついていますから、あなたが助けに入ることは稀です。最上位の闇人やレイゼロールといった例外中の例外でなければ彼だけで事足りるでしょう。しかしそれでも偏りは発生しています』
「そのための、か・・・・・・」
全てがわかっているような口調で影人はそう言葉を返した。
『はい。そこであなたの目撃情報をばらけさせます。あなたの存在自体はもう日本の光導姫や守護者には知られていますから、気にしなくても大丈夫です。こういった面ではラルバに感謝しなければなりませんね。具体的には、2人以外の光導姫や守護者にあなたの姿をわざと見させる。そのことによって、あなたは光導姫や守護者、闇奴、闇人の前にその姿を現す謎の人物という今のイメージを貫けるはずです。一言で現すなら、あなたの言った通りダミーという言葉が1番ですね』
少し長めの言葉が影人の脳内に響いた。ソレイユが前置きしたように、そのような事は影人にも分かっていた。
「・・・・・・・・了解だ、としか俺には言えないからな。・・・・・・・・わかった。で、俺はどこに行けばいい? それともお前が転移させてくれるのか?」
『私が転移させます。安心してください、場所は東京です。まずはこの日本で最も強く、影響力のある光導姫――ランキング4位『巫女』と闇奴との戦闘に姿を現してください』
「はっ、了解だ」
影人はそう言うと、人目の少ない細かな路地に入った。すると、影人の体を光が包んでいき、やがて影人の姿は完全にその場から消えた。
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