第26話 シェルディアの東京観光(1)

「じゃあ、レイゼロール。私、しばらくここを離れるから。また暇になったら戻ってきて上げる」

 ある日、唐突に美しいブロンドの髪を緩くツインテールに結った少女――シェルディアはそう言った。

「・・・・・・・そうか。残念ながら今の我にお前を止められるだけの力はないからな。好きにするがいい。・・・・・・・一応、どこに行くか聞いておこう。シェルディア、どこに行く気だ?」

 世界のどこか。暗闇に包まれた場所で、レイゼロールはウキウキとした顔のシェルディアに答えを返した。

「秘密よ、ひ・み・つ。言っちゃったら面白くないでしょう?」

 レイゼロールの問いかけにシェルディアは人差し指を口元に近づけて、パチリと片目でウインクをした。その仕草は、どこか無邪気なシェルディアにとても似合っていた。

「・・・・・・・・お言葉ですが、シェルディア様。どうかそこだけは教えていただけませんか? あなた様は私どもとは違い、色々と特殊です。あなたがその気になってしまえば、いくらレイゼロール様といえども気配を探知できない。ですから、どうか――」

 レイゼロールの横に控えていた単眼鏡モノクルを掛けた青年――フェリートは恭しくシェルディアに言葉を投げかけた。

「嫌よ。何度も言わせないでちょうだい、フェリート。私は自由でいたいし、自由にやりたいのよ」

 しかし、シェルディアの答えは変わらなかった。

「・・・・・・・・無駄だフェリート。この自由者に何を言ったところで変わらん。それはお前もよく分かっているだろう」

 レイゼロールが軽くため息をつきながら、チラリとフェリートに視線を向ける。スプリガンによって黒い血を大量に流したフェリートは一時的に弱体化していたが、今は元の強さに戻っていた。まあ、執事であるフェリートは弱体化している間も変わらずレイゼロールの世話を焼いていたのだが。

「よく分かってるわね、レイゼロール。そういうことだから、私はこれで失礼するわ。じゃあね」

 そう言い残すと、シェルディアは自らの影に沈んでどこかへと消えてしまった。何とも素早い決断である。

「・・・・・・・・よろしかったので、ご主人様? あのお方のことです。下手をすれば年単位でどこかへと消えかねませんよ?」

「別にいい。奴がどこに向かったのかは見当がつく」

 そう。レイゼロールには、シェルディアがどこへ向かったのかおよその見当はついていた。シェルディアはこの前の自分の話に興味を引かれていた様子だった。であるならば、シェルディアの目的地はただ1つ。

 フェリートに、そして自分すらも退却させた怪人が現れた地。

「・・・・・・伺っても?」

「奴が向かったのはおそらく――日本の首都、東京だ」










「ふんふふーん。ここに来るのもずいぶんと久しぶりだわ」

 レイゼロールの予想通り、シェルディアは東京を訪れていた。今シェルディアがいる場所は渋谷のかの有名な犬の像の前辺りだ。

「あらら、数十年でけっこう変わったわね。それに人もかなり多いし・・・・・・」

 照りつける陽光に目を細めながらも、シェルディアは周囲の様子を見渡した。高層のビルに凄まじい数の人々。景色というものはかくもすぐに変わるものだ。

「そうだわ! スプリガンを探す前に久しぶりの東京観光といこうかしら」

 パンと手を叩いてそう決めたシェルディアは早速観光を行うことにした。スプリガンのことも気になるが、今は観光をしたい気分になっていた。

「名所を回るにしてもまずはその情報が書いてある物を手に入れなきゃね」

 自分がこの地にやって来たのは数十年ぶり。昔にここを観光したときとは、名所や名物なども変わっているはずだ。

 よってシェルディアは本屋を探すことにした。本屋にも観光雑誌くらいは置いてあるだろう。

「~♪」

 シェルディアは自分の影の中から日傘を取り出すと、それを開いて歩き出した。その一連の不思議な光景を見た人々は驚いて目を見開いていたが、どうせ手品かなにかだろうと勝手に納得すると、興味を失ったように各々の行動へと戻った。

 しばらくは気の向くままに歩いて、それでも本屋が見つからなければ、そこらの人間に聞けばいい。今はとにかく歩きたい気分なのだ。

 それからしばらくシェルディアは渋谷を散策した。シェルディアはこの場所を渋谷という名称がついていることすら知らない。ヨーロッパの方であるならば、それなりに土地の名称は知っているし覚えているが、ことにそれ以外の地域となるとほとんど知らないし覚えていない。日本と東京という名称はまだ数十年前に1度訪れて覚えていたが、あと100年ほど経てば覚えていないかもしれない。

「んー、ここかしら」

 書店らしきものを見つけたシェルディアは、傘を折りたたむとその中に足を踏み入れた。

 そこかしらに本があるのでここが本屋で間違いないだろう。ただ、困ったことに本が多すぎるせいで、目的の観光雑誌がどこにあるのかシェルディアには分からなかった。

「少しいいかしら?」

「はい? 何でしょうか?」

 場所が分からないシェルディアは店員に聞くことにした。

(うわっ、お人形さんみたいに可愛い子・・・・・・)

 シェルディアの姿を目にとめた女性店員は、心の中でそんな感想を抱いた。

 その見た目もそうだが、少女の纏っている豪奢なゴシック服もそんな感想を抱かせる要因の1つだった。

「この都市の観光雑誌はどこにあるのかしら? よければ教えてほしいのだけれど」

「東京の観光雑誌ですか? それならご案内いたしますね」

「あら、ありがとう」

 店員の言葉にシェルディアは微笑む。その笑顔は少女のようでありながらも、どこか妖艶さを醸し出しているような笑みであった。

「観光雑誌ですとこの辺りですね。東京ならこの5冊ほどです」

 女性店員はシェルディアを観光雑誌のコーナーに案内すると、少女に目的の本を紹介した。

「どうも。んー、どれにしようかしら。悩みどころね」

 シェルディアはその5冊を眺めながら、人差し指を頬に当て悩む仕草をする。シェルディアにはどの雑誌が1番いいか分からなかった。

「あなたのおすすめはどれ? 私よく分からないから、あなたが決めたものを頂くことにするわ」

「え? おすすめですか・・・・・・」

 突然そんなことを言われた女性店員は内心大いに戸惑った。

 女性店員はただのアルバイトである。この似たり寄ったりの5冊のどれが1番いいのかなんて事はわからない。

 しかし少女はじっと自分を見てくる。これは自分が決めるのを待っているのだろう。

「ええと・・・・・・・じゃあ、これですかね」

 苦渋の決断の末、店員は平積みにされている内、右から2番目に置かれていた東京の観光雑誌を手に取った。理由は単純。最新の東京観光とどでかく書かれていたからである。それでいいかのか書店員と言われてしまえば、それまでだがアルバイトなのだ。仕方ないじゃないか。

「じゃあ、それを頂くわ。ありがとう」

 ほら少女も笑顔だ。ならばこれでいいのである。

「いえ・・・・・・お客様は東京観光はお一人で?」

 人形のように美しい少女に興味を引かれた店員は、ついそんな質問をしてみた。普通に考えて、この少女はまだ子供なので親と日本を訪れているのだろうが、親の姿はどこにも見当たらないので、そう聞いてみたのだ。

「ええ。東京を訪れるのは久しぶりだから、観光地も変わっているんじゃないかと思って。だから観光雑誌を探していたの」

「は、はあ・・・・・・・そうでしたか」

 思ってもいない答えが返ってきた女性店員は、驚きと当惑が入り交じったような表情を浮かべた。もしやこの少女は実はけっこういい年なのではないのか。そう、あれは何と言ったか。確か合法ロリだ。

 まさか店員がそんなことを思っているとはつゆ知らずに、シェルディアは店員と一緒にカウンターまで足を運んだ。幸い、誰も並んでいなかったのですぐさまお会計に移ることが出来た。

「では一点で1078円です」

 値段を読み上げながら、女性店員はなぜ観光雑誌は微妙に高いのかというどうでもいい疑問を抱いた。

「あ、お金ね。えーと、日本円あったかしら」

 シェルディアは、店員に見えないように影から可愛らしい古びたサイフを取り出すと、中身を物色した。サイフの中には世界各国の様々な通貨や紙幣が入っていたが、日本円は見当たらなかった。

「ないわね、仕方ないからカードでお願い」

「あ、はい。では失礼して――えぇ!?」

 クレジットカードを持っているということは、やはり合法ロリかと店員は確証を得たが、そのカードを見て思わず両目を大きく見開いた。

「どうしたの?」

「い、いえ失礼しました! ご一括で・・・・・・?」

「もちろん」

 女性店員は恐る恐るそのカードを受け取った。その色は何色にも染まらぬ色である黒色。

(は、初めて見た・・・・・・・これがブラックカード・・・・・!!)

 それは超が3つほどつくセレブカードであり、レアカード。常人なら一生に1度お目にかかれるか否かといった代物だ。まさに選ばれた者しか持つことが出来ないカードである。

(この子、いやこの人いったい何者・・・・・・!?)

 カードの手続きを行いながら、店員の心中はその疑問一色になった。この合法ロリ、思っていた以上にとんでもない人物のようだ。

「あ、ありがとうございました・・・・・・」

 呆然とした様子の店員から雑誌とカードを受け取ると、シェルディアはひらひらと手を振って書店を後にした。

「・・・・・・・私もいつか成り上がって見せるわ」

 不思議なお客を見送りながら、女性店員――三原みはら加奈子かなこ23歳、職業フリーターは瞳に並々ならぬ熱量を灯しながらそう誓った。









 書店を出たシェルディアは、自分の影に粗雑にサイフを投げ入れると、近くにあったベンチに腰掛けて、雑誌を広げた。

「ああ、思い出した。この東京タワーは前に来たときに行ったのよね。後で行こうっと。スカイツリー? ここは知らないわね」

 ペラペラとページを捲りながら、シェルディアはどこを訪れようか、どれが自分の興味を引くか確かめていく。自分が行きたい場所などは影から万年筆を取り出して、印をつけていく。

「こんなものかしら」

 見直すとほぼ印だらけだが、別に今日だけで回るということはないのでそこは気にしない。それに自分はノータイムで場所を移動できるので順番も自分の気になるものからで大丈夫だ。

「ふふっ、さあ久しぶりの東京観光の始まりよ!」

 パンと手を叩き、シェルディアの観光が幕を開けた。

 まずシェルディアは1番気になっていたスカイツリーを観光しようと、影に沈んだ。シェルディアのこの影による移動は、1度訪れた場所、または写真などで見た場所などに転移できるというものだ。なのでスカイツリーの写真を目にしたシェルディアは、そこを目的地と定めて転移した。

 次の瞬間、シェルディアが現れたのは東京都墨田区にある高さ634メートルを誇る東京のシンボルの1つ、東京スカイツリーの目の前だった。

「これは・・・・・・・・すごいわね」

 初めて実物でスカイツリーを見たシェルディアは、感嘆の声を漏らした。人間はいったいどうやってこのような高さの建造物を建てることが出来るのか。建築学などは全く学んでいないシェルディアには不思議で仕方なかった。

(・・・・・・・全く人間というものは、本当に面白いわ)

 改めてそんなことを思いながら、シェルディアはスカイツリーへと歩を進めた。

 当日分のチケットを買って、シェルディアはエレベーターで天望デッキを目指す。

「・・・・・・・・綺麗だわ」

 まずシェルディアが訪れたのは、地上から350メートルにある天望デッキだった。

 その高さから東京の町を見渡したシェルディアはそう呟いた。見渡す限りの建造物はそれらが全て人が建てたのだと思うと、愛おしくすら映る。

 場所を移して様々な角度から東京を見渡す。似ているようで似ていないその景色を一通り堪能すると、シェルディアは今自分がいるこのフロアに目を向けた。見てみると、カフェなどもあるらしい。

「天望回廊・・・・・・・・?」

 フロアを回っていたシェルディアは、天望回廊チケットカウンターという文字が目に入り足を止めた。

「この天望回廊というものは何なのかしら?」

「はい、お客様。天望回廊はこの天望デッキより、100メートル上空にあるエリアのことです。途中、スロープ状の回廊を進んでいただくことで空中散歩の気分も味わえますよ。最高到達点であるソラカラポイントからの景色は絶景です」

 係員の説明を聞いたシェルディアは、キラキラと目を輝かせた。そんな素敵な場所があるならば行かなければならないだろう。

「どうやって行けばいいの!?」

「こちらで天望回廊行きのチケットを買って頂いて、天望シャトルからお行きになれます」

 シェルディアは早速チケットをカードで購入すると、天望シャトルに乗り込んだ。

 シャトルがついたのは、地上から445メートルのフロアだ。ここから5メートルはスロープを伝って450メートルのフロアまで上るのである。

「すごいすごい! 本当に空を歩いてるみたい!」

 天望回廊を歩きながら、シェルディアはくるりと回った。まるで空で舞っているようだ。

 感動の天望回廊を上り、地上から450メートルのフロアに辿り着いたシェルディア。そして地上から451・2メートルのソラカラポイントから再び東京を見渡した。

「・・・・・・・・・・」

 シェルディアはただただ景色を堪能した。何とまあ、素晴らしい景色であろうか。蒼穹の空の元に広がるのは、人間達が作り上げた都市がある。先ほどもこうやって都市を見渡したわけだが、少し高さが違うだけで景色はこうも変わるのかとシェルディアは感じた。

「・・・・・・ここに来て正解だったわね」

 シェルディアはしばらくガラス越しから当たる陽光に、ブロンドの髪を輝かせながら、その景色を見続けた。

 

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