第16話 情勢

 闇の中、そびえ立つビルの屋上に彼女はいた。

 西洋風の黒い喪服のような服装。そして闇に映える白い髪。

 しかしてその美しいおもては氷のような瞳をたたえた無表情。

 一見、死神かと見紛みまがうほどの雰囲気を纏ったその女性は静かに世界を睥睨していた。

「・・・・・・・・・・」

 眼下では人々が様々な表情で往来を行き交っている。喜び、悲しみ、怒り、その感情という煌めきが眩しいかのようにレイゼロールは目を細めた。

「・・・・・・・・ふん」

 彼女は人間が嫌いだった。人間を心の底から恨んでいた。人間は彼女の大切だった人を2も奪っていったから。

「・・・・・浄化されたか」

 先ほどイタリアでとある人間を闇奴化させた。その人間はよほど暗い感情を抱いていたのか、最初から闇人として成立した。

 別段、レイゼロールに残念という気持ちはない。彼女にとって重要なのは、人間を闇に堕とす際に発生する暗い感情のエネルギーなのだから。

 現在、レイゼロールはイタリアではなくアメリカ合衆国はニューヨークという都市にいるが、闇奴や闇人が浄化されたという事実は世界のどこにいてもレイゼロールには感知できる。それは自分の権能の1つだった。

(我の目的はあと数年で達成できるだろう。だが、今になって不安要素が出現した)

 光導姫や守護者ははるか昔から自分にとっての邪魔であり、レイゼロールの目的遂行のためには光導姫や守護者は危険因子だ。しかし、それはソレイユとラルバの抵抗であり、不安要素ではない。

 レイゼロールが不安要素と考えているのは、2度も自分の邪魔をした謎の男のことだ。

「・・・・・スプリガン、貴様は一体何者だ?」

 この独白をするのは2度目。自分の手駒の中では2強いフェリートに傷を負わせ、退却させた戦闘力。そして自分や闇人が使う闇の力を扱う全てが謎の男。レイゼロールにはスプリガンの目的もその正体も何もかもがわからない。

 だが、今のところ明確に分かっているのは、スプリガンは自分の邪魔をする敵だということ。そして、あの2人が危険に陥った時に現れるということだけだ。

「・・・・・・不安要素は排除しなくてはな」

 レイゼロールは酷薄な笑みを浮かべると、夜空を見上げた。しかし、その瞳は変わらず氷のよう凍てついていた。









「イタリアの闇人はもう浄化されましたか。さすがは『聖女』ですね・・・・・・・」

 暖かな光に包まれた空間、神界でソレイユはそう呟いた。

 ソレイユの周囲には、人間世界の地図や様々な情報が書かれたウインドウのようなものが投影されていた。

 ソレイユは一応神なので、闇奴が浄化されたかどうかは感知できる。これはソレイユの権能の1つだ。

 しかし、実際にこのように情報を視覚化することで情報というものを整理していた。ここは神界なのでソレイユにはこのような芸当は朝飯前だ。

「・・・・・・・今のところ、情勢はこちらが有利ですかね」

 顎に手を当て考え込むような素振りでソレイユは現状を確認する。

 影人という自分の切り札の所属はまだ自分以外には誰にも知られていない。それは大きなアドバンテージだ。

 陽華と明夜もまだ覚醒の兆しは見せてはいないが、夏の研修でパワーアップが見込まれる。

 ラルバの管轄する守護者は依然自分の味方。ただ、守護者に関しては少々気になる噂があった。

「レイゼロールの動きも今は普通ですしね・・・・・・・」

 陽華と明夜の元にフェリートが現れた時は非常に驚いたし、焦燥の気持ちを抱いたが、それ以外は何も変わったことはない。

 今まで通り世界各地で闇奴や闇人が出現し、光導姫がそれらを浄化する。

 もう何千年も繰り返してきたことだ。

「・・・・・・・いつかきっとあなたを救って見せます」

 それはもう何回、何千回も自分に言い聞かせてきた言葉。しかし、未だにその言葉をソレイユは実行できていない。ソレイユはそんな自分を不甲斐ないといつも考えていた。

「レイゼロール・・・・・・

 女神の独白が光に溢れる神界に響いた。








「・・・・・・・・なんとか今回も大丈夫だったな」

 テストも全て終えた翌日。一部のテストはもう帰ってきていたが、赤点はなかった。まあ、たぶん他のテストも赤点は取っていないだろう。

 担任に弱みを握られるという事案は発生したが、それについては諦めるしかない。本来ならカンニングがバレて夏休みに補習だったのだから、それに比べればましだろう。

「何はともあれ、開放感はやっぱすごいし、今日は適当にふらつくか」

 テストが終わった後というのは大体の人間は気分がいいものだ。

 なので影人は風洛の帰りに、自分の知らない道を通って適当に散歩しようと思った。自分の住んでいる町の知らない所をふらつくというのは、けっこう楽しいので影人の隠れた趣味の1つなのだが、母親からは「じじいか」と言われてしまった。自分はまだピチピチのティーンエイジャーだというのに、何とも失礼な母親である。

 それからどことなく自分の知らない道を歩いていると、住宅街の中に喫茶店が見えた。こんな所に喫茶店があるもんなのかと不思議に思って店名を探してみると、入り口の横にかすれた文字で「しえら」と書かれていた。

「・・・・・・へえ、けっこう良い感じの店だな」

 煉瓦造りの少し古めかしい喫茶店に影人は興味を引かれた。

 ちょうど喉も渇いたので少し寄っていこうと思い、影人は喫茶店の扉を開いた。

「・・・・・・・いらっしゃい」

 影人が中に入ると、店主の女性だろうか、グラスを磨きながら少し暗めの女性がそう出迎えてくれた。

「・・・・・どこでも」

 どうやら席は好きに座っていいらしい。まあ、影人以外に客の姿は見当たらないので妥当だろう。

「じゃあ・・・・・」

 影人は1人だったのでカウンター席に腰掛けた。そして鞄を地面に置く。

 手書きのメニュー表を見て、何を注文しようかと頭を悩ませる。文字は少し丸っぽい感じで可愛らしい。この女性が書いたものなのかと影人はその前髪の下から視線を女性に向けた。

「・・・・・・決まった?」

「は、はい。バナナジュースを1つ」

 どうやら影人の視線に気がついたようだ。店主と思われるその女性――影人はまだ名前を知らないが、しえらは磨いていたグラスを置いて作業に取りかかった。

(この人、よく俺の視線に気づいたな・・・・・・)

 しえらがミキサーにバナナをかけているのを眺めつつ、影人はそう思った。

 影人はその前髪の長さのため、顔の半分は隠れている。そのため目は露出していない。よく妹には「ギャルゲーの主人公か」と馬鹿にされているが、実際そのような見た目だ。

 ゆえに影人が誰かを見ていても気づかれるということがほとんどない。まずどこを見ているか他人には分からないからだ。

 しかしこの女性は影人の視線に気がついた。客商売ゆえに気配に敏感なのだろうか。

「・・・・・・・はい」

 と、影人がそんなことを思っている間にジュースは出来たらしく、氷の入ったグラスに黄色い液体が注がれたものが影人の前に出された。

「・・・・・どうも」

 一緒に出されたストローをグラスに突っ込み、影人は喉を潤した。バナナジュース特有の甘さと少しバナナの食感の残った感じが、心地良い。

(うまいな・・・・・・)

 心の中で飲んだ感想を呟きつつ、影人はこの静かな時間を堪能する。女性はあまり喋らない人らしく、またグラス磨きに戻っていた。影人も口下手で他人と話すのは好きというほどでもないので、静かにジュースを飲みつつ、図書室で借りた本を読んでいた。

 それからしばらくは大人の時間が流れた。まあ、それは影人が勝手に思っただけなのだが、静かな店内で本を読みながら何かを飲むというのは、こうかっこよくないだろうか。飲んでいるものがジュースなので締まらなくはあるのだが。

(・・・・・そろそろお勘定するかな)

 読んでいた本に栞を挟み、パタンと閉じる。それを鞄に仕舞い、さて出ようとしたときに、扉が開き新たな客が入って来た。

「・・・・・・いらっしゃい」

「やあ、しえら。今日も綺麗だね」

「・・・・・うるさい。奥の庭なら勝手に――」

「いや、今日はここでいいよ。君とも話したいしね」

 その男は――影人はその客に興味が無かったので姿は見ていなかった。それは影人のポリシーの1つなのだが、他人をジロジロと見るのは失礼な気がするからだ。後、単純に他人を見たところで何が起こるわけでもないし。

 そのような理由から影人は声とその言動から新たな客を男と認識したのだが、その男は影人から1つ離れたカウンター席に座った。

「・・・・・すいません。お勘定――」

「あれ? 君は――」

 影人がそう言おうとしたとき、その男が影人に声を掛けてきた。

 影人が不思議に思い、と言うのも影人はその人物の声を聞いたのはおそらく初めてだったからなのだが、隣を振り向く。

「うお・・・・・・!」

 そこにいたのは見目麗しい金髪碧眼の男性だった。影人が思わず声を出してしまうほど、その青年はイケてるメンズ。略してイケメンだった。

「君、どこかで僕と会ったことないかい?」

 明らかに日本人ではないだろうに、流暢な日本語でその青年は影人に話しかけてきた。

「・・・・・・・いえ? 俺は今あなたと初めて会いましたけど・・・・・」

 青年の不思議な問いに影人は首を横に振った。そもそも、こんな絶世のイケメンと会ったならば忘れるはずがない。

 影人の反応を見たその青年は「あれ?」と少し考え込むような仕草をした。

「おかしいな・・・・・・確かに君とどこかで会ったような気がするんだが」

 しばらく記憶を探っていたのだろうその青年は、なんとか思い出そうとしていたようだが、1分ほどすると諦めたようだった。

「・・・・ごめん。どうやら俺の記憶違いだったみたいだ。如何せん、俺も年でね」

「は、はあ・・・・・・」

 どう見ても自分より少し年上にしか見えないが、彼なりのジョークというやつだろうか。

「・・・・・・・注文は」

 どうやら店の名前と同じ名前らしかった女性――ということはやはり彼女が店主で決まりだろう。しえらは金髪の青年にジトッとした目でぼそりと言葉を放った。

「ああ、ごめんしえら。そうだな、ミルクティーと卵のホットサンドを2つ。1つは彼にね」

「え、そんないいですよ!」

「あ、お腹いっぱいだったかい? ならデザートにしようか?」

 青年はごめんごめんといった感じで影人の顔を見てきたが、影人はそういうことじゃないとその青年に言葉を返す。

「いや、そうじゃなくてですね・・・・・見ず知らずの方に食べ物を奢ってもらうのは・・・・」

「それは気にしないでくれ。俺からのお詫びだよ、人違いで君に迷惑を掛けたから。じゃあ、しえら今の注文で頼むよ」

 青年の注文を聞き届けた店主は「・・・・・ん」と再び作業に取りかかった。残された影人は仕方なくと言うのは変だが、お礼の言葉を述べた。

「・・・・・・ありがとうございます。ちょうどお腹が減ってたんです」

「いや、俺の勝手な自己満足だし。・・・・・・・君は律儀な子だね」

「え? 俺がですか・・・・・?」

 影人は至って普通にいきなりホットサンドを奢ってくれた心優しい外国人に感謝の言葉を述べただけだ。それは律儀というよりは、人として当然のことではないか。

「ああ、普通いきなり話しかけてきた怪しいやつに食べ物を奢られれば、警戒こそすれ、お礼を言うのは律義だと思ってね」

 金髪の青年はその宝石のような青い瞳を影人に向けながら、その顔に笑みを浮かべる。影人はその笑顔がただただ美しいなと感じた。

「・・・・・そうですかね? だとしたら、それはきっとあなたがいい人だからですよ」

 影人がそう言うと、その青年は一瞬キョトンとしたような顔になりその後大きく笑った。

「ぷっ、はははははは! 失礼、別に馬鹿にしているとかじゃないんだ。ただ、君はやっぱり律義な子だと思ってね!」

「・・・・・・そうですか」

 この外国の青年はどうやら少し変わっているらしい。影人にはこの青年の感性がいまいち理解できなかった。

「・・・・・どうぞ」

 そうこう青年と話している内にしえらがホットサンドとミルクティーを青年の前に出した。そして影人の前にも青年と同じ可愛らしい皿に盛り付けられた卵のホットサンドが置かれた。

「美味そう・・・・・」

「さ、食べて食べて。しえらの作るのは全部絶品なんだよ!」

「・・・・・・あなたに言われるとムカつくからやめて」

 しえらがむっとした顔でその青年に忠告した。2人のやり取りを聞いていると、影人はしえらと青年は店主と常連客というただの関係ではないような気がした。

「じゃあ・・・・・・いただきます」

 影人が手を合わせホットサンドを口にした。熱々の卵とバター、それに辛子マヨネーズが絶妙にマッチしたホットサンドは青年の言葉通り絶品だった。

「美味しいです・・・・・・」

 影人が口元を緩めてそう言うと、しえらは「ん・・・・・よかった」と少し恥ずかしそうにして仕事に戻っていった。

「だろ? さて俺もいただくかな」

 青年はニカッと笑うと、影人と同じようにホットサンドにかじりついた。そして「うん、うまい!」と言って、それをミルクティーで流し込んでいた。

 しばらくお互いにホットサンドを堪能する。しえらに渡されたお冷やと共に、影人は幸せな時間を味わった。

 そして綺麗にホットサンドを食べ終え、パチンと再び手を合わせる。ごちそうさまと呟くと、金髪の青年に再びお礼の言葉を口にした。

「・・・・改めてごちそうになりました。ええと、外国のお兄さん」

「いや、どういたしまして。もう帰るのかい少年?」

 食後に再びミルクティーを飲んでいた青年に影人は頭を下げる。青年の問いに影人は「ええ」と答える。

「ふらりと寄った所でしたけど、ここはとてもいい喫茶店ですね。また来たいと思います。今度は自分でホットサンドも注文しますよ」

「そいつは良かった。良かったねしえら、新しいお客さんがまた来てくれるってさ」

 青年が洗い物をしていたしえらに話しかけた。しえらはちらりと影人の方を見ると、ほんの少し口角を上げてこう言った。

「・・・・・またのご来店を」

「はい」

 影人はバナナジュースの代金をしえらに支払い、喫茶店「しえら」を後にした。









「いやー、面白くていい少年だったね彼は。しえらもそう思わないかい?」

「・・・・・・別に。それより、あなたにはさっさと今までのツケを払ってもらいたい。ラルバ」

 影人が去ってから守護者の神、ラルバは気分がよさそうにこの店の店主に話しかけたが、その店主は淡々とした声で神に催促した。

「え? 俺は君のお爺さんにここでの飲み食いは自由にしていいって言われてるんだけど・・・・・・」

「・・・・・それは知ってる。でもそれはそれ。それはおじいちゃんが店主だったときのこと。今は私が店主だから関係ない」

「そ、それは手厳しいな・・・・・・・」

 ラルバは顔が引きつったように笑みを浮かべた。え、何それ。そんなこと聞いてないんですけど。

「・・・・・まあ、おじいちゃんに免じてもう少しは待ってあげるけど」

「わ、わかったよ・・・・・・」

 なんとかこの場をしのげたラルバは心の中でホッと息をついた。

 そしてしばらくして、しえらがこんな噂をラルバに話した。

「・・・・・・知ってるラルバ? 最近、闇奴や闇人を狩る謎の人物がいるらしい。そいつをみた光導姫はその人物の特徴をこう評したみたい。――曰く、『死神』のようだった」

「・・・・・・ああ、知ってるよ。それが?」

 しえらの言葉はラルバは感情の読めないような表情を浮かべる。しえらはそんなラルバの表情から何かを探るように次の言葉を口にした。


「・・・・・・あなたの所の4と同じような特徴だとは思わない?」


「・・・・・・・・・・・・」

 レイゼロール率いる闇奴・闇人対ソレイユの光導姫・ラルバの守護者。

 そこに現れた、謎の男スプリガン。そして闇奴・闇人を狩る死神のような謎の人物。

 何千年も変わることなかった情勢が、今確かに変わろうとしていた。

 

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