第9話 考察

「大変申し訳ありません」

 平伏の姿勢でフェリートは自らの主人に失態を詫びた。そんなフェリートを睥睨するように見つめているのは、石の玉座に座っているレイゼロールだ。

「よい。・・・・・ただ素直に驚いた。お前があの2人を仕留め損なったというのはな」

 この世界のどこか、周囲が闇に包まれた場所にレイゼロールの声が響く。普段はその凍えるような瞳の中に何の感情も灯していないレイゼロールだが、今は確かに素直な驚きの色が見て取れる。

「・・・・理由を聞こうか、フェリートよ。闇人の中でも最上位の実力を持つお前が、何かの理由や障害なしに任務を失敗したとは思えん」

「レイゼロール様・・・・・」

 顔を上げ、レイゼロールの顔を見て、フェリートは嬉しさと不甲斐なさが織り混じったような気持ちを抱いた。しかし、今はこんな自分の気持ちなどどうでもいい。フェリートは一瞬の感傷の後、なぜ自分が命令に失敗したのかを説明した。

「・・・・・では、僭越ながら申し上げます。今回の任務は目標の光導姫に、おそらく上位の実力を持った守護者が付いていたというイレギュラーこそありましたが、それはさしたる問題ではありませんでした。実際、私はあと少しというところで、光導姫の命を奪えました」

 そこでフェリートは言葉を切り、一息ついた。そして、自らの腹部付近を抑え忌々しいその少年の姿を思い出す。

「・・・・・しかし、そこで邪魔が入りました。直接名乗った訳ではありませんが、その乱入者は名をスプリガンというそうです」

「っ・・・・・・!」

 その名前を聞いたレイゼロールが、その無表情な顔をほんの少し歪ませた。しかし、フェリートは主人の表情の変化に気づきながらも、報告を続けた。

「そのスプリガンなる者は、光導姫と守護者を逃がし、私と敵対しました。見たところ、そのスプリガンという者は少年でしたが、不覚にも私はスプリガンと闘い敗走しました」

「・・・・・待て。お前が?」

「はい、恥ずかしながら」

 今度こそ、その表情を人並みに変えたレイゼロールが、石の玉座から身を乗り出した。

「・・・・とにかく謎の多い少年でした。私と同じ闇の力を操りながらも、光導姫たちを逃がすために私と敵対し、その力と身体能力の前に私は大きなダメージを受け、撤退を余儀なくされました」

 フェリートは報告を終え、再び頭を下げかしずいた。正直、羞恥と自らの無能さを呪いたい気分だが、今は主人の言葉を待たなければならない。

「・・・・・そうか。理由はわかった、下がっていいぞ。それと、傷は大丈夫なのか?」

 レイゼロールは冷たい石に背を密着させ、その表情を無表情に戻すと、フェリートにそう言葉をかけた。

「・・・・はい。このような無能にそのような言葉を掛けてくださり、ありがとうございます。傷のほうは私の力で回復しました。とはいえ、血を流し回復に力を使いましたので、随分と弱体化してしまいましたが」

 スプリガンを幻影で惑わしている間に、貫かれた腹部付近を自らの能力で塞いだフェリートはなんとかスプリガンから撤退し、この場所に戻ってきた。しかし、執事の技能スキルオブバトラーが1つ、回復は闇の力の消費が激しい。そのうえ、フェリートは大量の血を流してしまった。ゆえに、今のフェリートはかなり弱体化している。今の自分ならば、闇人の中堅クラスがいいところだろう。

「・・・・・・・スプリガンなる者は我も対峙したことがある。確かに奴の力は、我らと同じ闇の力だった。しかし、奴は守護者でもなければ、闇人でもない。お前の言うとおり、本当に謎の男だ」

 レイゼロールはスプリガンと対峙したときのこと思い出した。あの不思議な力は、フェリートが言ったように闇の力で間違いないだろう。しかし、闇の力は闇人しか扱えない。そしてレイゼロールはあのような闇人を生み出した覚えがない。そういった面でもスプリガンは本当に謎しかない人物だ。

「! レイゼロール様も奴と会ったことが・・・・・?」

 一方、レイゼロールの言葉を聞き驚いたのはフェリートだった。まさか、あの男に自分の主人も会ったことがあるとは。

「・・・・ああ。とは言っても我はすぐに退いたがな。とは言え、二度も我々の邪魔をし、光導姫を守ったとなれば、スプリガンは明確に我々の敵だ。まだ、奴がソレイユ・ラルバサイドかは断定できんが、こちらも色々と手を打たんとならんだろう」

 なぜ、二度も光導姫を助けたのにスプリガンがソレイユ・ラルバサイドか断定できないかというと、それはスプリガンの力が関係している。スプリガンの力は闇の力。それは光を司るソレイユ・ラルバとは真逆の力だ。スプリガンの力の属性は明確にこちら側の力だ。ゆえにレイゼロールには、スプリガンがまだあちら側とは断定できないのだ。

「まあ、今は休め。よく戻ってきたなフェリートよ」

「・・・・・・・もったいなきお言葉です。では、失礼します」

 主人からのねぎらいの言葉を受けたフェリートは、そのまま深く一礼して闇に消えた。その去り際に悔しげな表情を浮かべながら。

「スプリガン・・・・・・お前は何者だ?」

 1人冷たい石の玉座で、レイゼロールの声が暗闇に響く。しかし、当然ながら答えは返ってこない。

(だと言うのに、厄介な奴が現れたな・・・・・)

 レイゼロールにはある目的がある。そのために、人を闇奴に変えているのだ。何百、何千年と時をかけてきたその作業がようやく実を結ぶかと思われたときに、スプリガンという謎の人物が現れた。実に面倒である。

 レイゼロールは闇の中、1つため息をついた。








「――つーわけでそいつには逃げられた」

「・・・・・そうですか」

 影人がスプリガンとしてフェリートと戦った翌日。影人は直接話を聞きたいとソレイユから念話を受けた。案の定、全身バキバキに筋肉痛でソレイユのいる神界に行くのは非常にというかかなりめんどくさかったが、神に呼ばれたのだからか弱い人間は命令に従うしかない。というわけで、影人は神界の暖かな光が満ちるソレイユのプライベート空間に足を運んでいた。

「まずは、本当にありがとうございます影人。あなたがいなければ、陽華と明夜は間違いなく殺されていたでしょう。ダメージを負った守護者のことは心配ですが、闇人・・・・・特にあなたが戦った執事風の闇人、フェリートと対峙しその程度で済んだのはむしろ僥倖です」

 ソレイユはその美しい面を思案の色に染めながら、相変わらずのぶっきらぼうな少年に感謝の言葉を述べる。

「・・・・・別に。お前もお前で大変だったみたいだしな。つーか、フェリートだったか? 知ってるのか?」

 影人は執事風の闇人としかソレイユに特徴を述べていない。だと言うのにソレイユは、その闇人の名前を知っていた。

「ええ。フェリートは最古参の闇人の1人でもあり、闇人の中でも最上位の実力を持つ者です。今の陽華と明夜、それにあの守護者の少年では絶対に勝てない相手です」

「そうか・・・・・まあ香乃宮もそう言ってたしな。で、そこで1つ疑問なんだが、何で俺はそんなヤバイ奴に勝てたんだ?」

「それは・・・・・わかりません。あなたの力とセンスが私が思っていたよりもすごかったから・・・・・じゃないでしょうか?」

「・・・・なるほど、俺は天才だったか」

 口ではそう言いながらも、影人はそんなことは露程にも思っていなかった。少し前まで本当にただの学生であった自分が、そんな歴戦の闇人相手に本来は勝てるはずがない。なにせ香乃宮光司でもまるで相手にならなかったのだから。おそらく、自分の、スプリガンの力には何かからくりがあるのだろう。

「ふふ、そうかもしれませんね」

 相変わらずその長すぎる前髪のせいで顔の半分は見えない影人だが、そんな影人が真顔でそう言ったのが、ソレイユはどこか可笑しかった。

「しかし、フェリートほどの闇人を退けたとなれば、あなたもレイゼロールには十分に警戒されるでしょう。いや、警戒だけで済むかどうか・・・・・」

「俺も敵に認定されて標的にされるかもってか? そんなのは想定内であいつらからしたら当たり前のことだろ。気にしちゃいねえよ」

 再び懸念事項を口にするソレイユに、影人は辟易とした表情で応じる。というかもうフェリートをボコったのだから今度から自分も、スプリガンも狙われるのは間違いない。

「全くあなたは・・・・・・自分事だというのに他人事ひとごとですね」

 ソレイユは呆れた表情であくびをしている少年を見つめる。この少年といると呆れた表情ばかりしている気がするソレイユである。

「それより俺も聞きたいんだけどよ、レイゼロールは囮だったんだよな? しっかし相手はラスボスだろ。被害とか、不謹慎かもだが死傷者とかは出なかったのか?」

 影人が昨日の顛末を話す前、都心に現れたレイゼロールは囮だったと聞かされただけで、詳しい話は聞けていなかった。ゆえに影人は、昨日のレイゼロール戦がどうなったのか知らないのである。

「はい、幸いなことに死者は出ていません。光導姫と守護者に何人かけが人は出ましたが、いずれも軽傷です。まあ、レイゼロールも時間稼ぎと囮に徹していましたからこのような被害だけで済んだのですが」

「そうか・・・・・毎度思ってるんだが、よく一般人に被害が出なかったな。今回レイゼロールが現れたのは都心だろ?」

 影人が何気なくもう一つ疑問を投げかける。影人たちが住んでいるこの付近は郊外だから人の数もまだ少ないが、都心は人で溢れているはずだ。だと言うのに、今回も一般人の被害はなかったようである。

「そこは日本政府の方々の迅速な対応のおかげですね。私がレイゼロールが出現したことを伝えると、すぐさまその辺りを封鎖してくれました。そこに光導姫の人避けの結界もあわさり、一般人の人々の被害も抑えられたのです」

「なるほどね・・・・・・」

 ソレイユの説明に影人は一応納得した。まあ、それはそれで疑問が1つ残るのだがソレイユはそれには答えないような気がしたので、影人はそう相づちを打った。

「・・・・・さて報告は終わったな。んじゃそろそろ帰るから地上に戻してくれよ」

「あ、ちょっと待ってください影人」

 影人がそろそろ帰ろうとほのかに暖かい光の床から立つと、ソレイユがパタパタと忙しそうに、奥の光の障子の向こうへ消えていった。今更だが、ここは大きな円形の広場のような場所で、今さっきまでソレイユが立っていた場所の後方にその障子があるのだ。ここは自分ソレイユのプライベート空間だと言っていたが、本当のプライベート空間はきっとあの奥なのだろう。

 と、影人がそんなことを考えていると、ソレイユが何かを持って戻ってきた。桜色の髪を揺らしながら何を持ってきたかと思えば、東京土産でおなじみの東京バナナだった。

「おい、何だそれ?」

「何って東京バナナですよ? 東京に住んでいるのに知らないんですか?」

「知ってるに決まってるだろ。俺が言いたいのは、何でそれを持ってきたのかってことだ」

 確か守護者の神ラルバから東京バナナを貰ったとかなんとか言ってたが、おそらくそれだろう。というか神が神に渡すお土産が東京バナナとはいかがなものか。(いや東京バナナはおいしいが)

「せっかくだからお茶でもしませんか? ラルバから貰ったものですが、私1人では食べきれそうになくて・・・・・」

 ソレイユは少し困り顔で東京バナナを見た。以前ラルバがこれを渡してくれた時、一緒に食べないかと誘ったら「い、いや! 俺はいいよ、それはソレイユ用に買ってきたやつだから」と断られてしまったのだ。

「やだよ。お前とお茶なんて何か嫌じゃん」

 しかし影人はズバッと本音を口にした。正直、早く家に帰ってゴロゴロしたいし、そもそも影人はソレイユのことが苦手な部類に入る。

「なっ・・・・・・! ひ、ひどくないですか!? 私、神様ですよ!? ふ、不敬です! 不敬すぎます!」

 開いた口がふさがらないとはこのことだろう。いや、この性根がひん曲がっている少年のことだから、もしかしたら断られるかもしれないと思ったが、まさか本当に断られるとは。しかも理由が余計に腹立たしいし。

「うるせえ知るか。まず俺お前敬ってないし、不敬もクソもねえよ。ほれ、わかったらパッパと帰せ」

「・・・・・・嫌です!」

「は!?」

「絶対に嫌です! あなたは私と東京バナナを食べながらお茶するんです! これは神の決定事項ですっ! 終わったら帰してあげます!」

 ぷくっと頬を膨らませて、プイッと顔を横に背けたソレイユのその所作はまるで子供のようである。その姿を見た影人はなぜか無性にむかついた。

「このクソ女神ッ! てめえは子供か!?」

「違いますよ! でも絶対にお茶してくれないと帰してあげませんからね!」

 ソレイユの様子を見た影人は悟った。これ絶対に折れないやつだと。ならば、家に帰るのに最短の道は1つだ。

「・・・・・・・・わかったよ。付き合ってやる、ただしさっさと終わらせろよ」

 仕方なく影人は折れた。影人が折れたのを見たソレイユは、ふくれっ面から、途端に大輪の花のような笑顔を浮かべた。

「そうですか! そうですか! 影人はそんなに私とお茶がしたいですか! まあ、当然ですよね! 普通、女神とお茶なんか出来ませんし。もう、仕方ないですね!」

 どうやらこのアホ女神は耳やら脳やらが腐っているようだ。ソレイユの嬉しさではにかんでいるような顔を見た影人は、1発殴り飛ばしてやりたくなった。

「ではでは、お茶の準備をいたしましょう。ふふ、ここは神界ですからね。私にはこのような事も出来るのですよ」

 上機嫌になったソレイユはそう言うと、右手を1度横に振った。すると、中央に精緻な意匠のテーブルとイス、それにティーポットとティーカップが突如出現した。ソレイユは得意げな顔で不機嫌な影人を見た。

「どうですか、すごいでしょう。私は神ですからこのような事もできるのですよ! さ、ではお茶会を始めましょう!」

 ソレイユはそう言うと、影人の手を握ってテーブルまで向かった。手を引かれながら、ソレイユの顔をチラリと見ると、なんだか本当に嬉しそうである。

 ソレイユの温かい手に引かれながら、その顔を見た影人は1つため息をついた。

「仕方ねえな・・・・・・・」










「彼を、スプリガンを、あまり信用、しないほうが、いい・・・・・・!」

 昨日、負傷した光司が陽華と明夜に言い残した言葉が、陽華の心にわだかまりのようなものを残していた。

 今日、光司は学校には来ていなかった。きっと昨日の負傷のせいだ。明夜と光司の家にお見舞いに行った方がいいかと話していると、そもそも2人とも光司の家がどこにあるか知らなかったのでお見舞いはなしになった。

 明夜も今日は書道部があるので、陽華は1人で学校から帰ったのだが、いざ自宅に帰って1人でぼうっとしていると、光司のその言葉が陽華の胸の内に蘇ってきたのだ。

(香乃宮くん、何であんなこと言ったんだろう・・・・・?)

 窓から夕日が差し込む中、陽華はそんなこと考える。昨日は光司が負傷していたため、その辺りの理由は聞けなかった。(ちなみに光司は1人で帰った。陽華と明夜が家まで肩を貸すと言ったが、光司はかたくなに断ったのだ)

 スプリガンは自分を、そして昨日は明夜まで助けてくれた恩人だ。しかし、光司はその恩人を信用しないほうがいいと言う。一体なぜなのか。

(スプリガン・・・・・・無事だよね?)

 スプリガンは闇人という、とてつもない敵から自分たちを逃がしてくれた。いや、もしかしたら他の理由があり、自分たちが邪魔だったのかもしれないが、結果的には自分たちを逃がしてくれたのだ。

 あの闇人、確かフェリートと名乗っていたが、フェリートは恐ろしく強かった。それこそ、陽華と明夜、光司が絶対に勝てないだろうと思うほどには。

 スプリガンが簡単にはやられないだろうと信じている陽華だが、陽華にはスプリガンの無事を確かめる方法はない。

「あなたは今、どこで何をしているの? スプリガン・・・・・・」

 切ないような気持ちを抱きながら、陽華はオレンジ色に染まった空を窓から見上げた。




一方、そのスプリガンはというと、ソレイユとのお茶会で東京バナナを食べていた。

 

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