第4話 守護者

 「・・・・・・眠い」

 耳元の目覚まし時計を止めながら、影人は大きくあくびをついた。

 時刻は7時45分。影人は名残惜しそうに自分の布団から出ると、リビングに向かった。

 影人の家は普通のマンションの一室だ。間取りは3LDKで、都内なので家賃はけっこうなお値段だ。ただ、影人が住んでいる地域は東京の郊外なので、地方より少し高いくらいである。

 リビングでパンを食べて支度をすると、時刻は8時15分を過ぎたくらいである。影人の家は風洛高校から近いため、この時間でも余裕で間に合う。

 母親に行ってきますの挨拶をして玄関に向かう。リビングにいなかったらから分かっていたが、妹はもう学校に行っているらしい。元気なことだ。

「ふぁ~っ・・・・・・ん?」

 あくびを噛み殺しながら通学路を歩いていると、前方の女子達が何やらヒソヒソキャーキャーしていた。一体なにごとなのか。

 気になったので辺りを見回してみると、どうも女子の数が異様に多い。疑問に思った影人が首を傾げていると、答えはすぐにわかった。

「いやー、今日も格好いいわ。香乃宮こうのみや君」

「だよねだよね! 朝のこの時間が至福なのよねー!」

 自分の前を歩いている女子たちの会話を、それとなく聞いていた影人は、ああ、なるほどと得心がいった。

(香乃宮が前にいるのか)

 そうとわかった影人は前方の女子たちを早足で抜き去ると、さっさと学校へと向かった。

(香乃宮の後ろなんか歩いてると、女子どもに埋もれちまう)

 並み居る女子たちを抜き去ると、少し前を1人の男子生徒が歩いているのが見える。斜め後ろから見てもイケメンとわかるその少年こそが、誰であろう香乃宮光司こうじその人である。

 香乃宮光司。風洛高校2年1組の生徒であり、イケメンである。しかもたちが悪く(影人の目から見て)男子でも、こいつはイケメンだと納得してしまうほどのイケメンだ。さらに、品行方正、才色兼備という完璧ぶりで、いわゆる勉強もスポーツもできるイケメンときている。

 さらにさらに、香乃宮グループという複合型大企業の御曹司でもある。イケメンで有能で金持ち。女子から人気が出ない方がおかしく、男子からギルティと思われても仕方がない存在である。

 ただこの男、生徒会長でもしていそうなものだが、生徒会長ではなく副会長をしている。まあ、こんな情報はすこぶるどうでもいい。

(イケメンは敵だ。ここはクールにこいつを抜き去るぜ)

 クールに抜き去るとは何なのか。ぶっちゃけ意味がわからないが、当の本人はそういう考えである。

 長すぎる前髪を揺らしながら、影人は徐々にスピードを上げる。光司に近づいていくにつれ、イケメン特有の爽やかな空気がただよっている気がして、浄化されそうだ。

 だが、ここで持っているのか、持っていないのか分からない男、帰城影人はやってしまう。影人はちょうど光司の横を通り抜けようとするときに、(なぜ落ちている)バナナの皮を踏んでしまって、キレイにこけた。その様はまるで一流サッカー選手がオーバーヘッドキックをするかのようだ。

「っ!?」

 幸い背中から落ちたため、頭は強打しなかったが、そのせいでむち打ちのようになってしまった。正直かなり痛い。

 そして、当然のことながら注目はぶっこけた影人に集まる。それはそれはきれいにこけた影人に、えっ、高校生にもなってそんなきれいにこける? 的な視線が集中する。

「だ、大丈夫かい?」

 いきなり自分の斜め前でこけた見た目絶賛ぜっさん陰キャに、イケメンが手を差し伸べる。正直良い奴である。

 一方、ぶっこけたバカ野郎はその長すぎる前髪の間から空を見上げていた。今日は青空が広がり良い天気である。

(こんな風に空を見上げるのは随分と久しぶりだ・・・・・)

 今よりも小さかった頃は、よくこんな風に寝そべって空を見上げたものだ。今度、河原で空を見上げよう。

 痛む体で影人はこんなことを考えていた。果たしてこの男は大物かバカなのか。きっと、絶対に後者である。

「・・・・・・手出しは無用だ」

 そんな思考をさっさと切上げた影人は、光司の手を振り払った。別に恥ずかしかったから手を振り払ったのではない。断じてない。

「そ、そうかい・・・・」

 不審人物に手を払われたイケメンは、少し驚いた顔をしながらも「じゃあ、気をつけて」と爽やかな笑顔でその場を去って行った。

「・・・・・まさかバナナの皮とはな」

 今のご時世にもなってそんなバナナ、と心の中で呟いた影人は立ち上がると、鞄を持ち直して学校へと向かった。

 一部始終を見ていた生徒たちの間には、こう何とも言えない雰囲気が漂っていた。








「まったく今朝はひどい目にあった・・・・・」

 昼休みを告げる鐘の音が鳴り響く中、影人は机に突っ伏していた。正直、体はまだ少し痛むが、まあ仕方が無いだろう。

「・・・・・購買行くか」

 ため息一つ、影人は昼ご飯を求め購買に向かった。

 普段、影人は弁当派なのだが、今日は母親がおかずがないと言っていたので、仕方なく購買だ。

 風洛高校は学食があり、そのフロアに購買がある。フロアは一階なのだが、昼休みは大変混雑する。そんな事情も相まって影人は少し急いで学食へ向かった。

 案の定、学食と購買のフロアは混雑していたが、影人はなんとか購買で焼きそばパンとサンドイッチを買うと、空いていたイスに座った。

 水を汲んでくることを忘れていた影人は、セルフサービスの水を紙コップに汲むと、取って置いた席に戻った。

「げっ・・・・・」

「おや、君は・・・・」

 だが、席に戻ると対面には香乃宮光司が座っていた。長机に置かれている光司の昼食を見ると、学食で一番高い洋風ステーキセットだった。お値段なんと1980円である。悔しいがさすが金持ちだ。

 けっ、金持ちめと心の中で毒づきながら、影人は辺りを見回した。だが残念ながら他の席は全て埋まっていた。

 仕方なく影人は水を置いて光司の前に座った。そしてそのまま、手を合わせて焼きそばパンを頬張る。

「今朝は大丈夫だったかい?」

「・・・・・・ああ」

 ニコニコとした顔でそう話しかけてきたイケメンに、影人は一応返事を返した。形だけでも自分を心配してくれる人間を無視できるほど、影人は人でなしではない。

「そうか、よかったよ。でも不運だったね、まさかあんな所にバナナの皮とは。あ、申し遅れたね、僕の名前は――」

「香乃宮光司だろ」

「え? 僕を知ってるのかい?」

 影人が光司の名前を答えたことに光司はひどく驚いたようだった。その反応を見た影人は、まじで言ってるのかと疑ってしまう。

 香乃宮光司という人物をこの学校で知らない者はいないだろう。彼の外観もそうだが、そのプロフィールもあって彼のことを知らないやつは、この風洛にはいない。

「・・・・・有名人だからな、あんたは」

 焼きそばパンを食べ終わって水で一息ついた影人は、前髪の間から光司を見る。悔しいが、いや悔しくはないのだが(どっちだよ)やはりイケメンだ。

「ははっ、なんだか恥ずかしいものだね。僕みたいなやつが有名人なんて。でも、僕は君と同じただのここの学生だよ。そういえば、まだ君の名前を聞いていなかったね。よければ教えてくれないかな?」

 ステーキセットを食べ終えた光司がナプキンで口を拭うと、その凜々しい目で影人を見た。影人は二つ目のサンドイッチを食べ終えると、仕方なく自分の名前を明かした。

「・・・・・帰城影人だ」

「そうか、帰城くんというのか。これからよろしくね!」

 朗らかな笑顔で光司は右手を影人に差し出してきた。だが、影人には一体どういう意味なのかわからなかった。

「・・・・・これはどういう意味だ?」

 なので影人は素直に光司のその手の意味を聞いた。

「ああ、ごめん。いきなり手を出されても困るよね。別に深い意味はないんだよ、ただ友好の印にと思ってね」

「・・・・・お前、本気で言ってるのか? 俺は今日お前の手を振り払ったやつだぞ」

「気にしてないよ。今朝は僕が余計なことをしてしまっただけだからね」

 その言葉を聞いた影人は思わず目を見開いた。だが、光司からは影人が目を見開いたのが分からなかっただろう。なにせ影人の前髪は長すぎる。

(分かっちゃいたが・・・・・こいつは『良い奴』だな)

 でなければ、みんなから好かれてはいないだろう。外見や家柄だけではない。光司の人柄の良さも相まって、香乃宮光司は人気者であり有名人なのだ。

 中には光司のことを悪く言うものもいる。だが、それはただの嫉妬や悪意が大半だ。人の醜い部分でしかない。

「・・・・・・・・」

 正直に言ってしまえば、この手を握らない理由はない。だが影人はこういった人の善意に慣れていなかった。

(だけど・・・・・)

 その善意に触れた影人は、つい右手を光司の差し出された手に――

 キイィィィィィィィィィィィィィィィィン

「っ!」

 突如として脳内に響いたその音で、影人はすぐに席を立った。その際、最後のサンドイッチを頬張ることを忘れない。

「え?」

ふぁるい悪い!」

 影人は光司にそう言うと急いで食堂を出た。走りながら制服のズボンのポケットに手を入れる。そこにペンデュラムが入っているのを確認すると、すぐさま全速力で昇降口を目指す。

(ちっ! よりにもよって今かよ!)

 あの音は闇奴が出現したというソレイユからの合図だ。そして影人にも聞こえたということは――

『影人』

「ソレイユ、今回は遠いな?」

 急いで靴を履き替えると、影人は校舎を出た。そして人のいない場所に移動した。

 実はあの合図により、影人は闇奴が今どこに出現しているか分かるのだ。いま闇奴がいるのはここから5キロほど離れた場所だ。

『ええ、陽華と明夜はもう。影人、十秒後に転送します』

 ソレイユからの念話を聞いた影人はその場で大人しく10秒待った。すると、地面から光の輪が現れ影人を包んだ。そして影人は粒子となってその場から姿を消した。










「さて・・・・・・」

 ソレイユのテレポーテーションによって瞬間移動した影人は、とある広場に出た。どうやらこの付近に闇奴が出現したようだ。

『影人、あそこです』

 ソレイユの声に導かれるまま顔を向けると、15メートルほど離れたところにはいた。

 一言でいうならそれは巨大な蛇であった。だがその蛇はとぐろを巻きながらも、見上げるほど巨大な姿だった。全長はおそらく10メートルほどになるだろう。

 毒々しいその鱗の色は紫で、爬虫類独特の細い瞳の色は奇しくも、スプリガン時の影人と同じ金。チロチロと覗く舌はまるで獲物を探しているようだ。

 影人はすぐさま広場の茂みの中に隠れると、その中から蛇の様子を窺った。

「あれが今回の闇奴か。でかいな」

『ええ、ですがあの闇奴は知性がありません。ただ獣に身をやつしただけです。なので一言で言うとでかいだけ、危険度としては最低クラスになります』

「・・・・・だが、あいつらは前回その最低クラスのやつに殺されかけたぞ」

『あれはレイゼロールが細工をしていたからですよ。ですが、わかっています。なのであなたという保証以外にもさらなる保証はしてあります』

「俺以外の保証・・・・?」

 一体それが何なのかは分からないが、闇奴のうなり声が聞こえたので影人はそちらの方を見た。

 すると陽華と明夜が闇奴の前に現れ、ブレスレットを使って変身した。いつもの口上を述べた2人はそのまま闇奴との戦闘に入った。どうやら今回はレイゼロールはいないようだ。

「よし・・・・・これで結界は展開されたな」

 レイゼロールがいないことに安堵の気持ちを抱いた影人は、ホッと息を吐く。正直、レイゼロールは今の陽華と明夜が相手をしていい人物ではなく、要するにラスボス的な存在なのだ。

『今回も死者はいないようです。結界が展開されたことで、ひとまず安心といったところでしょう』

 影人の言葉にソレイユがそう返してくる。ちなみに結界というのは、光導姫が変身するのと同時に発動する辺り一帯を包む不可視のドームのようなものだ。

 結界が展開されている間、普通の人はその場所を無意識的に忌避する。なので結界が展開されている間は、一般人が光導姫と闇奴の戦いに巻き込まれるということはない。

 だがこの結界にも例外があり、光導姫と守護者はこの結界が展開されていても、結界の効果を受けることはない。なぜなら、光導姫と守護者は神の合図により闇奴の場所を本能的に知っているからだ。

 もちろん結界が張られる前に闇奴が一般人と遭遇することもある。そう言った場合には政府が動くらしい。らしいというのは影人自身、ソレイユから詳細なことは聞いていないからだ。しかし、影人がこの仕事を始めて以来、一般人で人が死んだとは聞いていない。

「この感じだと、今回は俺が出て行かなくてもよさそうだな・・・・・」

 ちょうど大蛇の頭に陽華が強烈な踵落としを叩き込んだところだ。大蛇はキシャーと声を上げ地面にその頭を落とした。すかさず明夜が魔法を発動し、蛇の頭を地面に縫い付け拘束する。

「・・・・6限には戻れそうだな」

 影人もただの高校生。しかも今回は無断で5限を欠席している状態だ。ちょっとというかかなり気にしている影人は、だいぶと小心者である。

『全く、私の切り札の一つというべき者がなんと小さい。嘆かわしいですね』

「・・・・・おいてめぇ、殺すぞ」

 ソレイユの声を聞いた影人は殺意のこもった声で言葉を放った。

 別に影人だって好きでこんなことをしている訳ではない。一体どこの誰が、こんなに面倒くさくてもしかすると命の危険があるかもしれないことをするだろうか。だが、影人はその面倒で危険な役割を行っている。自ら光導姫になることを決意した陽華と明夜とは違う。影人はほとんど強制的にスプリガンになったのだ。

『・・・・・ふふっ、すみません。嘘ですよ、私はあなたに感謝の気持ちこそあれ、そんな気持ちは抱いたことはありません。いつも本当にありがとうございます影人』

 しかしソレイユはそんな人間の殺意など、素知らぬ感じで言葉を返してきた。そして不意打ちのように影人に感謝の言葉を述べてくる。

「なっ!? ばか、いきなりなんだ!?」

 その言葉に先ほどとは打って変わって影人は明らかに狼狽した。その様はまるで年相応の少年のようだ。

『あら、可愛いところもあるんですね。正直、とんでもなく無愛想なクソガキだと思ってましたけど』

「余計なお世話だ年増。・・・・・・というか切り札ってなんだよ?」

『誰が年増ですか! 別に深い意味はありませんよ、それよりもそろそろみたいですよ』

 ソレイユに言われて意識を2人に向け直すと、2人が浄化の詠唱を始めたところだった。だが、前回はここでピンチに陥った。2人もそのことがわかっているとは思うが、影人はいつでも飛び出せるように様子を見守る。

「逆巻く炎を光に変えて――」

「神秘の水を光に変えて――」

 二人がそれぞれの手を闇奴に向かって伸ばされ、その手が重なる。

「「浄化の光よ! 行っっっっっっっっっっけぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」」

 闇奴に向かって光の奔流ほんりゅうが放たれる。身動きの取れない蛇の闇奴はその奔流に飲み込まれた。

「キシャャャャャャャャャャャャャャャャャャャャャ!?」

 断末魔の悲鳴を上げながら、闇奴が浄化されてゆく。もう何も起こることはないだろうと、影人が警戒を解いた時、2人に危険が訪れた。

 よほど心の闇が強かったのか、大蛇の闇奴は浄化されるまで少し時間がかかり、その間に闇奴は最後の抵抗を行った。

「シャッ!」

 大蛇はその体を鞭のようにしならせ、その尻尾を陽華と明夜にぶつけようとした。その先端の速度は空気の音が鳴っていることから、音速だろうと予測できる。

「しまった!」

 今から飛び出しても間に合わない。スプリガンに変身するならなおのことだ。

 2人もその攻撃は流石に反応できなかったらしく、今にもその尻尾に当たりそうだ。そして当たれば大ダメージは必死だろう。

「くそッ!」

 これは自分のミスだ。この前ソレイユに陽華と明夜に油断するなと伝えた自分が、一瞬でも警戒を解いてしまった。そのせいで2人は――!

 影人が衝動から飛びだそうとしたとき、ソレイユの声が響いた。

『言ったはずですよ影人。あなた以外にも保証はしてあると、――どうやら間に合ったようですね』

 ソレイユの言葉が影人の中に響いた瞬間、どこからか突如、剣が飛翔した。

 そしてその剣は音速の速さで蛇の尻尾に突き刺さった。そのあまりの速さで生じた衝撃に、剣が突き刺さった蛇の体は後方に移動した。

「・・・・・・は?」

 闇奴はそのまま浄化されていき、後に残ったのはその剣と闇奴化していた人間だけだ。

 影人と、陽華に明夜がただただ呆けていると、どこからか足音が響いてきた。

「――よかった、間に合ったみたいだね」

 コツコツと気持ちのいい音を立てながら、その少年は現れた。

 白を基調としたどこかの王子然とした服に、非常に整った顔立ち。ピンチに駆けつけるその姿は、どこかスプリガンに変身した自分を思い出させた。

「あいつは――!」

 茂みに隠れ直した影人は思わず目を見開いた。なぜならそいつは――

 残された剣を左腰の鞘に直した謎の少年は陽華と明夜に対して、爽やかな笑みを浮かべながらこう言った。

「初めまして、新人の光導姫のお2人。僕は守護者――あなた方の騎士ナイトです」

 先ほどまで自分と話していた少年、香乃宮光司だったからだ。

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