陸の人魚は青に溺れる2



 メリッサは一人残された書庫で、長い時間をかけていろいろなことを考えた。

 カイルのことを考えるだけで、胸が張り裂けそうだった。

 そして考えているうちにカイルの態度はやはりどこかおかしいのだと感じた。カイルという人物はいくら妹の命があと少しになってあせっていたからといって、人魚に関する資料をわざわざ机の上に広げたままにする人間ではない。

 タイミングよくメリッサを書庫へ向かわせたのも、そのあとカイルが現れたのもどこかおかしい。まるでメリッサに真実を告げるためにわざとそうしたようだった。


 それに、たとえ資料を見られたとしても、はたしてそれは彼にとっての取り返しのつかない失敗だと言えるのだろうか。


 すべてがメリッサを成人させるための演技で、そこに彼の気持ちは少しもなかった。もしそうなら、さらに演技を続けることになんのためらいがあるのだろう。

 たとえば、最初は利用するつもりで屋敷に住まわせたが、今はそれだけではない。そんなふうに言うことだってできたはずだ。妹を助けたいと頭を下げて懇願されたら、メリッサが鱗水晶うろこすいしょうを渡す可能性はあったのに。かかっているのはなにより大切な妹の命なのだ。彼がなぜ最後まで足掻こうとしないのか。



『人間はいつか人魚を……。だから心をゆるすな』



 夜の海で、カイルはそう忠告していた。



『……すまない』



 メリッサが、鱗水晶が痛むと泣いていた晩、カイルは彼女の体を抱きしめて、少し震える声でそう言っていた。


「カイルはバカです……バカヤロウです!」


 だますなら、最後までだましてくれれば皆が幸せになれたのに。カイルの気持ちがすべてわかるとは思わない。けれどやっぱり真実を告げたときのカイルだけが、別の人物だとメリッサは感じた。


「なんでもカイルの思いどおりになると思わないでくださいね……」


 もしメリッサの予想が正解ならば、これはきっと彼の望むものではない。嫌がらせのようなものだ。だが、カイルがどう思おうが、メリッサは純粋にマーガレットを救いたい。その気持ちはカイルが勝手にどうこうしていいものではない。


 だから、鱗水晶をおいて屋敷を去った。


 人魚の力を失ったメリッサは、どこか別の町へ行こうと考えていた。

 ダラムコスタの町にいれば、どうしても町の中心にある立派な建物が視界に入ってしまう。それにもう彼女にはカイルに会うつもりがないのだ。


 もし、メリッサの予想が少しでもあたっていればカイルは鱗水晶を返すために彼女を探すかもしれない。ダラムコスタの町でメリッサが行きそうな場所といえば、ラファティのところしかない。だから彼女はそこには行かず、適当な宿に泊まった。


 宿で一泊したあと、出立前に薬師協会の窓口に立ち寄る。こういったことは信用が第一なので、助手を希望しておきながら、いざ求人がきたら希望していた本人がいませんでした、というのはまずいのだ。だから助手希望を取り下げてから町を去ることにする。

 薬師協会での手続きはすぐに済み、メリッサはとりあえず故郷とは反対の方角にある大きめの町をめざすために歩き出す。


 目抜き通りを進むとアルフォード商会の建物の前を通ることになってしまう。メリッサはなんとなくそれを避けたくて海沿いの道を選ぶ。午前中の早い時間なので、早朝の漁を終えた漁師たちが魚を運び出す様子が見られる。落ちた魚を目当てに空の上には鳥が旋回していてにぎやかだ。


 メリッサの故郷、オルシーポートと規模も活気も違うが、朝の港の雰囲気はどこでも同じだ。メリッサは故郷でもこの町でもそれを遠くから眺めることしかできないが、嫌いではない。


「探したぞ! メリッサ」


 海沿いの道を歩いていたメリッサにそう声がかけられる。その声には聞き覚えがあった。


「ナイジェル……」


 最悪な人物に見つかってしまった。ナイジェルはオルシーポートの村人三人と一緒にダラムコスタまでメリッサを追ってきたのだ。


「なんで、ここが……?」


「はっ! いろんな町にいったさ! そんで薬師協会におまえがこなかったか、うまいこと聞き出した。おまえ、職を探していただろう? 絶対また来るだろうと思ってなぁ」


 ナイジェルもほかの村人三人も、メリッサのよく知っている人物だ。にやにやと笑いながら近づいてくる男たちから、メリッサは走って逃げる。


「助けて! 誰か」


 白昼堂々、か弱い女性を追いかける四人の男。当然周囲の人間はあぜんとし、どういうことなのか理解できずに戸惑っている。


「なにをしているんだ! こんな女の子一人に」


 正義感の強い青年がメリッサをかばうように男たちに立ちはだかる。


「うっせぇ! その女は人魚だ。邪魔するな」


「……人魚?」


 かまわず逃げるメリッサの足を誰かが引っかける。勢いよく転んだメリッサの腕や膝から血がにじむ。


「ははっ! 協力してやったぞ! 俺にも分け前を!」


 まったく知らない町の男が、メリッサを転ばせて、背中を足でふみつける。


「い、いたい! 私は人魚なんかじゃ……」


 メリッサが抵抗すると男は髪を引っ張り、動きを封じた。


「ぐっ、やめて!」


「まったく手間をとらせやがって!」


 追いついたナイジェルが逃げられないメリッサにゆっくりと近づき、準備していた縄で両手首を縛る。


「やっと、やっと捕まえた! 俺のもんだ、ははっ!」


「失礼ですが、そこの方。それ以上傷つけるのはやめてください。商品価値が下がりますよ」


 縛られ、男にふみつけられたままの状態でメリッサが頭を少しあげると、そこには身なりのいい紳士が立っていた。


「失礼、私はこの近くで商人をしているものでして」


 そう言って紳士はナイジェルに名刺のようなものを手渡す。


「人魚の価値は血肉だけではありません。まだ若く美しい人魚なら……。ぜひ私どもに売っていただけませんか?」


「私、人魚じゃありません!」


「……どういうことでしょう?」


 身なりのよい商人は、どちらの主張が正しいのかわからず、二人を交互に観察する。


「そんなもん、縛って海に沈めればすぐわかるだろ!」


「それもそうですね」


 名案だ、というように、商人が同意する。

 ナイジェルは逃げられないように足首までしっかりと縄で縛ったあと、港の桟橋までメリッサを引きずる。

 すでに大きな騒動になっていて、周囲には人だかりができていた。

 やじ馬が見守るなか、ロープでつながれたままのメリッサを海に落とす。

 ドボンという水音のあと、メリッサの視界は夜のような深い青に染められた。


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