陸の人魚は嘘をつく5
メリッサは次の休暇で、再びラファティに会いにいくことにした。彼が人魚であることを確かめたいし、マーガレットの薬についても話を聞きたかった。
ラファティには折り入って内密に相談したいことがある、とだけ手紙で伝えた。
もし彼が人魚で、お互いに相手を同族と疑っている状況なら、メリッサがなんの話をしたいのかを察して、ウィレミナを遠ざけてくれるはずだ。
「やあ、メリッサ君。あらたまってどうしたのかな?」
ラファティの薬局では、いつもどおりラファティとウィレミナが出迎える。ウィレミナがいたことにメリッサは落胆した。
メリッサの「相談」がなんのことなのか、彼にはわからなかったということなのだから、もしかしたらラファティが人魚というメリッサの直感は間違いだったのかもしれない。
薬師はたくさんの本を読むし、運動するよりも本を読むほうが好きだという者が多い。腕前のよい薬師で眼鏡をかけている人物が必ず人魚だということではないのだ。
「……え、えっと」
メリッサは言葉につまる。ラファティと二人きりになったら、人魚しか知りえないことをほのめかすつもりでいたのだ。もし、それでもラファティが無反応ならメリッサ自身が人魚だとうち明けずに話を終わらすつもりだった。
二対一だと、出した話題をうまくごまかせるか心配だった。
「ウィレミナ君のことは気にしないでください。彼女は、僕が人魚だって知っていますから」
開口一番、メリッサがどうやって切り出せばよいのか迷っていたことを彼は打ち明ける。メリッサの予想どおりラファティは人魚なのだ。あっけなく答えを得られてメリッサは拍子抜けする。
「君ほどわかりやすい人魚はいないでしょ? 同族から見ればバレバレですよ」
そう言って、ラファティとウィレミナはほほえむ。
「それで、メリッサ君は私になにを聞きたいのですか?」
「あの、一番聞きたかったことは先生が人魚かどうかなんですが……。あとは薬のこと、マーガレット様のお病気のことです」
「アルフォードのお嬢様のことですね? あの方に処方している薬はメリッサ君もわかっているかと思いますが、人魚の血が混ざっています」
ラファティははっきりと告げる。
「やっぱり、そうですか……」
彼が人魚なら当然そうだとわかってはいたが、はっきりと言われるとメリッサには少々こたえる。マーガレットを救う方法がひとつなくなったのだから。
「血の量を増やして、効果を高めることはできないんでしょうか?」
「もともとマーガレット様に処方しているものが、限界まで血の量を増やしているものです。あの薬を使っていなかったら、あの方はとっくに……」
メリッサが考えていたいやな予想ばかりがあたる。医師の見立てで成人までは生きられないと言われていたマーガレットがなんとか持ちこたえているのは、ラファティの力だった。
「ラファティ
四角い眼鏡の奥に隠されているグリーンの瞳に一瞬戸惑いの色が浮かぶ。
「メリッサ君がアルフォードのお嬢様にさしあげるのですか?」
「それはまだ、私は……人魚としての成人を迎えていないんです。でも、方法があるのかどうか知っておきたくて」
メリッサはおそらく、もうすぐ成人する。あと一歩自分で踏み出す勇気、自分の気持ちを認める勇気があれば大人になれるとわかっている。
でも、成人してから考えても間に合わないかもしれないのだ。だから今、知りたい。
「メリッサ君。薬師として、その方法はすすめられません。たとえあなたが大人になったとしても」
「どうしてですか? 助けられるのなら、私はっ!」
「鱗水晶を外したら、あなたはもう人魚ではなくなります。薬師としての優位性も失います」
ラファティは静かに、でもはっきりとした強い口調で続ける。
「力を失えば、そのあと人魚の薬で助かったはずの人間を助けられないということです。だからメリッサ君がたまたま出会ったお嬢様の命を救いたいだけなら、軽率だと思いますよ。そもそも人魚が人間を助ける、というのもおかしな話ですが、薬師とはそういうものですから」
「先生は、これから出会うかもしれない人のために、マーガレット様を見捨てるほうが正しいって言うんですか!?」
ラファティの言っていることは正しい。だが正しても納得できないことがある。だからメリッサはつい声を大きくする。
「誰かのため、ではありません。あなた自身のために言っているんですよ。……人魚は鱗水晶を捨てた同族を嫌います。もしあなたが鱗水晶を外せば、仕事も家族もすべて失います。あなたの人生と他人の命……本当に命が尊いと言えますか?」
「それはっ!」
ラファティは一度ウィレミナのほうへ視線を向ける。それに呼応するように彼女も彼を見てほほえむ。
「私はね、人魚として生きていくつもりがないんです。もし海の王国が復興しても戻る気はない。それでも、この力を失うのは怖い」
ラファティは穏やかな目でウィレミナを見つめている。他人の気持ちに鈍感なメリッサでも彼の言っている意味がわかる。二人は師弟関係であり、恋人同士でもあるのだ。ウィレミナはラファティが人魚であることを認めたまま彼のことを愛しているのだ。
「メリッサ君。今の話は、あくまで薬師としてのものです。そこは間違えないでくださいね。特別な人のためなら、答えはきっと違ってくるでしょうから」
特別な人を守るためなら薬師として正しくない行動をしてもいい。ラファティはそう言っているのだが、同時に出会ったばかりの人間にいちいち肩入れしていたら、本当に守りたいものができたときに力を使えない、という忠告でもあるとメリッサは思った。
「はい……」
メリッサにとっては彼の言葉は重かった。
§
ちょうど食材の買い出しに出かけるウィレミナと一緒に、ラファティの薬局をあとにしたメリッサは、自分の考えがまとまらずにぼんやりとしていた。
「あの、ウィレミナさんはラファティ師匠の、その……恋人なんですよね?」
「そうなるわね」
鱗水晶を持ったままでは、人間と婚姻を結べない。恋人にはなれても夫婦にはなれない。
「師匠はあれでも、人間が好きなのよ。……私はそんなあの方が好きなのかもしれないわね」
海の王国に帰るつもりがないのに、人魚であり続けたいというラファティ。そして結ばれないかもしれないのに、彼を支え続けるウィレミナ。メリッサには二人の想いのすべてを理解することはできないが、彼らがとても強い人たちなのだということはわかる。
そんな話をしながら歩いていると、いつの間にかアルフォード商会の建物の近くに来ていた。辻馬車が集まっている場所は商会の少し先だ。
「あれ? アルフォード様がいらっしゃるわ」
商会の前に停まった立派な馬車。カイルがわざわざ出迎えるのだから、きっと
長い裾が汚れないように気をつけながらステップを降りる女性。カイルは当然のように手を差し伸べる。
使用人のメリッサに対してもそうするのだからあたりまえだ。メリッサのときと違うのは、彼が女性に対し、熱を帯びたような視線を向けてほほえんでいることだ。
「ハワード殿にこんなに美しいお嬢様がいらっしゃるとは思いませんでした」
カイルが冗談まじりに、恰幅(かっぷく)のよい紳士とまったく似ていない、娘の美しさを褒めたたえる。
「まぁ、からかわないでくださいませ」
令嬢は頬を薔薇色に染めて、潤んだ瞳でカイルを見る。カイルが令嬢の手を引いて、商会の重厚な扉の中に入っていく。
(また、まただ……。どうして?)
メリッサの鱗水晶がずきずきと痛む。
カイルはメリッサに、怒ったような顔とからかうような笑みしか向けてくれない。ルーナにはどうだろうか。もしかしたら、ルーナに見せる笑みは人間とは違う生きものへの興味からくるものなのかもしれない。あの令嬢に向けているやわらかく熱を帯びたような瞳を、メリッサが正面で見ることはないのだ。
そんな当然のことで胸が痛むことにメリッサは驚く。胸がざわつくその感覚はひどく不快だ。
「メリッサさん? 大丈夫!?」
「へ、平気です。ごめんなさい……ちょっと疲れてしまったのかもしれません。今日は帰ります」
商会のある大通りなら辻馬車を拾うのは簡単だ。ウィレミナは馬車に乗りこむまでメリッサにつき添ってくれた。
「あの、ありがとうございました」
「いいのよ。それより屋敷に帰ったらきちんと休みなさいね」
「はい。ラファティ師匠にもよろしくお伝えください」
辻馬車の馭者(ぎょしゃ)に行き先を告げて馬車へ乗り込む。メリッサは服の上から胸をかきむしるようにしてその痛みをこらえた。
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