陸の人魚は嘘をつく4
その晩もメリッサは岩場に座って星空を見ていた。あいにく雲が多くて月は見えない。雲の隙間から少しだけ星の瞬きが見えるだけだ。
毎日海に入らなくても人魚が死ぬことはないのだが、アルフォードの屋敷に来てからの日課になってしまっている。水を求めて来ているのか、カイルと話すために来ているのか、よくわからなくなっていた。
「ルーナ。こっちへ来ないか?」
浜辺に座ったカイルがメリッサを誘う。
「いやです。陸にあがったら逃げられないもの」
カイルは毎晩、人魚のルーナに会いに来る。他愛もない話をしているだけで、メリッサを捕らえる気はないようだった。
彼ならば、人を使って浜の周辺に網をはり、人魚を捕らえることくらいできるだろう。だから、彼を疑っているわけではない。それでも、彼にはあまり近づいてはいけないとメリッサは思う。メリッサの
「じゃあ、俺がそちらに行く」
「え、ええっ?」
カイルは服がぬれるのを気にすることもなく、メリッサのほうへ向かってくる。波は穏やかだが、夜の海は人間には冷たいはずだ。
メリッサの座っていた岩場の近くまでくると、水深はカイルの肩のあたりまであった。
真っ暗な海に人間が入るなんて、無謀すぎる。メリッサは慌てて岩場から海へ入る。
「危ないですよ、カイル」
「海の中なら、おまえはすぐに逃げられるから安全だろう?」
「…………」
カイルの肩に手を添えると、彼よりもだいぶ背の低いメリッサの身体は浮いた状態になる。
相手はろくに見えていないといっても、水にぬれた服が身体に張りついて透けている状態で男性に近づくことは恥ずかしい。日中に感じていた胸の痛みをメリッサは再び思い出す。
「冷たいな」
「夏でも夜の海は冷たいです。カイルは早くお屋敷に戻ったほうがいいですよ。風邪を引いたらどうするんですか?」
「違う、おまえのことだ。人魚はみんな、そんなに冷たいのか?」
軽く後方に回されていた彼の腕が、メリッサの身体をぎゅっと引き寄せる。自然と彼の胸に身体をあずけるかたちになる。カイルの身体は人魚のそれよりも少しだけあたたかくて心地がよい。
それはほんの少しの差だ。肌が触れあわなければ気がつかないほどわずかな差。今のメリッサにはその少しの差がとても大きな隔たりのような気がして嫌だった。
「人魚は、人間とは違う生きものです! ……離してください」
海の中では人魚のほうが有利だ。大きな尾びれで思いっきり彼をはたけば逃れられる。口では離せといいながら、メリッサは逃げようとはしない。矛盾で頭が混乱する。
「なぁ、人魚は海でどんなふうに踊る?」
「へっ? 踊りですか? 人魚の国はもうありませんから、そういうのは聞いたことがないです」
「そうか……なら」
カイルはメリッサを抱きしめた状態のまま動き出し、くるくると回り出す。本人は踊っているつもりなのだろうが、動きが鈍くなる水中でうまくステップをふめるはずもなく、ただ子供のように遊んでいるだけだ。
「カイル!?」
メリッサが見つめると、カイルはひどく楽しそうに笑っていた。マーガレットに向ける笑みともまた違う。無邪気に、そして少し意地悪そうに笑うのだ。カイルは自分がそういう顔をしていることをはたして知っているのだろうか。もしかしたら、暗闇でほとんど見えていないから油断しているのだろうか。
だって彼は、使用人のメリッサにはあきれたような表情しか向けてくれないのだから。
今のカイルはメリッサを見ているようで見ていない。メリッサではなく、ルーナという夜に現れる人魚を見ている。そう思うと、また鱗水晶が痛み出す。カイルに近寄られるとすぐに痛み出すのに、その手から逃れることもしない。メリッサは自分の気持ちがよくわからなくなっていた。
「ルーナ。おまえは海の王国に帰りたいのか?」
「それはそうです。人魚が安全に、仲間と暮らせる場所があればこんなにこそこそとしなくて済みます。でも、帰りたくても帰る場所がないから。……それに、カイルには言われたくない! だって、カイルは人魚姫の……」
人魚姫の恋人の孫。そう言いかけてメリッサはまずいと思った。その話は、メリッサが聞いたのであって、ルーナは聞いていないのだ。
「ああ、『人魚姫の恋人』の孫……。なんだ、知っていたのか? まぁ、ダラムコスタでアルフォード家を知らないものなんていないからな」
カイルがメリッサを引き寄せる力が急に強くなる。月明かりもない真っ暗な海で、メリッサの顔の位置を探るように頬に触れる。
「人間が、俺が怖いか?」
メリッサをまっすぐ見つめる瞳は、本当に夜の海と同じように深い色。メリッサははじめて彼のことを怖いと思った。怖い、というよりどうしようもなく心が不安になるのだ。
「……怖い。離して、離してください」
メリッサが怯えるとカイルはゆっくりと体を離す。
「それでいい。気をつけろ、人間はいつか人魚を……。だから心をゆるすな」
カイルがなにをしたかったのか、メリッサにはまったくわからない。最後の言葉の意味は忠告なのだろう。でも人間が人魚を捕らえる者だと、カイルもそうだというのなら、今まで何度も機会があった。
メリッサを助け、ルーナを守ってくれるのはカイルだ。なのに信じるなと言われたら誰だって混乱する。カイルの言葉が行動とちぐはぐなのはいつものこと。メリッサが欲しい言葉は、きっと彼の行動と同じ言葉だった。
「カイルは、意地悪です。本当に、本当に意地悪です!」
メリッサに背中を向けたカイルは、海からあがってびしょびしょになったシャツをしぼる。メリッサの言葉に腹を立てることもなく、屋敷のほうへ去った。
海に残されたメリッサはその背中を見つめながら、カイルの本心が知りたいとただ願った。
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