陸の人魚は夜に出会う6
ラファティの店を出た二人は、徒歩でアルフォード商会の本店へと向かう。
カモメの鳴き声を聞きながら、目抜き通りを進むと、華やかな町並みの中でも一際大きな三階建ての建物が目に飛び込んでくる。
「うわぁ!」
外から見える一階部分はガラス張りになっていて、商会があつかう異国の特産品が飾られている。
アルフォード商会は個人とはあまり取引をせず、異国の家具や工芸品を買いつけて、それを国内の商人に売っているのだとカイルが簡単に説明する。
一階部分におかれているものは販売目的ではなく、単純にさまざまなものを取り扱っていることを証明する意図で並べられているのだ。
「いちおう、出かける前にも話したが、今日はこっちにある書類の整理を頼んでいいか? たまたま商船の到着が重なって、それなりに忙しいんだ」
メリッサははじめて見る異国の品に目を奪われ、きょろきょろしながらカイルのあとを歩く。
カイルの説明では、ふだんなら諸外国からの船が同時に到着することはないのだが、今回は嵐やちょっとしたトラブルが重なり忙しいらしい。
――――ゴツン。
「い、いたぁ……。なにするんですか!?」
メリッサの頭にカイルの拳がさく裂する。本気ではないことはわかるが、女性に対してなにをするのかと、彼女は非難の視線を向けた。
「きょろきょろするなと言っただろう。二度も言わせるな田舎者」
らせん状の広い階段をカイルのあとに続いて上る。商談スペースとなっている一階にいる人物はあくまで余裕のある笑みを浮かべていたが、二階の事務所は慌ただしく駆け回る従業員の余裕のない声で騒がしい。
カイルの到着に、従業員たちは一度だけ作業をとめてあいさつをし、すぐに作業を再開する。メリッサのことは着ているお仕着せで本邸の使用人だとすぐにわかるので誰も存在を気にしない。それくらい忙しいようだ。
事務所をとおり抜けた先はアルフォード商会会長、つまりカイルの執務室だ。
「会長、おはようございます」
部屋の中にいたのはさらさらとした金髪の青年だった。年齢はカイルより少し上、しわのないスーツを着こなして、金の鎖のついた小さめの眼鏡をかけている。知り合う人間の眼鏡率の高さにメリッサは驚きつつも、なんとなく親近感をもつ。
「どなたです? このくっそダサい眼鏡女は?」
「は?」
「くっそダサいと言ったんですよ。眼鏡を不細工に使用するものは、たとえ会長の知り合いでも許せませんね」
この人物とは仲よくなれない。メリッサが出会って数秒でそう思ったのは人生初のことだ。貴重な体験をさせてくれた人物をにらむと、彼は眼鏡の奥のグリーンの瞳を細める。
「なにが許せないかって、容姿を美しく彩るはずの眼鏡をバカにしていることですね。これは
青年はどうやら眼鏡愛好家のようだ。愛する眼鏡を、容姿を隠すために使っているメリッサが許せないのだ。
「……そういうな。故郷の村で男から言い寄られたせいでトラウマをかかえているらしい。ほっといてやれ」
からかい半分でカイルが事情を説明する。それはカイルが勝手に想像しているだけで、事実ではないのだがメリッサは否定しない。
「ふん、この程度で? ……自意識過剰と言わざるをえないですね」
青年はメリッサを上から下までじろじろと値踏みするように見つめる。自意識過剰という言葉を否定したい彼女だが、反論のしようがない。
「彼はここの経理責任者でコンラッド・フローリーだ。こっちはメリッサ・シーウェル……今のところ屋敷で働いているんだが、とりあえず読み書き計算はできるやつだから、今日はここを手伝わせる」
カイルの意図は、単に商船の到着が重なって忙しいから、というだけではない。おそらくはメリッサにいろいろな仕事をさせて試しているのだ。
ダラムコスタの町で、どこかの薬師に彼女をあずけるにしても、仕事ぶりや人柄を知らないで推薦はできない。薬師としての能力は専門家であるラファティが見定めるとして、助手としての能力、たとえば事務作業の仕方などをコンラッドのもとで見定めるつもりなのだ。そうとわかったメリッサは張り切って返事をする。
「わかりました! がんばります」
「まぁ、いいでしょう。ではこちらへ」
コンラッドは彼女に仕事をさせる気はあるようで、続き部屋になっている資料室にメリッサを連れていく。
資料室は商会の帳簿などを保管するかなり重要な場所だ。
「新参者を入れていいんですか?」
「それは会長が判断したことですから。会長、……カイル様の人を見る目はたしかだと思いますよ」
カイルは、メリッサがここで得た情報を誰かに売り渡すような人間ではないと判断した。彼女はそのことが純粋に嬉しい。
「……おそらく、あなたごときに出し抜かれたりはしないということです。ほめていませんから、いちいち顔に出さないでくれませんか?」
コンラッドはやはり眼鏡の不正使用のことを根に持っている。それでも、仕事の内容は丁寧に指示した。
「こちらが未分類のものです。日付ごとにおかれていますので、リストにある項目ごとに再分類し順番に閉じてください」
「なるほど」
簡素な作業用の机の上におかれているのは、日付ごとにひもでくくられた納品書や発注書だった。それを装飾品、食品、酒類など項目ごとにわけ、日付順に閉じていくのだ。
「項目のよくわからないものがあれば聞いてください」
「はい」
メリッサが分類したものは、コンラッドがチェックをして月単位の帳簿を作成する。メリッサの仕事はコンラッドがスムーズに仕事をするための下準備だ。
「あの、コンラッドさん『ケサル』『カルワイ』というのはなんでしょうか?」
「あぁ、それは香辛料の一種です。輸入品だと聞き慣れない言葉も多いでしょうね」
メリッサは何枚か紙をもらい、わからない商品名とその分類を書き写す。商会で取り扱っている商品はかなりの数で、輸入品の香辛料や高価な装飾品のたぐいになると時々知らない名前がある。
仕事の手伝いをしながら、アルフォード商会のあつかう商品の多さに、メリッサはあらためて驚く。
あと少しで目の前の書類が片づくタイミングで必ず新しい書類の束がどんとおかれるのは、なかなかに人を疲れさせる。メリッサが無言で黙々と仕事をこなしていると、カイルがやってくる。
「昼食の時間だから出かける。地味眼鏡も一緒に来い」
気がつかないうちに時刻は正午を過ぎていたようだ。メリッサはきりのいいところまで仕分けをしたあと、席を立つ。
「私はあと少し片づけなければなりませんので、お先にどうぞ」
メリッサがコンラッドのほうをうかがうと、書類になにかを書き込む手は止めないでそう言う。
眼鏡のレンズが反射してどこを見ているのかいまいち不明なのが気になったメリッサだが、邪魔をせずにカイルと部屋を出た。
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