陸の人魚は夜に出会う7



 正午を過ぎた目抜き通りは朝よりもさらに人が増え、とてもにぎやかだ。カイルは通り沿いにある軽食屋に入る。

 たくさんの従業員をかかえ、大きな屋敷で暮らす彼が庶民的な店に入るのはメリッサには意外だった。


 もっとも、高級店だったらお仕着せを着た使用人が主と同席することはできないので、そういう配慮もあるのだろう。メリッサだけが適当な屋台で食事を済ますこともできるのだが、彼の性格からして土地勘のない彼女を放置することはない。


 カイルが選んだ店は市場から買いつけた新鮮な魚を出す店だった。値段が手頃でパンのおかわりができるということで、仕事を終えた漁師たちを中心に、大半の席が埋まっている。

 メニューがそのときの仕入れ次第ということで、店の壁に少し読みづらい文字で魚介類の名前が書かれている。中には売り切れになってしまったものもあるようで、大きくバツがされているメニューもある。


 カイルはその中から白身魚のフライを、メリッサは焼きホタテを注文する。つけ合わせの野菜とスープ、それにパンはどれを頼んでもついてくるという仕組みらしい。


「よぉ! アルフォードの若様じゃねぇか」


「ダン船長、お元気そうですね」


「おう! 当たり前だぜ」


 カイルに声をかけてきたのは、真っ黒に日焼けしたたくましい男性だ。船の名前が胸に刺繍(ししゅう)された作業着を着ているので、船乗りだとわかる。


「それにしても、若様が女連れとはめずらしい……あ? なんだ使用人か?」


「あの、はじめまして」


 お仕着せ姿のメリッサをまじまじと見るダンに、メリッサはあいさつをする。


「最近、西の方はどうですか?」


「……うーん、まぁ安定してんじゃねーか? ちっちぇ小競り合いはあるけどよぉ」


 メリッサにはよくわからない話だが、カイルとダンは西国の治安について話をしているようだった。海の向こうでは年中国境争いをしているような国もある。戦がはじまるとものの流れが一気に変わる。美術品や日用品は売れなくなり、武器や食料の値段が高騰する。二人が話しているのはそういうたぐいの話だった。


 二人の話から、ダンという人物も船を所有し小さな商会を営んでいるのだとメリッサにもわかった。

 いくつかの情報を交換してダンは自分の席に戻っていった。


「同業の方とも仲がいいんですね」


「商会同士はライバルでもあるが、時々協力もする関係だからな」


 カイルの商会が所有する船は大型船だ。ダンの持っている船はそれより小さい代わりに機動力がある。その違いでうまく役割分担をしているとのことだった。


「たとえば、うちの船は荷物をたくさん運べる代わりに、動かすには人手と金がかかる。だから、荷の量が少ない場合は小型船を所有する商会に運ばせる。逆の場合もあるが」


「なるほど、それにしても……」


「それにしても、なんだ?」


「……あ、あの、えっと。カイル様って基本的には従業員にも、同業者にも物腰がやわらかいというか、なんというか」


 カイルは商会でふんぞり返って偉そうな態度を取ることもなく、部下がなにかを相談しにきても丁寧に指示を出していた。そして、まったく規模の違う商会を束ねるダンに対しては年長者として敬意を払っているようだった。


「えっと、私にだけ口が悪くないですか?」


 正確にはメリッサとルーナにだけやたらと口が悪い。口が悪いだけで辛くあたられているわけでもないし、彼にとっては雇っている者の中で、メリッサが一番彼をわずらわせているのだから、文句を言う立場ではない。


「おまえの場合、出会いが最悪だったからな。あきらめろ、地味眼鏡」


 カイルはまたわざと意地悪くしている。


「まぁ、気にしていません。カイル様はとっても優しい方だとわかっていますから」


「…………」


 カイルは急にメリッサから目をそらす。


「あ、もしかして、照れています?」


「勝手に言ってろ。そういうところが迂闊うかつなんだよ」


 メリッサには自分が迂闊だという自覚はなかったのだが、具体的にどういうところが迂闊なのかを聞く前に、料理が運ばれてきて話が終わる。

「おいしそうです」


 メリッサの注文したホタテはひとくち大に切られて香草とバターと一緒に軽く炒められたものだった。焼きたてを証明するゆげと一緒にいい香りがただよう。


「おまえも漁村育ちなら、めずらしいものでもないかもしれないが、ここの料理人の腕前はけっこういいぞ」


「魚も貝もよく食べますが、飲食店はあまりないですから。ハーブもなんでも手に入るわけじゃないですし、こういう味つけははじめてです」


 メリッサがひとくち口に運ぶと、ふんわりとハーブとバターの香りがひろがり口の中がとろけそうだった。ギュルセルも一流の料理人だが、この店の料理人もそれと同等の腕前だと彼女は思う。


「おいしいです! 連れてきてくださってありがとうございました」


「……ああ」


 ぶっきらぼうにそう言って、カイルも食事に手をつける。商会の仕事が忙しいので、少し急いでかき込むように食べてしまったのが残念だが、メリッサにとって初めてのカイルとの食事は楽しい時間になった。


 商会に戻り、どんどん運ばれてくる書類の仕分けが終わるころにはだいぶ日が傾いていた。


「ふぅ。やっと終わりました!」


 メリッサは清々しい達成感を感じる。といっても、メリッサのやっていた仕事はコンラッドが帳簿を作るための下準備で、彼の仕事は終わっていない。


「ご苦労さまでした。こちらはもう結構ですので、会長のところへ」


「はい。また機会があったらお手伝いにうかがいますので、ご指導お願いいたします」


「ふん。……せめて、その眼鏡をなんとかしていただければいいのですが」


 メリッサが元気よくあいさつをすると、コンラッドが再び眼鏡の話題を口にする。よっぽど根にもっているのだろう。


「ぜ、善処いたします」


 そうは言っても、メリッサは前髪が長くないと落ち着かないし、眼鏡もダサいままがいい。社交辞令的な返事をすれば、コンラッドが冷たい視線を向けてくる。


「心にもない」


 コンラッドは完全にメリッサの本心を見抜いている。コンラッドが鋭いのか、メリッサがわかりやすいのかは彼女にはよくわかない。とにかく最後まで相容れない存在だった。


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