陸の人魚は夜に出会う2



 翌日、ジョアンナと一緒に簡単な掃除や洗濯を済ませたメリッサは、当主であるカイルを送りだしたあと、マーガレットと書庫に来ていた。


「ねぇ、メリッサ。そこの棚の赤い背表紙の本を取ってくれる?」


「はい、少しお待ちください」


 アルフォード家の書庫は蔵書が一万冊ほどある。個人の持ちものとしてはとんでもない大きさの書庫だ。中央におかれたソファを取り囲むように本棚が配置され、本を守るためにある分厚いカーテンが一カ所だけ開けられ、マーガレットが座る場所にやわらかい光を届けている。

 メリッサは台を使って棚の上段にある本に手を伸ばす。


「わぁ、この本……私も読みました」


 見覚えのある背表紙には『海賊と東国の舞姫』という文字が刻まれている。メリッサは薬師のための学術書もよく読むが、童話や少女向けの物語もよく読んでいた。いちおう、身体が弱いという設定で人前では海に近づかないように暮らしてきた彼女にとって本は唯一の娯楽だった。


「メリッサも本が好きなの?」


「ええ、もちろんです」


「ここにある本の三分の二はお兄様の本だけど、残りは私のものなのよ」


 マーガレットは両手を広げて自分の蔵書がどこからどこまでなのかを指し示す。その表情はどこか得意気だ。


「こんなに? すごいですね」


「まぁ、お兄様に買ってもらっただけで……私はなにもできない役立たずだけどね」


「マーガレット様?」


「そうだ! メリッサにも本を貸してあげるわ。書庫につき添うときと、就寝前なら誰も文句なんて言わないわ」


「ありがとうございます」


 メリッサが礼を言うと、マーガレットは少し顔を赤くしてうつむいてしまう。


「ちょ、ちょっと! なにを笑っているの?」


 恥ずかしがっているのかと思えば、すぐに怒り出すマーガレットは、ころころとよく変わる表情が、とてもかわいらしい少女だった。


「マーガレット様とカイル様は、ちょっと似ていらっしゃるなと思いまして」


 地味眼鏡、音痴人魚と言いながら、行き場のないメリッサを拾ってくれ、人魚のルーナには安全な場所を教えてくれるカイル。

 すぐに怒ったような態度をとるのに、嫌いな野菜でも残さず食べるし、出会ったばかりの使用人に自慢の蔵書を貸してくれるマーガレット。髪や目の色だけではなく、性格もどこか似ているとメリッサは思う。


「お兄様と私が?」


 マーガレットはカイルのことが大好きなのだろう。兄と似ているというのは彼女にとってほめ言葉のようだ。


「素直じゃないところ、です」


「なっ!」


 しばらく言葉を失って顔を赤くしていたマーガレットと目が合う。


「メリッサ! もう……あははっ」


「失礼いたしました。……ふふっ」


 同じタイミングで二人は笑う。メリッサは、主と呼ぶにはまた幼い少女と少し打ち解けられたことが嬉しく、しばらく感情にまかせて二人で笑っていた。


 マーガレットはソファに埋もれて読書、メリッサは新しく届いた本の整理をしながら彼女を見守る。

 木箱に入れられたままになっている本を大きなテーブルの上に出し、カイルの本とマーガレットの本を分別する。

 マーガレットの本のうち、すぐに読みたいという一冊を彼女に渡し、残りは指示された場所に片づける。

 カイルの蔵書は手書きでリストをつくり部屋の奥にある彼用の物書き机の上におく。

 カイルの蔵書は、経済学・地理・航海や造船に関するもの、諸外国の習慣に関するものなど多岐にわたる。

 さすがに若くしてダラムコスタの街で一番大きな商会を取り仕切るカイルは博識のようだ。


「……コホン、コホッ!」


 突然、マーガレットの息が乱れ、苦しそうにせきをしだす。肺の病の発作がはじまったのだ。

 メリッサは事前に指示されていたとおり、彼女に処方されている薬と水を差し出す。むせないタイミングを見計らってマーガレットが紙で包まれた粉薬、続いて水を飲み干す。

 それを見届けてからメリッサはベルを使って人を呼ぶ。すぐにベッドで休ませたいが、発作中には歩けないし、メリッサが彼女をかかえることはできない。この屋敷ではベルを長く鳴らせば、マーガレットの緊急事態という意味になり、すぐにギュルセルか執事のロバートが来てくれるはずだ。


「ゴホン、コホッ……。大丈夫、よ。いつものこと……コホッ! 薬が効くから」


 真っ青な顔で、息苦しさに耐えるマーガレットの背中をメリッサはゆっくりさする。

 するとすぐにギュルセルがやってきて、発作を起こした彼女を見て駆け寄ってくる。


「マギー様!」


「すぐ、おさま……」


 ギュルセルはソファで横になっていたマーガレットを壊れものをあつかうように丁寧に抱き上げる。


「ギュル、コホッ……」


「黙っていろ」


 仕えるべき主に対する言葉とは違う強い言葉で、ギュルセルは彼女を黙らせる。丁寧な言葉を忘れてしまうほど、動揺しているのだ。

 マーガレットは目をつむって大きく胸を上下させているが、彼が来てくれたことに少し安堵あんどしたのかソースの匂いが染みつく彼の白衣をぎゅっと握っている。


 そのまま、マーガレットの部屋まで運び、彼女を寝かせる。

 執事のロバートはマーガレットの発作のことを聞いて、医者を呼びにすぐに街へと向かう。

 ジョアンナもやって来て三人で見守っていると、マーガレットの呼吸は徐々に安定してきた。処方されている薬が効いたのだ。

 ギュルセルが眠っているマーガレットの側で見守る役をしているので、ジョアンナとメリッサは屋敷の仕事や医者を迎える準備のために部屋を出る。


「よかった……」


 ほっとして、大きく息を吐いてからメリッサがつぶやくと、ジョアンナがメリッサの肩を軽くぽんぽんと叩く。


「メリッサさんははじめてだったから、驚いたでしょう? でもさすがは薬師さんね、落ち着いていたわ」


「マーガレット様のお薬、ずいぶんと効果が高いみたいですね」


「そうね、ダラムコスタで一番の腕前と言われている方のお薬ですからね。お嬢ちゃまはね……成人まで生きられないと言われていたくらい身体が弱くてね。こういうことはけっこうあるのよ……よくあることだから大丈夫ということではないのだけれど」


 この国の成人年齢は十六歳だ。マーガレットはあと二ヶ月ほどで十六になる。宣言されていた年齢まで生きられるのは、カイルが手を尽くして探してきた医師や薬師のおかげなのだという。


「優秀な薬師……?」


「ラファティさんという方よ。それでも病気の症状をおさえるのが精一杯……」


 メリッサが待っても、その言葉の続きはジョアンナの口からは語られない。

 語らないことがあとに続く言葉の意味をメリッサに教える。

 マーガレットの病状は悪く、成人になったとしても完治して普通に生きられるわけではないということだろう。彼女の沈黙は、マーガレットの病状があまりよくないということを意味していた。


 優秀な薬師というのは、もしかしたら人魚かもしれないとメリッサは考えた。もし、ラファティというその人物が人魚であるなら会ってみたいと思う一方で、マーガレットの病を治す手立てがなくなる。

 普通の薬を使っているのなら、メリッサの人魚の血を混ぜた薬で症状が改善する可能性がある。けれど、すでに人魚が作った薬を飲んでいて、それでなんとか保っているのだとしたらメリッサの力ではもう助けられない。

 同族と会いたいと思って旅をしてきたメリッサは、ラファティという薬師が人魚であってほしいと思う気持ちと、そうでなければいいと思う気持ちの狭間で揺れていた。


「お嬢ちゃまが好きな物語に出てくるような、奇跡を起こす魔法でもあればいいのにね」


 なに気なくジョアンナが口にしたその言葉。メリッサはその言葉にひどく動揺する。


 物語に出てくるような奇跡を起こす魔法――――メリッサの胸に埋まっている鱗水晶にはそういう奇跡を起こす力がある。


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