陸の人魚は夜に出会う3



 発作が治まり、医師の診察も終えたマーガレットの症状はとても落ち着いていた。こういうことはよくあるので、屋敷の使用人たちはすでにふだんと変わらない仕事をしていた。


 仕事から帰ってきたカイルはたいしたことではないと言いながらも、妹を心配していることはあきらかだった。おそらく連絡を受けて大急ぎで仕事を終わらせてきたに違いなのだ。

 夕食の時間、カイルは屋敷のダイニングではなく、わざわざマーガレットの部屋にテーブルを用意して食事をした。ふだん、商会の代表として忙しくしているカイルにとって、夕食の時間はたった一人の妹と過ごせる大切な時間なのだ。


 マーガレットに優しい眼差しを向けて彼女を気遣うカイルを見ていたら、メリッサも家族に会いたくなってしまった。

 メリッサは父や兄と仲が悪いわけではない。メリッサが人間の基準では成人していることと、仕事をしていること、そして人魚という種族の特殊な事情、つまり子孫が安全に暮らせる場所を確保するという種族の悲願。それらの事情で離ればなれになっただけだ。



 §



 夜になり、仕事を終えたメリッサはまた海に来ていた。

 岬の下にある岩場に隠れて水につかっていると、屋敷のほうからぼんやりとした明かりが近づいてくるのが見える。


「ルーナ、いるのか?」


 メリッサはその問いには答えない。人魚と人間は視力が違うのだから、彼女が動かなければカイルには見つけられないのだ。夜の暗闇と波の音が彼女の存在を隠してくれる。


「なんだ……、今日は来ないのか」


 カイルは今日も砂浜に寝そべり星を見上げている。彼はこの浜辺に来て、いったいなにを考えているのだろう。



(マーガレット様のこと? それともお仕事のこと?)



 メリッサは星を見ながら大きなため息をついたカイルのことが気になって仕方がなかった。

 彼の様子を岩陰からうかがっていると、背後から少し大きめの波が襲ってきて、メリッサは無意識に尾ひれを大きく振って水しぶきを立ててしまう。

 規則的な波の音の中にバシャという異音がまじりカイルが顔をあげる。

「なんだ、やっぱりいたのか」


「こんばんは、……カイルさん」


 最初に声をかけられたときは隠れていたのに、実はさっきからいました、というのは少し恥ずかしい。でも、ばれてしまったのならあいさつをしないわけにもいかないと、メリッサは気持ちを切り替える。


「カイルでいい、俺もおまえを呼び捨てにしているんだから」


 それきり、カイルはまたなにも言わなくなる。メリッサは沈黙が苦手な性格だった。だから、思い切って気になることを聞いてみる。


「あの、カイルはいつもここに来るんですか? 考えごとですか?」


「……そうだな、ここへは毎日じゃないが、よく考えごとをしに来る。仕事のこととか、家族のこととか、これでも悩みが多いほうなんだよ」


 いつもの自信に満ちあふれた表情ではなく、少し自虐気味にカイルはそう言った。彼のほうからはメリッサの顔がよく見えないから油断しているのだろう。

 若くして大きな商会の代表を務めているカイルには考えなければならないことが多いのは当然だ。そして病弱なマーガレットのことも。


「一人になりたいから、カイルはここにいるんですか? 私がいたら、邪魔になりませんか?」


「のんきに人の心配なんてするなよ。おまえが邪魔なときは黙ってろって言うから気にするな。波の音を聴いて、星を見上げているのが好きなんだ。頭が冴える」


「私も! 海は好きですよ、星も月もね。遠くの漁り火も」


「……おまえ、バカだろ。人魚に『海は好きですよ』って言われて、『そうですか? 奇遇きぐうですね』とでも言えばいいのか? ……ははっ!」


 カイルはそう言って、またメリッサをからかった。本来海に住む人魚が海を愛するのは当然のことだというのに、人間からすればなにをいまさらと感じるのだろう。


「笑わなくてもいいのに!」


 メリッサはほほを膨らませて抗議するが、きっと彼からはメリッサの顔はよく見えていない。そのことがもどかしくてメリッサはますます不機嫌になる。


「ルーナ、明日も来いよ」


 カイルは立ち上がり、ランタンを左手に持って歩き出す。その明かりが小さくなっていく様子を、メリッサはただ見送る。彼が勝手に呼んでいるだけの「ルーナ」という名前。彼の口からその名前がつむがれると、胸にある鱗水晶がちくりと痛んだ。



 §



 メリッサがアルフォードの屋敷で働きはじめて四日が立つ。前の晩に執事のロバートから使用人用のお仕着せを支給してもらったメリッサは、さっそくそれに袖をとおした。

 ジョアンナと同じ灰色のワンピースでシンプルなお仕着せだが、胸もとにはプリーツの飾り、スカートの裾には少しだけフリルがついている。

 その上に真っ白なエプロンを身につけた姿は、なかなかかわいらしい。

「わぁ……!」


 私室の鏡の前で、スカートの裾をつまんでくるくると自身の姿を確認したあと、メリッサはおもむろに眼鏡を外す。パメラに言われたように、前髪を短くして眼鏡を外したらもっとこの服が似合うと思ったのだ。


「おい……、おい!」


「わっ!」


 急に声をかけられたせいで、メリッサは持っていた眼鏡を落としそうになる。


「カイル様! こ、こ、ここ、女の子の私室ですよ!?」


「さっきから、何回も呼んだが? ……それに扉が半開きだった」


 不機嫌そうに眉をつり上げたカイルは、正面に向き直ったメリッサの顔を見つめている。急に彼の手がのびてきて、メリッサは反射的にうつむく。


「あの……?」


 あごに手を添えられて無理やり上を向かされる。動揺して涙目になってしまったら一巻の終わりだ。メリッサは抵抗もできずにその場で固まってしまう。


 なんとなく、目をそらすのはうしろめたい証拠のような気がして、メリッサはカイルの瞳を見る。意志の強そうな青い瞳はすべてを見透かしているようで少し怖い。


「安心しろ。おまえ、顔を隠しても隠さなくても、大差ないぞ」


 急にからかうような表情になったカイルが、意地悪そうに笑う。地味眼鏡が眼鏡をとっても絶世の美女になるわけではないと言われている気がして、メリッサは真っ赤になって頬を膨らませる。


「なっ……失礼ですよ、とっても!」


「ははっ、まぁいい。田舎では男に追いかけられていやな思いをしたんだったな。なら、そのまま隠しておけ」


 メリッサが顔を隠しているのは幼いころからで、瞳の色を隠すためなのだが、カイルは村で無理やり結婚を迫られたせいだと誤解したのだ。彼女にとってはその勘違いはありがたい。仕えている屋敷の主から身だしなみを注意されたら直さなくてはならないからだ。


「あの、それで、なにかご用ですか?」


「ああ、そうだ。地味眼鏡……じゃない、メリッサだったか? おまえ、今日は俺と一緒に来い」


「え?」


「薬をもらいにいくから、薬師のラファティ殿を紹介してやる。ついでに商会のほうで少し手伝ってほしいことがある」


 薬とは当然マーガレットに処方されている肺の発作を止めるものだろう。

 カイルの説明によれば、マーガレットの病気の関係で薬師協会とは無関係ではないが、彼自身は薬をあつかう商売はしていない。だからとりあえず個人的につき合いのあるヴィンス・ラファティという薬師に引き合わせるのだという。


「ラファティ殿には助手がいるから、あの人のところで働くのは難しいかもしれんが。まぁ、あせっても仕方がないだろうな」


 ラファティという人物のところで働けるかもしれないというメリッサの期待が顔に出てしまったようだ。そんな彼女の様子に気がついて、カイルがすぐに釘を刺す。


「すぐにここを出るからさっさとしろよ」


「はい!」


 薬師としての働き口がすぐに見つかるわけではないのは少し残念だが、はじめての大きな街に期待を募らせたメリッサは元気よく返事をした。


 屋敷からダラムコスタの中心部まではたいした距離ではないのだが、移動は馬車だった。


「ほら」


 カイルは馬車に乗らずにメリッサに手を差し出す。


「……?」


「おまえ、ちょっとは察しろよ!」


 その言葉で、馬車のステップをあがるときに手を貸してくれるつもりだったと察したが、メリッサはその手を取ることをまだためらう。


「あの、だって、使用人ですよ?」


「出してしまった手を引っ込めさせるのか?」


 カイルはもういいというように、メリッサの手を強引に取って馬車に押し込む。


「あの、ありがとうございます。カイル様はお優しいですね」


 遅れて馬車に乗り込み、メリッサの向かいにどんと腰を下ろしたカイルにメリッサは礼を言う。


「あほ。そんなこと言っていると、いつか痛い目にあうからな」


「でも、行き場のない私を、文句を言いながら助けてくれるし、あと……もしかしたらギュルセルさんも?」


 昨晩、ギュルセルとはじめて会ったとき、彼は自身が異国人であることをメリッサがどう感じるのか、やたらと気にしていた。ギュルセルの料理人としての実力なら、それこそ街の一等地で店を開いてもおかしくないはずなのに、たった二人の主に仕えている。それはメリッサと同じようにわけありだからかもしれないと思ったのだ。


「おまえ、鈍いのか鈍くないのか、どっちかにしろ」


 半分あきれながら、カイルは笑う。


「ギュルセルは、そうだな……。勤め先でいろいろあって解雇されたから、俺が雇った。言っておくが、俺は慈善家でも善人でもない。能力があって使えそうな人間を拾っているだけだ。……まぁ、俺自身が異国人の血を引いているというのも多少はあるがな」


 黒髪の人間が全くいないわけではないが、カイルは顔立ちもこの国の人間とは少し違う。アルフォード家の大きさや、ジョアンナがかなり昔から勤めているらしいことから推測すれば、アルフォード商会というのは、少なくともカイルが一代で築いたものではないはずだ。


「カイル様のようなお金持ちでも、髪の色が人と違えば苦労するということですか?」


 メリッサがつい疑問に思ったことをそのまま口にすると、カイルは少し難しい顔をする。


「そうだな……。俺の場合、異国人の血を引いているというより、もうひとつの理由かもしれんが」


 カイルにしてはめずらしく、迷いのある言い方で話を続ける。


「今後もこの町で暮らすのなら、いつかは知るだろうから俺から話しておくが、アルフォード家は『人魚に呪われた一族』と言われている。覚えておけ」


 カイルの表情は急に真剣になる。彼女自身の種族を表す「人魚」という言葉と、それに続く「呪い」という不吉な言葉に、メリッサは動揺する。


「人魚に呪われた……?」


「そうだ。と言っても、俺の父は養子で先々代とは血のつながりなんてないから、単なるうわさだけどな」


 続いた言葉はメリッサの予想外のものだった。


「先々代、俺の血のつながらない祖父は『人魚姫の恋人』だ――――」


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