陸の人魚は拾われる3



 家に帰ったメリッサはとりあえずぬれた服を脱いで水浴びをする。人魚が冷たい水で風邪を引くことはないし、海の水は大好きだ。けれど、海水につかったままの身体をそのままにすれば、髪はパサパサになるし生臭くなってしまう。


 浴室で、水で髪をぬらすと、メリッサの髪は再び虹色になる。

 人魚の特徴は、足と虹色の髪と瞳。そして胸もとにある「鱗水晶うろこすいしょう」というひし形の石だ。


 足は地上でも海の中でも自由に人と同じ形にできる。陸で生まれ育ったメリッサにはむしろ二本足のほうが違和感がないほどだ。どうしても変えられないのは髪の色と瞳の色。彼女の場合、陸の上では栗色の髪にはしばみ色の瞳をしているが、大量の水を浴びると本来の虹色に変化する。


 ふだん眼鏡をかけているのは、不用意に大量の涙を流すと陸でも瞳の色が変わってしまうから。それを目立たなくする役目がある。

 そして、人魚の力の源は胸もとに埋まっている鱗水晶と呼ばれる石だ。人魚は愛するつがいと契りをかわすときにこの石を交換する。

 人間は、鱗水晶の本来の役割を知らない。この石を無理やり奪うと人魚は泡になり、胸もとの石と一緒に消えてしまうことから、人魚の弱点であるということだけは知られている。


 陸に住むメリッサのような人魚は、人間の前では髪と瞳をぬらさないようにし、決して肌を、とくに胸もとを見せないように注意して暮らしている。

 心は海の水を求めているのに自由に泳ぐこともできない。そんな窮屈きゅうくつな生活がいやになり、自らの意思で鱗水晶を取り外し、人間と変わらない生活を選ぶ人魚も多い。

 六十年前に生き残った数少ない人魚たちは、ある者は狩られ、ある者は自らの意志で人魚をやめ、代を重ねるごとにその数を減らしている。だから、同族と出会える機会も減っているのだ。

 人魚はもう滅びゆく種族なのかもしれない。それでもメリッサは陸の人魚として暮らしている。


 身体を洗い流し、タオルで髪や身体の水分をよく吸い取れば、浴室にある鏡の前には栗色のやぼったい雰囲気の少女、メリッサがいる。

 人間と同じ姿の自身を確認して、メリッサはほっと胸をなで下ろした。


コンコン、コンコン――――。



 もうすぐ日暮れの時刻になり、メリッサは店じまいをしたあと、いつものカウンターで本を読んでいた。海水でぬれたメリッサの服やナイジェルが貸してくれた上着は洗濯石けんで洗ったあと、しばらく外に干していた。そろそろそれらを取り込もうと腰をあげたとき、誰かが店の扉を叩く音が聞こえた。


「メリッサ、メリッサ、開けて!」


 声の主がパメラであることはすぐにわかった。誰かが急病で薬が必要になったのかと急いで扉を開けると、真っ青な顔をしたパメラが、メリッサを店の中に押し込み、自身もうしろ手でドアをしめる。


「どうしたの? 誰か急病?」


「違うわ!」


 パメラは走ってきたのか、息があがっている。胸に手をあてて、その呼吸を整えながらあせったように話し出す。


「早く! 早く逃げて!」


 パメラは声を荒げてそう言う。意味がわからないメリッサは困惑するばかりだ。


「メリッサは、人魚だって本当なの? なんで黙っていたの? ナイジェルと、大人たちがうちに集まってて、メリッサを捕まえるって、それで、それで……!」


 パメラの言葉にメリッサの心臓が飛び跳ねる。自身でもわかるほどドクドクと音を立てているのに、なぜか貧血のときのように足もとがおぼつかない。メリッサはそのまま床に崩れ落ちる。

 少し落ち着いたパメラがかいつまんで村長の家で聞いたことを説明する。


「ナイジェルが、メリッサの髪の色が変わるのを見たって! そしたらお祖父ちゃんが、村の男衆を集めろって言ってて、それで、それで……」


 パメラが人魚の話を聞いてしまったということは、ナイジェルがだましたということだった。あのとき、海の中にいたメリッサを捕まえることは難しいと考えて、彼女が逃げないように嘘をついたのだ。


「だからメリッサ! 早く、早く逃げて! お願い、お願いだから早く!」


 パメラは怒っているような、あせっているような表情でメリッサの手を引っ張り立たせようとする。


「メリッサ、お願いだから立って! 早く逃げないと。捕まったら、大変なことになるわ!」


 人魚の血を薬に混ぜると効果が高まるという話は、人間の知らないことだ。でも、その血肉を口にしたら、海の底まで潜れる力が手に入ることはよく知られている。殺されなかったとしても見せ物にされたり、めずらしい生きものとして金持ちに売られてしまう。

 パメラの必死な表情に励まされ、メリッサはなんとか立ち上がり、ここから逃げる準備をはじめる。

 メリッサは父のいいつけで、いつでも逃げ出せるようによけいなものを持たない生活をしていた。そして逃げた先でも暮らせる最低限の荷物はいつも、背負いかばんにつめられて準備されているのだ。


「パメラ……。ごめんね? あのね、ありがとう、さよなら」


「なに言ってるの? 私、怒ってるんだから! 親友だと思ってたのに秘密にされて。あなたのこと、いつか探してわびをいれさせてやる!」


「パメラ……」


 パメラの目から涙がぽろぽろと落ちるのを見て、メリッサも同じように泣いた。


「ちょっと! こんなことでいちいち泣いていたら、逃げた先でも正体がバレるわよ」


「うん、ごめんね」


「それより、早くしなさいよ。ねぇ、メリッサは海と街道とどっちに行くつもり?」


 海に逃げたほうが安全だ。もし逃げてその先にあてがあるのなら、海に逃げる。けれど、行くあてのない彼女は今後の生活をするための荷物を持っている。薬に関する手に入りにくい本、そしていざとなったら換金できる高価な薬。これらを海水でだめにしてしまうわけにはいかない。だから街道を行くべきなのだ。

 メリッサがそのことを説明すると、パメラは納得した顔でうなずく。


「だったら、できるかぎり私が村の男たちを引きつけるから」


 パメラに秘密を話せなかったことをあやまる暇も、きちんとわかれを告げる時間もなく、メリッサは生まれ育った村を去ることになってしまった。


「パメラ、リボン……大切にするから!」


 メリッサは親友にわかれを告げ、夕闇にまぎれて村を出た。


 幸いにも今日は新月で、太陽が沈めばわずかな星の明かりしかない。

 メリッサが人のけはいを察知して林の中に身を隠すと、数人の男が歩いてくる。


「金貨三枚はかたいんじゃねぇか?」


「いやいや、人魚だぞ! 五枚はいけるって」


「俺が見つけたんだから、半分は俺のものだぞ!」


 右手にはランタン、腰には網やロープ、中には剣や鍬(くわ)を持った男たちが日の暮れた道を歩く。男たちが楽しそうにしている会話は金のことだった。とくにナイジェルは村の青年に協力を持ちかけても、あくまで自分の獲物だと主張している。

 メリッサは彼らに見つからないことを祈りながら、ガタガタと震えることしかできない。


 ナイジェルも村の男たちも、皆よく知った人間たちだと思っていた。それが人魚だと知られた瞬間に豹変ひょうへんした。

 彼らにとってメリッサはもう幼なじみではなく、巨大な魚かめずらしい動物にでも見えているのだろう。彼らにとっては人間のふりをしてずっと正体をいつわっていたのはメリッサのほうで、人間ではない彼女をだますことで良心が傷むことなどないのだ。

 後悔しても手遅れだが、メリッサは自分の甘さに今さらながら気がついた。



『いいかい、メリッサ。人間は強欲で残忍だ。決して心を許してはいけないよ。正体を知られたら、殺されて血肉を売られてしまうからね」



 幼いころによく聞いた、祖母の言葉がメリッサの頭の中に何度も響く。あんなに何度も注意をされていたのに、なぜ桟橋さんばしになど行ってしまったのかと後悔ばかりだ。

 ガタガタと震えながら小さくなっていると、ふいにパメラがくれたリボンが目に入る。長い三つ編みの先についているそのリボンをぎゅっと握りしめ、メリッサは男たちがとおり過ぎるのをただひたすらまつ。


『誰か来て。こっちよ! いま、すごい水音がして、たぶん海に逃げたわ!』


『なにっ。誰か船を出せ! 逃がすな!』


 遠くで高い声が響く。パメラがナイジェルたちの注意を海へ向けてくれたのだ。パメラの優しさに感謝し、誰もいなくなった真っ暗な道をメリッサは進む。



(それでも、パメラは私のこと守ろうとしてくれたんだよ)



 村で一番の親友だけはメリッサが人間とは違う存在だと知っても、彼女を逃がそうとしてくれた。そのことが今のメリッサに希望をくれる。メリッサは振り返らず、まっすぐに暗闇を進む。もし振り返ったら、寂しさと悔しさで胸が潰されてしまいそうだった。


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