陸の人魚は拾われる4



 メリッサがめざしたのは村から徒歩で一週間ほどの距離にあるダラムコスタという港町だ。ダラムコスタのような大きな町には薬師協会の支部がある。そこで同族の情報を集めたいと彼女は考えていた。


 この国で薬師になるためには資格を持った人物に一定期間師事し、その人物の推薦状と一緒に、ダラムコスタのような大きな町にある協会支部で試験を受けるのだ。基本的に親が薬師であれば、親に師事し推薦状がもらえる仕組みになっているので、メリッサも二年前に資格を得た。


 オルシーポート周辺の村を管轄している協会支部があるのは反対方向の別の町だ。そこには追っ手がかかる可能性があるために避けたのだ。

 メリッサの父や兄は彼女とは違い、村の外の様子を知っていて、人間の危険性を彼女よりも正しく理解している。いつも警戒している彼らがメリッサの状況に気がつかず、のんきに家に帰って村人に捕まる可能性は低い。


 父や兄のことはあとでなんとかするとして、まずは自分の身の安全とこれからの生活を考えなくてはならない。

 ダラムコスタのような大きな町で腕のよい薬師を探すのが、同族と出会う近道になるはずだった。ただし、人魚が住処を失ってから六十年経ち、同族の数は劇的に減っているので探すのは簡単なことではないだろう。


 成人した人魚は自らの意思で鱗水晶を外すことができる。愛する者と鱗水晶を交換すれば夫婦となるのだが、単純に鱗水晶を捨てれば、力を失う代わりに人間と変わらない存在となる。

 本当に出会えるかどうかもわからない人魚ではなく、人間の異性を愛し、人間とともに生きることを選択する同族も多い。

 鱗水晶を外せば、人魚としての力を失い、見た目も能力も人間とほぼ同じになれる。ただ、身の安全のためだけに人魚である誇りを捨て、人間に屈した者として、同族からは嫌悪される。


 人魚は鱗水晶を自らの意思で外せるとわかったら、その時点で成人だと認められる。メリッサは十八歳で、人間であればもう大人として扱われる年齢だ。でも人魚としてはまだ成人していない。

 どうしたら鱗水晶を外せるようになるのかメリッサがたずねると、父はいつもこう答えた。



『そんなものは人から聞いてわかるもんじゃない。大人になれば自然に理解するんだ』



 それがわからないメリッサはまだ子供なのだという。教えてくれない父のことを彼女はけちなのだと思いほほを膨らませたのだ。


 一週間ほどの旅を続けて、ダラムコスタの町が見えてきたころには、あたりはすっかり暗くなっていた。半月と星のやわらかい光だけがほのかに道を照らし、遠くに町の明かりを望む。時々、月に薄い雲がかかると、ぼんやりと光が乱反射して幻想的だ。


 普通の人間なら、明かりもなしに夜道を歩くことはできない。けれどメリッサは人魚なのだ。本来の生活の場である海の底はとても暗い。だから人間よりも夜目がきく。

 ずっと内陸の道を進んできたので、大好きな海の風を感じ、メリッサの足取りは軽くなる。

 海沿いまで歩くと、見晴らしのよい岩場の岬が見えた。大好きな潮の香りをもっと近くで味わいたくなり、メリッサは道を外れて岬の先端まで歩いた。


 岩場の上にたくましく根を張る草木を避けながら進むと、穏やかな夜の風にのせられた潮の香りがより強くただよう。久しぶりのその香りを何度も吸い込むと、メリッサの疲れた身体は少しだけ癒やされる。


「海だぁ……!」


 岬の左下に広がる砂浜に押し寄せる波の音も、潮の香りも、すべてがメリッサにとって必要なものだ。大きな湾になっているその浜の遙か先にはダラムコスタの港町の明かりが煌々こうこうと輝く。

 干からびる前に海にたどり着くことができた嬉しさから、メリッサは飛び込みたい衝動をおさえられなくなった。


 外套がいとうと靴を脱ぎ、きちんとたたんで岩場におく。パメラからもらったリボンもぬれてしまわないようにほどく。メリッサの身体全身が海を求めていた。

 彼女が海に突き出す岬の先端に立ち、そこから勢いよく飛び込もうとしたその瞬間――――。


「そこのおまえ! まて、早まるな!」


 左下に広がる砂浜から聞こえた男の声が、彼女の行動を妨げる。驚いたメリッサが声のしたほうに視線をやると、そこにはあせった表情を浮かべた若い男が立っていた。


「おまえ、絶対にそこを動くなよ!」


 男の迫力におされ、メリッサは思わずうなずいてしまう。

 男はかなりの高さがある切り立った岩場を器用によじ登り、すぐにメリッサの目の前までやって来て、彼女の腕をつかむ。


「このバカ、早まるな!」


 ゴン、と彼の拳がメリッサの頭にさく裂する。全くわけがわからないメリッサはぼーっと青年を見つめる。

 二十代中頃と思われる青年は、黒髪に青い瞳を持つ、背の高い人物だ。岩場をよじ登るために土がついてしまったが、着ているズボンやベストは上質なものだった。

 黒髪の人間はこの国ではめずらしく、その顔立ちもどこか異国人のような雰囲気がある。彼の凜々しい眉はつり上がり、眉間には深いしわが刻まれている。


「痛いっ、なにするんですか!」


「なにするんですか、じゃない! ここから飛び降り自殺なんてしたら、こんなもんじゃ済まないだろう!」


 綺麗にたたんでおかれた外套、その横には並べられた靴、小さな荷物、岬の先端に怖がる様子もなく立つ女性――――完全に飛び降り自殺だった。


「え、あ、あの……?」


 青年に勘違いだと伝えたくても、なぜ夜の海に飛び込もうとしていたかを説明できない。メリッサはしどろもどろになりながら、どうやってこの青年から逃れようかと思考をめぐらす。


「おまえ、名前は? 女一人で旅か?」


「名前? 名前はメリッサ。メリッサ・シーウェルです。ええっと、事情があって旅をしていますが、別に死のうとしていたわけじゃなくて、その……」


「じゃあ、なんだ?」


「月と海を見ていただけです。とても綺麗だったから」


 その話は嘘ではない。メリッサは綺麗な月と海を見ていた。そして海に飛び込もうとしていたが、決して死のうとしていたわけではない。むしろ海から生きる活力をもらおうとしていたのだ。

 彼女にはこの答えが彼の納得するものではないという確信があった。わかっていてもほかに言いようがないこともあるのだ。


「ふーん。靴を綺麗に並べて、断崖絶壁から海を眺める人間なんているんだな」


「しゅ、趣味です! 全身で海風を感じていた……とでもいいましょうか……」


 青年はメリッサの観察するように見つめる。田舎育ちで人に馴れていないメリッサは彼の視線に耐えられず、思わず目をそらす。


「行くあてはあるのか? 家族は? 仕事は?」


 どうやら全く信用されていないらしい。メリッサはどうやってこの場を切り抜けていいのか、まったくわからなくなってしまった。


「ち、父と兄がいます。出稼ぎで、どこにいるのかわかりませんが、とにかく家族はいるのでお気になさらず。親切にどうも!」


 にっこりと笑顔をつくってメリッサは青年から逃れようとする。


「いやダメだ、全然信用できん。仕事はあるのか? ……寝床と仕事があれば、もうこんなバカなことはしないのか?」


 青年はあくまでメリッサのことを住所不定無職の自殺志願者としてあつかう。


「あ、あの……?」


 青年はメリッサの話を聞かないまま、彼女の外套と荷物をすっと抱え歩き出す。


「なにをしている。靴を履いてさっさとついてこい。……おまえに仕事をやる」


 荷物をとられた状態では、もう青年から逃げることはできない。なんだかおかしな方向に話が進んだが、メリッサはこの青年について行くしかなかった。


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