第28話「さようなら」






   28話「さようなら」





 その日、南は講義に、顔を出さなかった。

 昼休みにスマホを見ると、「今日は先に帰るね。ありがとう、夕映ちゃん。」と南からメッセージが入っていた。

 夕映は、その文字を見つめながら南がどんな思いでこのメッセージを送ったのか?それを考えるだけで胸が締め付けられる思いがした。


 人目を避けるように、夕映は空き教室で一人でご飯を食べていた。今は誰とも会いたくない。そう自分に言い聞かせて逃げているたのだ。

 さきほどから、電話が何回か鳴っている。

 相手は、見なくてもわかる。斎だ。


 夕映はスマホを鞄の中に閉まって、その音を聞かないように無視し続けていると、その内スマホを静かになった。



 斎はどうしてあんな事を言ったのだろう。

 南が告白し、もし思いに答えられないとしても、彼があんなにも厳しい言葉を言うとは考えられなかった。

 いつもの斎とは違う。そう感じた。




 それとも、自分に見せる顔とは違う表情なのだろうか。夕映自身も彼に見せてない自分の一部はあると思う。けれど、あの冷たい声と辛く拒否する言葉は、夕映はとてもショックだった。



 「斎………どうしてあんなことを言ったの?」



 夕映が呟いた言葉は、広い部屋に吸い込まれるように消えていった。けれど、夕映の悲しみまでは消してくれない。

 

 はぁーとため息が出る。

 自分が悲しんでいる原因はもう1つあった。


 斎の言葉を聞いて、悲しくなったと同時に、少しだけホッとしてしまったのだ。

 斎が自分から離れなくてよかった。

 南を選ばなくてよかった。


 そう思ったと同時に、夕映は自分の感情に驚き、そして悲しくなった。

 友達が悲しんでいるはずなのに、恋人の言葉を喜んでしまっているのだ。

 


 「最低だ………。」



 ため息と共に出た言葉は、とても低く、そして泣きそうな声だった。

 夕映は箸を置いてそのまま目を瞑った。


 そこに写し出されたのは、鋭い目で睨みながらこちらを見つめる斎と南だった。

 

 夕映は目を開けることも、そこから逃げることも出来ずに、想像の中でもただ呆然とするだけだった。





 

 そして、その日の放課後。

 夕映は部活には顔を出さずに帰ろうとした時だった。


 講義室を出てすぐの廊下の端に、今1番会いたくない彼が、立っていた。

 腕を組んで憮然と立っている。

 周りの女の子達は「斎くんだ。」「九条様だわ。」と、小さな声で騒いでいたけれど、夕映はその場から逃げたくて仕方がなかった。

 普段ならば、すぐに彼の元にすぐに近づき、笑顔で「斎!」と名前を呼んでいただろう。

 けれど、今は彼を見ることも出来ずに、ただ呆然と立ち尽くしていた。



 「夕映。……何回も連絡したんだぞ。何で出ないんだ。」

 「ご、ごめんなさい………。スマホの電源切ったままだったかも。」

 「………まぁいい、行くぞ。」

 


 夕映の手を取り、歩きだそうとする斎。

 その手が夕映に触れた瞬間。

 夕映は思わず手を払ってしまった。

 

 夕映は自分の行動に驚き、そして、斎もまた払われた事に驚いた様子だった。



 「おい………おまえ、どうしたんだ?」

 「………今日は一緒にいかない。もう、帰る。」

 「………体調でも悪いのか?なら、送る。」

 「いい。」

 「夕映。」


 

 斎は少し強い口調で、夕映を呼んだ。夕映はその声で体を震わせた。

 


 「なんで、俺の事を見ない?」

 「………。」

 「なんで、そんな顔してんだよ。……訳を話せ。」



 自分がどんな顔をしているのかなんてわからなかった。けれど、きっと感情が抑えきれなくて酷い顔をしているのだろう。



 斎は話せと言うけれど、彼に聞いたらば話してくれるのだろうか。

 けど、その答えが怖かった。

 彼を信じたい。彼を好きでいたい。どんな彼でも受け入れたい。そう思いながらも、心の中で何かがひっかかっていた。

 それでいいの?と………。


 そう考えているうちに、夕映は何故か斎にゆっくり近づき、そして自分から彼を抱きしめていた。

 

 優しく彼に触れた後、ギュッとすがるように彼を抱き締めた。

 


 「夕映………?」

 「………。」

 「おまえ、本当にどうしたんだ?」



 周りにはまだ学生も多くいる廊下。

 そんな場所で、夕映が甘えてくるのは珍しかった。それに驚き、斎は夕映は驚きながら夕映の頭を撫でた。



 「………斎。」

 「あぁ、何だ。」

 「………斎と話したい事があるの。」



 夕映は顔を彼のTシャツに埋めたままそう言葉を発した。呼吸をする度に彼のグリーンの香りが体を巡っていく。

 斎を感じられているはずなのに、夕映はとても切なくなってしまう。

 


 「わかった。場所、移動するぞ。」



 斎が夕映の頭をポンポンっと撫でた。抱きついていた体を離すのがとても悲しくて、夕映は斎を見上げた。

 すると、斎は「大丈夫だから。」と言いながら、夕映の手を優しく握った。

 彼の暖かい体温が夕映に染み込んでいく。

 ずっとずっと、こうしていて欲しい。そう思ってしまいながらも、夕映は予感していたのだ。

 自分から彼の元を離れていくのではないか、と。







 斎が連れていってくれたのは、今日一人でご飯を食べた空き教室だった。

 たくさんの部屋があるのに、同じ場所なった事に、夕映は更に悲しくなってしまう。

 この場所が悲しい思い出がある場所になりそうだと思った。



 「どうしたんだ。さっきから泣きそうな顔をして。」

 「…………。」

 「夕映。話があるんだろう?」

 


 斎と夕映は向かい合ったまま、手を繋いでいた。日が沈みそうな時間。ぼんやりと夕焼けの光で照らされた教室。

 斎は優しく夕映にそう問いかけた。


 夕映は繋いだ手をギュッと握りしめた。




 「………今日の朝、部室で南ちゃんと話してたでしょ?」

 「おまえ………。知ってたのか。だから………。」

 「どうして、嫌いなんて言ったの?近寄らないでって………どうして、そんな酷いことを南ちゃんに言ってしまったの?」

 「………夕映、おまえどこからその話し聞いてたんだ?」

 「それだけだよ!でも、南ちゃんが告白しに行ったのは知ってる。それなのに、どうして嫌いなんて言うの?………正直、斎が自分を選んでくれて、南ちゃんを断ってくれたのは嬉しかった。………でも、そんな言い方おかしいよっ!」

 「…………。」



 気持ちが溢れ出てしまった。

 我慢していたものが出てしまうと、それを止めることは出来ずに、斎に言葉をぶつけてしまった。


 南が告白したことを夕映が知っている事に、斎は驚いた様子だった。

 けれど、夕映が問い詰めれば問い詰めるほど、斎の顔は冷静になっていき、最後には彼が怒っているのがわかった。

 けれど、その中に悲しげな雰囲気があり、夕映は少し戸惑ってしまう。



 「………南から言われたことに対しての、俺の返事だ。そして、俺の正直な気持ちを伝えただけだ。」



 夕映は、斎の言葉を聞いて、頭に衝撃が走った。頭を殴られたような、という表現の意味を今、実感出来た。


 彼の言葉はそれぐらい衝撃的であり、夕映を動揺させるのには十分な言葉だった。



 「…………斎。それ、本気で言ってるの?」

 「あぁ。」

 「……南ちゃんがどんな想いか、わからないの?」

 「あいつの言葉への返事だ。夕映にはわからないだろ。俺はあいつの考えが理解出来なかっただけだ。それ以上はおまえに話せない。」



 きっぱりと斎はそう言った。

 話せない。

 そう言われてしまった。それに南へ向けた言葉も訂正するつもりは彼には無いようだった。

 頑固な彼だから、もう何を聞いても答えてくれない、気持ちを変えてくれないのを夕映はわかっていた。



 「……………もういい。……わかったよ、斎。」



 夕映は、ゆっくりと1歩ずつ後ろに下がった。

 繋いでいた手をそのままに、2人の腕が真っ直ぐに伸びていく。


 

 「………話してくれないなら、わからない。……斎の気持ち、私にはわからないよ。」

 「………そうか。」

 「…………別れよう。こんな気持ちで、私………斎を好きでいられない。」

 「……………。」



 自然とその言葉が出ていた。

 あの場所で斎の言葉を聞いた時から、うすうすこうなる事はわかっていたのかもしれない。

 


 夕映は、繋いだ手を見つめた後、ゆっくりと斎の顔を見つめた。

 すると、彼は泣きそうな顔でこちらを見ていたのだ。俺様で強気で、強引な斎が。そんな顔をしていたのだ。

 夕映は、そんな彼の表情を見ている事が出来ず、彼から視線を逸らした。



 「………わかった。おまえがそういうのなら……。」



 斎が弱々しくそう言うと、繋いでいた手を離した。温かい熱が離れ、繋いでいた手は支えを失い、夕映の元へと返ってきた。 

 夕映はその手を見るだけで、涙が込み上げてきた。


 あぁ………まだ、斎が好きなんだ。

 

 そんな気持ちと、彼の泣きそうな顔から逃げるように夕映はその教室から駆け出した。


 部屋から出た瞬間、涙が溢れ落ちた。


 必死で涙を堪えて、廊下を歩き、薄暗くなった帰り道を駆け抜けた。



 そして、自室に入った瞬間に夕映は声を殺して泣いた。

 服から微かに感じる彼の香り、そして頭から離れない彼の表情。そして、最後まで繋いでいた手の感触。



 すべての感覚を忘れたくない。



 そして、失ってしまったものの大きさを感じながら夕映は泣き続けたのだった。



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