第29話「感謝の涙」
29話「感謝の涙」
★★★
「はぁー……。何やってんだろうな、俺は。」
斎は、自宅に戻りソファに座ると、大きくため息をついた。
スーツのジャケットを脱いで、片手でネクタイを弛めた。
そのまま目を瞑ると、思い浮かべるのは恋人の顔だった。いや、元恋人だ。
やっとの事で再び会うことが出来、気持ちを伝えてきたはずだった。夕映もそれを少しずつ受け入れてくれたと思っていた。
また、大学の頃のように恋人になれると思っていた。
「それなのに、また同じ事でだめになるのかよ………。」
夕映は、どうしてそこにこだわるのか。
本当の事を話してしまえばいいのかもしれない。けれど、それは出来ないのだ。
「また、終わりになるのか……俺たちは。2回目の恋愛をしようって言ったんだけどな。」
彼女の悲しむ顔を見たくない。
そう思っていたための行動………。それなのに、夕映を泣きそうな顔にさせてしまった。
彼女が睨み付けるように言っていたけれど、表情はすぐにでも泣き出しそうなものだった。
そんな風にさせたのは、自分だとわかっていた。
話せない変わりに、自分の気持ちを正直に伝えてきたはずだった。
夕映は、それが伝わっているはずだった。そのはずなのに、そこまでその事にこだわるのは何故なのか?
友達を大切にするのも彼女のいいところだ。
「………俺の事は、どうなんだよ、夕映。」
斎はゆっくりと目を開け、そしてまた、ため息が出た。
しばらく、彼女に会うのは止めよう。
きっと夕映も自分に会ってくれないだろう。
それに、斎にはやらなきゃいけないことがあるのだ。それを完成させつつある今、この間はやっとの事で時間を作ったのだ。
それが完成させれば、あいつは喜んでくれるだろうか。
「………夕映………。」
切ない声で名前を呼ぶ。
彼女に会いたいと、強く思い、斎はまた目を閉じた。
☆★☆
夕映は目を開けた。
昔の記憶を思い出して、涙が流れてきたのだ。斎との恋人だった時間を思い出すと、いつも泣いてしまうのだ。
幸せだった気持ちも、思いが分からなくて不安になった事も、別れて寂しかった事も。全ては彼が好きだからだとわかると、また涙が出てきた。
人は、他人に全ての事を話せなるわけではない。それは夕映だってわかっていた。
けれど、大学になって初めて出来た普通の友達。夕映が社長令嬢だと知っても変わらない態度で接してくれた唯一の友人だった。
それが夕映にとって特別で、大切にしたいと思えるのが南だった。
そんな彼女に対しての斎の言葉。
恋人としては、もしかしたら安心出来る言葉だったかもしれない。けれど、それがその人を傷つける言葉だとわかっているはずなのに、それを南に言ってしまった。
彼が何の理由もなく言うはずはないと、夕映もわかっている。
けれど、その理由がわからないからこそ、彼から話して欲しかったのだ。
「話してくれないと、自分が納得出来ないだけなのかな。……でも、モヤモヤしたままでは恋人になんてなれないよね。」
夕映は、そんな事を考えながら、ある事を考えていた。
斎とはもう会わない方がいい。
そう思っていた。
斎は、自分の事を好いてくれている。
けれど、夕映は答えを出せずにいて、いつも逃げてばかりいた。
それは斎に対して迷惑じゃないかと考えていたのだ。いつまでも答えを出さないで待たせている事になる。前回も答えを出していたものの、しっかりと断ったわけではなかった。
冷静になった状態で話をしよう。
そして、恋人にはなれないと伝えようと心に決めていた。
けれど、その前にもう1つやらなければ行けないことがある。
そう思い、夕映はスマホを手に取ってメッセージを送ったのだった。
相手に連絡を入れると、すぐに返信が来た。
その日の夜に会えると言う事だったので、夕映は待ち合わせ場所を指定した。
もちろん、近くのカフェだ。
「夕映先輩!この間はすみませんでした。」
いつものカフェで待ち合わせをして、お互いにミントココアがテーブルに置かれた時だった。
依央は、頭を下げて突然謝りだした。
彼が話しているのは、この間本屋に出掛けた帰りの事を話しているのだとすぐにわかった。
依央から、何回か連絡があったけれど、夕映が会える状態ではなかったのだ。
その返事をこの日にしたため、依央はすぐに来てくれたのだ。
静かだった店内に大きめの声が響き、一瞬視線を集めた依央は、「す、すみません……。」周りにまた頭を下げた。
その後、眉を下げて申し訳なさそうに夕映を見つめた。
「この間、僕、少し動揺してしまって。夕映先輩を傷つけちゃいました。……すみませんでした。僕の気持ちを一方的に押し付けてあんなことするなんて、最低です。」
「依央くん……。」
「夕映先輩に嫌われたらどうしようって考えてて。でも、嫌われることをしたんだから仕方がないって少し諦めてました。……だから、今日こうやって夕映先輩が返事をしてくれただけで、ホッとしたんです。……ありがとうございます。」
依央は力なく微笑んだ。
それが、本当にホッとした様子だったのを見て、夕映は自分が返事をしなかった事が彼を悩ませていたと知った。
自分の事でいっぱいいっぱいになってしまっていたのだと、改めて気づいたのだった。
今日彼に会ったのは、依央に謝ってもらいたいからではない。
自分の正直な気持ちを伝えたいと思ったからだ。夕映は、しっかりと依央の瞳を見据えた。
「依央くん。あの時は、依央くんが気持ちを伝えてくれたのに、逃げてしまってごめんなさい。あの日に気持ちを伝えてくれるって依央くんは言ってくれたのに、あんな態度をとる私が悪いと思ってる。」
「そ、そんな事はないです!僕がやりすぎたんですよっ!」
「ううん。違うよ。私が依央くんの優しさに甘えて、逃げてただけ。………昔みたいに。」
「………夕映先輩……。」
斎と別れてから、夕映は依央と付き合った。
あの時も、斎と別れたことが寂しくて、忘れてしまいたくて、そんな気持ちのままの自分でもいいと言ってくれた依央と恋人になったのだ。
依央はとても優しく夕映を包んで、守り癒してくれようとした。
けれど、夕映の気持ちは変わることはなかった。
「今回こそ、私は依央くんに甘えない。斎との事がダメになっても。自分で乗り越えていくから。だから、ごめんなさい。」
夕映が小さく彼に向けて頭を下げる。
すると、依央は「僕が………。」と言葉を続けた。
「僕が、また甘えて欲しいって言ってもダメなんですよね。」
「……うん。今は、まだ斎への気持ちが強いから。……ごめんなさい。」
「わかりました。」
依央は残念そうな顔を見せながらも、少しだけ微笑んでいた。そして、頬を指でかきながら夕映を見た。
「きっといい返事がもらえないだろうな、とは思ってました。勘、ですけど。」
「………依央くん。」
「でも、どうしても夕映先輩への気持ちが諦められなくて。けど、」
「え?」
依央は先程までは照れ笑いを浮かべていたけれど、今は前回気持ちを伝えたときのように、真剣な瞳で夕映を見つめていた。
「今は、っていう事は、斎先輩を忘れられるときが来たら、また恋人になってもらえるかもって事ですよね。」
「え、えぇ……?!」
「僕、待ってますから。」
「依央くん、それは……。」
「だから、斎さんと恋人になれたら教えてくださいね。じゃないと、僕ずっと待ってなきゃいけなくなるんですから、ね。」
最後の言葉を言った後は、少しいたずらっ子のように企んだ微笑みを見てた依央を見て、夕映もつられて微笑んでしまった。
依央は、甘えてしまったり、逃げてしまったり、そして想いに応えられなくても、こうやって優しくしてくれる。
素敵な人に支えられていた事を改めて感じて、夕映は目に涙がたまっていくのを感じた。
それが流れてしまわないように、グッとこらえ、そしてにっこりと微笑み返した。
「ありがとう、依央くん。………本当に、ありがとう。」
夕映の瞳が微笑んだ時、一粒の涙だけがこぼれ落ちた。
けれど、夕映はそれを隠すことはしなかった。
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