第6話「メモと昔の出会い」
6話「メモと昔の出会い」
コンコンッと音がする。
どうしてチャイムを鳴らさずにノックしているのだろう。
それにしても、こんな朝早くに誰が訪ねて来たのだろうか。
いつもよりぐっすりと寝れたような気がするが、体はまだ眠かった。
眠い目を擦りながら起きるとそこは、いつもとは違う空間だった。
高い天井に、大きな窓。そこから差し込んでくる光はいつもより強い気がする。
夕映の部屋の家具よりも何倍も豪華で、そして寝ているベットも大きくふかふかだった。
斎の部屋に似ているな。そんな昔の事を思いながら、ボーッとその部屋を眺めた。
すると、またドアの方からトントンッと小さな音が聞こえた。
パッと目を覚まして辺りを見渡す。
そうだ。昨日は、斎がホテルの一室に泊めてくれたのだと思い、焦って時計を見る。
けれど時計は8時を差しており、チェックアウトの時間ではないはずだ。
おかしいなと思いながらも、夕映は着ていたガウンと髪を整えながら、ゆっくりとドアを開けた。
「おはようございます、水無瀬様。ルームサービスのモーニングをお持ちしました。」
「え………私、頼んでないですけど。」
「昨夜、九条様よりご注文がありました。8時にルームサービスとメモをお渡しするように、と。」
「手紙……わかりました。お願いします。」
夕映はホテルスタッフを部屋に招いて窓側の席に食事を置くように頼んだ。
焼きたてのパンやコーヒー、卵にサラダ、そしてフルーツなどがテーブルに綺麗に並べられた。
そのおいしそうな香りを嗅ぐと、昨日はお酒ばかりであまり食べていなかったので、お腹がなってしまいそうだった。
「九条様からのメモもこちらに置いてあります。」
「ありがとう。」
「それでは、ごゆっくり。失礼致します。」
ゆっくりと優雅に礼をしてから退室したスタッフに礼を言う。
九条ほど大きな財閥でもないけれど、夕映も社長令嬢だ。こう言った対応には慣れていたので物怖じせずに対応していた。
スタッフが帰った後。
夕映は少しドキドキしながら椅子に座った。斎からのメモ書き。何が書いてあるのかわからなかったけれど、昨日別れた後に、書いたのだろう。
あんな事があった後だ。
彼の言葉が気になってしかたがなかったので、ゆっくりと手紙に手を伸ばした。
小さな紙に書いてあった文字。
綺麗な字体で、短く書かれていた。
『10時までに連絡よこさなかったら、すぐにホテルに行くからな。』
その文章を見て、夕映は唖然としてしまった。
「なっ………斎が、勝手に名刺押しつけたくせにー!」
夕映はそう叫んだ後、むしゃくしゃする気持ちのままにルームサービスを食べ尽くした。普段は食事のマナーはしっかりと守るタイプであったが、片手でパンを持ち、もうひとつの手でコーヒーやフルーツを食べていた。
それぐらいに、彼の横着な態度は夕映を怒らせてしまったのだ。
「急にやり直そうって言われて、今の恋人と別れろとか言うし……まぁ、別れたばっかりだったけど。……それして、勝手にキスして抱こうとして、断ったら名刺だけ渡して連絡よこせなんて。我が儘すぎるわ!私が斎を好きだなんて言ってないのに!!来るなら勝手にホテルに来ればいいんだわ。」
残りのコーヒーを飲み干し、カツンッとコーヒーカップをテーブルに置く。
そして、窓から見える小さくなった街並みを眺めていると、先ほどまでの高まった感情が、何故かすっと落ち着いてきた。
そして、ぼーっと考えた後独り言を洩らした。
「ここに、斎が来たら………、また告白されるのか…………な。」
彼は、酔っていない時ならいいんだなと言って、やり直しの話を1度取り止めた。
けれど、かなり渋々だったので、きっと次に会ったらすぐにでも同じことを言ってきそうだ。
そしたらば、断ればいいだけなのだが、それが簡単に済む相手ではないのだ。
それに、彼に流されてしまいそうな自分もいるのに、夕映自身も気づいていた。
彼の前に立つと、彼に翻弄されてしまう。そして、それが嫌だと思えないのだ。
今はまだ自分の気持ちに整理がつかないので、彼に「やり直そう。」と言われても、本当の気持ちを伝えられないだろう。そう、夕映は思った。
そんな事を考えているうちに時間は刻々と過ぎていく。
気づくと時計は9時半を過ぎていた。
『すぐにホテルに行く』という、懐かしい斎の字とにらめっこをしながら、考えに考えて………。
夕映は、10時ギリギリになってから斎にメールしたのだった。
その後。
彼からは「遅い。」というメールだけがすぐに来た。
それにも、怒ってしまいそうになったが、豪華なホテルを堪能でしたのだからと、その気持ちを心の奥底にしまった。
「そして、1週間連絡来ないってどういう事なの………?」
鳴らないスマホを見つめながら、夕映はため息をついた。
大学のテニス部の飲み会から約1週間が過ぎた。斎に「やり直したい」と迫られたが、それ以降ぱったりと連絡がないのだ。
やはり、その時限りの言葉で、遊び相手を誘う文句だったのだろうか。
そう考える度にため息が出てしまう。
仕事をしながらも、彼からの連絡を気にして集中出来ずにいたため、いつもより仕事のペースが遅くなっていた。
スマホの電源を切ってしまおうとも思ったが、いつ仕事の電話が入るかわからないので、そうもいかなかったのだ。
仕事中はなるべくスマホを見ないようにだけしようと心に決めて、その日は仕事に励んでいたのだった。
それから更に数日後。
桜の季節は終わり、少しずつ汗ばむ気温の日も出てきた梅雨前の過ごしやすい日々。
夕映はこの頃の季節がとても好きだった。
大学の頃からよく通っていた大きな図書館に向かい、そこのカフェテラスで仕事をする事が多くなっていた。
心地いい風と、静かな雰囲気、そして新緑の香りが夕映を落ち着かせてくれるのだった。
パソコンと仕事の洋書の原稿、そして休憩の時に飲むコーヒーと、本。本は、切実発売されたばかりの洋書だった。
その本を書いたのは、夕映にとって大切な作家だった。
休憩や寝る前だけと決めないと、いつまでも読んでしまいそうなので、我慢しながら読み進めており、残りも僅かになってきた。
そうなると、終わってしまうのが寂しくてその本を読むのが切なくなってしまうものだった。
仕事をしながら、その本をちらりと見つめる。この本を見せてくれたのは幼い頃の斎だった。
父親の目を盗んで、つまらないパーティーから抜け出した時に、中庭で本を読む彼に会ったのだ。絵本に出てくるような風貌の彼は、まるで異国の王子や妖精のようで、そこだけが異世界に感じられたほどだった。
幼い夕映が年上だと思っていた斎を見つめていると、視線に気づいた斎が「何してんだ?」と、声を掛けてきた。
夕映はとっさに「何を読んでいるの?」と聞くと、手で夕映招いて、本を見せてくれたのだ。
そこに書いてあったのは、夕映が読めない文字だった。「えいご」という物だとは知っていたけれど、外国の言葉だという以外は何も知らなかった。
「読めない………。」
「………仕方がないヤツだな。」
と、斎は少し呆れながらも誇らしげに、本を日本語に訳して音読してくれたのだ。
彼の子どもらしい澄みきった声は、とても優しかった。それに彼が読んだ話は、魔法やしゃべるライオン、妖精などが出てくるファンタジー系が好きだった夕映には夢のような話だった。
淡々としながらも、でも楽しそうに読み上げる斎の笑顔は、物語に出てくる王子様みたいだな、と思いながら夕映は、彼の声が紡ぐ話に夢中になっていた。
けれど、斎を探しに家の人が来たことで、その2人だけの朗読会は終わってしまったのだ。
その話の続きが気になった夕映は、英語を覚えて自分でも読めるようになりたいと思い、それから必死に勉強するようになったのだった。
それが夕映と斎の出会いだった。
そのため、目の前にある本は自分を翻訳家にしてくれた大切な洋書なのだ。
そして、斎と話すきっかけを作ってくれた作家さんでもあった。
「英語を勉強してた理由は、それだけじゃないのかもしれないけど………。」
そう呟きながら、その小説の表紙を指先で撫でながら、ボーっと見つめていた。
仕事をしなきゃいけないのに、昔の事を思い出して考え込んでしまった。そんな風に思っていた時だった。
「何がそれだけじゃないんだ?」
「え…………。」
聞き覚えのある声。
顔を見なくてもわかる………。今まで心の中で考えていた相手の声だった。昔は綺麗な高い声だったのに、今は低音で色気のある男性の声になっている。
「斎………。」
そこにはグレーのスーツを来た斎が憮然とした態度で立っていたのだった。
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