第4話「昔と同じ」








   4話「昔と同じ」




 社会人になってから初めて斎のスーツ姿を見たけれど、細身で少し光沢のある黒いスーツを彼は見事に着こなしていた。

 雑誌から出てきたモデルのような姿に、目を奪われそうになるのを、夕映はなんとか堪えていた。


 夕映はあまり彼を見ることが出来ず、カウンター席に運ばれてきたワインを飲むだけだった。




 「どうしたんだ?さっきから黙って。久しぶりの再会だろ?」

 「……斎がここに誘ったんじゃない。私は依央くんと話していたの。」

 



 そう言ってしまってから、夕映は後悔してしまう。

 どうして、こうやって可愛げのない事を言ってしまうのだろうか。

 久しぶりに会えて嬉しいと思っているはずなのに、そんな事を言ってしまう自分に内心ではため息をついていた。



 けれど、そんな夕映の言葉を聞いても彼は何故かニヤついた表情で夕映を見ていた。その表情の意味がわからず、夕映は不思議に思って彼を見つめ返す。

 大好きだった彼の青い瞳がとてもキラキラしているのを見て、昔と変わっていない事に少しだけ嬉しくなった。



 「おまえが俺と話したいんだと思ったんだけど?」

 「私が?な、なんで………。」

 「おまえ、ジムのテニスコートで俺の事いつも見てるだろ。」

 「っっ!!」



 彼の言葉を聞いて、夕映は息を飲んでしまった。

 こっそりと見ていたはずだった。

 彼にバレていないと思っていた。


 彼のテニスをする姿をとても綺麗だと思ってみていたのだ。夢中になりすぎて彼がこちらを見ていたのに気づかなかったのだろうか。


 そんな風に考えながらも、自分が盗み見をしていた事がバレていたと思うと、一気に恥ずかしくなってしまい、顔だけではなく耳や首まで真っ赤になってしまっているのがわかった。

 慌てて彼から顔を背けて、ワインをゴクゴクと飲んでしまう。



 「………確かに見ていたけど……ただ懐かしくなって見ていただけよ。」

 「……おまえ、顔真っ赤だぞ?」

 「っ!お酒のせいよっ!」

 「そうなのか?」



 クククッと笑い、全く信じていない様子の斎に目を奪われた。

 その微笑みは昔と同じだった。

 恋人の頃に向けられた、普段の綺麗だけれど作られた顔ではない、普通の人と同じ目を細めて口元も弧を描き頬を少し染める、そんな笑顔だ。



 「ん?どうした?」



 ぼーっとしたままその顔を見つめていたからか、斎は不思議そうに顔を覗き込んできた。一気に距離が近くなり胸がドキリとした。



 「変わらないなって思って。」

 「何が?」

 「……斎のその笑い顔。小さい時のままだね。」


 

 動揺してしまっていたからだろうか。

 自分が思っていたことが素直に言葉になっていった。

 斎は少しポカンとした顔をしていたけれど、すぐに優しい微笑みを見せた。



 「それは、おまえがそうさせるだろうな………。」

 「え……。」

 「いや、何でもない。そういえば、お前の好きだった洋書のシリーズ発売になったな。」

 「あ、もしかして白の剣シリーズ?今回も面白かったよね。」

 「あぁ。ほんと、お前は本が好きなんだな。」

 


 恋人になる前から、斎とは読書仲間でもあった。本好きは沢山いるけれど、洋書となるとあまり周りにはおらず、夕映は斎とよく洋書の話をしていた。


 そして、今再会してもその話しはつきることはなく、先程ぎくしゃくしていた雰囲気が一転して、学生の頃のように話をすることができた。

 同じ趣味だった事に感謝しながら、元恋人だけれども普通の友達に戻れているのに、夕映は安心もしていた。







 

 「そろそろ、予約時間が終わる頃だな。きっと二次会にも行くだろうけど。」

 「え………もうそうな時間なの?」



 夕映は腕時計が示す時間を見て、驚いてしまった。あっという間に1時間以上話していたのだ。

 まだ話したいな、という気持ちが強かったのか顔にも出てしまったのだろう。斎は「なんだ?まだ2人で話したかったか?」と、笑いもせずに聞いてくる。

 その返事に戸惑ってしまうと、斎は小さな声で内緒話をするように言った。




 「……ここから抜け出すぞ。」

 「え、でも、みんなにバレちゃうよ。」

 「ここは俺の知り合いの店なんだよ。俺が店長と話をつけて、スタッフルームに入るようにしとくから。あとで俺もそっちに行く。」

 「え、ちょっと…………。」

 「じゃあ、後でな。」




 そう言って椅子から立ち上がり、キッチンにいたスタッフに挨拶をしながら世間話を始めた斎を、夕映は呆然と見ていた。


 今は恋人でもない、そして恋愛感情があるはずもないと思っていた人と、ふたりで飲み会を抜け出そうとしている。

 そんなことしなくてもいい。


 そのはずなのに、彼から離れたくないと思っている自分に夕映は逆らえなかった。






 スタッフルームに入り、斎と合流した後は、タクシーに乗ってそのレストランから離れた。

 心配するであろう南だけには「ごめん、先に帰ります!」と連絡をしておいた。



 「駅前までお願いします。」

 「どこへいくの?」

 「近くのホテル。」

 「えっ……!?」

 「の、バーだけど。………おまえ、何期待してんだよ。」

 「っっ、もう!そういうところも変わらないんだから。」



 からかわれいるのだとわかって、夕映は抗議の声を上げる。

 けれど、こうやって彼がいじって、夕映の反応を見て笑う。そんなやり取りがたまらなく久しぶりで心地のいい気分になってしまっていた。

 もう好きでもない相手なのに。

 元恋人との懐かしさのせいなのだろうか。




 ホテルの最上階に近い階にあるバーは、とても落ち着いた雰囲気で、そこから見える夜景も素晴らしかった。


 そこでも2人の話はつきずに、遅くまでお酒を飲みながら話をした。

 斎の低音の声が、楽しそうに話すのを聞いているだけで、夕映は嬉しくなっていた。

 そのせいなのだろうか。



 「夕映、少し飲むペースが早いぞ。おまえ、そんなに強くないだろう?」

 「んー、だってここのお酒おいしいんだもん。それに楽しいし。」

 「………酔っぱらい。」

 「いいの。楽しいから。」



 爽やかな海のような青色のカクテルを飲もうとした瞬間に、そのグラスを斎が奪い取り、飲みほしてしまった。



 「あ、私の………。」

 「今日はもうおしまいだ。」

 「……そう、だね。もう、帰らなきゃね。」


 

 浮かれるほどに楽しい時間でも、終わりはやってきてしまうのだ。

 久しぶりに学生に戻ったように彼と話しが出来たのがよほど嬉しかったのだろう。自分でも驚くぐらいに帰るのが寂しくなってしまった。


 けれど、ここで帰るのを渋ってしまえば、どういう意味になってしまうのか。

 学生の頃とは違うのだ。大人になったからの意味を、夕映は理解していた。





 気持ちが顔に出てしまう前にと、バックを持って立ち上がると、彼も立ち上がった。

 会計は彼が済ませておいてくれたのか、そのまま店を出た。

 お酒のせいなのか、夕映は少しだけ意識がぼーっとしていたけれど、もう少しで彼と別れてしまうのだと思い、寂しさと焦りに襲われていた。


 そのまま、別れてしまえば、また彼のテニスしている姿を見つめるだけになってしまう。

 友達としてでも、彼と一緒に居たい。





 けれど、そう彼に言えるはずもなかった。


 彼をふったのは私なのだから。

 そして、まだあの事を………夕映は悲しい記憶として忘れられずにいるのだから。








 ポンッと、エレベーターが到着した事を告げる音がなった。

 斎の後を追うようにして、エレベーターに乗り込む。

 俯いたままだった夕映が顔を上げると、エレベーターの矢印の表示が上を向いているのに気づいた。




 ハッとして、彼の方を見ようとした時だった。


 彼に、肩を抱き寄せられ、気づくと彼の唇が自分の唇に優しく合わさっていた。

 


 斎に、キスをされている。



 そうわかっているのに、甘い刺激と彼の力強い腕に捕まえられて、体を離す事が出来なかった。



 あぁ、キスまでも昔と同じだ。




 そんな甘い記憶を思い出しながらも、斎のキスを体全体で味わうように、身を委ねるしか夕映には出来なかった。








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