6.契約のしるし

 桐生が早池峰家に連絡をすると、程なくしてマキがやってきた。苑司はマキに連れられ、一足先に桐生診療所を離れていった。

 診療室内には、哭士、色把、菊塵、桐生の四人。



「ん? 色把さん、怪我されてます?」

 桐生が、色把の異変に気づく。色把は桐生の言葉に頷くも、大丈夫である身振りを桐生に返した。公園で苑司を影鬼から避難させようとその時は必死だった。今もさほど痛みを感じていない。

「色把、診てもらえ」

 哭士は色把に短く言い放ち、診療室入り口近くの椅子に掛ける。

「そうです。影鬼にやられたのでしたら、見せて下さい。万が一の事があっては大変ですから」

 色把は頷き、桐生に怪我をした首の後ろを見せた。桐生が失礼、と色把に断りを入れ、確認する。

 と、一瞬桐生が妙な表情を浮かべる。

「傷は……大したことないんだけど……」

 何かをふと発見した素振りであった。

「どうか、されましたか?」

 菊塵が桐生を促す。

「色把さん、以前に狗鬼と契約を?」

 まったく覚えの無い質問に驚き、色把は強く首を振る。




「どういうことだ?」

 少しの間を置き、哭士が問う。

「うーん、契約を結んだ後というのは、籠女も狗鬼も首の付け根部分に印が現れるんだけどね」

 そう言って、桐生は菊塵を手招いて近くに寄せると後ろを向かせた。おもむろに菊塵の襟首を掴み、スーツの襟とワイシャツの襟を一緒にぐい、と下げた。菊塵は「ぐっ」と苦しそうな声を上げる。首の付け根を人差し指で軽く叩くと、模様が浮かび上がった。

「ほら、菊塵君の場合も、華のような印が出ているでしょう。これが、契約を結んだ後、狗鬼に浮かび上がる印なの。契約を結んでいない哭士君にはコレが無いんだねぇ。 ……いやぁ、それにしても見事な印だ」

 苦しそうにしている菊塵を余所に、印が現れた瞬間、にわかに嬉しそうな表情になる桐生。やはり、狗鬼・籠女のことになると、周りが見えなくなるらしい。浮かび上がってきた模様は、痣のように見えるが、細かな部分まで美しく表れている模様は、やはり印と言い表すのが適当であった。




「……桐生さん、言ってくれれば印くらい見せますから」

「あぁ、ゴメンね」

 菊塵の言葉でふと我に返り、首を開放する。軽く首が絞まっていた菊塵は、咳払いをしながら襟を正した。

「籠女にも、結んだ相手の狗鬼と同じ印が現れるの。これで自身が危険だという事を、印を通じて狗鬼に伝達するわけ。色把さんにも、印のようなものが付いているので既に、狗鬼と契約を結んでいる、と思ったんだけど……。これは印、でいいのかな……?」

 自分の首の後ろにある為、印は見ることが出来ない。色把は周囲の人物たちの表情を見渡した。

 それにしても、自分に契約の印らしきものがあるらしいという、自分にまったく覚えの無い事に正直困惑していた。狗鬼を知ったのはこの数週間の間のことなのである。契約など、結べるはずも無い。桐生は、というといつの間にか手元に持ってきていた資料をぱらぱらと捲っている。



「僕も一通りの狗鬼の印は見ていて、どのようなものかは分かっているつもりだったんだけど……色把さんのこの印……狗鬼の契約によるものなのか、少々判別がし辛い。痣のようにも見えるし、印と言われれば印にも……」

「……はっきりさせろ」

 やや苛立った様子の哭士。

「そうだ、哭士の印じゃないのか? 一度契約を試みているだろう?」

 思いついたように、菊塵が声を発する。

「いえ、哭士君の方には今も印が現れていないでしょ? 哭士君の印では無いみたいだねぇ。いやいや……実に興味深い」

 しげしげと色把の印を見やり、一人で頷いている桐生。色把はどういう顔をしたら良いか分からず困惑する。



 全員、次の桐生の言葉を待つが、桐生は一向に言葉を発しようとしない。

「判別がし辛い、というのは?」

 自分の世界に入ってしまった桐生を、菊塵が呼び止める。

「あぁ、普通はね、印というのは普段は外に出ていないの。何らかの刺激を与えるか、本人の意思で浮かび上がってくるんだよ。ほら、こんな風に」

「ぐっ」

 そういうと、またもや桐生はおもむろに菊塵の襟首を引き下げ、指で首の後ろを叩く。薄ぼんやりと、印が浮き上がってくる。

「桐生さん……」

「あぁ、失礼失礼。だけど、色把さんの物は、痣のように常時首の後ろに現れているでしょう? 不思議だなぁ」

 色把は、今も首の後ろを桐生に見えるようにしている。哭士、菊塵が見つめているところを見ると、色把の印は消えてはいないらしい。

「契約を結んで印が出るのは分かった、だが、印をつけた狗鬼が死んだ場合はどうなるんだ。こうやって痣になって残るんじゃないのか?」

 冷静に話を聞いていた哭士が桐生に問う。

「そういう場合は、籠女側に現われていた印が消失するんだよ。後に残るという事は無いの。契約をどちらかが破棄した場合も、籠女側の印が消えるから、色把さんのように、痣のような形で残り続けるということは無いんだよねぇ」

 色把は、哭士の顔を見上げた。哭士はいつものように眉間に皺を寄せ、不機嫌そうな表情を浮かべている。だが、色把には、困惑している様子を押し隠そうとしているように見えた。



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