5.荷物の秘密

「へぇー。これはこれは……」

 白衣を着た男性は、嬉しそうな声を上げ、手元の資料をしげしげと見つめた。



 小さな診療所につれてこられた苑司は、訳のわからないまま診察室に通されたのだった。あの化け物は何だったのか聞こうとしたのだが、白衣の男性は半ば強引に採血やら何やらの検査を続け、苑司はなかなか口を挟めなかった。

 夜も更け、患者は勿論居ない。光が漏れる診察室には、苑司と、目の前に居る白衣の男性、自分を助けてくれた少女と男、そして新たに、メガネをかけた男性が加わった。


「どうなんですか? 桐生さん」

 メガネをかけた男性が、白衣の男性に問う。白衣の男性は、桐生と言うらしい。

「うん、とっても興味深いね」

 満面の笑みで言い放つ桐生。もったいぶっているのか、中々先を話そうとしない。

「早く先を言え。ヤブ医者が」

 苛立った様子で男が桐生に言い放つ。

「あはは、ここ一週間のうちに、大分性格が丸くなったと思ったけど、やっぱり酷いなぁ哭士君は」

 朗らかに笑う桐生に対し、男は言葉を冷たく言い放つ。先程自分を救ってくれたこの男は哭士、苑司は名前を一人ずつ心に刻んでゆく。

「うん、佐々乃君といったかな。今日、あの影に襲われる前、何か変なことは無かったかな?」

 桐生は、優しげに苑司に問いかける。

「変な事……ですか? もう今日は色々なことがありすぎて、何がおかしいのか分からなくなっています」

 苑司は首を振って、今の心境を素直に桐生に告げた。

「そうかそうか。じゃあ、今日、どこに行って何をしたのか順を追って話してくれるかな?」

「……僕の行動、ですか?」

 さっぱり桐生の真意がつかめない。

「うん、ちょっとね。今日、君の身に絶対に何かがあったはずなんだ。あの化け物を呼ぶきっかけになる出来事が」



 苑司は、記憶を辿り今朝からの自分の経路を、順に話をしていった。話が詰まったり、上手く言い表せない状態になっても、桐生は朗らかな笑みを湛えたまま、丁寧に相槌を打っている。哭士はというと、苑司の話に耳を傾けてはいるものの、熱心には聞いていないようだ。

「そこで、アービュータスビルで、鍵を受け取る約束をしていて……」

「アービュータス?」

 ここで、哭士とメガネの男性が反応を見せる。少女も少しだけ表情が強張った気がした。

「はい、アービュータスの社長と、僕の父親が友人で、アパートを手配してもらったんです。あと、荷物を渡すようにって」

「その荷物は、まだありますか?」

 メガネの男性は物静かに話す。目が真剣そのものだ。

 苑司は頷くと、メガネの男性にアタッシュケースを差し出した。

「……僕、開けちゃったんです。貴重品が全て盗まれてしまって、どうしようもなくなっちゃったから……」

 不自然に縁が曲がってしまっているアタッシュケースにばつが悪くなり、言い訳をするように苑司は言葉を付け足した。

 アタッシュケースを手に取った瞬間、メガネの男性の頬が強張る。

「菊塵君、どうかしたかな?」

 菊塵のこわばった顔に、桐生が促す。

「桐生さん、見てください」

 菊塵が指し示す箇所に、診療室にいる全員が注目する。



「はー、なるほどなるほど」

 菊塵の指先を見、桐生は声を上げた。菊塵が指し示したのは、アタッシュケースの縁。苑司は最初気づかなかったが、小さな吹き出し口のようなものが付いている。

「哭士君、このウレタン、ちょっと剥がしてみて」

 桐生がアタッシュケースを差し出す。哭士は黙って受け取ると、アタッシュケースの内部に張り付いたウレタンを鷲づかみ、いとも簡単に引き剥がした。

「やはり、な」

 驚いている苑司を尻目に、アタッシュケースの底をみとめ、哭士は呟いた。

 ウレタンの下には、簡単な装置が取り付けてあった。



「これで、二個目だね」

 桐生はメガネの男性に確認するように言い放つと、苑司に向き直った

「このアタッシュケースは、特殊な方法じゃないと開かない仕掛けになっているんだよ。無理矢理このアタッシュケースを開けると、開いた人間に、この装置の薬品が吹きかけられるようになっているの」

 しげしげとアタッシュケースの装置を興味深げに見つめている桐生。

「それで、薬品の効果って言うのが……」

 予想は出来ていたが、苑司はその先を聞いてみた。

「そう、あの化け物『影鬼』を呼び寄せる薬品だね。中身は相当外部に漏らしたくないものなんだろうね。一般人は影鬼に襲われたらそりゃもう、どうしようもないだろうから」

 安穏と言い放つ桐生。


「で……! それで、この薬品は落ちるんですか!? お風呂に入ったら取れるんでしょうか!?」

 あの化け物とは、二度と遭遇したくない。思い出すだけで、鳥肌が立ってしまう。

「うーん。微量に皮膚に浸透しちゃってるんだよねぇ。お風呂に入って、いい汗流しても、成分は暫くしないと取れないかなぁ」

(そんな満面の笑みで絶望的なこと言って欲しくなかったな……)

 がっくりと肩を落とす苑司。




「……」

 桐生は黙ってアタッシュケースの中に入っていたビンを見つめている。

「桐生さん、それに何か心当たりでも?」

 菊塵が桐生の様子に声をかける。

「んー、このビンについては、僕は分からないなぁ。ただ、このアタッシュケース、面白いと思ってね」

 笑みを崩さず、空になったアタッシュケースを見つめながら桐生は言う。

「どういうことでしょうか?」

 菊塵は哭士から受け取ったアタッシュケースを診療台の上に置き、問う。



「うーん、何から話せばいいのかなぁ」

 迷った様子を見せた桐生だったが、やがて全員の顔を順に眺めながら語り始めた。

「彼に付着した狗鬼を呼び寄せる薬、僕が作ったの。昔、革新派の研究室にいた頃にね」

 あっさりと、だがとんでもないことを言い放つ桐生。

「じゃあ、そのエイキだかを寄せなくなるようにするのも、すぐに出来る……んですよね!?」

 苑司が桐生に言い寄る。だが、桐生の表情は変わらない。

「それが、僕が作った当時と同じ成分であれば、ね。それを開発したのは、僕が若い頃なの。それこそ、もう二十年くらい前になるよ。多分、僕が研究室を離れてからも、この薬品は改良されているみたいでね。今、簡単に成分を解析したけれど、僕が調合していた当時ものとは大分かけ離れたものになっているし。もっと解析しない事には何とも言えないよ」

「……」

 苑司は、桐生の言葉にガックリと肩を落とした。


 桐生は話を続ける。

「それでね、気づいたんだけど、アタッシュケースの装置や中身からして、この荷物は、革新派が用意したモノ、だよね? それを何故、保守派であるアービュータスの社長、結城啓二宛てに届ける事になっていたのかなって、そう思ったの。革新派の方からも特にそういう話は出ていなかったんでしょう?」

 桐生は菊塵を見上げる。菊塵はその問いにすぐさま頷いた。

「えぇ。こちらは何も聞いていません。確かに、妙ですね。保守派、革新派の一部で、なにか繋がりがあるということでしょうか」

 菊塵は、ちらりと苑司を見る。

「このアタッシュケース、お父様は何処から受け取ったかは、聞いていませんか?」

 菊塵の質問に、苑司は色々思考をめぐらすが、アタッシュケースは父が最初から持っていたもの、としか印象が無い。

 苑司は、菊塵に対して、首を横に振った。

 その後、菊塵は苑司の父の名前・勤務先を聞き、調べておきます。と話を切った。



「このビン、僕が貰っちゃってもいい?」

 アタッシュケースの中に入っていた液体入りのビンを指先で振る桐生。

「そうですね、恐らくアービュータスの社長が必要としているのならば、狗鬼、もしくは籠女に関するものなのでしょう。専門的な知識のある桐生さんが持っていたほうが良いと思います。いいかな、佐々乃君?」

 瓶を桐生に渡してもよいか、という事だろう。渡す主が居なくなってしまったのだから、と苑司は考え、菊塵の質問に頷いた。



「社長さん、何処に行っちゃったんでしょう」

「結城は戻ってこない」

 哭士の言葉に、菊塵は苑司に見えぬように小さく首を振る。

「……だろうな」

 最後に、憶測になるように哭士は付け足した。

「え」

 苑司の表情が固まる。

「しかし、彼の住処がなくなってしまったのは困った事ですねぇ」

 菊塵は、メガネを押し上げ、誰ともなしに言い放つ。

「どうだ、哭士、佐々乃君をしばらく泊めてあげては? これから彼は色把さん以上に影鬼に襲われやすくなる。影鬼の寄らないお前の家が一番安全だろう」

「……」

 哭士の眉間の皺が深くなる。

 と、その様子に、色把と呼ばれた少女が哭士の腕を軽く拳で数回叩(はた)く。困ったような表情を顔に浮かべ、哭士を見上げる。苑司の宿泊を促してくれているようだ。哭士は一度大きくため息をついた。

「……仕方ない」

 渋った様子の割には、色把の押しに随分あっさりと滞在を許した哭士に拍子抜けしながら、苑司は真っ直ぐ哭士を見た。

「あ、ありがとうございます!」

 大きく頭を下げた苑司に、哭士は反応に困ったのか、ふいと横を向いた。



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