14.制約

 菊塵と色把は、部屋に二人きりになった。

「すいませんでした、お婆様のこと、嘘をつくような形になってしまって」

 静かに菊塵が切り出す。色把はその言葉に頭を振った。

 祖母の死を隠していた事について、彼らが自分を案じてくれていたのだという事が分かったからである。

 早池峰家に来た当初に抱いていた不信感は、色把の中から消えつつあった。


 色把は、自分の身の回りで起きた事を、少しでも理解できるようになりたかった。

『あの』

「はい」

 意を決したように顔を上げた色把に、菊塵は柔らかく返答する。

『教えてもらえませんか? 昨日、私を襲った、影のこと……。そして、哭士さんや、私自身の事を』

 この屋敷に来た当初とは違い、今自分に起きていることを少しでも知り、理解をしておきたかった。その意思が菊塵にも伝わったらしい。


「……そうですね、今の貴方にでしたら、お話しても大丈夫そうです。それから、哭士のことは呼び捨てで構いませんよ。同年代みたいですしね」

 柔らかい笑みを浮かべた後に、ゆっくりと息を吐きながら、菊塵は語り出した。狗鬼・籠女・影鬼について、一つ一つ、かみ砕きながら。



「……よって、昨日、貴方と同じ姿をした少女は、狗鬼である哭士と契約を結ぼうとした。ただ、哭士が狗鬼としては特異とくいであることを知らなかった為、近くに居た貴方に原因があると勘違いをし、襲い掛かってきた。……こんなところでしょう。兎にも角にも、今は情報を集めませんと、これ以上は何も言えません」

 昨日の少女の事については、菊塵から詳しく語られる事はなかった。

「まずは、籠女としての立ち居を、この家で自分の物にして下さい。それが、貴方を護る哭士の為にもなります」

 色把は頷く。

「貴方を付け狙う者は二種類。まず、昨日の影鬼。影鬼は、籠女の血の匂いをかぎつけると、暗闇から発生します。ですので、屋敷外を歩く時は、僅かな怪我も注意して下さい。狗鬼と共に行動するのであれば狗鬼は影鬼を遠ざけるので、まあ心配は要りません。そしてもう一つの脅威。貴方をさらった保守派の者達。恐らく、今は貴方を必死になって探しているはずです。屋敷を出るな、とは言いませんが、あまり屋敷を離れるのは、こちらとしては好ましくないですね。出来れば、哭士を連れて歩いてもらえれば助かります。とりあえず、普段気をつけて頂きたいのはこの位ですかね」





『保守派、というのは?』

 今まで何度か会話に上がっていた。色把は何のことだか分からなかったのだ。

「狗鬼と籠女一族の中には、大きく分けて二つの派閥があります。貴方をさらった保守派、そしてもう一つが革新派。そうですね、狗鬼の行方を巡った思想が枝分かれして、今の二つの派閥があると考えていただければ良いかと。保守派は、古のしきたりを守ろうとする者達。革新派は、狗鬼の新たな可能性を追求しようとする者達。思想の対立が激しく、抗争もしばしばです」

『お互い、歩み寄る事は出来ないんでしょうか?』

 争いごとを見るたび、色把はそう思う。自身が、あまり争いごとを好まない為か、何故このような事になっているのかが、飲み込み辛い。

「所詮、人間の考えの違いで発生しているものですから。それぞれの派閥の大元が和解を申し立てている形だけは取っていますが、各々の全体の統制が取れていないのが現状でして。時たま、一部の単独行動が発端で抗争を繰り返し、折り合いが付かない、と、こういうわけですね」

 困ったように肩をすくめる菊塵。

『貴方達は、革新派なんですか?』

「そうですね、革新派に属する、と受け取ってもらって結構です」

 次から次へと発生する自分の知らない世界に圧倒される色把。もう戻れない、足を踏み入れてしまったのだ。だが、急激に訪れた日常の変化に、色把は徐々に変わり始めていた。



『狗鬼が契約を結べないと、不都合なことがあるんですか?』

先ほどの哭士の話から、ふと疑問に思ったことを聞いてみた。色把の質問に菊塵は、少し悲しげな表情を浮かべた気がした。

「狗鬼の役目というのは籠女を影鬼から護る事。よって、契約を結ぶ事が、まずはその存在意義を明らかにする証明になるわけですね。籠女を護ると誓い、額同士を合わせる。これによって、狗鬼の体内の『ある』制約が解除されるわけです」

メガネを押し上げる菊塵。

『ある制約というのは?』

 色把の質問に、一瞬だけ菊塵は押し黙った。




「……寿命です」

 重く、冷静な菊塵の声。



「十八年間、一度も籠女を護る、と証明しなかった狗鬼は、十八歳の生誕の日に命を落とします」

『……』

 やけに、その言葉だけが大きく耳に響き、色把は思わず息を呑んだ。




「昔は、籠女が少なく、制約があることを知らない狗鬼もいましたから、命を落とす狗鬼が多く居たそうです。ですが今は原因も分かっている為、幼少時に一族の計らいで、順当な年頃の籠女とで制約を外すだけの仮契約が行われるんです。契約は結び直しが可能ですからね。実際僕もそれで、七歳の時に制約を外しました。ところが哭士は、結ばないのではなく、結べない。あらゆる籠女を呼び試みましたが、すべて失敗しています」

 空気が静まり返る。自分の命の終わり所を嫌でも知っている哭士は、どうやって自分を保っているのだろうか。



「狗鬼はかなり昔から存在していたと分かっています。長い狗鬼の歴史の中で、契約を結べない狗鬼は居なかった。だから、何故哭士だけが契約が結べないのか、原因は誰にも分かりません。哭士本人は、寿命を受け入れている素振りこそしていますが……あれでも十七歳だ、達観するにはまだ若すぎる」

 首を軽く振る菊塵の言葉に、笑わない哭士の顔が頭をよぎる。色把は両の手を握った。

「哭士は幼い頃、契約が結べないことが本家に知れた事で、酷い迫害を受けたようです。それ以後、自身からあまり狗鬼について知ろうとはしなくなりました。他の狗鬼に比べ、自身の力に対し、あまり知識が無いのです。貴女の護衛を任せたのも、籠女を知る事で、何か契約ができる切欠になればと、そう考えたのです」

『……』

色把が黙り込む。



『……私でも、出来るでしょうか?』

 メガネの奥の菊塵の瞳が色把を捉えた。

『私も籠女なら、試す事が出来るはずですよね? 私にも一度、彼と契約をさせて貰えませんか?』

 真っ直ぐ菊塵を見つめる。自分を救ってくれたのだ。僅かでも可能性があるなら、賭けてみたかった。

「実は、僕からお願いをしようと思っていた所です。哭士の時折見せる貴方への態度から、もしかしたら、とそう感じたもので」

 ゆっくりと一つ頷く菊塵。

「ですが、正直驚きました。ご自身が籠女だと知ったばかりの貴方がここまで仰ってくれるとは。……僕からも、お願いします」

 菊塵は、改まり色把に頭を下げた。



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