15.招かれざる客

「旦那様ァ? 旦那様ァ!!」

 ぴりぴりとした空間に水を差すように、遠くの方からマキの声が聞こえた。修造を呼んでいる。

 祖父が哭士から視線を外す。僅かに緩まった空気。哭士の緊縮きんしゅくした姿勢から少し力が抜け、何事かと外に意識が向く。バタバタと騒がしい足音が近づき、廊下側の障子が勢いよく開いた。マキが顔を覗かせる。

「あぁ良かった! こちらにいらっしゃいましたか!」

 だいぶ屋敷内を走り回っていたようだ。若干息が上がっている。

「そんなに慌てて、何事だ」

 マキの勢いに、修造も呆気に取られているようだ。修造の問いに、落ち着きを取り戻したマキは、急に渋い顔になり、唇を尖らせた。

克彦かつひこさんが、まーたいらっしゃいましたァ」

 不服そうな表情のマキ。克彦という人物は、哭士の父親の弟、つまり哭士の叔父にあたる。烏沼からすぬま 克彦、哭士の父は婿養子だった為、苗字が異なる。

「そんなに、嫌そうになさらなくても良いんじゃないですか?」

 無遠慮な男の声がする。マキは「げっ」とあからさまに嫌そうな顔をすると、後はお任せしますとばかりに、その場を去った。こういう時だけ去り際が早い。


 マキが開けっ放しで去った障子から、四十代前半の男が現れた。痩せぎすで顔色は悪い。目つきだけは妙に爛々としていて、口元には不敵な笑みを浮かべている。そして目を引くのは左頬、火傷のような痕が付いているので、一目見て、まず良い印象は抱かない。マキが嫌がるのは外見もさることながら、それに比例した粘着質な性格によるのだった。



「お情けを、戴きに参りました」

 含んだ笑いを見せ、修造に向き直る。

「……先週も渡したはずだがな」

 突き放すような態度で克彦に言い放つが、本人は平然としている。

「あれっきりの金額で足りるとでも? こっちは十七年も苦しんでいるんだぜ? 大事な兄と、義姉を同時に失い、おまけに顔には、こんな大きな傷まで付けられてねぇ。そこに座ってる野郎にね」

 じろりと哭士に視線を投げかける克彦。哭士は克彦を見るつもりは無い。金をせびるいつもの手口だった。

「今でも鮮明に覚えているぜ、待望の甥が生まれたと聞いて飛んで来てみれば、産声を上げている化け物の近くに、長年連れ添った兄貴と、大層優しかった義姉の、冷たくなっている姿。そして生みの親を殺すだけでは飽きたらず、そこにいる化け物は俺にまで牙を……! この恐怖は、一生かけてでも消えるものでは無い、そうだろ?」



 薄笑いを浮かべ、自身の左頬を撫でる克彦。この男が本心で哭士の両親の死を悼んでいない事、金をせびる為だけにやってきている事くらい哭士にも分かる。だが、自分に記憶がなくとも、両親をこの手で殺してしまったという事実は、変えることは出来ない。じっと哭士はネチネチとした克彦の言葉に耐えるしかなかった。

「ああ、恐ろしいねぇ。その両目に睨まれると、体中の血が……凍りつくようだ」

 頭の奥で何かが切れる音がした。全身の血が沸き立ち、意識が克彦の頸部に集中する。

「よさんか! 哭士!!」

 克彦に襲いかかろうとした気配を察したのだろう。峻厳な修造の声が哭士を諌める。修造の声に、ハッと我に返り、体の力を抜く。気は治まらないが、修造の前では仕方がない。

「おいおい、こんな傷を付けておいて、まだ足りないってのか?」

 部屋の空気がピリピリとした緊張感に包まれる。



「やぁ、克彦さん、いらしてたんですか」

 その場の雰囲気に似つかわしくない声が響く。部屋にいる全ての者が声に振り返ると、貼り付けたような笑顔を浮かべて、その場に菊塵が立っていた。その後ろには、目に涙をいっぱいに溜めた色把が立ち尽くしていた。

「今月の分、足りませんでしたか? いやぁ、すいませんね。……相談はあちらで致しましょう」

 足早に克彦の隣に並ぶと、すぐさま部屋から克彦を連れ出そうとする菊塵。が、克彦は菊塵の 背後に立っていた色把に目が行っている。

「そこの女は何だ?」

 色把の頭の先からつま先まで、じろりと睨めつける。値踏みするような視線に色把は肩を竦めた。

「一時、こちらで保護している女性です」

「……とか言って、哭士の女じゃないのか? やる事だけはしっかりやるんだな」

 ぶつぶつと因縁をつけている克彦をさらりと受け流しながら、菊塵は別室へと隔離した。

「奴には何を言われようと手を出してはならぬ」

 克彦が部屋を去ったのを見届けると、すれ違いざま厳しい口調で哭士を戒め、老人も部屋を後にした。同時に、色把は哭士に駆け寄った。



 緊張で押さえ込んでいた眩暈(めまい)が、再び襲い掛かってくる。色把は哭士の背中に手を回した。

「……聞いていたのか」

 色把は申し訳なさそうに唇を噛み、首を縦に振る。

「畜生が……」

 情けなさに、むかむかと自分への叱責の念が腹の底からこみ上げてくる。

 怒りに身を任せ、哮りながら哭士は自らの拳を畳に叩き付けた。本調子でない身体から絞り出した力は、やはり負担が大きかった。

 哭士はその場に昏倒してしまった。



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