第47話 エピローグ

 その日の気候は、夏場に似つかわしくない涼しい気候だった。

 首筋をひんやりと撫でる風が、重力の落下に伴い、冷や汗を攫っていく。


「ハルピコ⁉ ここで呪力じゅりょくを噴射だ!」


「むう~ん‼」


 鎧と化したハルピコの毛並みから、青い光明が漂い、爆発。

 加速によって、春夢はるむは目前の影に手を伸ばす。


「よおおし‼ これでーーっ‼」


『グモオーー‼』


 鳥とは思えない奇怪な叫び声。

 翼も無く浮遊し、モフモフの白い綿毛を毛並み代わりにする羊に似た怪魔かいまに、春夢は抱き着いた。


「やっと捕まえた! 後は封印を施して」


『モフウ~‼』


「は、はるむ! この羊さん、綿毛を振り撒いてるんだな⁉ なんだか眠く……」


「まてハルピコ! このまま寝たら⁉ うわああーーッ‼」



 破邪術師団はじゃじゅつしだんの凶行から解放され、三日。

 桜見町おうみちょうは平穏を取り戻しつつも、その復興には時間を掛けていた。

 主な器物の被害に反して、人的被害は奇跡的なほど極小に済んだ。

 しかし予断は未だ許されておらず、街中には未だ怪魔が出没しているのが現状。呪式対策本部じゅしきたいさくほんぶも、一人でも多くの怪魔師かいましへ協力を仰いでおり、本来、ライセンスも持たない半人前の春夢にも、その機会は巡っていた。


「ひ、陽沙ひさ! 今日も怪魔を二匹封印したぞ」


「頑張ったんだな~」


「ご苦労様。と言いたいところだけど、コスモス種にここまで時間を掛けてたらまだまだね、二人共」


「飴と鞭が雑過ぎやしませんかね?」


「そう言う、ひさはどうなんだな⁉」


「今日は十二匹くらいね。うち大型は三匹くらいかしら」


「はるむ~僕たちの頑張りって一体なんなんだな……?」


「陽沙! ハルピコのやる気を削ぐなよ⁉ せっかく怪魔師として自信を持ち始めてたのに!」


「そ、そういうつもりはなかったんだけど……」


 しょぼんと耳をすぼめるハルピコに、陽沙はやるせない顔で、溜息を漏らした。


「そう落ち込まないで、ハルピコ。確かに今のは言い過ぎたわ。お詫びと言ってはアレだけど、今日の夕飯は私が奢ってあげる。ハルピコの大好きなものをね」


「それって本当なんだな⁉」


 ハルピコに笑顔が戻り、陽沙もしたり顔。


「物で釣りやがった……」


「ついでに春夢。貴方にも渡すものがあるわよ」


「俺まで物で釣る気かよ? 言っとくがそっとやちょっとの品じゃ俺は……」


「呪式対策本部への、ライセンス推薦状。私たち西園寺さいおんじの判子付きだけど?」


「お手数おかけします、陽沙お嬢様‼」


 途端に腰を低くして、春夢は一枚の封筒を受け取った。

 自身が欲しくてやまないもの。焦がれ、喉から手が出ても届かぬであろうと思っていた願望への架け橋が、両の手に握り込まれた。


「これで俺たちもようやく」


「怪魔師への第一歩。だけどここからが長いわよ? 私のように護国聖賢ごごくせいけんの後ろ盾が無い分、スタート地点は相当後方」


「それでもやるの?」と、陽沙は今一度、春夢の気概を再確認する。

 先駆者だからこそ、この道の険しさを知っている。

 危険と責任。そして何よりも、あらゆるものを守護するために、自分を二の次にしなければならない、断固とした決意。


「つい一か月前までは、そんな悩みも羨ましい限りだったよ」


 しかし陽沙の心配は、オロチの騒動を乗り越えた春夢たちにとって、もはや野暮の域にあった。


「でも今は違う。一人じゃない」


 春夢は肩にハルピコを乗せながら、陽沙をまっすぐ見据えて。


「もう簡単なことで息切れしたりはしない。お前たちから遅れた分、ハルピコと走って行くさ」


 決意した春夢に、陰りは無かった。

 この一か月――危険を潜り抜けて得た彼らの成長を知ってこそ、陽沙もまた素直に受け止められた。 


「おめでとう二人共。なら、私も追い抜かれないようにしないとね」


 安心したように陽沙も微笑み、友との歩みを噛み締めた。

 今、目の前に居る一人と一匹の怪魔師に、『心配』ではなく『信頼』を寄せて。




 陽沙と一旦別れ、春夢は道場の居間に腰かける。

 同時に廊下を跨いだ庭先からは、テンポの良く釘を打つ音が届けられた。


「ししょー何やってるんだな? 板で何か作ってるの?」


「気になるか、チビ助。な〜に、ちと面白い案を思いついてな」


 額に汗を溜めながら、善一ぜんいちはハルピコに笑みを返す。

 春夢は尻目に、テレビへ視線を戻した。


『事件から三日経ち、識神園しきがみえん現場は復興の兆しを見せています。しかし依然として敷地内の神霊樹しんれいじゅ警戒態勢は続けられており、呪式対策本部は日を見計らい、これらの封印・処理に当たるとのことです』


 共にニュースを見ていた零香れいかは、春夢へ質問した。


「処理ね〜。ねえ春夢君、神霊樹ってもう今じゃ希少なんだよね? 識神園の保持してた神霊樹も燃やされちゃったわけだし。怪魔を売り出すためなら、テレビに映るこれも必要になるんじゃないの?」


「識神園に残された神霊樹は、言わば人の手が加えられてない自然の物ですから、危険なカオス種が生み出される可能性もあるんですよ。そうでなくても、この神霊樹はオロチのですからね」


 決戦の終わり、オロチは活動を停止した。

 その姿を元の神霊樹へと戻し、テレビ画面の先では日にあてられながら、あたかもその土地に最初から根付いていたかのように呪力の光を宿す。


(今の所、怪魔が産まれる気配も無い。本当にアレで、オロチの惨劇は終わったのか……)


 疑念は、対策本部も感じていたのだろう。

 警戒体制が続けられる大半の理由が、それである。


『また、護国聖賢である北上ほくじょうの跡取り、北上聖燐せいりんさんの事件関与には今でも業界に与えた損傷は大きく、今後北上家が護国聖賢に名を連ねる事ができるのか。日本怪魔師の未来に一石を投じています』


 テレビ画面に映し出される、友の写真。

 それを見た途端に、春夢にむず痒い感覚が走った。


「大丈夫、春夢君?」


 零香は気を遣って訪ねた。

 春夢は迷いを振り払うように。


「俺は、アイツと最後まで付き合うと決めましたから。俺が居なかった分、アイツを支えられなかった時間の分まで。これから先も」


「そっか……。いつか彼女が外に出られたら、また一緒に並び立てるといいね」


「はい! ありがとうございます、零香さん」


 勇気を持って頷いた。

 零香は満足そうに微笑むが。


「でも、やっぱり寂しんだな〜……」


「ハルピコ」


 隣にハルピコがすり寄って、テレビをパチクリと小さな瞳で哀愁に打つ。


「僕、またもう一度、せいりんとゲームしたいんだな〜」


「諦めるなよハルピコ。アイツから預かったゲームは、ちゃんと俺たちで返そう。それまでは大事に扱って、笑顔で迎えてやればいい」


「笑顔で…………なんだな!」


「できたぞ〜二人共‼」


 途端、二人の間に善一が介入。

 なにやら誇らしげに板を掲げて。


「なにその看板。『緒方おがた呪霊じゅれい相談所』?」


「『呪霊、怪魔問題、なんでも相談受け付けております』って、なんですかそれ?」


「うちの道場もちょっとは活気付けようとな。このままでは門下生が増えるどころではない。わしは現状を鑑み、思い付いたのよ。弟子の一人がようやく立派な怪魔師になったのだから、その特技を生かさない手はないと」


「まさかお爺ちゃん……」


「俺にここで、怪魔師の仕事をやらせる気ですか⁉」


「弟子の名は知れ渡る! うちも宣伝になる! まさに一石二鳥‼」


「なんだか楽しそうなんだな! やってみたいんだな‼」


「おお、チビ助はやる気満々じゃのう‼ 良いとも良いとも! それでは早速、町内にチラシを貼ってくるとしよう‼」


「俺まだライセンス持ってないんですけど⁉ そもそも承諾してもいないんですけど⁉ ちょっと! せんせええーーい⁉」


「待ってほしんだな、はるむ~」


 ドタドタと掛けていく、男性陣の足音。

 祖父の勝手な行動にため息をひとつ交え、零香は「まあいっか」と煎餅を齧る。




 善一の思い付きに振り回された疲れを、春夢は風呂に浸かりながら洗い流す。


「結局やることになってしまった。あんな思い付きで大丈夫なんだろうか?」


 心配ながらも心の何処かでは仕方ないという気持ちも有った。

 推薦状を提出すれば、その瞬間から春夢はいっぱしの怪魔師だ。しかしながら春夢自身は何処にも属さない、フリーな立ち位置に居る。

 一流の怪魔師を目指すとするなら、それに準じた働きは絶対に欠かせない。


「まあなんとかなる、か」


 騒がしながらも、平穏な日々。

 先行きは少々不安でも、今は一人ではない。共に戦ってくれる頼もしい相棒が居る。

 それに少なからずの自信も付いた。


「オロチの騒動を乗り越えられたんだ。ちょっとやそっとの苦労、どうってことないはずだ!」


 頭を切り替えるや、春夢は風呂から上がる。

 もうすぐ陽沙が食事を奢るために訪れる。服に着替え、今のうちハルピコに、何処の店へ行きたいかを聴きだそうと動いた手前。


「ぬお~、このお! このお!」


「あれ?」


 居間から熱中している声に、ゲームでもやり込んでいるのだろうか? そう戸を引いた先に――。



「またアイテム奪われたんだな‼」


「あーっはっはっは! ハルピーってば、単純」



 ぱたん。

 戸を一旦閉め切り、春夢は眉間を抑えた。


「あれ、おかしいな? なんだか今、拘留中であるはずの囚人の姿を見た気がする。いや、そんな奴が、俺の家に居るわけ」


 そう言って戸を隙間だけ開けてみて。



「んじゃ次、ホラーやってみる~?」


「怖いのは苦手なんだな!」


「ありゃ、そうだったの。んじゃ今度は、マ〇オあたりでも」



「やっぱり幻覚じゃなかったァァアアアア‼」


 戸を思いっ切り開け放ち、春夢は聖燐へ抗議した。


「何やってんだ聖燐⁉ お前、いつ上がり込んだ⁉」


「こんばんち春夢。お世話なってま~す」


「迎いいれた覚えねえよ⁉ なんでそんな何食わぬ顔でここに居合わせてんだ⁉ 逮捕されたはずだろ、お前‼」


「ん~それがさ~」


 金髪を掻きながら、聖燐は舌を出して。


「刑務所があ~んまりにも退屈だったもので。脱走してきました」


「嘘だろ、お前‼」


「アタシが悪いんじゃありません。アタシに合わせたセキュリティを取ってなかったアイツらが悪いのです」


「責任転嫁してんじゃねえ‼ とんでもないことやりやがって‼ 逃亡犯にまで成り下がってどうすんだ⁉」


「融通聞かないな~。安心しなよ。時間になったらちゃんと刑務所の自室に戻るつもりだからさ」


「そういう問題じゃねえ! こんなことやってたら、世間に迎い入れられる日が遠のいちまうだろうが⁉」


 肩を「ぜえぜえ」と上下させて、春夢は眩暈に襲われる。

 流石に聖燐も罪悪感で、口をへの字に作る。


「まあ、そう言われたら確かにね~。アタシとしてはいつでも会いに来れる自信は有るけど、胸張って立ち並ぶにはちゃんと贖罪しょくざいは果たさなくちゃね」


 しんみりとする聖燐。


 この時ばかりは、ちゃんと春夢の気持ちを汲み取ったのだろう。


 ただ静かに、コントローラーを置き。



「よ~しここからが本番だ‼ 本気出すぞ~!」


「今の話の流れぶった切ってゲームに向き直るな⁉ っていうか、どうして上着脱いでんのお前⁉」


「ヒートアップしてきた! この囚人服じゃあ操作しづらい」


「ふふふふふざけんな‼」


 あられもない、聖燐の下着姿。

 お風呂に入ったばかりなのに、興奮と怒りの汗が吹き荒れる春夢に、外からチャイムが鳴り響いた。


「まさか警察の人! なら一刻でも速く‼」


 ドタドタと廊下を駆け、痴女を引き渡そうとドアに急行。


「春夢、居るの?」


 とした手前、思考を百八十度反転し、春夢は開けられかけたドアノブの侵攻を阻止する。


「陽沙! どどどどどうしたこんな時間に?」


「夕食奢る約束してたでしょ? 春夢こそどうしたの? 妙に動揺して」


「そ、そんなことは無いぞ? ただその……」


 この状況を陽沙に見られればどうなるだろう?

 そう考えただけで、心拍数が跳ね上がっていく春夢。


「春夢。できれば中に入りたいんだけど?」


「ちょ、ちょっと待っててくれ! 中散らかってて、片づけて来るから!」


「なら、速く準備済ませなさい。ハルピコもお腹空かせて」



「げえ⁉ やばいパトカーの音が近づいてる! 春夢、それじゃあアタシ帰るわね!」



「え? ちょっと待て聖燐!」


 春夢を押し退け、聖燐はドアから外へ。

 そこでばったりと陽沙と出くわした。

 


 下着姿で。



「聖……燐⁉」


「ああ陽沙、こんばんち! 話したいこといろいろ有ると思うけど、今日は勘弁してね。それじゃあ‼」


『逃亡犯を発見! 至急、応援を‼ 北条聖燐、停まりなさい‼』


 慌ただしく家々の屋根を飛び越える聖燐。追跡していくパトカー。

 嵐は過ぎ…………。

 残るは静かなる怒りの火種。


「ねえ春夢。どうして聖燐が、それも下着姿で部屋に居たの……?」


「ひい⁉」


 お札に炎を灯す陽沙が、ジリジリとにじり寄る。


「誤解! 俺は別にやましいことは⁉」


「はるむ~お腹空いた。何か食べたいんだな~」


「ハルピコ⁉ お前この状況でよくそんな呑気な‼」


「あ、ひさなんだな。今ね~せいりんが遊びに来てたんだな。また遊びに来てくれるって言ってくれたんだな!」


? に?」


「うん。『はるむとのかげきな遊びは、また今度だね!』とも言ってた。ところでってなんなんだな?」


「ハルピコ、余計なこと言うな⁉ 違うぞ‼ 過激って言うのはゲーム的な意味で‼」


「へ~『過激』。過激、ね~……」


 陽沙の脳内に、春夢の弁明など入っておらず。



 そして春夢は、ハルピコを抱えて逃走した。



「なんで走るんだな? もしかして追いかけっこ?」


「誰のせいだと思ってるんだよ⁉ 本当にお前はもう‼」


「あ! はるむ、できれば今日はハンバーガー屋さんに行きたいんだな‼ 黒面セイバーのおもちゃが貰えるんだな~」


「この状況を少しは察しろ、このお騒がせ使い魔がああああ~~ッ‼」


 悲痛な遠吠えは、夜空の虚空へとどこまで透き通っていき。


「逃がさないわよ、春夢‼ その邪欲じゃよくに満ちた精神、直々に叩きなおしてあげるわ‼」


 そして飛び交う火球と悲鳴が、静かに街に飛び交った。







                              彼らは歩む。

               一人は友と並びたてる立派な怪魔師を目指し、

          一匹は特撮ヒーローのような、かっこいい存在を夢見て。

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僕はハルピコ~俺のお騒がせ使い魔~ ホオジロ ケン @oosiro28

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