第44話 友の手

 オロチがのっそりと、聖燐せいりんに面を下ろした。


「本当なの? 浩司こうじの、言ってた、こと」


 人の言葉を話せるはずはない。

 しかしオロチの瞳を除けば、なんとなくだが、聖燐には感情を感じ取ることができた。


『全てを、思うがままに滅ぼしたい』


 瞳はそう訴えている。

 契約前、その敵意は人間にだけ向けられていたと思っていた。

 現実は、茶地なものではなかった。


「やめてよ。アタシの気持ちが分かるなら、もうここまでに!」


『シャアアアアッ‼』


 威嚇で拒絶された。

 同時にオロチは、大口を開ける。聖燐を取り込むために。


華火はなび! 『手まりのごく』‼」


 九つの火球が、オロチの背を捕らえた。

 背後に備えた頭たちは、揃って反撃に出るが、彼らの標準は突風によって散り散りにばらける。


「聖燐から遠ざける! 私に付いてきて‼」


「はい!」


 自分たちの使い魔の機動力を活かし、陽沙ひさ誠一郎せいいちろうは共闘。

 オロチは一時、二人に釘付けになって聖燐から距離を離す。


「聖燐!」


「大丈夫なんだな……?」


春夢はるむ。ハルピー。どうして来ちゃったのよ」


 手を差し伸べて来る春夢に、聖燐は俯くだけ。


「もういがみ合う理由も無くなっただろう? 立てられるか。オロチから離れよう」


「やめてよ。今更そうやって、側に寄るの。遅いのよ、何もかも」


 春夢は硬直した。

 本人は分かっていた。その皮肉が、『今』では無く『過去』から起因するものであると。


「一度はアタシらの前から去って。春夢は変わらないでいてくれるって。いつものような関係が、明日も続いてくれるって、信じていたのにさ。滅茶苦茶だよ。アタシの描く未来は何もかも」


 本気で信じて疑わなかった。

 怪魔師かいましとしての才能と自信。周囲からの期待と信頼。

 応えようとしていくうちに、成功を重ねていくうちに、聖燐は自分ならなんでもできると、疑わなかった。


 それなのに、たった一つの失敗が、栄光に水を差してくる。


「アンタが、アンタがあの時、去っていなければさ!」


「俺が居たら、お前がこんな道を歩まなくて済んだのか?」


 聖燐は途端に、言葉を詰まらせる。


護国聖賢ごこくせいけんの名を受け継いでいくお前たちの輪に、確かに俺は居なかった。一緒に歩いていくのが怖かったんだ。お前たちと居ると、俺も周囲から同じ物差しで測られてしまう。そして影で笑われるんだな、と」


「そんなの、いくらでもアタシが!」


「お前は! そうやって結局、自分一人で決めつけていく! 俺は相談に乗ってくれるだけで良かったんだ‼ 俺が愚痴をこぼして、お前がそれを笑い飛ばしてくれれば、俺も呆れて相槌を打てた‼ あんなことを望んだわけじゃない‼ いい加減、周りの気持ちも考えやがれこの馬鹿!」


「そ、そこまで言う⁉ この、この……!」


 言い返そうにも、言われた破壊力の方が断然強力で、聖燐の口は往復を繰り返すばかり。

 そうこうしているうちに、春夢からもう一度手を差し伸べられる。


「まずは、助け合いからだ。もう孤高を貫くワンマンショーは止めろ。お前もこれからは、俺たちの手を取って立って行け」


「アタシを、こんなアタシを、受け入れてくれるって言うの?」


「今回で分かった。俺たちは何処まで行っても腐れ縁だ。お前が広げた人脈だぞ?」


「僕たちは友達なんだな! 納豆のネバネバよりも、ずっとしつこいんだな‼︎」


「何その例え」


 ハルピコの例えに、場違いにも聖燐の表情が緩んだ。

 しかしそれもすぐさま、頬の筋肉は、事態の重さに硬直。


「でも、対策法は有るの? 言っとくけどアタシ、こんなんだから何の役にも立ちそうにないわよ?」


識神園しきがみえんの中で、俺たちに見せた勾玉が有ったよな? 今すぐ貸してくれ。そうすればなんとかなるかもしれない!」


「アレに、そんな力が? でも、アタシやオロチの呪力じゅりょくでは何一つ反応しなかった代物よ?」


「オロチのための呪具じゅぐじゃない。アレが……アレこそが、オロチを打倒するのに使われた呪具なんだ。お前を騙していた部下が吐露した。間違いないらしい!」


「っ! じゃ、じゃあこれを使えば‼」


「きゃああ⁉」


 二人の間に、悲鳴が割り込んだ。

 伴って、宙から落ちた陽沙が地へ強打し、華火はオロチに胴体を噛み付かれ、粒子となって砕かれてしまう。


「春夢! ひさが危ないんだな‼」


「くそ! オロチがどんどん狂暴になってきてる⁉」


「時間が無い、春夢これを‼」


 硬直していく身体を動かし、聖燐は胸元からそれを取り出した。


『二人共、速くその場から離れろ‼』


 空中に徘徊する邪蝙蝠じゃこうもりから告げられるや、爆炎が邪蝙蝠を飲み込む。

 オロチが反転して、こちらに急接近していた。


「来たんだな!」


「春夢‼」


 服の裾を掴まれ、引き寄せられる春夢。

 そこで手のひらに、受け取った物の感触が広がり。


「アンタに託す。ちゃんとやってよね? そうしないとアタシの立つ背、本当に無くなっちゃうんだから……」


 気丈な聖燐にしては、ひ弱な表情を作っていた。

 春夢が勾玉を受け取ったのを確認するや、聖燐は力いっぱいハルピコの居る胸元を押し退け――。


 聖燐は丸ごと、飛び付いてきたオロチに飲み込まれた。


『聖燐(せいり~ん)⁉』




 オロチは感情を昂らせた。

 ついに自身を縛る枷さえ脱却した。

 身体に取り込んだ術者の適正は相当なもので、自分がこれから現出し続けるには充分な呪力供給源として機能する。

 もはや主の命令無しでこの世に現出できない使い魔とは違う。


 オロチは今、怪魔師の施した使い魔という枠組みから、自ら抜け出した。


「モノケロ! 風遁ふうとん、ぐああ‼」


 迫っていた敵を尾で打ち払い、今度は結界の外へ脱出を試みようとする。

 怪魔師共は、外から迫る怪魔を防ぐの結界を構築するのに手一杯。内側から崩す分には、数秒もかからないだろう。


「せいりんを、返すんだな」


 しかし背後の小さなオロチたちは、それぞれせわしなく視線をきょどらせた。


「せいりんを、返すんだなアアアア~~ッ‼」


 呪力の突風とも言うべき自然ではありえない衝撃が、オロチの全身を波打った。

 対峙するは、怒りで鎧を震わせるハルピコ。


 怪魔同士の因縁に、決着の時が近づいた。

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