第43話 隠匿された歴史

 毒の霧が場内を満たす。

 巻き込まれないようにと、怪魔かいまは直感的に退避し、同時に怪魔師かいましらも引けていく。

 この場で対峙することが許されたのは、春夢はるむとハルピコ。そしてオロチと聖燐せいりんだけであった。


「あは! 楽しくなってきたね〜春夢!」


「聖燐! 今すぐ術を解け‼ お前だって苦しんだろ⁉」


 聖燐の上空から振り下ろされる踵に、腕をクロスさせて受け止める。

 彼女が毒に蝕まれている様子は無い。

 しかし、その顔には決して無視できない冷や汗と、痩せ我慢に張り付かせた笑顔があった。


「オロチの呪力じゅりょくは、確かに人の手に余るかもね! だけど‼」


 春夢の反撃に出た拳を靴底で受け止め、飛び退る。


 瞬間、春夢を正面から炎の荒波が攫いに来る。


「うわ〜熱い! 熱いんだな、はるむ〜⁉」


「呪力で吹き飛ばすぞ! 一瞬だけでいい!」


 ハルピコの鎧全身から衝撃の風が、一時的に炎を跳ね除ける。

 また熱の暴力が遅い来る前に、オロチの射程距離から脱出を試みるが。


「ダ〜メ! 逃がさないよ‼」


 背中を聖燐に蹴られ、態勢を崩す形で春夢に突き倒された。

 その上で、聖燐が足で押さえ付けてくる。


「離せ聖燐⁉ このままじゃ、お前もオロチに焼かれるぞ⁉」


「アタシは多少、大丈夫だよ! オロチの呪力が守ってくれるからね。荒っぽい決着だけど、最大出力で行かせてもらうよ‼」


 春夢と聖燐の影を、オロチの影が塗り潰す。

 そして八つもの口が開かれ、脅威は迫った。


(万事、休すか⁉︎)


 希望が途絶えかけた、その時。



 一陣の風が、彼らの体を撫でた。



「ん? これはっとっと⁉」


 吹き抜けた風はやがて暴風となり、聖燐が立っていられないほどに強く。

 そして同時に、周囲の毒の霧を押し退けていく。


「この術は。まさか⁉」


 自分が受けたからこそ分かる。春夢にとっても、何度も立ちはだかった苦難だ。

 それが今、追い風となった。



「モノケロ! 風遁玉ふうとんだま‼」



『ヒヒ〜ン‼』



 蹄が大地に踏ん張りを聞かせる音が高鳴り。


 風力を集中させた塊が、オロチ目掛けて放たれた。


『ギシャアア!』


 尻尾で風の塊を弾くが、肝心の春夢たちは陽沙ひさによって救われていた。


「陽沙! 周囲の怪魔は⁉」


「オロチが毒をまき散らしたお陰で、外に追いやれたわ! 結界を張って持ちこたえてるけど、他の怪魔師たちもギリギリね!」


「そうか。それからあの子なんだけど」


 春夢は、駆けつけてきた男の子――まだ中学生にも満たない齢で、一角を備えた馬形の使い魔を操る誠一郎せいいちろうへ視線を移す。


「あの、大丈夫、ですか?」


 おかっぱ髪で中性的な顔立ちが、申し訳なさそうな面持ちで訪ねくる。

 お互い従兄弟に当たる関係だが、その仲は自分の父のお陰で芳しくない。

 そう思っていた誠一郎であったが、春夢はわだかまりを感じさせずに謝辞を述べる。


「ありがとう。まさか君が駆けつけてくれるなんて」


「助かったんだな!」


 そして春夢は周囲をキョロキョロ伺い、眉をひそめた。


「お父さんは一緒じゃないのか? 満貞みちさだおじさんは?」


「父は、ここには居ません。僕が独断で、病院から抜け出して来たものだから」


「病院からって。大丈夫なのか? それってまだ療養中だってことだろ?」


「僕は、自分で決めて来たんです! 父は、尊厳がどうだの、立場がどうだのと難しいことばかり押し付けてきますけど! 僕は、テレビでこの事態を見て、居ても立っても居られなかったんです! 怪魔師ってのは、困っている人や怪魔を、助けるために居る者でしょう⁉」


 誠一郎の心からの訴え。

 通ずるものが有ったからこそ、春夢や陽沙は納得するのに間を開けなかった。


「君がお父さんのような頑固さを受け継がなくて、助かったよ」


「ええ。護国聖賢ごこくせいけんなんて肩書はもはや粗末なこと。今、この瞬間を立ち直せるのなら。友を救うためならば。私は一介の怪魔師として、この場を収めるわ!」


 自分の言葉を受け入れて貰えた。この場に限り、歳や因縁など関係無い。

 本来の怪魔師がどういう存在か――肌で感じ、誠一郎の瞳に活力が宿る。


「僕も、やります! 怪魔師として‼」


 ハルピコもまた同調する。


「はるむ! あのムワムワした空気が晴れたら元気になったんだな! 今なら頑張れる!」


「予断はできない。速めに決着を付けたいけど」


 こちらの雲行きが傾いてきた手前、聖燐の方が怪しくなっていることに訝しむ。

 四つん這いになり、未だ立ち上がれずにいる聖燐に、嫌な雰囲気を掴んだ。




(アレ。おかしいな……)


 少しだけ朦朧とした意識を振り払い、再起させようとするが。


(身体が、重い!)


 聖燐は自分の調子に、別個の違和感を抱きつつあった。

 単に体力の消耗とは違う。


(まさか、オロチの呪力が身体に馴染めなかった? いや、そんなはずは……。だって仰木おおぎのおじさんは、ちゃんとアタシなら使いこなせるって)


 汗を拭おうと、片手で頬を摩ると。

 ジャラ……と、固い岩肌を撫でる感覚が伝わった。


「え?」


 そこで聖燐は気づいた。

 自分の頬。そして腕の皮膚に、が張り付いていたのに。


「うろ、こ……?」


 まるで蛇のような鱗が、直接生えていた。

 少女の肌が、別のものへと変化を遂げていた。


「どう、して」


『聖燐! 今すぐオロチとの契約を解除しろ‼』


 頭上から焦りを募らせた、浩司こうじの声。

 一間遅れて、聖燐は目前に着地する彼の使い魔――邪蝙蝠じゃこうもりに焦点を合わせる。


『君は仰木に騙されている‼ オロチの呪力に取り憑かれた者は、「人」ではなく、ただの「呪力供給源としてのサイクル」に成り果てる‼ !』


「アタシが、この子に?」


 言っている意味が分からない。

 だってアタシたちはちゃんと、良好な関係を築けていたのに――そう率直なことを想うのと裏腹に、現実は聖燐の純情さを踏みにじる。


 オロチが奇声を上げた。


 主の命令を無視して、己の呪力を高めていく。

 伴い、聖燐の身の異変は進行を速めていく。


「利用。利用、ね」


 聖燐に乾いた笑いが漏れた。


「これも、巡り巡っての、アタシの業。自分が知らずに消費していった、使い魔の子たちへの、罪。でもそれなら、納得はできる。アタシの存在価値を吸って、この子が強く慣れるのなら‼」


『いいや、君は間違っている! そのだからだ‼』


 聖燐は眉をひそめた。


「今更、何言ってるの? 大昔の人間が邪魔だと、怪魔を殺していったから、オロチは生まれた。それを今更、人の業など、アンタにしては遅い理解ね?」


『そうじゃない! 仰木は、君に正しい歴史を教えていない! オロチが生まれた発端。それはではない! のだ! 当時、巨大な大国を屠るために‼』


「…………は?」


 頭が空白になった。

 聖燐の喉元が震える。


『当時の人々は自ら禁忌に触れた! 自身の私利私欲のために、自ら神霊樹しんれいじゅをオロチへと変貌させて‼ オロチになったのは神霊樹自身の意思ではなく、人間の意思なのだ! 邪悪な人の欲求に、今のオロチは成り立っている‼ 君が怪魔のためと振るっていた力は、ある意味君が一番嫌っている、そのものだ‼』


「ちょっと待ってよ……それじゃあアタシ」


 オロチの存在を信じて、ここまでやってきた。


 怪魔を虐げてきた人間たちへ、正しく振るえる制裁だと。


 しかし実際は。


「これは、間違った人間の力そのもの。人間が、神霊樹を悪用して生み出された力」


 頭から血の気が引いた。


「アタシは、そんな力で社会を変えようとしたの?」


 もはや絶叫を打つほどの体力も無く。


 固まっていく身体とは裏腹に、聖燐の精神は崩れ落ちていった。




 邪蝙蝠の佇む場所に、尾が振り下ろされた。

 間一髪、邪蝙蝠は飛び立ち、春夢の元へと向かう。


「浩司! 今の話、本当なのか⁉」


『ああ! 仰木という男、聖燐を騙すために真実を隠していた。あんな話、最初から知っていれば彼女が力を貸すはずが無いからな』


「だったら速く契約を解除させないと! このままじゃ聖燐は‼」


 陽沙の訴えに、スピーカーの向こうで浩司は首を振る。


『もう手遅れだ。聖燐はオロチによって支配されている。として』


「人に遣えるはずの怪魔が、逆に人を使役している……⁉」


 青ざめて誠一郎は、ふと漏らす。

 それに春夢も陽沙も、改めてオロチの異常性を感じ取った。


「せいりん……」


 ハルピコはただただ聖燐だけを見つめていた。

 みなぎるような活力が、今の聖燐から奪われていく。その光景が、小さい瞳に残酷なものとして受け止められた。


『活路が有るとすれば、ハルピコ君だけだ。今ならば理解できる。何故、神霊樹がオロチに成り代わる前に、ハルピコ君を世に残したのか』


「神霊樹が最後に残した、『希望』だから」


「だったら僕、せいりんを救いたいんだな!」


 間を開けずに、ハルピコは応える。

 春夢もまた同様に。


「聖燐の精神が保っているうちに決着を打つ! 手遅れかどうかは、やってみなきゃ分からない! そうだろ陽沙」


「分かってる。けれどやるにしても、去勢だけじゃ持たないわよ。せめてオロチの弱点を見つけない限り」


『だからこそ、信じなくてはならない』


 浩司は話す。

 歴史の裏に隠された、僅かな希望の糸口を。

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