第36話 変わらないもの

 春夢はるむが、友人たちに背を向けるきっかけはいくらでもあった。

 自分は彼らとは違う――その思いばかりを募らせて、そして終いには両親と共々、本家からの破門。

 その結果、父は母の元から去り、何処へなりとも消えていった。

 母と二人での変わりきった生活環境は、どうしたって友人たちと会う機会を削いでいった。

 もはや自分は護国聖賢ごこくせいけんではない、と。


「アイツ。護国聖賢の癖に、使い魔の一匹も従えてないんだってよ」


「だっせ~。うちの父ちゃんは二匹も従えてるのに」


 同年代の子から、そんな野次が飛んでくる体たらく。

 春夢が友人との距離を離すには、そういった目から逃れるためでもあったが……。

 決定的となった事件が有った。

 当時、九才だった春夢が、いつも遊んでいる桜見ヶ丘公園おうみがおかこうえんを訪れた日の事。


 夕焼け色の空の下、数人の子供が呻きながら寝転んでいた。


「なに、やってるの?」


 漠然と、春夢は問う。

 現状の、忽然とした状況の中心人物へと。


聖燐せいりん。お前、何やってるんだよ……⁉︎」


「ああ、春夢じゃん」


 聖燐はにっこり笑うと、自分が痛めつけていたであろう、年上の子供を砂場へと放った。


「こいつらがね、春夢のこと馬鹿にしてたんだ~」


「え?」


 手を払いながら、聖燐は近づいてくる。

 春夢はまだ呆気に縛られながらも、おずおず口を開いた。


「そ、それで、一体どうしてこんなことに」


「やだな~。友達が馬鹿にされて、黙っていられるわけないでしょ? だから懲らしめたの。二度と春夢のことを馬鹿にしないように」


「だ、だからって、何もここまでしなくたって!」


「それだけのことを、こいつらはしたんだよ」


 そこからは真顔だった。

 一切の笑顔も、そして自分がやり過ぎたという曇りも無い。

 子供ながらに春夢は、罪悪感の感じていない聖燐の視線に――友達に初めて恐怖する。


「ねえ春夢。ここで見たことは、みんなには黙っておいてよ。アタシらだけの秘密。良いことにしろ悪いことにしろ、アタシが力を振るうのをパパたちは許してくれないからさ~」


「でも、さすがにこれは」


「春夢……なんでこいつらの肩を持っちゃうのかな?」


 ずいっと、聖燐は春夢へ顔を近づける。

 至近距離に広がる、聖燐の瞳。

 いつも通りの澄み切った青のはずなのに。今だけは何故か、どこまでも光の届かない黒だと、春夢には感じられた。


「アタシ、褒められるべきことをしてるよね? 春夢だって嫌だったでしょう? だったらこんな奴らじゃなくてさ、アタシを見てよ。アタシ、ちゃんと正しいことしてるよね?」


 唾を飲み込み、春夢は、頷くことしかできなかった。

 目の前の彼女を、友人ではなく、自然と萎縮する対象として従っていた。

 そんなことなどつゆ知らず、聖燐は普段の笑顔を作る。


「そう言えば春夢は、ごこくなんたらってのを継げなくなったんだっけ? もう家も引っ越すんだ?」


「うん……。母さんと共に行かなくちゃいけない。だから」


「そっか。ちょっとだけ寂しくもなるけど、春夢はずっと友達だから。だからさ」


 張り付いた笑顔のマスク。

 その瞳の奥は、また黒く染め上がり。



「春夢も“変わらないでいてよ”。アタシが代わりに、春夢の居場所を守っておいてあげる。だから大人になっても、友人でいてほしいんだ。春夢?」



 聖燐は自身の願望を押し付けた。

 その時からだった。友人たちと。特に聖燐に対しての溝が遠くに感じられたのは。

 居てくれる相手の方が、まるで遠ざかっていく。

 そんな矛盾した思考に囚われて……。



 風がよく吹くビルの屋上で、二人の人間が桜見町おうみちょうを見下ろしていた。


「変わっていく世の中の都合。そしてそれに、否応なしに順応しなきゃいけない生命たち。この問題ってどっちに正義が有ると思う?」


 病院に置かれてあった見舞い用のリンゴを、手のひらで弄ぶ聖燐。

 その質問に、仰木おおぎは唸る。


「ボス。結局のところ、その定義は人間側が定めた物差しだ。自然界で言えば正しいも間違いも無い。が『答え』だ。それ以上、この自然は我々に問い掛けてくれはしない」


「もっと分かりやすい返答をしてよ。アタシら人間なんだからさ。人の物差しを利用するのは、至極当然でしょう? 仰木おじさん」


「その人間の都合とやらが、今の怪魔師を、延いては使い魔たちを苦しめている。これが真実だよ」


「だけどね」。仰木はそう綴り、聖燐を心の底から後押しする。


「君のように有能な人間が、使い魔たちに救いの手を差し伸べる。これもまた事実。いや……君のように人々の先導者たる存在が正しいと思った事柄ならば、それは何よりも人の『総意』に他ならない! そういう意味であるなら、私たちは“正しい”位置に居るはずだ」


 聖燐の導きが、ゆくゆくは人と使い魔を良い方向へと導く。

 仰木も、そして聖燐自身も信じて疑わない。


「そうだね~それを聞いて安心したよ」


 立ち上がり、聖燐はリンゴを齧る。

 そして、地面に数度足を打ち付けて、オロチを背後に呼び出した。


「んじゃ、もう頃合いだね。ラスボスを討伐しに出かけますか」


「野暮なことだろうけど、勝算はありそうかい?」


「そんなの一々、考えるわけないじゃん。アタシの邪魔をする奴は、とにかく薙ぎ払う」


「それが例え、友人でも?」


「…………アイツらなら、いつか分かってくれるよ。アタシの考えを」


 八匹のオロチの重なり合う声。

 それは街中に響き渡り、号令の駆け足となる。

 全ては、聖燐の思うままに。


「あんな物が有るから、君たちの意思が無視される」


 目指すは、自身が破壊すべき対象の眠る土地。


「紛い物の神霊樹しんれいじゅなんて、アタシの目指す世界に不必要。一片たりとも、ね」


 破邪術師団はじゃじゅつしだんの、最後の凶行が幕を開ける。

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