第24話 破滅への狼煙

 住宅街の地から仲間外れにされたように、海を埋め立てて造られた土地の上で、その研究所は存在していた。

 かつての怪魔かいまたちの、生みの親が眠る施設。神霊樹しんれいじゅを目的とした、『桜見原研究所おうみげんけんきゅうしせつ』である。


「施設内の第二・第三エリア、異常ありません。内部研究所も同じく」


南部なんぶ怪魔師かいましと連携して、絶えず気を配っていけ。住宅街から引き離されたこの土地だ。忍び込むには相当なリスクを要する。こっちが虚を突ければ一瞬で終わるはずだ」


「了解です」


 報告を終えた部下が外に出ていくや、警部長は隣に視線を預けた。


「それでなのだが、南部家の跡取り君。北条ほくじょうのお嬢さんは、まだお見えになっていられないが、何かあったのですかな?」


「それは僕も、心配しているところですね」


 研究所入り口にある、中央ロビー。

 警部長が眉をひそめる先では、受付卓上にノートパソコンを広げ、浩司こうじが画面内のスペクトログラムを注視していた。


「全く心配してそうには、見えんがね」


「僕が心配しているのは、アイツが居ない間に敵が攻めてこないか、ってところです。トラブルを抱えていたなら、自分だけで解決できますし、遅刻なんてのは普段通りですよ。彼女の自由奔放っぷりは、一般の物差しで測ろうとするほうが、不合理というものです」


「そうなれは、我々は実質君ら南部家を頼りにしなければならない、ということかな? 全く……ここにあと西園寺さいおんじが居れば、私も少しは肩の荷がほぐれるのだが」


「構成員であった権堂ごんどう大樹だいきの証言によれば、狙われているのはここだけではありません。まあ、一方はこちらを陽動するための虚言でしょうが、念のためです」


 ダイゴの口から語られた計画では、破邪術師団はじゃじゅつしだんがこれから狙う施設は二つに絞られた。

 陽沙ひさたちに任せたその一方と言うのが怪魔の降魔書が保管されている施設であり、その守るべき対象を天秤にかけ、浩司らはこの研究所を重点的に守ることにしたのだが。


「北条家の趣向は納得できないながらも理解したよ……。ところで君は、一体何をやっているのだね? こんな時に音響の勉強か?」


 浩司のノートパソコンに移るグラフ。それは彼が自作した、音楽の周波数である。

 警部長自身は、スペクトログラムを見たことはあれど、知識や使用法にはからっきしだ。もっぱら、犯人の声帯を割り出すぐらいにしか想像つかない。

 そんな物が、今この現場で持ち出される意義は薄いと感じられたのだが。


「僕の使い魔は、音楽が好きでしてね」


「ん? って、うおわ!」


 警部長は短い悲鳴を上げる。

 自身の頭上を何か大きな影が素通りし、それが目前の受付卓上に着陸したからだ。


 浅黒い体色。飛び出た長い耳。口端には牙が一本ずつ生えていた。

 身体に対して大きな羽を有する使い魔は、鳥でも虫でもない。


「僕の使い魔、『邪蝙蝠じゃこうもり』です。別名、“常闇の楽団”とも呼ばれてますね」


「音波を発し、対象者を狂わせるという使い魔か。しかし小型だな。護国聖賢ごこくせいけんと言うからには、大型の使い魔を想像していたが」


「僕には、大型を使役できるほどの器量が無かったので。ですが心配なく。僕の使い魔は、こういった場で本領を発揮します」


 浩司は、邪蝙蝠に特性の首輪を取り付ける。

 そしてパソコンのエンターキーを押すと、首輪に設置された小型装置から、小さなメロディーが鳴らされた。


「ききい」


 邪蝙蝠は応じるように、両翼を広げる。

 両翼の内側には、総計12匹の小さな邪蝙蝠が、身体を丸めて張り付いていた。

 ブレインである邪蝙蝠の鳴き声に応じ、眷属たちは次々に飛び出していった。


「邪蝙蝠は集団で、互いに連携を取ることのできる使い魔です。空の六方向、そして海に面した周囲に張り巡らせました。侵入者や異常が有れば、すぐにこちらへ合図を送ってきます」


「確かに、これは便利だ。しかし施設面積は結構広いぞ?」


「彼らの会話は音です。小型邪蝙蝠たちの音波範囲は、すっぽりこの施設を覆いつくせます。隙なんてありませんよ」


 使い魔の特性を話し終えるや、ブレインの邪蝙蝠は金切り声を上げた。


「き、きぎい‼」


「どうした⁉」


「向かってくる人影を発見したようです! これは‼」


「ふう~間に合ったー! まだ事件は起きてないようね、浩司?」


 感知してから僅か一分足らず。

 侵入した人影である聖燐せいりんは、天井付近の窓を通って、浩司らの前に着地した。


「き、君‼ 一体何だね、いきなり‼」


「お待ちかねの北条家のお嬢さんですよ。それから聖燐、君は遅刻だ」


「まだ異常は出てないんでしょう? だったらセーフセーフ」


「全く、何て楽観主義者だ」


 ぼさつく金髪を手でとかし、聖燐は設置されたドリンクバーで喉を潤す。

 その間、警部長は無線機を睨みつける。


「関係者が来れば、私の方にも逐一連絡が入るはずだが」


「それなら来るわけないよ。アタシ急いでたから、検問の奴らから隠れて侵入してきたし」


「あの道路からここまで走ってきたのかね⁉」


「警察側も怪魔師側も、まだまだ甘いんじゃない? ここまで誰も、アタシの動きを捕らえられないなんてさ」


 二人は言葉を失った。

 自分達の策に対する自信欠如も相まって、目の前に存在する規格外の存在に反論の余地が無く。


「北条家のお嬢さんが、特別だと信じたい……。まさかここまでとは」


「その気持ちは理解できますが、最悪の想定も必要です。聖燐。もしも相手が、君のような人外の域に達していたなら、君だけが唯一の対抗案だぞ?」


「ちょっとレディーに向かって人外って酷くない⁉ ぶっ飛ばすわよ、浩司!」


 などと、食いかかっていた間際。



 邪蝙蝠が奇声を発し、それに次いで警部長の無線機が鳴り響く。



「一体なんだ⁉」


『襲撃です! 複数のトラックや普通車両が、検問を破り、道路を爆走中‼』


 浩司と聖燐は、すぐさま頭を切り替えた。


「浩司⁉ 急いで外の怪魔師たちに指示を‼」


「分かっている! 第一班から第三班に対処させる‼ 聖燐、君も現場に行ってくれ‼」


「了、解ッ‼」


 聖燐は砲弾のように正面玄関を飛び出し、混乱渦巻く現場へ飛び出す。

 次々に雪崩くる暴走車。

 それを押しとどめようと、北条家、並びに南部家の使い魔たちが、真正面から受け止め対処していた。


「おいお前! 破邪術師団の人間だな⁉ どういうつもりだ、こんなことをして‼」


「ひいっ! し、知りません! わ、私はただドライブしていただけなのに‼」


「なにをたわけたことを‼」


「ちょっとちょっと! 一体全体どうなってるの? 何で一般市民がこんなところに?」


 北条家の怪魔師が、男の襟首を掴んで怒鳴りつけていた場面に遭遇し、聖燐は仲裁に入る。


「聖燐様! この者は車両を飛ばして突っ込んできたのです‼ きっと破邪術師団の先兵ですよ‼」


「ま、待ってください! 私は、違います! 何故かは自分自身でも分かりませんが、いきなり夢現のように意識がふわっとなって! 気が付いたらここまでアクセルを吹かしていて‼」


「貴様、一体何を言って‼」


「その人を離してやって。確かにこれは、何かがおかしい」


 相手の身なりや怯えから、どう見ても敵とは感じられず。

 状況から必死に敵の策を解き明かそうとする聖燐の元に、他の怪魔師が頭を下げた。


「聖燐様! 襲撃してきた者たちを取り押さえてはいますが、変なのです! 男女、年齢も区別なく! 中には子連れの家族も‼ 皆一様、この地にゆかりも目的も無いと!」


「利用されたとみていいね。絶対に中の人たちは傷つけないで! それから浩司‼」


『なんだ?』


 無線先の浩司に、聖燐は提案。


「これから流れてくる車の中に、ひと際強い呪力じゅりょくを持った人間が居たら連絡して! アンタなら、一般市民と怪魔師ぐらい判別できるでしょ?」


『それならちょうどいい。僕の偵察隊がすでに怪しい者を発見している。バイクに乗る長袖の男だ』


「え~っと、どれどれ~」


 街灯の微かな明かりに照らされる道路を睨み。

 聖燐は尋常離れした視力を以て、その相手を発見する。

 向かってくる三つの車両の後方。まるで車を盾に、バイクを走らせる者を。


「アイツか~」


 舌で唇を舐めながら、聖燐は笑う。

 地を跳ねた。

 有に十メートルもの高さと距離を飛び越えていき、向かってくる車両を足場にしながら相手に迫る。



「む!」


 羽嶋はしまはバイクのハンドルから、握力を緩めた。

 咄嗟に顔面を腕で覆うや、そこに尋常ではない衝撃が走り、道路へと投げだされる。


 蹴りを入れられたのだ。


 ドライバーを失ったバイクは勢いのまま転がり、海へと落下。

 その間にバク転を駆使しながら、羽嶋はコンクリートの大地に傷も無く着地した。


「どうも破邪術師団の一員さん。随分、どんちゃん騒ぎやってくれたみたいじゃん」


「その風体、身体裁き。いきなり北条家のお出ましか」


 ロンググローブに、使い魔術式の文様を灯す羽嶋。

 臨戦態勢に応えるように、聖燐も懐から複数の巻物を取り出した。


「へえ~。その構えから察するに、貴方も体張るタイプなんだ~。それじゃあ、今日はこの子にお任せしようかな」


 選んだ一つの巻物を広げ、地面へと落とす。

 描かれた墨汁の文様から、泥上の使い魔が現出した。


「『ゴーレム』か。だが所詮、借り物の神霊樹から産み落とされた模造品。オリジナルには遠く及んでいないようだな」


「確かに、オリジナルのゴーレムちゃんはもっと大きいけどね。この子との連携はばっちりだよ」


 聖燐が指をはじくと、ゴーレムはその形を変えた。


 巨大な大剣へと。


 それを軽々と持ち上げ、聖燐は切っ先を突きつける。


「どっちかって言うと、アタシも身体を張る方が好きでね」


「それは自信か? それとも驕りか?」


「自分で確かめてみたら?」


 先に動いたのは羽嶋だった。

 彼のロンググローブから青い炎が吹き荒れ、聖燐を覆わんと襲い来る。

 それに対し、聖燐は大剣を構えなおし、小さな動作から空間を両断。


 呪力の衝撃波が、青い炎を吹き飛ばす。


「ありゃ?」


 しかし目前にはすでに、羽嶋の姿は無く。


(と、なると)


 気配の違和感を察し、聖燐はすぐさま大剣を背中に回す。

 ガキリッ! 衝撃が伝わり、羽嶋の拳を防御した。


「確かに、これは予想以上だ」


「だったらもっと必死になったら!」


 聖燐が身体全体を反転。

 その動作に振りかぶり、また大剣を通じて視覚できない衝撃が羽嶋を吹き飛ばした。


(順来、怪魔師と言うのは使い魔を操るだけにでは無い。使い魔から呪力の補正を受け、使い方次第では人間側も大きな力を付けることができる!)


 青い炎が両腕に留まり、盾の役割をこなすが。

 続けざまに攻撃してくる聖燐の動きに、羽嶋は防戦一方に陥った。


(この北条家の女はそんな比ではない。俺が長年培ってきた使い魔から受け取る呪力補正と比べても、軽く桁が違う! 受け取る呪力の許容量ゆえに!)


 気づけば、攻防は遥か後方――他の怪魔師たちが居る領域にまで及ぶ。

 衝撃で車両が宙に投げ出され、砕けたガラス片が辺りに降り注ぐ。


「退けえ、皆の者‼ 巻き添えを喰うぞ‼」


「あちゃ~しまった。あっちで食い止めるつもりなのを忘れちゃってた!」


「これでは誰が蛮行者か、分かったものではないな?」


「むっか~。先に喧嘩を吹っ掛けたのはアンタたちなんだから、ちゃんと反省しなさいよ⁉」


 聖燐は高速で急接近。

 羽嶋の胴体を捕えて、茶色の刃を横滑りに振るうが。


 その攻撃に対し、青い炎は牙を剥き出しに受け止める。


「それって使い魔だったの⁉」


「お前のゴーレムのように、姿を変える使い魔は珍しくないだろう?」


 現れる、羽嶋の使い魔。

 羽嶋が呪力で生み出したと思しき青い炎は、不定形の姿を徐々に固定し、やがて獣の表情をあらわにする。


 二匹の狼が、唸り、現出する。


 そこにはちゃんと顔も有り、胴体も有り、爪や牙とてある。

 ただしその身は質量をまるで感じさせない、炎そのもので全てを構成していた。


「この使い魔は、え~と……確か」


「『狛犬こまいぬ』だよ。見るのは初めてのようだな」


 羽嶋の使い魔――狛犬。

 その炎の牙が、泥の刃に突き立てられ、ゴーレムは熱量に耐えられず形を崩していく。

 それを見て、聖燐は咄嗟に羽嶋を蹴りつけ、互いに距離を取った。


「実体のない、幽霊のような使い魔か~。そんな奴、相手したことあんま無いな~」


「こちらも余り、時間を掛けていられなくてね。舐めていたよ。噂は聞いていたが、北条家はまるで別格のようだ」


「それはどうも!」


 聖燐はゴーレムを消失させ、巻物に戻す。

 そして次なる巻物を広げて、使い魔を呼び出そうとした。


(使い魔の複数持ちとはな)


 使役できる使い魔の数は、基本的に一人に一体だ。

 例外として同じ種同士の使い魔に限り、複数の個体を使役できるが、珍しいことに変わりは無い。

 別個体の使い魔を状況に応じて使い分け、そのスペックをフルに扱えることこそ、逸材と言われる聖燐の由縁であった。


(彼女の使い魔、一体一体に対処法を編み出さなければいけないとは。流石に面倒だな)


『お困りのようだな、羽嶋』


「誰? 何者!」


仰木おおぎか」


 カラスが一羽、空を舞い。

 伴って、聖燐たちを包み込むように、白い霧がカラスの影から巻き上がる。聖燐と羽嶋を隔てるように。


『お前は予定の物を奪取しろ。北条家は私が相手取る』


「お前の使い魔では太刀打ちできんぞ? 一体何を根拠に」


『先に告げていただろう? 今日は“ボス”も付いてると』


 言うや羽嶋の目前、白い煙に何者かの影が上空から降り立った。

 フードを被り、羽嶋に背を向けるその背は、予想よりも小柄だ。


「貴方が」


「羽嶋よ」


 声は何層にもくぐもり、男か女か判別できず。

 姿を見せないボスは、左手を横にかざす。


「目的の為の狼煙はここにある。お前が持ってくることができたなら、我ら破邪術師団の前に誰も抗えはしない。探し出してこい! そして私の元へ持ち帰るのだ!」


 水平に翳した左腕の影に、異様な文様が浮き出ていた。

 そこから巨大なが、煙の中から顔を出す。


「これは⁉」


「呼び出しには応じたが、“完全”ではない。急げよ? こいつはいろいろと粗暴が目立つ。敵味方区別なく、な」


 ボスの忠告から数秒足らず。


 “それ”は煙の中から、羽嶋を一直線に牙を剥いた。


 巨大な顔。それだけで有に三メートルはあるだろう。

 羽嶋は寸でのところで回避するや、細長い蛇の胴体は横切り、後方に居た怪魔師や警官たちを襲い始める。


「な、何だこの化け物は⁉」


「今すぐ応援を! うわああああああ‼」


「理解した。今すぐに目的を果たしてこよう」


 怪物が車両や人々を投げ出す混乱地帯を掻い潜り、羽嶋は研究所に乗り込む。

 それを見送り、ボスも自身の敵と対面した。

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