第5話 途絶えた者と導く者

 桜見町おうみちょう、とある一つの道場施設。


緒方流おがたりゅう霊犀空手道れいさいからてどう』。


 そこは空手を軸に、緒方流が独自に培ってきた気功法きこうほうを複合させた、独自の空手を知らしめる場所である。

 その道場の一窒、休憩室の畳間で、春夢は正座させられていた。

 その顔は心底、申し訳なさそうに。


「っと、言うわけなんですけど」


「へ~。うちの倉庫に眠ってあった降魔書こうましょを、勝手に持ち出した挙句、解き放ったんだ~春夢はるむ君」


「はい」


 春夢は視線を背けた。

 春夢を見下ろし威圧してくる、19歳の女性――道場の一人娘である零香れいかは、栗色のボブカットに揃えたロングヘアーを揺らし、言及。


「も~信じらんない‼ 使い魔を呼び出すならまだしも、巻物が復元できなくなったって、どういうこと⁉ それって器物損壊に他ならないよね⁉」


「反論の余地もございません! この通り‼」

 

 春夢の土下座にため息を交え、零香は一度冷静になった。


「私も、うちに降魔書が有ったなんて初耳だったんだよ? 私が心配してるのは、もしもそれが君に手に負えない怪魔かいまだったらって話。術者の器量に合わない怪魔を使い魔にすれば、時に術者にすら簡単に牙を剥く。この意味を分かってて、君は実行したんだよね?」


「はい……」


 零香は心底、呆れた顔をする。

 若気の至りというやつか。春夢の焦る気持ちも理解してもいるが、今回の行動は軽率すぎただろう。


(大事に至らなかったのが、せめてか……)


 説教に一区切り打ち、彼女は「それで」と本題を切り出す。


「アレが、春夢君の出した使い魔なの?」


 その顔は、今までの叱り顔から打って変わり、奇異の表情。


「ねえねえ。何でここだけ、毛が一本立ってるの~? どうしてどうして?」


 春夢が出したという使い魔は、現在、道場の主であり、零香の祖父である老人の肩に乗りかかっていた。

 老人の頭にそびえる、一本の髪の毛を、手ではたきながら。


「やめなさいハルピコ。それは、先生が繊細込めて世話している唯一の救いなんだぞ⁉」


「言葉を話す使い魔なんて、初めて見た。ていうか本当にその子、怪魔かいまなの?」


 老人から引き離され、春夢に抱えられるハルピコを、零香はまじまじ見やる。

 猫を目したぬいぐるみのような、愛嬌ある顔と容姿。

 どこかの子供が考えそうなマスコット絵が、現実に飛び出して来たみたいであった。


「どこぞの動物って見た目でもないし……。でも、こんな使い魔を封印していた巻物って、一体どんなものだったの?」


「一般的な物とは違う、白い巻物でした。蔵の隅で埃被ってて」


「え? 降魔書をそんな雑に保管してあったの?」


 春夢は頷く。

 すると、ハルピコから腹の虫が鳴った。


「僕、小腹が空いたんだな~。はるむ~何か食べさせて~」


「え? この子、食事もするの?」


「そうなんですよ。一般の怪魔も使い魔も、何かを食べたりしないんですけど」


 怪魔とは、一般的な生物とはあらゆる点で一線を画す存在である。

 身体の基本構成から習性、出自方法。そして呪力じゅりょくと言う、超自然的エネルギーをその身に宿す彼らは、土地々々に根付く呪力を吸収だけで取り込み、それだけで人間の倍以上の寿命を謳歌する。

 ゆえに食事も必要としない、自然界で最も愛された種であるのだが。

 試しにと、零香はテーブルに置いてあったせんべいを、ハルピコに与える。

 ハルピコは「ありがとう!」と、小さな手で受け取り、むしゃむしゃとかぶり付いた。


「ねえ、おじいちゃん? この子は一体何なの? こんな怪魔の巻物、いつから持って」


 春夢と零香は、当の持ち主である道場主に向き直るが。


「ぐ~。ぐ~」


 道場主は静かに寝息を立てていた。


「会話に無反応だと思っていたら」


「ちょっとお爺ちゃん! お爺ちゃんってば‼」


 零香は必死に祖父を叩き起こし、彼らはまた一から説明をする羽目になった。



 十分後。


「ふんふんふ~ん! ふんふんふ~ん!」


 畳に寝転がり、鼻歌交じりに、紙にお絵描きして過ごすハルピコ。

 それを見やり、道場の主・緒方善一おがたぜんいちは、頷く。


「なるほどの~。確かに、異質じゃな」


「先生は一体どこで、ハルピコの降魔書を? と言うか、どうして保管したまま、ほ

っぽいたんですか?」


 テーブルを挟んで、茶をすする善一。

 茶碗を緩やかに置くや、春夢をまっすぐ見据えて。


「すっかり忘れてた! 友人から降魔書を譲り受けたが、呼び出すのも誰かに押し付けるのも面倒だったんでのう。そのうち掃除の際にどっかへ行って、わしも気にしなくなってたわ!」


「わーはっはっは」と、善一は笑い、春夢は白け顔。


「にしても、あの降魔書にまさかこんな可愛らしいチビ助が封印されていたとはのう。お前の先祖である英雄も、ちいと酷いんじゃないかのう?」


「英雄だの、やめてくださいよ。もう俺には関係ないんですから」


 そっぽを向いて、春夢は興味の無い振りをする。

 するとそれに、ハルピコは耳を震わせた。


「ねえねえ? 『英雄』って何? 偉い人?」


 二人を交互に見やるハルピコに、善一は説明した。


「この日本を代表する、怪魔師の起源を知らしめた者達のことじゃ。500年とその昔、この地に住む人々は、あらゆる魔の怪異達に日夜苦しめられていた。これに対し、自身の才能と培ってきた陰陽道おんみょうどうを融合させ、それらを持って怪異たちを服従させることに成功した者達が居た。人々は彼ら四人を『護国聖賢ごこくせいけん』としたった。護国聖賢の四人は、危険な怪魔たちを降魔書という巻物に封印して周り、さらには自分達の術を多くの者に授けていった。彼ら英雄のお陰で、我々人類は怪魔師かいましとしての武器と、怪魔を使い魔として共に歩んで行く方法を築いていったんじゃよ」


「なんだか黒面セイバーみたい! 彼らもヒーローだったんだな⁉︎」


「ヒーロー? はっはっは! 確かに、当時の人々からしてみれば、彼らは正義のヒーローだったかもな! チビ助はヒーロー大好きか?」


「ハルピコもいつか、黒面セイバーになりたいんだな! ってことは、はるむもヒーローになるの⁉︎」


 ハルピコは期待と羨望を入り交えて、春夢を見やる。

 対して春夢は困惑した。


「俺が? どうして俺が」


「だって、はるむ。そのヒーローの人達と知り合いなんでしょ?」


「先祖ってだけさ。遠い遠い昔に居た、俺の親戚みたいなもんだよ。今の俺には何の関係も無いよ」


「え〜、何で?」


 ハルピコの素直な疑問。

 それに春夢は、むず痒くなった。


「大人にはいろいろ有るの! 先生、俺少し体動かしてきます」


「あ、おいこら」


 嫌な気分から少しでも紛らわせようと、春夢は退出。

 ハルピコと善一は取り残された。


「やれやれ。あやつもまだまだ子供じゃのう」


「はるむ、どうしちゃったんだな?」


 善一の裾を引っ張ってハルピコが詮索していると、零香がそれに答えてくれた。


「ごめんね〜ハルピコ君。春夢君ったら、どうにも先祖絡みの話になると、嫌な気持ちになっちゃうのよ」


「その人達ってヒーローなんでしょ? それなのに、はるむに悪い事したの?」


「そうではないのよ。むしろ、その人達がヒーローだったから、その血筋を引く春夢君は余計なプレッシャーを抱え込まされてたの。周囲の人達から無理やりにね」


 それに「ん~?」と、ハルピコは唸る。

 頭を抱えるハルピコの頭を、善一は笑いながら撫でた。


「そうじゃな~。チビ助。お前はヒーローになりたいと言ったろ? どうして憧れたんだ? 黒面セイバーに」


「かっこいいからなんだな! 悪い人達をばったばった倒したり、困った人達の元へすぐに駆けつけたり。ハルピコもそうなりたいんだな~」


「そうか。憧れ、そして目指したいと思う意思が有るなら、それはちゃんとしたお前の“夢”になるだろう」


「“夢”?」


「目指したい場所さ。春夢はな、勝手にその夢を決められていたのさ。英雄達の威厳を絶やさぬように、ってな。チビ助だって、他人から『お前はヒーローになる以外、道は無い!』って勝手に決めつけられたら、嫌じゃろ?」


「僕、自分で想ったからそうしたいんだな。でも、他人から言われてなるヒーローは、なんだか違う気がするんだな」


「そうじゃろう? 春夢の家系柄、仕方ないとはいえのう。それも勝手に決められ、そして勝手に頓挫させられたら、なおさら苛立ちはな」


「とんざ、って何?」


「道が途絶えるって意味よ。この場合は春夢君の夢の道。勝手に決められていた夢は、それを押し付けていた人達が離れていくと同時に終わらされちゃったの。春夢君だって、大人の言い分や周囲の期待に応えようとはしたのよ。でもそれ以上に、才能の壁が立ちはだかったの」


「春夢は、怪魔師としての才能が、まるっきり無かったのじゃよ。使い魔というのは、呼び出した術者の力量に応じ、本能的に従う。しかし春夢に従う使い魔は、一向に現れず……。やがて春夢は家の者達から追い出されてしまったのじゃよ」


「それって酷いんだな!」


 ハルピコはつい、テーブルに小さな両手を打ち付けた。


「今、春夢を突き動かすのは、周りを見返したいことだけじゃ。まあ、周囲の面倒事に有ったわりに、直球に捻くれてただけで済んだのは、まだいいんじゃがのう」


「また、そんな言い方して! 当人からしてみれば、溜まったもんじゃないわよ。私だったらと思うと……相手の家に火を付けてもおかしくないわね」


 自分のことのように照らし合わせてみた零香は、真顔でそう言い切り。

 ハルピコと善一は率直に身を震わせた。


「僕、はるむがそうなったらと思うと、怖くて仕方ないんだな……」


「じゃろう? 孫娘のようにならなくて済んだのが、救いじゃよ」


「ほんの冗談よ。でも、そろそろお爺ちゃんも、本腰入れたらどうなの? せめて私達が味方してあげないと、本当に春夢君。ひねくれた陰険者いんけんものになっちゃうわよ?」


 問いかけに、善一は軽い態度から一転。

 神妙な顔持ちで首を振る。


「我が緒方流の極意を、不安定な心持ちのまま授けるわけにはいかん。こればかりは春夢の試練じゃ。アイツが自分で変わらん限りな」


「またそんなこと言って~。どうなっても知らないわよ?」


「そうなんだな! はるむの力に、なって上げてほしいんだな!」


 ハルピコは善一の肩まで登り揺さぶるが、善一は揺らがない。


「チビ助よ。こればかりは、わしの一存ではない。緒方流の真意は、表裏一体。善行の拳を振るうも、悪しき心が芽吹くも当人次第じゃ。どうしても春夢のためだと思うのなら、チビ助。お主が春夢を変えてみせよ!」


「僕が、はるむを?」


 聴き返すハルピコに、善一は頷き。


「お主が春夢の使い魔になったのは、決して偶然ではないだろう。なればこれは、そなたたち二人の試練じゃ。この苦境の道を乗り越えたのち、春夢には真の道が。そしてチビ助。お主には夢の道が切り開かれる!」


「僕とはるむの!」


 善一の言葉を一文字一句、純粋に受け取り。

 ハルピコは決意する。


「分かったんだな‼︎ 僕がはるむを変えてみせるんだな! 正義のヒーローの第一歩として!」


「その意気じゃ! よし。そうと決まれば景気づけに、良いものをやろう。わしの大好物の紅芋甘菓子べにいもあまがし!」


「わ~い‼︎ 美味しそうなんだな~」


(なんか、不安で頭痛くなってきたわ私……)


 ころりと変わる、二人の態度に、零香は嘆息。

 いよいよもって、春夢への不安が濃厚になりつつあった。

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